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若いころは死のうとか考えてたが、今はハッピーな人いますか?

すいません 私、ずっと悩んでるんですが・・・ たまにふと寝る前とかに死のうかなとか考えるだけなんですが(実際にはなにも行動はとりません)、考えるだけ考えてしまいます しかも泣いてたりします。いい年した男なのに・・・ そんなふうに昔は死のうとか考えてたが、今は生きててよかった。 昔悩んだことも意味があったって思える 「体験談」を教えていただきたいです ※ちなみにこれは前回の質問です↓ 前回は私のことの質問なんで、 ぜひ今回は「回答者さまたちの体験談」を教えていただきたいです http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2588071.html すいませんよろしくお願いします

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noname#25211
noname#25211
回答No.2

まだあなたが泣くことができるということは、死にたくないと思っている証拠ですよ。 あなたは過去が何もないと悩んでいるようですけど、私からしたら、過去がないあなたがうらやましいです。 それくらい私はとても重い過去を背負って、死のうと思ったことは何度とありました。 生きている価値がないと思っていました。 その昔、このサイトで悩みを打ち明けたら、生きている価値がない人間だと罵られました。 もう充分自分でも苦しんでいるのに、誰も私のことを認めてくれない…。そう思っていました。 それでも、死のうと思いつつも生きていました。 そしたら、私のことをすべて受け入れてくれる人と出会うことができました。 そして、私の人生観を変えてくれるほどの出会いが訪れました。それが我が子です。 私はこの子に出会うことができて本当にすべての価値観を覆えされました。 死のうと思っていたのに、今度は生きなくては…と思うようになったのです。 この子を守れるのは私だけですから。この子のために生きなくてはならないと。 死から生へと、人生が180℃変わったのです。 私の重い過去も、その過去があったからこそ今があると確実に言えます。 悩みの中にいる時は、今自分が体験していることに意味があるなんて思えないし、明るい未来があるとも思えないです。 悩みの中でもがいている時は、どうやっても結局抜け出せなかったりします。 でも、ふと無心に生きている時に道が開けたり、人生が変わってしまうこともあるんです。 自分にはそんなラッキーはないってあなたは思うかもしれません。 けど、誰だってそう思って悩んでいるんですよ。 ずっとずっと不幸で苦しんでいて、今たまたま幸せというか、普通の平凡な生活を手に入れているだけで。 あなたは目の前で交通事故、それも人身(人対車両)事故を目撃したことがありますか? それだけでも、人生観は変わりますよ。 今自分が生きていたことが、実に危なげな偶然の上に成り立っていたのかって。 死を間近に感じるだけでも、今生きていて良かったと思わない人はいないと思います…。

noname#21750
質問者

お礼

ありがとうございます 私は彼女なんていたことないんで、恋人いる人がうらやましいです そういう出会いのチャンスすらありません でも病気したときに「健康」のありがたさに気づけます 私が今孤独のさびしさを知っているので 友達のありがたさに気づくことができました (というか今はいないんですが・・・) メル友ならいます 私も人生観がいいふうに変えられるような、出会い欲しいです

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  • ucok
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回答No.5

#3ですが、お礼を拝見して、誤解があるといけないなと思い、補足させていただきたくなりました。 美しい朝焼けや夕焼けなんですが、人生80年として、天候が悪い日や、晴れていても雲の反射が今ひとつ美しくない日があったり、せっかく美しい空がそこにあっても、朝焼けや夕焼けの短い瞬間にたまたま自分が空を見られない場所にいるとして、ざっと計算してみると、ふつうに元気よく生きていても、私、あと1500回も夕焼けを見られるかどうか分からないんですよね。そう考えると、毎日を大切に生きたいなと、明日が楽しみだなと思えるんです。

noname#21750
質問者

お礼

ありがとうございます 私も毎日を大切に生きて生きたいって思います。 まあでもネガティブなんですが・・・ 「一日一生」ってやつですね

回答No.4

26才女です。 中学の時に・・先生や友達との付き合いが嫌になって不登校だった時期があります。 女子ってなんか嫌なんですよ。グループ作って群れたり、仲良かったのにある日、突然コロッと態度変えたり そういうのがものすごく嫌だったんですよね。男友達が羨ましかったですね(^_^;) そんな青春時代の始まりだったので・・十代はボーッと日々を過ごしていましたね。 欠席多かったけど高校時代は楽しかったですよ、友人にも先生にも恵まれましたし♪ でも、何も目的を見つけられず、ただただ生きていた感じです。今、交流ある高校時代の友人は2人です。 『死』に関してですが・・・ 死ぬのは怖い、痛いのは嫌、苦しいのも嫌。そういう気持ちが強かったので、死にたいというより消えたいとは思っていました。 家族は悲しませたくなかったので、誰の記憶にも残ることなく消える事が出来たら良いなぁとは考えていました。 先に光も見えず、やりたいことがあって逃げ腰で行動に移せず、生きてて意味があるのかな?と思っていた時期は長かったです。 今は死にたくないと思っています! 24才でやっと♪春♪が来たからです(*^ロ^*)それまで一切、男の人と友達になるコトすらなかったんですけど。 彼氏がいるから死にたくない!のではありません。 彼氏の両親は幼い時に亡くなっており、今、彼氏が親に甘えるように甘えられるのは私だけです。 私が死んだら、彼氏はまたママを失う事になります。今は彼氏より1日でも長く生きたいと思っています(^^) 乱暴に生きてなければ、必ず守るべき人って現れるものだと思います。

noname#21750
質問者

お礼

>乱暴に生きてなければ、必ず守るべき人って現れるものだと思います ・・・そう信じたいんですが、私はこれまで彼女がいた経験がありませんし、もし女の人が私の前に現れて好きになってくれるなら 「いったい自分のどこを気に入って、好きになってくれるんだろう?」 って考えたら、こりゃ彼女なんて一生できないな・・・って考えてしまいます。 死を考えてしまいますが、 とりあえず考えてしまっても 生き抜きたいと思ってます 回答者さんと同じくらいの年齢なんですが、 自分を好きになってくれる人はいないって思ってしまいます 実は彼女よりも 友人のほうがほしいです(男女問わず) 前回の質問のとおり 私には友人を作るための基礎を形成するべく時代がすっとんでます あのとき違ってたら・・・っていつも思ってしまいます でも なにか変われる出会いをしたいです 文章むちゃくちゃですいません ありがとうございました

  • ucok
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回答No.3

過去がアンハッピーだったかというと、そういうわけではないのですが、10歳くらいから軽く30年間は自殺願望がありました。 簡単に死にたいという気持ちにもなりましたし、また、そう思っても仕方がないと誰もが認めるような深刻な目に遭っていた時期もありました。ただ、死んではいけないと頭では分かっていたので、なんとか工夫して死なないようにしていましたね。 具体的には、「死後の世界は誰も知らない。だからひょっとして、自殺したら、この苦しみがずっと続くのかもしれない。でも、生きている世界では、苦しみというもは、いずれ消える可能性があるのを私は知っている」と思うようにしていました。そして、頭でしかそれを思えない時には、ただひたすら、じっと寝ていたり、別のことに没頭したりして、やり過ごしていましたね。 ホルモンが原因ではないかと感じた時は、かなりスッとしました。現に、ホルモンがアンバランスな時に死にたくなる傾向がありました。他にも、いろいろと、自殺願望のパターンが見つかりました。パターンが見つかると、自分は「不幸」という救いがたい状況にあるから死にたいのではなく、たまたま「不調」だから死にたいだけで、あと数日間か数時間かして心や身体が快調になれば、気分も晴れるに違いないと思うことができました。そして、現に、そうなったものです。 最近、メディアを見ていると、「自殺や自傷は救いを求めて、生きたいと主張している行為」と言う人が増えてきたように思います。なるほど、私もそうだったのかもしれません。「死にたい」と言っても誰にも相手にされない。だから、ますます生きる意味をくれと叫びたくなる。 それが自殺なんてどうでもよくなったのは、無視しているように見えた人々が、実は心の中で思いきり反応していたと分かったからでしょうね。反応していたからこそ、引いてしまって何も私に言えなかったり、あるいは逆に怒りを跳ね返していたのです。自分が死にたいと訴えることが、こんなにも人を傷つけていた。あるいは、こんなにも気に掛けてもらっていた。そう知って、自制しているうちに、瞬く間に自殺願望はなくなりました。 それでも、ちょっと失敗した時などは、心の中で自分の首をちょん切ったり、頭の中のピストルでこめかみを撃ったりしますよ。それで気分が晴れるから。実際にはできない行為を心の中でやっちゃうのって、スッとするでしょ。 質問者さんは泣いてしまうとのことですが、涙は心の汗ですよね。汗を流せているのは、心が健康な証拠なのではないでしょうか。思う存分、汗を流して、明日はスッキリした朝をお迎えください。 つきなみですが、「幸せ」は現れたり去ったりするものではなく、その存在に気付かなかったり気付いたりするものですよね。美しい朝焼けや夕焼けを見ると「地球に生きていてよかったな」と、あと何度見られるか分からないその空をいとおしく思いませんか?

noname#21750
質問者

お礼

・・・・あります 私も絶望と喪失感でいっぱいのときに 自分が死んでるところや自分の葬式とか想像してしまいます 美しい朝焼けを一度だけ見たことがあります それは旅の出発のときだったんですが、 一番の思い出でした 回答ありがとうございました

  • yanminasa
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回答No.1

 高校にいたときは、学年のほとんどの人が知り合いで友達もも非常に多かった。しかし、大学では二浪したせいか、劣等感や自分の欠点ばかりが気になり、全く友達を作れませんでした。学校もほとんど行かなかった。  卒業後も大変苦労し、今も就職で苦労しております。大学時代は死にたいと思うこともありましたよ。絶対今の生活を抜け出しますよ。  おそらく、人間誰しもトンネルにいる間は周りが見えないものです。自分もトンネルの中にいます。そこを抜けると晴れ晴れとしたさわやかな気分になれるのではないかと思います。  昔、あまり友達がいなかった人や不幸だった人は結構いるように思います。うちの父も両親が中学校のときに他界しました。かなり厳しかったそうです。芸能人の太田光さんも高校大学と田中さん以外ほとんど友人がいなかったみたいです。また、知り合いの方は倒産や火事で家が焼け、大変な思いをした人も今はがんばっています。  聞いた話によれば(近くの大学の教授(50くらい)は)小さいときに父親から虐待を受け、学校でもそれを発散するために友達にはいやなことをしていたために友人はほとんどいなかった。そして、結婚をしたが、小さいときのトラウマで自分の子どもや妻にまで虐待してしまった。分かっていてもとめられなかったと。現在は、虐待関係の研究をされていて大学教授になられていますよ。以上のことはかなり前にお聞きしたので多少、間違いがあるかもしれません。すみません。赤羽さんという方で題名は忘れましたが、本も出されています。    がんばりましょう。  

noname#21750
質問者

お礼

ありがとうございます 私は高校大学と友人いなかったです 軽い知人程度ならいましたが・・・ 回答者さんと同じく私も劣等感や自信のなさなどあるので、 表面に出してしまってます でもこの先いい人生にしたいです