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母に残された時間に娘がしてあげられる事とは

昨日、7年前から乳がんを患っている 母の主治医から、大変厳しい状況であることを告げられました。 母の肝臓は、がん細胞が急速に成長し、 既にコントロールが出来ない状況にあるそうです。 恐らく、来年の春まで生きるのがやっとだと。 私は、母の希望もあり一昨年から故郷の鹿児島を離れて 東京でIT関係の仕事に就いています。 2年間、母親に励まされながら働いてきました。 しかし、母親に残された時間があと数ヶ月であるという現実。 正直、昨日主治医から現実を聞かされ、 自分が東京に来たことを責め続けています。 だからこそ、残された時間、母親に出来る限りのことを してあげたいと思い、会社を辞めて鹿児島に帰ろうと考えています。 周りは、あなたがそんなことをしても喜ばない、と言うのですが 父親や妹達は深い悲しみに臥せており、今後のことを 考えるどころではありません。 いみじくも、家は母親がいなければ出来ないことが多すぎる家庭。 現実的な話として母親から教わらなければならないことが たくさんありすぎます。 ドライ、なのでは無くて、覚悟を決めて今やらなければならない事に きちんと向き合わないといけない時だと考えています。 もちろん、延命の手段を探ることも大事。 私も泣いても泣きつくせないほどの涙が溢れます。 でも、母のことを思うと、 悲しむことではこの先何も生まれてこないと思うのです。 もちろん、会社をやめずに半年程休業することもできます。 休業も退職もせず、帰郷の頻度を増やす、という選択肢も あると思います。 ですが、どうしても、それでいいと思えないのです。 そもそも、東京にい続けることに意義を見出せなくなっています。 これは私が冷静に考えることが出来ていないからなのでしょうか。 文章が支離滅裂で申し訳ないのですが、 どなたかアドバイスいただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

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回答No.6

 はじめまして。これは大変ですね。  はなから私事で恐縮ですが、私のメール友達が今年、乳がんで他界しました。健康診断でわかったときにはすでに手遅れ。手術も効かず、それからわずか4か月足らずの先月、まだ40代前半の若さで娘さん2人をおいて去りました。  彼女は医者からの宣告を受けた段階で、延命治療を断って退院し、それからは鎮痛薬だけで自宅にとどまり、最後の大切な何週間を娘さんたちとの時間にあてました。私には再入院の直前に、これまでありがとうという趣旨の、ひらがなだけのメールが来たのが最後です。  高校生の娘さんから訃報のメールが来ました。私に感謝の意を伝えてくれと頼まれたとのことでした。まだ母親を失ってから1週間という段階だったのに、ひとより半分の人生をひとより倍も充実して生きた母を自慢に思う、という本当に立派な礼状だったです。私はこの母娘の最後の日々に触れ、自分の後半生を生きてゆく勇気をもらいました。  質問者さんは私の想像よりずっと辛い思いをなさっていることと存じます。ご投稿の文面だけでは、お母上がご自身の病状や医者の判断をご存知なのかどうか、そして、ご存知だとしたらこれからの時間をどのように使いたいと思ってみえるのかわかりませんでした。  いずれにせよ、私が仮に質問者さんの立場であれば、最後まで回復に向けた望みを捨てずにドクターとよく相談して対策をとること、そして、いずれ何時かは訪れる最後の時までどのようにすごすか、お母上とよく話し合って一緒に生きることを目指します。  お勤め先には是非、介護の休職を折衝なさってください。どうか治りますように。お大事になさってください。

kaorin66
質問者

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MoulinR539さん アドバイスありがとうございました。 母親自身が今自分に起こっている状況、これから起こるであろう 状況を一番良く知っています。 むしろ、遠く離れた私に心配をかけまいと詳細を語ろうと しなかったので、私が病院に電話をかけて全てを知った状況です。 母は、平均寿命が半年と言われる乳がんの肝転移に対し 自分は7年も生き延びれたから、もういいかなと言う気持ちと まだ幼い妹や一人残される父親を思い、たとえ1ヶ月でも 延ばせるのなら凡そ抗体の出来てしまった抗がん剤治療を 再度やってみようかな、という気持ちで悩んでいる様です。 病院の先生は、これ以上体に負担を掛けるより 有意義に時間を過ごすことを勧めていますが やはり最終的な判断は患者である母に任せるとおっしゃいました。 様々な選択肢があるとは思いますが、母の意志も尊重し 出来る限りのことをしたいと思っています。 私もMoulinR539さんのお友達母娘の様、 悔いの無い時間を過ごしたいと思います。

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その他の回答 (12)

noname#33713
noname#33713
回答No.2

お母様はまだお若いのですね。 あなたの悲しみ、困惑、お悩み、とても、深いものだとお察しします。 これが正しいということがないだけに、結論を出すのが難しい問題ですね。 母親の立場です。今のところ元気ですので、お答えすることが、その状況になっても当てはまるものなのかはわかりませんが・・・。   私がそういった状況になると、まず考えることは、子供たちはどうやって生きていくだろうかと言うことでしょう。 結婚している子供のことは、大して心配はしません。 でも、独身の子供については、幸せな結婚をして、幸せに暮らしていって欲しい・・・と望み、未練が残るでしょう。 もちろん結婚しない自由もあるのですが、親にとって子供が「結婚」するということは、子供が初めて、親の「庇護」から離れ、自分の責任を終えることです。親は、「安心」するのです。 と言って、あなたに結婚をしろと言うのではなく、「この子は、これから幸せになってくれる。」「私がいなくても大丈夫。」という安心感を与えてあげることが、お母様にとっては、一番お幸せだと思います。 お母様が今の御自分の状況をどこまで御存知なのかは解かりませんが、 お母様のお話をよく聞いてあげること、もちろん、そのためにも、できるだけ、同じ時間を共有して差し上げたいのですが、 自分のせいで、あなたがお仕事を辞められたと思われたのなら、それは却って御心配をかけることになるでしょう。 お母様が今やっていらっしゃる仕事は、お父様、妹さんたちと分け合って、こなしていくこともできるでしょう。 穏やかで優しい時間をお母様がお過ごしになれるようにしてあげてください。 やはり一番大切なのは「愛情」なのではないでしょうか。 どうぞ、お大事に。

kaorin66
質問者

お礼

hujibakamaさん アドバイスありがとうございました。 母が病を患ったのは45歳の時でした。 現在、私が23歳で、一つ下の妹と大学1年生の妹がいます。 妹達は若さゆえか、現実から逃げたい余り 家庭を放棄した状態で、彼女達をどう救えばいいのか 私にはどうすることもできません・・・。 恐らく、鹿児島に残っている家族が母親に存分な愛情を 注いでくれていない状況が、私の不安を駆り立てている気がします。 仕事を辞めるということはもう少し慎重に考えます。 まずは家族一環となってこの事に向き合えるよう、 そして、母親を安心させてあげられる娘になれるように もう少し頑張ってみます。

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  • PEIKD7463C
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回答No.1

うちの母親も10年ほど前に癌で余命三ヶ月から半年と言われました。 信じたくないので大学病院をいくつもはしごしたのですが全て同じ診断でした。 でも今はピンピンしてます。(歳なので腰が痛いとかはありますが) いろんな病院で健康診断を受けましたが異常なしでした。 癌は消えたのです。 錦糸町にあるここへ相談に行ったら完治しました。 http://www.popuri.info/ すでに絶版ですが私が書店で『「ガン」あなた、あきらめないで。』という本を見つけてわらにもすがる思いで錦糸町まで相談に行ったのです。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4906397190/sr=1-20/qid=1164777131/ref=sr_1_20/250-4942794-6653053?ie=UTF8&s=books 正直、本当に治るとは思ってなかったのですが「どうせ死ぬのならできるだけの事はやってみよう」と考えたのです。 三ヶ月なんてアッという間ですからね。 治らなくてもともとという気持ち。 本人は「あの時医者に言われるがまましていたらこの世にはいなかったと思ったらゾッとする」と言ってます。

kaorin66
質問者

お礼

PEIKD7463Cさん アドバイスありがとうございました。 数年前から私なりに色々と健康食品は調べていて、 アガリクスやメシマコブなど色々と 母親に試してはどうかと働きかけてきました。 7年間闘病してきた今、新たな治療法を探ることが 果たして母親にとっての幸せなのか、それすら 私にはわからなくなってしまっています。 でも、最後まで諦めることなく向き合おうと思います。

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