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豪快な金銭感覚

きのうジャンクスポーツを見ましたが、元寺尾関の豪快な食事、お金の使い方の話を聞き、驚きました。力士は食べることも仕事のうちといいますが、寿司を出前で頼む3,4人前用の大きな器にして5つくらい食べると、小食の寺尾にとってはこの時点で気持ち悪くなったそうですが、さらに先輩に焼肉に連れていかれたそうです。また、ある力士は1食で11kgも太ったとか。力士ですからすごい量ですが、何とも一般人にとってはびっくりする量です。また、寺尾は特に趣味もなく、酒を飲むのが唯一の趣味のようですが、月に飲食費に3,000万円もかけたことがあると言っていました。後輩力士におごったり、スナックなど通ったのだと思いますが、何ともびっくりする金銭感覚です。 芸能人、あるいはスポーツ人など、一般の人からすると桁違いな金銭感覚だと思いますが、食事あるいは、それ以外のことでも構いませんが、おもしろいエピソード、豪快な金銭感覚を示すような話があれば教えてください。 一方、元巨人の槙原投手は、ビデオレンタル店の割引券をしっかり貯めて使っているようです。意外に庶民派なんだと逆に驚いたりします。逆に有名人なのに意外に庶民派なんだという話でも構いません。 よろしくお願いします。

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  • nidonen
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回答No.3

 じゃあ、私も古い話で (^o^;。近鉄のピッチャーだった 鈴木啓示氏は、オフシーズンになると毎日、大好物の てっちり鍋を食べていたそうです。1回3万円くらい なので、何百万円にもなりますよね。  いまと違って、当時はエースでも年俸は 3000 万円 くらいだったと思いますので、年収の1割を食事に費や した計算になりますね。  あと、豪快とはちょっと違いますが、ジャイアント馬場が 巨人で二軍暮らしだったのは、当時の二軍監督にお歳暮などの 付け届けをしなかったことが原因のひとつといわれています。 別に馬場が渋チンなのではなく、高校中退でプロ入りしたので そういう社会常識がまだ身に付いていなかったのです。  馬場はけっこう実力があったそうで、指導者に恵まれていたら もっと1軍で投げられたかもしれません。王監督は巨人入団当時、 馬場の球を見て、すごい投手がいるもんだと思ったそうです。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。実際のところはよくわかりませんが、昔は年俸はテレビなどに取り上げられることが多い巨人、他のセ・リーグ、パ・リーグの順にだったのではないでしょうか。野球誌やスポーツ新聞の掲載度合いによっても差があるのでしょうが。 ジャイアント馬場さんも巨人の選手でしたね。プロレスラーとして大成しましたが、野球選手としても才覚があったということですね。歴代でも最も背の高い選手かもしれません。

その他の回答 (2)

  • dereku
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回答No.2

かなり昔の話です。西鉄ライオンズの選手達は平和台でのナイターが終わると中州へ繰り出し朝まで飲み明かしたそうです。そしてその場から球場入りしてホームランを打ったり完封したそうです。一晩で給料全部使うのは珍しく無かったと聞きます。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。野武士軍団と言われたころの話ですね。1958年の対巨人との日本シリーズでは、第3戦を終えて、0勝3敗と敗色濃厚。第4戦の前に雨が降り、一日順延になり、稲尾の連投が可能になったということもありますが、三原監督のはからいで、「中洲で遊んで来い」と身銭を切って思い切り選手を遊ばせたことで、流れが変わり、逆転日本一になったというエピソードもあります。先日も、福岡に帰って、中洲で飲みましたが、女性の口からホークス選手がどこどこで遊んでいたという話をいくつか聞きました。今も昔も選手の遊び方は変わりませんね。

  • ossan2006
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回答No.1

古い話ですが、前読売監督の堀内が現役選手だった頃、銀座の某バーと年間契約していたそうです。具体的な金額は忘れましたが、その金額で1年間飲み放題だったそうです(もちろん、連れも飲み放題)。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。実は、私もその話は本で読んでまして、調べてみました。昭和40年代初めの話で、銀座の「お園」というクラブでマネージャーと年間60万円で飲み放題という契約をしていたようです。でも、いつも誰かと一緒に行ったので、たぶん60万円より多く飲んだのではと堀内は言っているようです。この60万円という金額、この時代では普通の人がおいそれと出せる額ではなかったとか。しかも、新宿や赤坂にもそういう店を何軒か持っていた。飲み代はすべてシーズンオフのサイン会で稼いでいたそうです。(「ただ栄光のために 堀内恒夫物語 新潮文庫」P205) 堀内が監督に就任したときにこの本を読みましたが、選手としてはどちらかというと天才肌で、打たれて2軍に落とされても、あまり気持ちも入らないのか、いい成績を上げるわけでもなく、むしろ1軍での、ここは絶対負けられないという試合ほど無失点に抑えたりして力を発揮する。私の子供のころの記憶でも、やはりエース、負けないというイメージはありました。そうそう、金銭的にもあまりこだわらない性格のようですね。監督時代はいい成果は挙げられませんでしたが、でもプロらしさは随所に見られますね。

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