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文化大革命

毛沢東の文化大革命というのは何を目的にそして、なぜ多くの人が犠牲になったのでしょうか?教えていただきたいです。共産主義というのは、急進的なのでしょうか?

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回答No.8

>知識人という者の多くは、そのときの権力者の影響を受ける とりわけ独裁下ではそのような性格が強いと理解しています。異を唱えるものは消し去られるのが独裁ですから。 >毛沢東は劉少奇と同じ意見を持った知識人を虐殺した 毛沢東は権力を奪取するために、何としても最高指導者であった劉少奇を引きずり落とす必要がありました。「劉少奇は建国の理念から逸し、資本主義路線を歩む修正主義的な反動分子であり、打倒しなければならない」としたのです。そのために林彪や紅衛兵を使って大衆を扇動し、弾圧の嵐を吹き荒らしたのです。 >中国には彼は崇拝するような大きい写真が飾られていますよね? おっしゃられるように、毛沢東が建国の父であり、今でもなお「国父」として崇められています。紙幣にも毛沢東が描かれています。歴史に「もし」「~たら」「~れば」は禁句ですが、彼がいなければ現在の中華人民曲和国はなかったでしょう。 >社会主義の弾圧というのはあまりないような・・・ 社会主義者の弾圧も歴史上には数多くあります。たとえば日本では、大逆事件(社会主義者らによる明治天皇暗殺計画ですが、これを機に弾圧が強まった)、赤旗事件などがあります。 >共産主義と社会主義は二つとも平等を掲げている思想ではないのでしょうか? 共産主義と社会主義は一般に理解しにくいところですが、異なるものです。流れとして、 1 成熟した資本主義社会がある。ここでは資本家が労働者から富を搾取し支配している。 2 労働者(プロレタリア)革命により、資本家(ブルジョアジー)を打倒し、独裁体制をしく。ここでは生産手段は社会化され、発達した経済・生産体制の社会主義社会を目指す。この過程でプロレタリア独裁は解除され、生産量は無限に拡大する。 3 社会主義社会はやがて共産主義社会へ移行し、階級が存在せず、能力に応じた労働と配給を受ける、搾取の存在しない、成熟した最も優れた世界である。 となります。マルクス主義の原点はここにあると私は理解しています。しかしソ連は瓦解しましたね。ソ連以前のロシア帝国は1の成熟した資本主義社会だったでしょうか。違いますよね。どちらかというと農業国家です。目指す先は3の共産主義社会だったのかもしれませんが、生産手段の社会化を行ったものの、革命者らの言う資本家はいなくなりましたが、共産党いう支配階級ができあがったに過ぎません。集中した権力は時として官僚的であり、またスターリンなどの独裁者は個人崇拝を進め、粛清を行い、一般国民にも多数の犠牲者を出しました。つまるところ、労働者が資本家や帝政に搾取されるのを通り越し、「みんな揃ってひもじくなる」のを実現したのです。 マルクス主義は何も一党独裁や弾圧・粛清を前提にしたものではなく、その過程は民主的に執り行われるものです。共産党宣言(マルクスとエンゲルスが著者)では暴力により、共産主義革命が実現できるとありますが。これも革命を起爆させる過渡的なもののはずです。私たちが知っている歴史上の社会主義や共産主義は、ソ連型社会主義と言うべき失敗作なのです。成功作ができるかどうかは神のみぞ知るところでしょうか? 私は社会学や経済学などを専攻した人間でも学者でも何でもありませんので、間違いがあったらごめんなさい。詳細なところは、やはり社会学の本や資本論や共産党宣言などを読んだり、歴史を学ぶのが一番だと思います。

suns
質問者

お礼

とても丁寧に答えていただいてありがとうございます。 まだまだ多くのことを勉強していかなければいけませんが、もっともっと世界には残虐なことや驚くべきことが多くあるなか、つくづく無知というものは恐ろしいものと実感させられます。今回回答者さんのおかげでとても学ぶことができ、今後の自分の勉学にも役に立ちそうです。ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • yot15
  • ベストアンサー率24% (55/226)
回答No.9

1,共産党への素朴な疑問  民主主義を標榜する社会主義や共産主義で、党員以外が選挙に参加し  たとの報道を聞いた事も目にした事もありません。国民の1/10前後の  人口の党から、加入を認められた人間だけで政治を行うシステムがど  うして民主主義なのでしょう。そして他の党などあっても独裁ではな  いと言う形式を整えるだけの物なんて、全体主義よりもっと性質の悪  い政治体制としか言いようがありません。 2、マルクス・レーニン主義の落とし穴  実に知的主義で、彼らが言う世の中を夢見た物です。しかし自らの生  活や家族や職場、周りの人々にこんな理論を実行出来る聖人の様な人  物は見当たりません。そこでこの主義を踏み台にする<欲望>の強い  人間が本心を隠して台頭し、しかも主義を隠れ蓑にした理論武装を  行い、従来の政治体制との武力闘争を声高に叫び、本物の武装を行  うに至ります。そして武力を握ったものが実権を握りやすい政治体制  が出来上がります。つまり欲望を持つ人類には実現不可能な政治体制  と言わざるを得ません。 3、武力革命の必然性  この体制は、自由な発言を認めてしまうと現実と理論の乖離がドンド  ン進みます。その原因は主に人間の欲望です。そして政府の無能さが  際立ち国民は政府を非難するか、政府の思惑とは異なる方向に進み始  めます。そこで欲望をぶち壊す為の武力の執行が必要となります。つ  まり実行できない理論を難詰する民衆に理論で反論できない為、虐殺  が行われるようになります。これを革命言い繕うのです。実体は体制  維持の為の弾圧です。 4、若年層の利用  日本もかって少年兵を国の為と言いくるめて利用しました。ポルポト  やアフリカの諸国も同様で、発展途上の心を持つ若年層を煽るのは易  しく国家の体制が卑しければ卑しいほどこの年齢層を利用します。

回答No.7

書き忘れました。 >毛沢東の文化大革命について簡単に書かれている本 専門家ではないので、一般に評価の高い書籍かどうかの判断は難しいですが、 ・文化大革命に到る道 丸山昇 岩波書店 ・ワイルド・スワン ユン・チアン 講談社 をおすすめします。ワイルド・スワンは、著者(女性です)が歴史に翻弄された記録で、特に興味深い一作です。中国の国共内戦、日中戦争、そして文化大革命へ、著者を含め母と祖母の三世代の人間が描かれています。上中下巻(上下巻版もあり?)にわたる長いノンフィクションですが、近代中国を理解するうえで大きな手助けとなってくれる秀逸さです。

回答No.6

>共産主義者というのはこう虐殺が多いのでしょうか? たしかに共産国家では虐殺・弾圧の類(文化大革命、スターリン大粛清、チェコ事件、天安門事件など)が多く見受けられます。これはひとえに独裁体制下にあることにつきます。大衆を巻き込んだ弾圧運動を通した権力奪取の文革、自身の独裁の阻害となる勢力の(1000万とも2000万とも言われる)抹殺を行ったスターリン、民主化の波が高まりつつあったチェコへソ連軍(ワルシャワ条約機構軍)が侵攻したチェコ事件、同じく民主化運動弾圧の天安門事件など、権力者の考えは人命よりも重きに置かれ、そのため警察や軍の出動を許す体制があったのです。文化大革命は軍の出動ではありませんが。 むろんこれらの国家にも議会はあり法も存在します。しかし、時の権力者への背任は死を意味することが多く、異を唱える人間は(殺害を含め)消えていくのです。またレーニンは独裁を「法律、絶対的支配にも拘束されない、武力によって直接的に自己保持する無制限政府」と言い、秘密警察で弾圧・粛清を行っています。 >毛沢東などの共産主義者はもともと農民出身なのでしょうか? >つまり貧困で育ったために、知識人などの資本主義を憎む?? 毛沢東は地主の家の出身です。生活は裕福だったはずです。教職などを経て、中国共産党の創立メンバーとなり、歴史は日中戦争へと動いて行きますが、その思想の根底にはマルクス主義があるのでしょう。 なぜ裕福な身でありながら主義に感化されたか、これは想像ですが、アダム・スミスやモンテスキューなどの社会学に若い頃から親しみ、清王朝下にあった中国で、特にロシア革命やソ連の影響を受けリベラルな思想に染まっていったのではないかと思います。 マルクス主義では、人を労働者階級(プロレタリアート)と資本家階級(ブルジョアジー)に分け、前者は後者に搾取されている立場にあることです。革命によって資本家階級を打倒し、反革命分子の資本家階級は独裁によって弾圧されなければならない、と説いたのです。 主義の根本が資本主義、資本家階級の打倒で、労働者階級革命で富の搾取、労使問題、階級間闘争などの問題がなくなると考えているのです。 >しかし知識人=資本主義ということではないと思うのですが もちろんその通りです。知識層には様々な考え方の人がいるはずです。しかし特に独裁国家においてその知識層は、時の権力者の意向を色濃く反映するものです。このため、実権派であった劉少奇を失脚させようとする毛沢東にとって、当時の知識層を槍玉にあげ、自身の失政から目をそらせ、大衆を扇動し、彼らを批判・弾圧の対象としなければならなかったのです。 以上のような思想的な弾圧は共産国家に限ったものではありません。左派を取締対象とした戦前のドイツや日本でも弾圧や粛清はありましたし、戦後のアメリカでもマッカーシー旋風という赤狩りがありました。共産主義者を排除するために、告発・密告が行われ、制裁(公職追放や国外追放など)が加えられました。レーガンやニクソンは若かりし頃、共産主義者を告発する立場にありました。かのオッペンハイマーやチャップリンは告発にあい、公職追放や国外追放を受けたのです。 主義主張の違いや時代の流れは、時としてこのような弾圧や排斥となることを、我々は知っておかなければならないと思います。同じ過ちを繰り返さないためにも。人は学習する生き物なんですから。

suns
質問者

補足

ありがとうございます。大変勉強になりますね。またまた、補足なのですが・・・!独裁国家においてその知識層は、時の権力者の意向を色濃く反映するものと書かれていましたが、つまり知識人という者の多くは、そのときの権力者の影響を受けるということなのでしょうか?だから毛沢東は劉少奇と同じ意見を持った知識人を虐殺したのでしょうか?? そのほか、毛沢東はこのような虐殺で知られていますが、中国には彼は崇拝するような大きい写真が飾られていますよね?これはなぜでしょうか?中国を建国したことによってでしょうか? 最後に、共産主義者というのはよく弾圧されていますが、なぜそこまで恐れられているのでしょうか?社会主義の弾圧というのはあまりないような・・・。共産主義と社会主義は二つとも平等を掲げている思想ではないのでしょうか?すいません。お願いします。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.5

文化大革命は、中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた毛沢東らが引き起こした権力闘争をいう。  今となっては、この権力闘争が、重農主義の毛沢東と重工主義の劉少奇、小平の主導権争いであったことは明らかである。 その意味では、文化大革命は、中国にとって暗黒と不毛の十年間となった。  結果は小平の舵取りによって、工業化によって、進歩発展が実現する。 その意味では小平は中国にとって『中興の祖』である。 しかし、工業化を進める事によって、資本家も中国共産党に入党が認められることになった。 これによって、共産党は事実上存在意義を失っており、共産党による一党独裁は風前の灯火である。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD
  • gange
  • ベストアンサー率4% (5/101)
回答No.4

当時、私は18歳でした。子供が親を批判し裁いていると知り、度肝を抜かれました。(今、日本では金属バットでぶったたいたりしてますが(笑) これは、世の中を知らんといかんなあと思い新聞を読み始めました。 余談ですが、そこら辺りですでに、やがて年金は破綻すると言われて ました。(もう一度、笑) そして、伝統、文化は破壊されました。 台湾には、蒋介石が逃げる時に、貴重な博物品等も持って行ったので、中国の古い文化は、実は台湾に残っています。 それを欲しいが為に中国は、台湾に固執するとも言われています。

  • Major123
  • ベストアンサー率79% (230/290)
回答No.3

ここをどうぞ。

参考URL:
http://www.panda-mag.net/keyword/ha/bunkaku.htm
回答No.2

文化大革命は共産主義の急進性云々というよりも、その本質は「造反有理・革命無罪」と反動分子の弾圧へ国民を煽り権力を奪取する、単なる権力闘争に過ぎないというのが一般的な解釈です。 毛沢東は自身の政策の失敗から失脚しつつあったのですが、これを挽回し、劉少奇から政権を奪うために起こした闘争、と言えます。とりわけ、学生らから構成された紅衛兵が印象的で、毛沢東の攻撃のターゲットとなった人々(劉少奇ら実権派は資本主義路線を指向する修正主義者とされ、またこれに同調する人、教師や学者や事業家などの知識・資本家層を含め)を誹謗中傷し、弾圧の嵐が吹き荒れました。 また宗教を認めないマルクス主義の理解により、寺院や教会の類は破壊しつくされ、聖職者も多数殺害されました。現在でもチベットに対する弾圧が存在しますが…。 正確な数字は不明ですが、犠牲者は3000万とも5000万とも言われています。 中国共産党自身もこの闘争は誤った「内乱」であったと認め、80年代にこの運動を煽動した林彪や四人組は死刑等(一部に減刑あり)に処されました。 この文化大革命の影響で、中国のあらゆる組織には、ある年代層にぽっかり穴があいてます。あれから数十年経った今でも残る禍根ですね。

suns
質問者

補足

ありがとうございます。しかしなぜ、共産主義者というのはこう虐殺が多いのでしょうか?毛沢東などの共産主義者はもともと農民出身なのでしょうか?つまり貧困で育ったために、知識人などの資本主義を憎む??しかし知識人=資本主義ということではないと思うのですが・お願いします。また毛沢東の文化大革命について簡単に書かれている本などまた映画などあったら教えてください。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

 劉少奇というナンバー2に毛沢東が権力を奪われそうになったので権力を自分の手に引戻すためにやった起死回生の一撃だったのです。権力争いですよ。

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