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忘れられない光景というのはありますか?
【coyoteの質問 #135】 脳裏に焼き付いて離れない光景というのはありませんか? 感動して釘付けになった大自然、驚くような場面、信じられないシーン。 カメラを持っていなくても、大脳新皮質に刻み込まれた光景を お教え下さいませんか。 ・10年前に、ぼくは津軽三味線の師匠と二人会という初のコンサートを やったのですが、演奏が全部終わった後、 客席からアンコールをされました。 客席でアンコールの拍手をした事は何度もありますが、 舞台で、アンコールの拍手を受けたのは始めてでした。 今でも、立ち上がって拍手をくれた観客を思い出します(*^_^*)。 ・一去年の暮れでしたか、深夜交差点で信号待ちをしている時、 突然、信号無視をした車が赤信号を突っ切り進入。 青信号になった途端、発進したタクシーと激突。 初めて目前で見た他人の交通事故。 今でも網膜に焼き付いたままです。 皆さんは、如何でしょうか?
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こんばんは~♪ いっぱいあるわけでもないけど、まとめるのに、ちょっと時間がかかっちゃった~♪ 【テレビで】 スモーキーマウンテンで、いろいろ拾い集めている子供が、いじらしくて。 一家の、大黒柱になっちゃっている、10才未満の子供たちが、みんな、目をきらきらさせて、はにかんだように、「もっと、たくさんお金を稼ぎたい♪」って。でも、「学校に行って、○○になりたいの♪」っていう、夢を語っていたの。 にゃーーーーーーーーっ!! 私が、ロックフェラー財団並に、お金を持っていたら、学校くらい、いくらでも寄付するのにぃ!!ロスチャイルドでも、カーネギーでも、以下同文。単純に、寄付すればいいっていう事じゃないって、わかっているけど、でも、でも・・・・・。 あの子供たちの、きらきらした、希望を失ってない瞳に、今でも胸が「きゅ~ん」って、締め付けられる思いがするの。 【10年前に見た冬の海の夜明け】 命って、巡っているんだって、強く強く肌で感じたの。 世界の僻地を巡るのが趣味の、大親友が中国の奥地で、厠の真下で飼われている、豚を食べたって。人糞で育った豚を食べて、友達も、その厠を使って・・・。 メコン川では、腰までつかりながら、用足しをしている人に、エビや魚が寄って来るって。メコン川に浮かんだ、船の水上レストランで、取れたてのエビや魚を食べさせてくれるって・・・。 汚らしく思うかも知れないけど、ガンジス川では、死体が流れてくる横で、禊ぎをするって。水は、全てを浄化してくれるし、最後には、全ての命の源の、海に還って行くんだよって。 いろいろな物が身になって、命は巡っているんだよって。 10年前の、寒い寒いある日、部屋に閉じこもりっぱなしだった私は、ダーリンから無理矢理旅行に連れて行かれたの。ずっとずーっと、お互いに黙ってた。 夜明けが近くなったとき、叩き起こされて、海へ。 不思議と、どんどん寒く寒くなっていくの。夜明け前は、一番冷えるのね。2人で黙って海を眺めていたの。私は、プリプリ怒ったまま。ダーリンが何を考えながら、海を眺めていたのかは、わからない。 日が昇るとき、闇を、一筋の光が、切り裂いていくように感じたの。海から一筋の光の柱が立ったように感じたの。 大きな太陽が、少しずつ少しずつ、顔をのぞかせて、その姿が現れて来るににつれて、あんなに寒くて凍えていた身体に、あたたかい光が射して、どんどん暖まっていって、真っ黒だった海が、生き返ったみたいに、鈍色に光り出したの。 そしてね、そして。 あたためられた海から、靄がたくさん。海が見えなくなるほど、靄がたくさん。 私、太陽が海をあたためるから、だから、雲が出来て、雨が降るって、本当に、本当に、肌で感じたの。知らない間に、涙が出ていて、その涙に気が付いたら、どんどん泣けてきて、ずっと、ダーリンの腕の中で、泣いていたの。 「命って、こうやって、巡っているんだね。」って、言葉に出来なかったけど、強く感じることが出来たの。 前の年の夏、流産したのに気が付かずに、トイレに行って、そのまま水洗トイレを流しちゃったの。私の最初で最後の子供は、下水の中??そう思って、ずっと辛かった。大親友の実体験の言葉で、立ち直るきっかけをもらったけれど、実感としては薄かったのに、本当に立ち直れたのは、ダーリンのおかげ。 「tenten7の子供は、海に還って、空に昇って、雨になって、また地上に帰ってきて、いろんな命を育んで、また海に還って行くんだよ。私たちも、そのうち、また、うーんと昔に、生まれてきた海に還るんだよ。命は巡っているんだよ。ここにも、あそこにも、tenten7の赤ちゃんは、存在しているんだよ。」 そういってくれた、大親友に、本当に感謝しているの。 この言葉があったから、あの海を見て、私は立ち直れたんだもん。 あの冬の海の靄は、一生忘れられない光景なの。 湿っぽくなっちゃったとしたら、ごめんなさいね~♪ じゃあね~ん♪
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再回答です。 <地震> ある日の明け方のことです。まだぐっすりと寝静まった頃でした。突然、グラグラグラ・・・・と揺れました。僕は何だろうと目を覚ましました。そして、辺りを見回した途端、大きな揺れになりました。僕はとっさに机の下にもぐりました・・・・。 後で分かったことですが、その地震は「震度5弱」だったそうです。 <大雪> 去年の冬のある日。その日、雪が降っていました。あまり積もらないだろうと思いましたが、次の日見ると、20センチぐらい積もっていました。
お礼
KOBITO6さん、ありがとうございます。 [地震] 随分、強い地震でしたねえ。びっくりしたでしょう。 明け方の眠い時に起きたとなれば、体感も相当なものだったんでしょうね。 [大雪] こういう時は、嬉しくないですか(*^_^*)。 積もらないだろうという予測が意外な積雪。 ぼくなら、表に飛び出して行きますよ。
- tips
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coyoteさん、こんにちは。 忘れられない光景。 ●1995年の5月のはじめのサザエさんを みていたときのこと。 そのとき、好きだった人(付き合っていました)と ねころんで、その人のうちでサザエさんをみるともなく みていたときのことが、ものすごく印象的です。 いまでも、ふっとそのときのその部屋に入っていけるくらい リアルな感覚が残っています。 そのころは、世界は無限で、未知なものっていう期待感や 好奇心があったので、みょうに気持ちが高ぶっていたような 日々でした。 ●1991年の秋頃のある日、笑点をみていたときのこと。 そのころ、あこがれていた人(15歳くらい年上でした。)の家に行って 布団の中であったまりながら、TVをみていたのですが、 そのとき中学生だったのですが、なんか恋に恋していたような・・・・ でも、ニヒルな面もあった自分でした。
お礼
tipsさん、ありがとうございます。凄い時間のご回答ですね(*^_^*)。 [サザエさん] 子供にとって、絵本というのは、「無限」であり、「未知なもの」です。 その時のtipsさんの心象風景がそのまま大脳皮質に刻まれているんでしょう。 「未知なもの」というのは、「期待感」もありますし、 逆に不安感もあります。 負の方向に行かない高揚感があったのは、 「好きだった人」との濃密な時間ゆえかも知れません。 その時空間を想起させるトリガーが「サザエさん」なのでしょうか? [笑点] tipsさんからの視点ではなく、神の視点のようですね。 その部屋の中で「笑点」を見ていたtipsさんの様子と 心の動きを映像化しているようなご回答ですね(*^_^*)。 tipsさんの曙を感じますよ。
初めまして。小学6年生です。 ・初めてジェットコースターに乗ったとき、猛スピードで落下したこと。(そのあと、僕は気絶してしまいました・・・・・。) ・初めて東京に行ったとき、すごい渋滞に巻き込まれたこと。 ・初めて大阪に行ったとき、そのすごい風景(?)に感動(?)したこと。 全部「初めて」ですね。
お礼
KOBITO6さん、ありがとうございます。 [ジェットコースター] 気絶するほどのジェットコースター経験。 ぼくは、そういう人を「初めて」知りました(*^_^*)。 [東京] 東京の経験=渋滞、になってしまいましたか(*^_^*)? [大阪] 大阪のどの辺りのどういった風景だったんでしょうね。 初めてづくしでの色んな経験もいい思い出になったでしょうね。
- piro11
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去年遠距離恋愛してまして、片道、車で二時間半かかっていました。 今は別れたんですが…その車で走った景色が…二時間半分、帰りとあわせて計5時間、延々と思い出して夢にまで出てきます。 仕事中も目の前にトラップ?したかのごとく幻が見えます。 あーーーーもう、勘弁してください。半年間毎日です。 そこに書いている字も色も映画を見ているかのごとく鮮明です。 いい加減、脳みそ腐りそうです。笑 失礼いたしました。
お礼
piro11さん、ありがとうございます。 往復5時間の遠距離恋愛でしたか。 会う時間の方が少なかったのではないでしょうか? 半年間毎日とは、並々ならぬ努力ですね。 もっと離れていれば、簡単に会うという事は出来なかったでしょうから、 別の意味では楽だったでしょうねえ。 でも、遠距離恋愛だと一緒に居る時間を持ちたいですよね。 早く幻から解放されたいですね(*^_^*)。
- aruarunainai
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アメリカ西海岸には、はげ山があります。 木はほとんど見当たらず、見渡す限り草、草、草のなだらかな山がいくつも続いています。雨が降らないので、木は育たないみたいです。不思議な光景。 そんな中を、夫と2人で車に乗って、ひたすら走りました。当時はアメリカ在住で、国立公園に遊びに行き、家に帰る途中でした。 どうやら地図を読み違えたらしいのですが、走っても走っても(実際は山なので登っても降りてもです)ずっと草原の山々でした。どんなに走っても民家の一軒もなく、ラジオからは何も聞こえません・・・そのうちに夜になりました。あたりは真っ暗、街灯の一つもなく、車のライトが照らす部分以外何も見えず、ガソリン切れを示すランプが付き、だんだんと2人の感覚が麻痺してきて、死を意識しました。 ここで死んだら何日後に発見されるんだろう・・・最後に他の車とすれ違ったのは何時間前だっけ? 結局はその後、町の明かりの見えるところにでたのですが、自分たちの甘さを反省しました。あの山々は神秘的な風景として心に残っています。
お礼
aruarunainaiさん、ありがとうございます。お礼が前後して誠に申し訳ないです。 大変失礼致しました。 うーん、恐怖と隣り合わせのドライブだったんですねえ。 アメリカの広大な土地だからこそあり得る話のようですねえ。 よく映画で観るような光景のようですが、 実際、このご回答にあるような状況では、景色もゆっくり見られないですねえ。 ぼくには、こういった経験はありませんが、読むだけでも恐ろしいですねえ。 出口のない迷路に入り込んだようです。 時間だけが経過し、ガソリンだけがなくなっていき、 かといって、止まるのも解決策がなさそうですし、 でも、よく町にたどり着く事が出来ましたね。 忍び寄る死の恐怖の狭間に見た「神秘的な光景」は、より鮮明に映ったのかも知れません。
- usa-rx
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感動薄い私ですが、いくつか。 【スローモーション】 中森明菜のシングルタイトルではなく、交通事故です。 私は交通事故に人一倍あっております。轢き逃げも一回や二回ではありません。その中で、二年前バイクで事故った時の光景が脳裏に焼きついています。 私の右前方を走っていた大型トラックが急停車しました。トラックの陰で信号も何も見えなかったので、信号が赤に変わったのかな?と速度を落とし、停止線で止まろうとした瞬間、トラックの前から右折車両が飛び出してきたのです!あっ!とブレーキを思い切り握ってもすでに遅く、車のどてっぱらに激突しました。 時間は一瞬だと思うのですが、運転手と目がバッチリ合い、向こうが目をつぶるとこまでハッキリ見えました。私はその時「やべ~ぶつかる~、○○(バイクの持ち主)すまん~!」とか呑気に考えていたんですけど。 警察に言わせると典型的な「サンキュー事故」らしいです。譲ってもらったので急いで曲がろうと確認を怠る&速度が出るからだとか。 全治5ヶ月でした。「休日明けの火曜の朝9時からゴルフの練習に行くからだよ、社長」と、お見舞いに付き添いできた社員さんに加害者の社長さんは言われていました。 【微笑みの国タイ】 という、言葉どおりでした。 タイに初めて旅行した時のことです。空港を出てトゥクトゥクに乗ろうと捜していたら、日本語で話し掛けられました。 「アナタたち日本人?」 タイの青年でした。始めは警戒していたのですが、行く先々で世話になり、帰国する頃には私たちはすっかり親密になっていました。 荷物を空港まで彼の友人の車で運んでもらい、お別れをしていた時です。 「あのさトンチャイ、これ世話になったから。お友達にも車出してもらったしみんなで分けて」と、少しですがお金を渡しました。滞在中は彼の知人友人にトゥクトゥクや食事、水上ボート、車、ガイドなどなど無料でやってもらったのですから、些少なりとお礼の気持ちで渡したのです。 「お金?イラナイイラナイ。ワタシたちトモダチ、トモダチからお金もらえない」彼はガンとして受け取りません。 「ワタシ熊本でいっぱいお世話になった。日本人親切、優しい。日本でいっぱいイイコトもらったから、今度はタイでワタシがイイコトするよ」 「でも…それじゃお礼にならない。何かお礼がしたい」「ん~、そうね、またタイに来て。ワタシに会いに来て、それお礼」と、最高の笑顔で彼は言いました。 再会の約束をして、彼らと別れました。あの笑顔は一生忘れられません。あんなに素敵な笑顔を他に見たことがないからです。 ん~今回ネタ系じゃないのでちょっと恥かしいですね(*^_^*)
お礼
usa-rxさん、ありがとうございます。 [スローモーション] いきなり気がかりな文章が。 「轢き逃げも一回や二回ではありません。」 したのでしょうか?されたのでしょうか?それとも目撃したのでしょうか? さて、この交通事故。バイクを借りていたんですねえ。 激突の瞬間、謝罪してしまう余裕があったとは、さすが、キング・オブ・交通事故。 全治5ヶ月と書いていますから、重傷ですよねえ。 G1馬なら、傷害部位によっては引退ですよ(*^_^*)。 しかし、危ない事故でしたねえ。よく無事でした。 バイク禁止令などは発令されませんでしたか? 気を付けて下さいね。 [微笑みの国タイ] 詩情溢れる話ですね(*^_^*)。 しかし、実際こういう事があるんですね、しかも海外で。 初のタイ旅行は、いい思い出に彩られましたね。 ご回答を読んでいますと、かなり親切にしていただいたようですね。 「日本でいっぱいイイコトもらったから」といって、 では、同じ事が出来るのかと考えた場合、ぼくには出来そうもないです。 ですから、このタイの方の心根も優しい上に、usa-rxさん方の人柄も この方に快く映ったんでしょうね。 このタイの方を中心に、周辺の方々も純粋に親切な人々なんだろうと思います。 アジア系の人は、得てして外国人に親切ですが、 タイの人もそうなんだなあ、という気がしました。 日本人に不足している要素ですよねえ。 18の頃、新幹線に乗って受験に行く途中に、隣に居合わせた人が、 「受験に行くの?よし、昼食を奢ってあげよう」と 昼食をご馳走になった事はありました。 「私も学生の時、こうして知らない人に昼食を食べさせてもらったんだよ」 という事で、同じ事を施したかったようです。 少し似た話でしたので、ちょっと思い出してしまいました。 しかし、気持ちのいいお話でした(*^_^*)。 タイに行って、風に吹かれながら、トゥクトゥクに乗ってみたくなりましたよ。
- rosso_cat
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常々、自分の眼がカメラであればいいのに~と思う私♪ なんて綺麗な質問なんだろう!…と思ったのですが、 何やら皆様 (^^; な光景が並んでいるようですね… 「悲しい光景」…都市部の交差点、観光地の有料道路等 交通事故直後に何度か遭遇したことがあります。 まさに路肩に流れ出す血とか、緊急自動車を呼ぶべく手を振る周囲の人達とか… ほんの一瞬の筈なのにスローモーションで再現されるのは何故でしょう。 「美しい光景」…某国信託統治領沖合い 南の島で初めてのファンダイブ、 地下の洞窟を抜けて浮上する際、洞窟(珊瑚でできていた)にたまったエアが、 珊瑚の隙間をぬって、沢山の細かい気泡となってゆっくり上昇していきました。 海中の太陽光にきらきら光って、淡い金色とブルーのシャンパンの中を泳いでいるようでした~♪ 漠然と頭の中に「神の領域」という言葉が浮かびましたっけ。 番外「感情を伴う光景」…どこでも 何気ない風景や一瞬がいつまでも残ることってありませんか? 一緒にいた相手や状況に対する自分の感情で、美しくなったりつまらなくなったり… #例えほんの数枚の紅葉でも、感情で増幅されてどこまでも続く景色として残ったり(笑) このように簡単に感情に左右されてしまうヨワヨワ軟弱なワタクシは 自分の好きな風景に失恋した相手への思い出が強く残る場合(泣)、 姑息にも他の友人と同行してその記憶を上書きしようと試みます…
お礼
rosso_catさん、ありがとうございます。 [悲しい光景] 視覚が緊急事態に直面した時は、人間が持つ五感のうち、 前頭葉運動感覚野が、聴覚・嗅覚・味覚・触覚の機能を遮断。 視覚だけに情報処理能力が集中する事で、何十倍もの機能性が亢進する、 という事が、「スローモーションで再現される」絡繰りみたいですね。 [美しい光景] これは、美しいですねえ。「地下の洞窟」の天蓋に穴から 光の柱なんかが差し込んでいそうです。 神秘的な世界ですよね。神の賜と言えそうです(*^_^*)。 [感情を伴う光景] 「何気ない風景や一瞬がいつまでも残ることってありませんか?」 ありますねえ。 別れた彼女と一緒に行って佇んだ場所とか、よく待ち合わせた時の風景、 ちょっとした言葉(「はあい」とか(*^_^*))なんかは、 当時の感情のまま記憶されてますねえ。 こういう感情が付属するアイテムとしては、音楽、匂いがありますね(*^_^*)。
- better-life
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coyoteさん、こんにちは。 忘れられない光景は・・・・ もう十年近く前になりますが、初めての子供が天国に行ったことですね。 生後わずか2時間の命でしたが、本当にもみじよりも小さな手で合掌し、 ほどけないようにガーゼで縛っていた様子は、忘れようにも忘れられません。 そして今月8日に次女が保育園の入園式を迎えます。 決して叶う事のない夢と思っていましたから、これはこれで 『忘れられない光景』となると思います。 ちょっと暗かったですね。 今は毎日楽しく過ごしていますので、どうぞ御安心を♪
お礼
better-lifeさん、ありがとうございます。 これは、子供を持つ親でなければ分からない体験でしょうね。 子供の居ないぼくが感想を書くのも憚られますが、 入園式を迎えた娘さんが、すくすく成長されることを祈念いたします。 人間、楽しい思いばかりではありませんよね。 でも、辛い思いを礎に楽しく過ごしていきたいですね。
ここのえが脱走兵を切り刻んで殺した後の血にまみれた大通り。 たすけてくれーと叫ぶ人々に石油をかけて燃していた空襲の後 食い物を求めてさまよった空襲の後に転がる死体
お礼
edogawaranpoさん、ありがとうございます。 幽鬼と人魂が彷徨う阿鼻叫喚の世界ですね。 実体験なのか、想像なのか、或いは空想なのか分かりませんが、 この光景の直前が、美しい世界であった場合、悲惨さのコントラストが より鮮明に投影されますね。
- nyanda55
- ベストアンサー率36% (34/94)
ご質問のタイトルを見て、思い浮かんだのはただひとつ。 小学2年か3年の時、体験学習?みたいなもので、 近くのお寺で地獄絵図を見ました。 も~~~~~~~~恐かったです。 住職さんが、「今日は特別に・・・」なんていうから、 こちらとしてはワクワクしていたんですよ。 「これをお見せしましょう。」 「うぎゃあああ~~~~~!」 悲鳴をあげながら手で顔を覆ったので、あまり見ていないはずなのですが、色使いや、あのおどろおどろしい感じが、今でも思い出せてしまいます。 すごくショックで、10日間くらいは、夜寝るときに目をつぶるのが恐くて、泣きながら、母親になだめられながら寝たのを覚えています。 みんなもそうだったのかは、恥ずかしくて聞けなかったのでわかりませんが(笑)。 それから半年後くらいに、いつもかわいがってくれていた、近所に住んでいるいとこのおじさんが亡くなりました。 「死に顔は拝んでおくものだよ」と、親戚のおばさんたちにさぁさぁ、と諭され、恐る恐る棺桶の中を覗きました。 血の通っていない、温かみのないおじさんの顔を見て、 「死」を体感し、悲しみや恐怖、その他わからない感情などで、吐きそうになりました。 その日からまた、地獄絵図のことを思い出して、何日か眠れませんでした。 当時は、あの住職さんを恨んでやろうかと思うくらい憎たらしかったのですが、「あ、ダメだ!そんなこと思ったら地獄行きだ!ごめんなさーい、え~ん(T_T)」と独りジレンマに陥っておりました(笑)。今思えばかわいいものですが。 がしかし、現在でも、死後の世界の存在や、「悪いことをしたら地獄に落ちる」という言葉を、完全には否定できないところがあるので、ちょっとしたトラウマ、ですかねぇ(-_-;)
お礼
nyanda55さん、ありがとうございました。 「小学2年か3年」にして、「地獄絵図」を体験でしたか。 葬式の時に見たおじさんの死に顔が、 地獄絵図の業火を現世に招く烈日の化身として映ったのでしょうか。 生々しい地獄を小学校低学年の子供に、ビジュアルで見せる事で、 道徳教育としての効果的で実践的な学習という事だったのでしょう。 トラウマがストッパーになっているものの、学習の効果はあり、という事でしょうか。
お礼
tenten7さん、ありがとうございます。 [テレビで] フィリピンの中のどの地図にも掲載されてない正に地図のない村。 この世界最大といわれるスラムは、大きな矛盾を抱えていますよね。 以前、集中豪雨で、ゴミ山が崩れ、救出活動が出来なくなり、 二次災害を考え、捜索は打ち切り、そして、ゴミ捨て場が閉鎖されようとした時、 今度は、生活の手段を失うという理由で、閉鎖反対のデモをしてましたね。 凄まじいばかりの貧困の中で「希望を失ってない瞳」を見た tenten7さんの気持ちはよく分かりますよ(*^_^*)。 彼らの眼差しは、貧困とは何か、そして生きる事とは何なのか? 人間にとって理想の生き方とは、一体希望とは、そういった事を教えてくれたのかも。 tenten7さんも、このテレビを見て、悲惨な追体験をしたのかも知れません。 この番組を通して、絶望の裏側に潜む希望の光を彼らから見い出したのでしょう。 ぼくもラリー・エリソンなら、自家用ジェット機を乗り回さないで、 生活の手段を与えてあげたいですねえ。 [10年前に見た冬の海の夜明け] 桜は咲き、そして散り、その後、夏に向かって緑を濃くしていきます。 時は流れ、季節は変わり、命あるものは、歳月の輪廻をくり返し、 来るべき命の門戸を解放します。 森に落ちているどんぐりの作る栄養が、海のイルカを育てるんでしょう。 そういう現実の一部をtenten7さんは、メコン川でも、ガンジス川でもなく、 日本の寒い冬の海から見た訳ですね(*^_^*)。 早朝、この水の惑星、地球で、太陽が上り、眠っていた暗黒の海が光を受け輝き始め、 冬の海を目の当たりにした時、 風の歌を、海の詩をtenten7さんは太陽の慈しみと共に聞いたのかも知れません。 光と闇の二面性を経験し、海の靄を見た瞬間が、生命のプロローグだったんですね。 哀しく辛い体験を「大親友」の言葉で点火され、「ダーリン」によって開眼させられ、 tenten7さん自身により、地球が延々と続けてきた生命の循環を 物言えぬ海の言葉から、体得したと言えるかも知れません。 海の水温というのはマイナス1.5度から30度くらいの間で変動します。 つまり、気温の変動幅に比べると海の環境は、非常に温和なんですね。 生命が海から誕生した理由には、こういう事が挙げられるのでしょうが、 理屈を知るより、地球が生み出す壮大な生命の循環を見る事のきっかけを 与えてくれたお二人には言葉もありませんね(*^_^*)。 そして、暗黒とも言える哀しい体験から立ち直ったtenten7さんだからこそ 人間の持つべき慈しみとか優しさが分かるんだろうと思います。 「冬の海の靄」は、これからもtenten7さんの心の風景となっていくでしょう。 とても貴重なご回答に、感銘を受けました。 重ねて、ありがとうございます(*^_^*)。