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ウズベキスタンからの米軍撤退の背景は?

中・露の圧力で米軍はウズベキスタンからの撤退を余儀なくされたとのことですが、この経緯・背景等について教えてください。

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  • Redflag
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回答No.1

これには私も興味が湧きましたので、さっそく調べてさせてもらいました。 結果から言うと、どうやらウズベキスタン東部アンディジャン市における軍による人権侵害、およびこの事件に対するアメリカ側の抗議が主な原因だったようです。 ○事件の大まかな経緯は以下の通りとなります: 事の発端は2005年5月10日。「イスラム過激主義グループの一員」としての嫌疑を掛けられた23名のビジネスマンが、ウズベキスタン当局によって逮捕された事件。この逮捕が不当であるとして、およそ四千人以上の市民が集まり、抗議運動に参加。 同月12日、武装した民間人が軍施設と刑務所を襲撃。23名の被告人を含め、四千人の受刑者が逃亡した。翌日には被告人達を含めた武装グループが、地域行政庁の建物を占拠。これに対し、ウズベキスタン政府が軍の出動を要請する。 その後、軍、および内務省の部隊が武装グループと交戦。しかし混乱の最中、抗議していた市民も巻き込まれてしまい、結果としておよそ数百人もの死傷者が出る。 政府側はこれに際し、完全な情報管制を行い、CNNやBBCなどの外国メディアの国内放送を禁止。目撃者の証言などによると、この間に軍部隊が現場の死体を隠したとされており、正確な死傷者の数に関しては多くの疑問が残っていた。 ウズベキスタン公共放送はこの事件に関して、「アンディジャンにおいてイスラム過激派グループが軍施設と刑務所を攻撃し、軍部隊と衝突。9人が死亡し、34人が負傷した」と発表。 ウズベキスタン政府はその後、CIS諸国、中国、インド、パキスタン、イラン等の各調査団を含めた事件捜査を行うと発表した。 しかしイギリスをはじめとする西ヨーロッパの各国政府は「もっと独立した調査を行うべきだ」と抗議。後にアメリカ政府もこれに続くが、ウズベキスタン政府はこれに対しアメリカ軍が当時アフガニスタンでの作戦支援に利用していたカルシ・カーナバード(Karshi-Khanabad)空軍基地の使用権を限定する。 事件後、国連は439名のアンディジャン市民を「政治難民」として認め、そしてアメリカ主導で彼らを隣国キルギスタンへと空輸。だがウズベキスタン政府はこの行動に強く反発し、カルシ・カーナバード基地からアメリカ軍の退去を勧告した。 ○基となった記事: http://en.wikipedia.org/wiki/May_2005_unrest_in_Uzbekistan http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/07/29/AR2005072902038.html と、こんな感じだったようです。ロシア側もCIS国内で起こったこの件について多少の懸念を示していましたが、実際にどう圧力を掛けていたかは分かりません。最近ではウクライナやグルジアなどの国々が欧米へと視線を向けているので、ウズベキスタンの外交姿勢をよりロシア側へと傾けようとしていたのかもしれません。あくまで推測ですが。 ちなみに当時ウズベキスタンで市民運動が起こっていたのは知っていましたが、こんな状況であったとは知りませんでした。回答者の自分が言うのも変かもしれませんが、為になる質問をどうもありがとうございました。m(_ _)m 長文、失礼しました。

signak
質問者

お礼

 中・露の圧力というのではなく、米・ウズベキスタンの確執が原因だったのですね。それにしても、これらの地域のことは実になじみが少ないですね。  よく調べていただき本当にありがとうございました。よくわかりました。

その他の回答 (1)

  • nacam
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回答No.2

ウズベキスタンのカリモフ大統領は、旧ソ連の流れを組む大統領で、ソ連式の統治で国を統治し、隣国アフガニスタンのタリバン政権とは、敵対関係にありました。 (北部同盟のドスタム将軍派を支持) そのため、アフガニスタンやタジキスタンのイスラム原理主義者の進入に悩まされ、国内の治安維持のためには、多少の犠牲はしかたないとの立場をとっていました。 アメリカのアフガニスタン侵攻が始まると、積極的に支援を表明し、アメリカ軍への基地提供に応じます。 タジキスタンで、内戦が和解となり、アフガニスタンのタリバン政権が崩壊すると、ウズベキスタンにとって、アメリカ軍が駐留するメリットが無くなります。 そんな時起こったのが、隣国キルギスのアカエフ政権の崩壊です。 アカエフ大統領も、旧ソ連系の大統領で、カリモフ大統領と同じ手法で国内統治をしてきました。 キルギスの政変には、キルギス国内に駐留するアメリカ軍の支持があったとも言われています。 キルギスの新政権は、自由主義政策をかかげ、欧米の支持を取り付けます。 崩壊したアカエフ大統領と同一の政策をとるカリモフ政権にとっては、見過ごせない事態となります。 そんな中で、三方をキルギスに囲まれたフェルガナのキルギスに近い街アンディジャンで暴動が発生します。 ウズベキスタン当局は、「イスラム原理主義勢力の暴動」(タジキスタンとも接しているため、タリバン政権のころ、タジキスタン経由でイスラム原理主義者が多数フェルガナの地で暗躍とた)と発表しますが、欧米諸国では、キルギスの政変に影響された民主化運動とみなし、ウズベキスタン非難の声を上げます。 以後は、1番の方の言われるとうりです。 基本的には、キルギスの二の舞を避けるために、米軍への基地提供を禁止したのです。 キルギスは、政権運営に失敗し、現在はみるも無残な状況になっているそうです。

signak
質問者

お礼

 背景の解説ありがとうございました。No.1のRedflagさんと合わせてよく理解できました。  それにしてもこの地域の事情には不案内なところが多いですね。

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