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精神病にかかると周囲の人間への頼りにならなさに気づく?不健全な考え方か
- 精神病にかかると、周囲の人間の頼りにならなさに気づくことがあります。家族や医師は限定的な理解で対応し、友人や保健婦さんも踏み込んでこないことが多いです。
- 一人で戦ってきた経験から、限定的な信頼で人と接していることがあります。そのため、精神状態が落ち着いても彼女を作る意欲がわかないし、家族や友人とも限定的な信頼で関係を築いています。
- このような考え方は不健康と言えるかは個人差がありますが、このままではいけないと感じることもあります。他人に頼ることやより深い関係を築くことの大切さについて考えてみましょう。
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最後の最後です、また登場したことお許しください。 どうしても気になったものですから。 まず、 >僕としては、今、自分の経験と知識を人の踏み台にしてもらおうと思っています。 踏み台だなんて、おっしゃらないでください! kumosuke32さまを踏もうなんて失礼なこと考えてません、笑。 でも、おっしゃりたいことは、人の役に立ちたい、力になりたい、ということなんですよね。それはすばらしいことだと思います。 しかし、人の役にたつ、ということは非常に難しい課題ですよね。 jacsさまのNo.22の回答を読んで、ハッと思いました。 人の心の助けになる、ということが、どんなに難しいことであるかを知っている方、経験されたことのある方の回答だと思います。 私も自ら友人の問題に意見していったことがあります、が、結果は失敗でした。何も変わらず、自分のエネルギーも切れてしまいました。疎遠になるのは覚悟の上でしたが、それは自分の問題なので、彼女にとっては無責任だったのでしょうね。間違ったことをしたのかもしれません。 心の問題はデリケートで、立ち入るのに勇気や莫大な労力が要ります。それはkumosuke32さまもおっしゃってますね。 jacsさまのように立ち入って上手くいくかどうかわからない、相手が深い傷を負うのではないか、とあんじるのも、やさしさであるし、kumosuke32さまのように、積極的にこちらから手を差し出したい、というのもやさしさでしょう。 どちらが正しいというのはケースバイケースでしょうけれど、実生活では、自分からは踏み込まないけど助けを求めてくれれば助力する、というjaksさまのご意見が暗黙の了解だと思います。だって、助けを求めても家族でもそれが得られない、という状況のほうが、おかしいのですから。普通は助けを求め、求めに応ずる、なのでしょう。 話が飛びますが、愛情って水の流れのようなものだと思うんです。誰かから受けて、また誰かに与えて、たえず流れていく。流れが大きく、よどむことがない人の心、が豊かな心なんだろうな、なんて思っています。 私自身は、心の中に入ってくる水の流れが小さくなりやすく、だから出て行く流れにも限りがあります。つまり自分の許容範囲の愛情を人に与えすぎると、自分が乾いて、また心が病んでしまいそうになります。 そうなると自分が与えていた人も、急に愛情の流れがとまってしまうので、迷惑することにもなりかねませんし、 バランス、が必要なのかな、と感じています。 以上は私の感覚の話なので、理解していただけたか、不安ですが、 結論として、人の役にたとう、という気持ちはすばらしいことですが、積極的になりすぎて力尽きると、相手はおろか、ご自分を守ることも危うくなる、ということを伝えたかったのです。 前回No.20で「相談者さまの心の内にはぐくんだ愛情を、機会がみつかったら、ぜひ他の人に与えてあげてください。」と書きましたが、下手なアドバイスでした。kumosuke32さまは、すでにそのようなことは重々承知だったのだと補足やお礼の文章の節々で感じました。 特に冒頭でもお伝えしたように、踏み台、という表現が気になりました。まずはご自分を大切に。 r1r1r1さまもおっしゃってますが、あせらずよいペースで頑張ってください。
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- kanna_ch
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質問者様は、「誰も頼りにならない」とおっしゃっていますが、 質問者様ご自身は、友人頼られたらその期待に応える自信はありますか? 「あてにできる」ことが、信頼関係の一番大事なところなのでしょうか? 私は自分がピンチのときは、その人が尽力してくれればそれで十分だと思うんです。 人間誰しも「本人」ではないので、その辛さや苦しみを心配することは できても本当に理解する(同じ気持ちになる)ことはできないのです。 苦しんでいる友人や恋人にどれだけ気持ちを寄り添わせられるか、だけなのです。 そして、たとえ苦しみから本当に解放されなかったとしても、 自分のことでもないのに、相手が時間を割いて気持ちに寄り添ってくれるだけで 自分の存在意義があるように感じられ、ありがたいと思っています。 やっぱり自分はひとりがいい。ひとりでいるほうが気が楽、 という考えは決して不健全ではありません。 私もひとりで突っ張って生きてきた強い女だったにも関わらず、 人生の伴侶を得て、いつの間にかすごく泣き虫で弱い人間になりました。 でも、彼の存在は私にとっては「強い自分」を捨ててもいいと 思える大切な存在です。 自分のことはあまり頑張らなくなったけど、もし彼がピンチになったら そのときは絶対に私が彼を助ける、という気持ちが生まれています。 彼と一緒に”彼が救われる道”を必死に探すと思います。 今のところ彼には「あてにされてない」かもしれませんけどね。
補足
早速の回答ありがとうございます。 引用させていただきます。 >質問者様は、「誰も頼りにならない」とおっしゃっていますが、 質問者様ご自身は、友人頼られたらその期待に応える自信はありますか? 「あてにできる」ことが、信頼関係の一番大事なところなのでしょうか? 私は自分がピンチのときは、その人が尽力してくれればそれで十分だと思うんです。 ピンチのとき、その人が尽力してくれることを望むのは”当てにできる”と相手に思うことと同じではないですか?それと、”誰も頼りにならない”と言った部分は、僕の言ったのとちょっとニュアンスが違うのかもしれません。そこは僕の説明不足です。すいません。 >自分のことでもないのに、相手が時間を割いて気持ちに寄り添ってくれるだけで 自分の存在意義があるように感じられ、ありがたいと思っています。 そうしてくれるとありがたいですよ。でも、僕の場合はそうしてくれる人はほんのわずかだったわけです。僕の人徳の無さとも言えるのですが、それで、友人はあまり当てにできないものなんだなと思いました。また、相手によって期待するものは変わってきますよね。職種とか、親だとかで、そういう部分で、まだできることはいっぱいあるのにと思うことはいくつもあったものですから。 >やっぱり自分はひとりがいい。ひとりでいるほうが気が楽、 という考えは決して不健全ではありません。 私もひとりで突っ張って生きてきた強い女だったにも関わらず、 人生の伴侶を得て、いつの間にかすごく泣き虫で弱い人間になりました。 でも、彼の存在は私にとっては「強い自分」を捨ててもいいと 思える大切な存在です。 自分のことはあまり頑張らなくなったけど、もし彼がピンチになったら そのときは絶対に私が彼を助ける、という気持ちが生まれています。 彼と一緒に”彼が救われる道”を必死に探すと思います。 ここも、僕がしっかりと伝えることができてないなと感じました。一人がいいとは言ってないつもりでした。限定的な信頼ということです。 すばらしい伴侶と出会えたこと、良かったですね。本心から、よかったなぁと思っています。 そういう生き方もしてはみたいとは思うんですが、そこまで心許せる女性が現われるかは僕にはわかりません。なんせ、人生=彼女いない暦なのですから。 でも、それで、なんで”ひとりでいい、ひとりでいるほうが気が楽、という考えは決して不健全ではない”というのにつながるのが良くわかりませんでした。そう考える時期があってもいいということでしょうか?
- ymmasayan
- ベストアンサー率30% (2593/8599)
人間関係と言うのはここに書かれているのが普通だと思いますよ。 それぞれの立場・持ち場をきちんとやる。 それを冷たいと感じるかうっとうしいと感じるか受け取る方次第です。 例えばうつ病の例ですが 励ますと「俺は頑張りが足りないのだ」と思い 「頑張らなくていいよ」と言えば「俺は必要無い人間なんだ」 と思ってしまう。 どちらにしても自分で自分をいじめてしまうのです。 病気である場合、周りの気配りはもちろん必要ですが上の例のようにおのずから限界があります。
補足
すいません、”ここに”とか”上の例”とは、どこのことを言っているのでしょうか?それによって受け取り方も変わってくるので、今の時点では、よくわからないです。 回答はありがたいのですが、申し訳ないけれど、どう受け取っていいのかちょっと決めかねます。 よければ、もう少し詳しく書いてもらえると助かります。
- yousa
- ベストアンサー率5% (3/53)
貴方のような考え方の人は他にもいますし、少なくないと思います。 つまり、不健全でもおかしくもないと思います。 また、病にかかったかそうでないかということも、あまり関係ないと思われます。 想像するにまだお若いようですので、人生はまだ長いです。 長い人生の中で、人は変わっていきます。 それはゆっくりと流れるようにかも知れないし、あるきっかけで、今までとは全く違ったもの になるかも知れない。 それは誰にもわからないのです。 どうかご自分を苦しめるようなことはせず、あるがままに生きていってください。
お礼
引用させてもらいます。 >また、病にかかったかそうでないかということも、あまり関係ないと思われます。 要は、非常に困難な状況に陥ったときに、頼れる相手がどれほどいるか、という話なので、病気でなくてもというのはありますが、”あまり関係ない”ではないんですね。だから、はずせないポイントだったわけです。 >長い人生の中で、人は変わっていきます。 それはゆっくりと流れるようにかも知れないし、あるきっかけで、今までとは全く違ったもの になるかも知れない。 それは誰にもわからないのです。 そうですね、変わっていくと思うんです。そこで、今はこれが僕のポイントだなと思ったわけです。だから、それをどう捉えるのかというところで、いろんな意見を聞いてみたかったですが、僕の質問の書き方が悪かったこともありますが、ちょっと的の外れた回答が来てしまっているという状況ですね。 苦しめているわけではないので、そこは大丈夫です。”あるがまま”という解釈は難しいです。気になる点をそのまま放っておくということではないですから、何らかの意見を聞いてみたかったんですね。 他の質問を見ていると、自分の質問の仕方が悪くて失敗してしまっているという感じがします。 回答ありがとうございました。
お礼
ますけれどもね。 踏み台というのはスッテップボードという感じです。より高く跳んでくれるとうれしいなと思います。人はいつ死んでもおかしくないと感じるのです。その日まで悔いのないように過ごせればいいと、ありきたりですが思います。ちょっとおおげさでしたかね(笑)。 まだまだ、話したい思いもあるのですが、皆さんにも失礼かもしれないし、僕も忙しくなってきたので、これにて、このカテを閉じさせていただきます。localtrain470さん、並びに皆さん、お付き合いくださってありがとうございます。未熟な僕を相手してくださったことは本当に感謝しています。では、また、どこかで。
補足
新しい視点で話してもらえてうれしいです。jaksさんの話は回答しながら、自問し続けていましたので助かります。 人の問題に踏み込むことは、確かにすごいエネルギーの要る作業です。そして、自分のエネルギーが尽きてしまうこともあるのも僕も体験していま。localtrain470さんがおっしゃるように大変なことなんですよね。そして、jaksさんの言ってることが一般的で、それは、普通の家庭なら求めれば応じられるものだということ、これは結構効きますね。そういうものなんですよね。 一つ余談ですが、最近読んだ本の中に、きちんと愛情を受けて育った人というのは、相手を信じる思いが崩れず、相手にどんなことされようと言われようとすぐ立ち直って、相手の世界に踏み込んでいって信頼を勝ち取るのだそうです。人間とは生育状態でそれほど違ってくるものなのかと思ったものです。わかっているつもりでも、こういう例を聞くと愕然とする自分がいます。 愛情の話、よくわかります。僕も同じ感覚のときがありました。だから、悪い、迷惑をかけてしまうと思って、積極的に自分から人に関わらない時がありました。人に頼られたときなど、”やばいなぁ・・・・大丈夫かなぁ”という思いが常に離れずにいたものです。そのせいか、子供が怖くて怖くてしょうがなかったし、親戚のおばあちゃんとか会いたくなかったです。そういう自分を責める気持ちもありましたし、家族も責めていましたね。 今は、違うと感じています。病気のせいだったんだと感じています。よどむこともあるけど、きちんと冷静に受け止めている自分がいて、”僕はまだまだ弱いなぁ”と思いながらも、そうでない自分がいるのもわかるという感じです。 感覚的なものがlocaltrain470さんと同じように感じられるのですが、どうでしょう。たぶん、同じだと思うんですよ。違いがあってもかなり近い感覚だと思います。話を聞いていると、localtrain470さんは元々人情を重んじる人と感じられます。重んじるというと意識的な感じがる良くなりますね、そうではなく、人情豊かな人と言ったほうがいいでしょう。僕も人生で始めてのいい状態になりましたから(といっても、いろいろ病気は抱えているのですが)わかるのですが、そうなったときに自分の本来の資質が発揮されてくるという感じです。localtrain470さんもお話を伺うと、人としてとてもしっかりしていて、きちんと事象と向き合おうと姿勢が感じられます。その随所に本来の資質が除いて見えるのです。僕の聞いている主観的な感じでは、遠くない未来に良い状態に向かわれるのではないかと感じます。お世辞ではなく、自分に起こったこととしっかり向き合おうという姿勢が長年の苦しみを耐えた中から、しっかりと根を張っているのが随所に感じられるのです。まだまだ苦しんでいるさなかだとは思うんですが、回復に向けた萌芽が結構出てきていると感じるのです。この僕の感覚は正しいと思います。恐れ多いことですが。 近い将来に、localtrain470さんは、自分の本来持っている心の温かさと豊かさを感じられると思うのです。そして、今まで持っていた自己像が崩壊し、自分はもっと素敵な人間だったと気づくはずです。でも、僕は今でもあなたは素敵な人だと思い