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本を読んで感じ取る部分って何?
こんばんは。 早速ですが、私は週1,2冊のペースで本を読みます。 そして本を読み終わって20分くらいは「これは凄かったなー」と思いふけって考えたりします。 エッセイ・物語・専門的な文庫など様々ですが、本は「伝えたいことがある」等といいますよね? または、何か生活に生かしておかなければならないことなど・・・ ただ読んでいるだけでは、「ああ、面白かった」「凄かった」「衝撃的だった」「戦争って怖いな」 こんな考え方だけで終了してしまいます。 そこで、本を読むときに感じ取らなければいけない部分、または普段皆さんが気をつけている部分などはどんな事ですか? 特に、 (野ブタ。をプロデュース) の結末は一体「若者の心理」を呼びかけてどうしろというのか・・。解ったところで、何も出来ないのでは?というか、それは暗黙に解っているけどどうしようもないから誰も突っ込まなかったんじゃないのか?と考えてしまいました。 そして良く、本を読んだら国語の文章題は完璧だなんて聞きますが、それは本当なのでしょうか?私の場合、読んだはずなのに内容が頭から抜けていって、何度か読み直すことがあるんですが、これは頭の回転等の理由があるからなのでしょうか?解決策がありましたら是非教えてください!! よろしくお願いします!!<(_ _)>
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- cialee
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お力になれるかわかりませんが、私が日頃本を読んで感じることを書きますね。 私は結構大物作家の本を読んで腹の立つことが多いです。ちっとも素晴らしい内容なんかでないのに、踏ん反り返って。 ツッコミたいこと凄いありますよ。だから何?何が結局素晴らしかったの?と。 逆に誰も知らないような超無名の作家さんやちょっとナメてかかってしまうイラストつきの小説なんかに感動して頭が真っ白になってしまうこともあります。 世の原理というのでしょうか、そういった壮大なものをこんな話の中で感じて納得しているというか。 別に読書感想文を書くように感じなくてはいけないことは無いんじゃないでしょうか。 それに伝え方が上手い人のものだと、何か考えようとしなくても実感します。普段生活している中でハッと気付くことがありますので、無理に「この本は何を伝えたかったのか~」と考えることはないと思いますよ。 何度か読み返すことについてですが、私も何度も読み返します。特に、内容が深いものほど一回読んだだけだと掴みきれないものが多いので。 本を読んだら国語力が完璧・・・読む本にもよると思います。
- yayak
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(野ブタ。をプロデュース) の結末は一体「若者の心理」を呼びかけてどうしろというのか・・。 syuixさんがそう思うのは、野ブタの作者が三流だからでしょう。(あくまで超個人的です。ひょっとしたら一流かもしれません。) 一流の本は、読んだ人の心を変えます。例えば、たった一冊の本が南北戦争の引き金になったりもしています。 おれは、アルジャーノンに花束をという本で、人のあたたかさに対する見方が変わりました。(もし読んだことなければ、ぜひ読んでみてください。野ブタとではジャンルは違いますが、星と石ころ位の違いがあります。おれの目からは・・。) 一流の本は読む人の何かを変える魔法みたいなものだと思っています。人生の一部になることもきっとあると思います。感想なんてあとからついてくるものなのでは? っと思ったりもしますw
- sigremal
- ベストアンサー率27% (45/166)
確かに伝えたい事はあるでしょう、無ければ書かないと思いますしね。 そう言う意味では、受け取った方が良いのかも知れませんが、 あなたの様に直感的な感想で、十分だと思います、無理しても読書の楽しみが減るだけですよ。 自分は、もしそれ以上の何かを感じたら、作者のバックボーンを理解しようとします、そこにはその伝えたい事の生まれた理由が大抵有るからです。 だからといって、それが自分に何か影響与えるのかと言えば、それは謎ですけどね。 でも、その人を理解してから読むと見るポイントがずれてしまうのも確かですよ。 例えば、中国武侠アクション小説の金庸は、共産党が大嫌いで、カンフーの合間に共産党批判をちりばめてるとかね、気が付けば妙なトリビアの虜ですな(笑
- Chimrin
- ベストアンサー率49% (42/85)
質問の趣旨とずれているかも知れませんが、一つの意見としてお聞きください。 本の読み方は人それぞれで、「感じ取らなければいけない部分」などないと思います。そのように考えていると読書が楽しくなくなりますし、そうなれば本から何かを得られることもなくなってしまいます。 >「ああ、面白かった」「凄かった」「衝撃的だった」「戦争って怖いな」 これだけの感想を得ていれば充分ではないでしょうか。 >「若者の心理」を呼びかけてどうしろというのか・・。解ったところで、何も出来ないのでは?というか、それは暗黙に解っているけどどうしようもないから誰も突っ込まなかったんじゃないのか?と考えてしまいました。 そのように考えるきっかけとなり、何らかの意見を持つことができたのですから、本を読んだ意味はあったと思いますよ。 その意見が「正しい」、すなわち「感じ取らなければいけない部分」なのかどうかは別の問題ですが。 繰り返しますが「感じ取らなければいけない部分」なんてないと思います。一般的には、または多くの人はこんな風に感じるのだろう、と推測できる部分はあるかも知れませんが、それは本の読み方とは別の問題ですね。 その意味での「感じ取らなければいけない部分」をsyuixさんが得たいというのであれば、「私はこう感じた・考えたけれど、他の人はどう考えるのだろう」という発想を心がけてみるとよいのではないかと思います。 参考URLは「本嫌いにさせる日本の国語、文学教育」と題された記事で、「本嫌いの人が持っている間違った認識」として5つの項目が挙げられています。 これは極端な意見かも知れませんが、「本を読めば何か得られるものがある、何か役に立つはずだ!」と肩肘張って読むくらいならば、この意見に従って気軽に読むほうが、むしろ得られるものは多いと思います。 ※もちろん、実用書などは当然「何かを得る」ことを目的としているわけですが、それはまた別の話として……。 国語の文章題は結構テクニカルなものですからね。読書量とは必ずしも相関するものではないでしょう。 清水義範さんの『国語入試問題必勝法』という作品はお読みになったことがありますか? これはフィクションではありますが、国語の問題と本を読むことがいかに関わりが薄いか、という点を皮肉っている作品です。機会があれば読んでみてください。
- larme001
- ベストアンサー率44% (271/608)
本を読むときにわたしが重視するのは、その本の行間に書かれている部分を読むというより感じ取ることです。その上で、自分はその感じ取った意見、或いは筆者の主張に対して賛成反対等の意見を問うことです。 例えば、戦争の「悲惨さ」の小説であっても戦争の実質的被害なのか、戦争による人々のやさしさの腐敗なのか、自国を信じて死んでいった神風特攻隊のようなものなのか、単に「悲惨さ」といってもいろいろな悲惨さが主張できるわけです。単に「悲惨」や「悲しい」といっても憎しみのある悲しみや、自分に対する無能さへの憎悪と悲しみなど、伝え方によってさまざまです。小説やドキュメンタリーを読むときは、そうした複雑な人間の心境が重要になってきますし、また理解できると、物事の見方の新たな視点につながると思います。 また、小説等は、筆者の文体にもそれぞれ個性があって楽しめると思います。主人公のある心境を如何に、著者をひきつけるように表現するのか。ある問題に直面した人間の複雑な苦悩を言語で表現することは、意外と難しいですよ。単純に、ある若者が女性に死ぬほど恋をしたとしても、その苦悩を他人に伝えるだけの言葉というものはなかなか見つかりませんよね。言葉というフィルターを通した瞬間、自分の伝えたいほんの一部しか表現できていない気がしてしまうからです。小説家はそのような難しい心の内などをうまく表現する点、私はたまにその日本語の美しさに感動したりします。こういう観点から文章を見ても面白いです。 また、専門的な文章を読む場合ですが、理工系のもの(ブルーバックス等)は、一見信じられないことが成り立つということ論理的に説明でき、それが理解できた点で感動することはあります。例えば相対性理論なんかの本でも、時間が観測者によって変化することが証明できるということが、理解できればすごいことだと感動に値しますよ。 本のある主張を理解して、だからなんだ?などは自分の興味の無い分野ならあるとおもいますが、それで何もかもそれで終わらせてしまっては、少し視野が狭すぎますよ。別に視野を広げたいとも思わない、というのであればかまわないですが、世の中に問題になっていることは、簡単そうで難しい問題だったりすることが多いので、私は何か自分が興味を持ったことをさまざまな面から調べてみると意外と問題の本質が見えてきて自分のそれまでの無能さに脱帽したりもします。 最後に長くなってもうしわけないですが、国語の文章題に関しては、必ずしも上のような方法画言い訳ではないです。もちろん本が好きな人は国語の成績がよい傾向にありますが、中にはどうしても点が取れないという人もいます。内容が頭から抜けていくというのは、細部であればしょうがないですが、何について書いてあったかが全くわからないのであればそれはあなたが読むということにこだわりすぎて、肝心な”筆者の意見を理解する”ということをおざなりにしている可能性があります。一度読む時は、"なるほど”などと確認しながら読んでいくといいかと思います。練習として、とりあえず一段落よんでから、今読み取った要旨を頭の中で自分で言い換えてみて言えるかどうかというのもいいかもしれません。
>ただ読んでいるだけでは~終了してしまいます しかし、本を読んでもそういった感想すらもてない人もいます。 本を読むことに気をつけている点というのは私にはあまりありません。 しいていうならレポートを書く際に指定された本を読むときくらいでしょうか。 いまいち何が言いたいかが判らないときは あとがきなども参考になるかもしれませんし、 また紹介文や、感想文を書いてみるのもいいかも。 内容を思い返すことで より深くその本への理解が持てるかもしれませんよ。 >本を読んだら国語の文章題は完璧だなんて聞きますが~ >読んだはずなのに内容が頭から抜けていって、 >何度か読み直すことがあるんですが 私も、読んだはずなのに読んだ覚えすら皆無なことがたまにありますが センター試験の国語I・IIは178点でしたよw また、センター試験に限らず 国語の問題全般に言えることですが、何を読み取るかは人次第。 最終的に、作者が何を言いたかったのかは 完璧な答えは作者にしかわからないのではないでしょうか。 余談ですが問題に使われた文の作者にその問題を解かせたら 点がもらえなかったということもあるそうで。
- crystalsnow
- ベストアンサー率33% (115/342)
私はブログに読んだ本の感想を載せることにしています。普通の日記や読書ノートでもいいのですが、ブログで公開するとなると、人に読まれるのでそれなりに自分で考えをまとめて書く習慣ができます。本を読みながら重要なところをメモっておいたり、こんなことを感想で載せようと考えながら読むので少し時間はかかりますが楽しめます。 ブログの形で記録しておくと、あとでブログを読んで本の内容を思い返したり、別の解釈があったのだと気付いて訂正するのにも便利です。
お礼
パソコンに時間を取らないように気をつけているので、 ブログを更新するのは難しいですが、 考えを文章化してまとめるのはいい考えですね。 crystalsnowさんのように、「公開」するというのも かなり大事だと思いますが、、、参考にさせて頂きます。 以前、サイトを作って、義務感のみで更新してたものですからあんまり焦りたくないんですよね;; 回答有難う御座いました。
- annerose
- ベストアンサー率22% (8/36)
質問者様は、ご自身にとってのたった一冊に出会いましたか? 涙が出るほど、感動した一冊はありますか? ほんとうの意味での読書は、そこから始まると思います。 今は焦らず、その一冊を探してください。 国語の文章題は、構造が明確に意識されて書かれたものが多く、特に評論などはそうですね。 難関大の講座を受けたことがありましたが、その際先生がおっしゃっていたことは、「書いていないことを読み取る」ということでした。 文章というものは、あくまで導き手であり、大切なのは、いかに自分と対話するか、ということだと思います。 少し硬すぎるお話しでしたでしょうか^^;
お礼
感動した本なら、いくつかあります。 また、特に何も思わなくても多数の人が賛同した本なら、「どこが良かったんだ?」とかなり気になります。 そういう、自分には理解できない「人をひきつける良い部分」を読み取れないのが悔しいです。人によって感じる部分はそれぞれなので、理解できないことが沢山あるのは仕方ないですが、周りの意向もとても大事だと思うので、「ここは他の人ならウケるかも」と中心を軽く把握しながら本を読みたいと思っています。 >>「書いていないことを読み取る」 そうですね、言われてみれば書いてある情報から推理して読み取ることは大事ですね! 納得しました。次から少し意識してみようと思います。 回答有難う御座いました!<(_ _)>
お礼
>>私も、読んだはずなのに読んだ覚えすら皆無なことがたまにありますが それは凄いですね!! ちょっと安心しました。でも、大体本の読み始めは いつも読み返しているので、どうにか一発で理解しながら 読み進めたいんですよね;; >完璧な答えは作者にしかわからないのではないでしょうか。 >余談ですが問題に使われた文の作者にその問題を解かせたら >点がもらえなかったということもあるそうで。 そうですねー・・。これって、絵画とか歌の複雑な歌詞にも似ていますね。 でも、せめて自分の意見と一般的に人が思う意見を確立させて知っておきたいと思うので・・・。 大概は、私も「一般的な意見」になるでしょうが。 回答有難う御座いました!<(_ _)>