- ベストアンサー
英語教育 問題はなに? 改善するには?
最近はかなり英語に対する意識が日本で高まっている気がします。しかし、英語を話せる人は少なく英語教育に疑問があがります。英語教育はこれから変わっていかなければならないと思います。 そのために今潜んでいる問題を明確にしていく必要がありますよね。 そこで、あなたが考える中学校・高校の英語教育で問題はなんでしょうか?なにが効率悪いのでしょうか? 直感でもいいです。ここがおかしい!という意見をぜひ聞かせてください。 またこうすれば改善するという案があるひとはぜひ提案してください。 おもしろいトピックだと思うので他のひとたちの意見が聞けたらうれしいです。最終的には挙がった問題を自分なりにまとめてみたいと思います。 ちなみにぼくは、発音の教え方(教えてない?)にまず問題があると思います。
- みんなの回答 (26)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ふぉふぉふぉ・・・No.17,No19じゃ。 >スポーツにも上達のコツがあります。それを教えるのがコーチだったりしますよね。ただがむしゃらに筋トレなどの努力をすれば到達するわけではありません。教師も同じように英語を学ぶにあたって間違った道に進まないように軌道修正する役割を持っていると思います。その努力が無駄にならないように援助する必要があるのではないでしょうか? おぬしが述べようとしていることはわかる。 学校で生徒が間違った努力をしないように軌道修正させることが必要じゃ。では、どのようなことを生徒に伝えていけばよいのか・・まず第一にそれは、No.16の者が述べたように >聞くだけで英語が聞き取れるようになる!」とか「○○するだけで堪能になる」とか言う類の教材が売れていること、また、通うだけでぺらぺらになるようなCMを打つ英会話学校が流行ってることからも分かります。つまり、多くの人が楽して習熟できる方法を追い求めているのです。 ということを生徒に認識させることじゃ。 それが語学習得の第一歩につながる。 そして第二にそれを理解した生徒に「必死の努力をすれば必ず成果が現れる勉強方法を教える」ことが重要じゃ。 では、どのような勉強方法か・・・それは音読である。中学でもらった教科書の英文の単語を覚え、文構造を理解し、意味を把握した上で、その英文を繰り返し音読する。1つのChapterにつき約500回音読する。教科書付属のCDを何百回と聴く。この訓練によってその英文を自分のものにできる(internalization) これが最も重要なことである。 じゃがこれは「コツ」ではなく「学ぶための方法」すなわち「努力をしてでも英語を話せるようになりたい者への方法」じゃ。なぜなら語学習得の王道であるこの方法で学ぶにしても本人の相当の努力が必要とされるからである。 そしてこの音読練習は学校ではなく生徒各自が家で行う必要がある。学校では単語、文法、構文を理解させるのに手一杯で音読に使う時間を確保することは難しい。だからといって文法、構文の理解をおろそかにしては本末転倒になる。 先ほど「大車輪」の例をだしたんじゃが今度は「野球」の例で考えてみようかのう・・ ワシはおぬしから『コツ』という言葉がでることはあらかじめ予想しておった。この『コツ』という言葉が日本人の英語の上達を妨げる「罠」である。 『外国語を習得する』というのは『野球を始めたばかりの初心者がプロのピッチャーの投げる140キロのボールからホームランを打てるようになること』と同じである。ここで注意してほしいことは「初心者」ということじゃ。英語でも高校の授業の進行にただついていき、普通に勉強して卒業しただけでは「初心者」の能力しか身についておらん。 ヤンキースの松井に 「野球をはじめて間もないですが、将来ホームランを打てるようになるためにどのような方法で練習すればよいですか?」 と尋ねれば、松井は具体的にその方法を教えてくれるじゃろう。 じゃが、松井に 「野球をはじめて間もないですが、ホームランを打てるようになるコツを教えてください」 などと言えば、松井は「練習してください」 としか言えないじゃろう。 ちょっと練習すればバットにボールを当てることぐらいはできるようになる。じゃがホームランを打てるようになるには相当な訓練をつまなければならないはずじゃ。そのためには素振りを何回、何十回、何百回、何千回としなければならない。初めのうちはバットを振っても音ひとつでないが、素振りを繰り返しているうちに段々と風を切る音がしてくる。すなわちただ単にバットを振る、といってもその完成度は人によってとんでもなく違うわけじゃ。 素振りで、なんにも音がでない段階なのに、何かコツのようなものを教えてもらえばプロのピッチャーの投げる140キロのボールが打てるはずだ、と無邪気にも信じている。そのようなことがありえないのは、野球を経験したことがある者なら誰でも知っておる。ただ、余りにも馬鹿らしいために、口に出さないだけじゃ。 >また興味があって夢中で英語の本を読んで知らず知らずにレベルがあがることはあると思います。それを努力だけとおっしゃるのですか?だとすればあなたのいう努力という言葉は相当の守備範囲を持っているのですね。 この文を読んで思ったんじゃが、おぬしが言う「レベルがあがる」とは一体「何がどのようにどの程度にまでレベルが上がること」なんじゃ? 「興味があって夢中で英語の本を読んで・・」という文意から判断して意識的な訓練を行うわけではない、ということじゃろうな。となれば当然のことながら「英会話として使える能力」に関してはその程度で飛躍などあり得ない、と言えるじゃろう。また大学入試の長文もその程度の訓練ではとてもじゃないが太刀打ちできんじゃろう。おぬしは大学受験をしたことあるかのう?大学受験において長文読解能力がかなりのレベルに達している者に聞いてみるがよい。 帰国子女などを除き「意識的な訓練」をしないでそのレベルに達したものは誰一人としておらんはずじゃ。 すなわち、おぬしが言う「興味があって夢中で英語の本を読んで・・」とは極端に言えば『努力』とは程遠い『遊び』となるわけじゃ。 No.14の者も述べておるじゃろう。 >でもそれは、受験前に物理の参考書読み込むより、ぜんじろうの「面白科学実験」見た方が楽しいのと同じです。ですが、残念ながら毎回毎回実験・観察では大学教育の下地作りには間に会わなくなってしまうのです。火山や火成岩、砂岩の観察に毎回遠足は出来ませんよね。 まさにその通りである。 おぬしは『毎日ただ鉄棒にぶら下がるという「努力」』と表現しているが、そんなものは「努力」ではなく「遊び」である。この2つの違いを認識してもらいたいものじゃ。
その他の回答 (25)
- m74m
- ベストアンサー率20% (15/72)
私が中高でもっとやって欲しかったなぁと思うのは「発音」です。 (それも自分で学習できるので発音が悪いのを学校のせいにするわけではないです) 子供とは脳が違いますから、会話からはじめても理解不能だと思います。 私は中学1年で初めてアルファベットを習って(小学校のローマ字の授業をサボったため)、 高校出てそのまま大学留学してます。 楽しんでいただけでは、英語力はつかないと思います。 もちろんたまには楽しむことも必要ですけど、英語教育に取り入れる必要は感じませんね。 私は映画が大好きなので、映画からたくさん単語や言い回しを覚えました。 (文法がわからなければ、単語などの問題以前に理解不能です) でもやっぱり個人でやるべき事だと思います。 重要度的に「アカデミック>楽しみ」かな? アカデミックな授業を楽しめるかどうかはやっぱり興味があるかどうか、ですよ。 高校に面白いと言われる世界史の先生がいましたが、まったく興味のなかった私は 面白いと連発するクラスメートの中で「何が面白いわけ?」って感じでした。 歴史の登場人物の余談などでも目を輝かせる生徒もいれば私みたいに「ふーん」で終わる生徒もいるのです。 それに本当に楽しかったら自発的にできるでしょう? 楽しくないけど学ばなきゃければいけない事を学校では教えてくれる、と考えてはどうでしょう。 テストがなければ勉強しなくても、テストの存在が勉強させてくれる、みたいな。 ちなみに別に日本だけの問題ではなくて、スペインとかイタリアのようなヨーロッパからでも、 大学に入りたいけど英語力がなくて語学留学に来てる生徒結構いますよ。 英語を使って仕事する人も多いけど、まったく英語を使わない人も多いです。 そんなにやっきにならなくても、勉強したい人がすればよいのでは? ちゃんと勉強すれば今の中高の英語教育も捨てたもんじゃないと思います。
お礼
>アカデミックな授業を楽しめるかどうかはやっぱり興味があるかどうか、ですよ。 全くそのとおりだと思います。そして、工夫によって興味をもつ生徒は増えると信じています。 語学は最終的には本人次第ですよね。ですが、効率のよい学びかたを提供するのは学校の仕事だと思います。学ばなきゃだめなことを教えるのは当たり前です。 コツを教えるのがより生徒のためになるのではないでしょうか? 「楽しむ英語教育」というのをぼくと違った意味で捉えているひとが多いようで。 これの意味することは「効果的な英語教育」に近いです。上達が実感できたらやる気もでるし楽しいですよね。 いつまでたっても英語は難しいと思わせる教科書中心の教育に問題があるのです。英語は教科書以外にもあるのだということを示す必要があります。 ネイティブの子ども用の絵本を教室において、「読めた!」という体験をさせることがとても大事だと思うのです。 アカデミックな授業で質の高い教育というのを、どなたか具体的に示してくれませんか? 具体例によって、このアンケートはもっと意義のあるものになると思います。 ありがとうございました。
- tewpi
- ベストアンサー率36% (255/707)
No10&11です 1.アカデミックな英語、つまらないですよね。 そりゃあ文法解いたり、お説教みたいな内容の英文を分かりもしないのに読まされたり。 そんなのよりも、外国人と楽しく会話したり、ゲームやったりの方が楽しいです。 でもそれは、受験前に物理の参考書読み込むより、ぜんじろうの「面白科学実験」見た方が楽しいのと同じです。 ですが、残念ながら毎回毎回実験・観察では大学教育の下地作りには間に会わなくなってしまうのです。 火山や火成岩、砂岩の観察に毎回遠足は出来ませんよね。 現在の高校での英語教育は読み書きが極めて不十分です。 それは多くの大学生が、大学入学時に専攻の原書をひとつも読めない、esseyひとつ英文で書けないという状況が証明しています。 そもそも、日本人は英米人に比べ、英語環境という意味で当然ながらハンデを負っています。 英米の大学生が、大学入学時に、すぐに専攻の専門書に原文で取り組めることに比べ、、本来人が資源であるべき日本の大学生が、原書のひとつも読み込めないというのは、実は大変なことだと思います。 質問者さんのおっしゃる、ネットの利用や話す・聴く英語がいけないわけではありません。 ポイントはNo4さんの言われるように、読み書きのアカデミックな英語力の「必要性」なのです。 2.No4さんにこれも同意なのですが、質問者さんの求めていらっしゃるのは、「楽しい英語」「英会話」であって、学校英語とは本来別物なのでしょうね。 しかし、やっぱりアカデミックな英語教育って必要なんですよ。 それは丁度、多くの一般人が数学ギライになるという弊害がありながらも、現在の科学・技術大国日本を作り上げたのには、高校で(一般人の実生活には全く不要な)微積分や対数とかをしっかり教育しているという下地があるからこそなんですね。 質問者さん、悪くとらないでくださいね。 偉そうにこんなこと言ってる私は、中学で落ちこぼれて、(中2で習う)現在完了さえ、高卒後留学したとき初めて「ああ~、これが皆が言ってた現在完了ってやつか~」なんて知った、落ちこぼれだったのです。 質問者さんの言われること凄くよくわかりますよ。 現在副業ですが、中高生に英語を教える立場でいる私です。 あなたの意見は大いに参考にさせていただきますね(^^)
お礼
丁寧で親切な回答ありがとうございました。 ぼくも回答者さんの意見を参考にしたいと思います☆
補足
まず「外国人と楽しく会話したり、ゲームやったりの方が楽しいです」がぼくの求めている教育ではありません。 アカデミックな英語はつまらないと書きましたが、ぼくの受けてきたそれはつまらなかったのです。否定はしていません。いままでみてきた質を否定したのです。質の高い教育ができるならアカデミックな英語は大いに歓迎です。 たとえば高校の英語で「単語帳を使って毎週テスト」があるとしますよね(ぼくの高校時代です)、考えかた自体はいいのですが単語帳に問題があります。大抵単語帳はランダムに単語が並んだものです。 これを例えば「ジャンルごと」(感情・食べ物・体・動物など)に分けたら他の単語とのかかわりがわかってきてより効率の良い学びができるのではないでしょうか? また似たような意味の単語を集めて、それらを説明するような単語帳であれば単語の使い分けができるようになり、ニュアンスが伝わるのではないでしょうか。 他にも語源を使った単語の教え方など、アカデミックな英語教育にもまだまだ改善の余地があります。 要はアカデミックな英語でも、「工夫しだいで生徒の能力はもっと伸ばせるし、効果を実感させることができば英語を学ぶことがおもしろいと感じる生徒は多くなる」ということです。 今の英語教育の主流である「文法訳読」は必要だと思います。細かく分析することでしかわからないことはありますから。 しかし、そうして得た知識を教科書以外のもので使う必要もあると思います。教科書はどんどん新しい単語を覚えさせたいから習った単語が頻繁に出てくるということがありません。なのでいつまでたってもわからない単語がでてくる、英文をよむのは辛い、になってしまうのです。 簡単な、教科書よりも長めのストーリーなどで自信をつけさせることが重要ではないでしょうか。自信が大いに前進につながると思うのですが。 僕も留学してから文法の大切さを知りました。そして学校でやってたことも意味があったんじゃん!と思いました。 しかし、学校でその大切さを伝えることがなぜできなかったのか、とも疑問に思いました。やってることは意味があるのに、それが実感できない。そこに改良の余地があると思うのですが。どうでしょうか? アカデミックな英語が「楽しい」とだめなのですか?「楽しい=遊び」と勘違いしていませんか? 「ためになる教育」と「楽しい教育」とNO2さんが別ものにしましたが、これはイコールともいえるのではないでしょうか?なぜためになる教育がつまらない(楽しくない)教育である必要があるのでしょうか。 むしろ学びが「楽しい」と思わせることに教師の力量が試されると思うのですが。
No.4、No.9、No.12です、わたしも連投ですm(_ _)m 思ったのですが、質問者様のご興味は 「ためになる英語教育」ではなく 「楽しい英語教育」なのでは? それでしたら全く違うお話てすし、私もだいたい質問者様と同意見ですが^^
お礼
そうですね。学習には楽しさを求める傾向があります。 興味のないことは身につかないということが自分のなかで大きくて、英語に関しても生徒の興味に沿う「楽しい(または効果の実感できる)英語教育」ができるのではと思っています。 楽しむ英語教育としての意見が似ているときいてうれしいです。またそういったジャンルに分けて質問をしても面白いかもしれないですね。 わざわざありがとうございました。 ほっとしました(^ ^)
補足
「ためになる英語教育」と「楽しい英語教育」は全く別ものなのでしょうか? ぼくの考える「楽しい英語教育」は「効率的で効果のわかる英語教育」です。 またこれらは重なる部分が多いと思います。ためになる教育というのが文法過重視となると、それは言語好きにしかついていけないのではないでしょうか? なぜ文法だけにこだわるのですか? 回答者さんは幼いときに海外の経験があり英語は達者なのですよね。それではカタカナ英語で通じなかったときの悔しさやもどかしさは体験していないと思います。 自分はぺらぺらなのに、日本での英語教育には文法中心のものを求める。それはなぜでしょうか?読むことさえできれば満足すべきなのでしょうか? 今では音声や動画の情報がどんどん手にいれることができるのに、それは理解不能のままの状態で満足できるのでしょうか?
No.4、No.9です >カタカナ英語でいいということですか? もちろんです 要はアメリカ人、イギリス人がカタカナ英語を「聴き取りにくい」と感じたら、 彼らが「カタカナ英語・聴き取り」の勉強をすればいいわけです もともとやつらは英語を学ぶ手間が省けてるんだから、 それくらいしてくれても良いでしょう(笑) 日本人がそこまで「完全な英語」にこびへつらう事はないんです まあ誰もがそう思うようになる日は遠いですがね ご質問にもあった「私のなかの理想」です >ためになることとはなんでしょうか? 文法・文章読解等です No.4でそう書きましたら、質問者様から「でも会話を好む人もいる」 と返答いただきましたので、好みではなく、 ためになるかどうかの問題ですと云いたかったんです 好き嫌いでいえば、英会話学校の多さをみれば、 会話を好む人が多いのは明らかですよね 私だって文法は嫌いです >いまの英語教育は子どもたちのためになっているのでしょうか? なっていないので、会話はある程度諦めて 文法を増やしては?という個人的な提案です >英語嫌いにさせる授業が多いという現実をどう見ますか? 繰り返しになりますが、好き嫌いではなく必要かどうかです 必要な人はどんなにつらくても、やるもんです
補足
頭がいっぱいですぐに回答できないので、後にゆっくり考えたあとで回答したいと思います。 筋のとおった回答、また自分のつたない返事をまとめていただきありがとうございます。
- tewpi
- ベストアンサー率36% (255/707)
No10です。 連続で恐縮です。 No9の方の意見を読んで、もうひとつ書きたくなりました。 私もNo9の方に賛成です。 学校では国民の子女に基本的な知識や考える力を付ける、そして大学以降での高等教育のための下地をつける、そういうことの方が大事だと思います。 確かに多くの日本人に、自分や自分の子供に英会話を出来るようになって欲しいという要求があることは事実です。 しかしそれはあくまで、その要望がある人の趣味(この表現が正しいかは自信ありませんが)としてやるべきと考えます。 例えばサッカーで子供がプロとして大金を稼ぐような人間に育てるのが大ブームとなって、多くの国民が「子供にサッカーを教えて欲しい。役に立たない跳び箱なんて教えるな」という意見が潮流になったとします。 しかし学校体育の目的はやはりそういうものではありません。 途上国に行くと、多くの子供が片言の英語で外国人旅行者に声をかけ商売をしている様子を見ます。 あれこそ「必要」から得ている会話力です。 日本人の多くが「話せるとかっこいいね」なんて位の状況にいて、実際に会話が必要になる人や、特別に興味を持った人だけが会話学校や留学に行って会話力をつける。 そしてその下地となる最低限の文法力を学校で得ている。 これは、生活のために英会話を必要とする子供が沢山存在する国々と比べ、とても恵まれたことなのではないでしょうか
お礼
いまの英語教育は下地として十分な教育がなされているのでしょうか? 英語嫌いになる授業を受けたひとたちは幸せなのでしょうか? いまの教育には問題があると思います。せっかく学ぶのだから、使える英語力を身につけたいというのはぼくだけの考えでしょうか? 英語教育の目的の問題になってきましたね。これも他のひとたちの意見が聞ければ幸いです。
- tewpi
- ベストアンサー率36% (255/707)
よく英語教育の問題で「日本人は中高6年もやってるのに話せない。日本の英語教育はダメだ」って意見がありますよね。 ちょっと考えて見てください。 数学なんて中高どころか小中高と12年もやってるのに四則演算と簡単な面積の出し方しか出来ない人なんて山ほどいますよね。 小・中の簡単な理社正確に解答できる社会人も少ないと思います。 それに対しほとんどの大人は漢字も読めるし、日本語の会話も出来ます。 この違いはなんなのでしょう。 これは、結局学校を出てからどれだけその内容(学科)を日常的に必要としているかです。 仕事で三角関数を使う技術者は三角関数を忘れませんし、仕事や生活で英語を必要とする人は英語を忘れません。 中高で6年やってようが、かなり英語好きだった人や、卒業後英語を必要とする生活をおくる人以外が、英語をぺらぺら話せないのなんて当然のことなのです。 それでも多くの日本人がジス・イズ・ア・ペンやハロー、ハワユーを知っている。 これは実は大きなことです。(これをドイツ語や中国で言える人少ないですよね) 微分積分は出来なくても、高校までヒイヒイ言いながら数学をやるという環境があるからこそ、落ちこぼれだった土方のアンちゃん(比喩です、差別の意図はありません)が現場でハイテクの機器の説明者を読んで仕事に使える。 中卒の工場労働者が「あ、今日の注文は5本組の管が20セットだから5×20で100本だな」と対応できる。 学歴の低い人々でさえこういう理解力があるというのは、義務教育もままならない途上国と比べ、国力の大きな違いとして現れます。 同様に英語教育においても、実生活で英語を必要としない一般人が最低限の英語知識を持っているというのは、現実にその人が英語を必要とする環境(仕事や生活)に立ったとき大きな違いとなります。 へんに流暢に会話できる帰国子女より、東大を出てから訓練により英会話をマスターした国連の明石さんやスペースシャトルの野口さんの方が、アメリカ人に認められる英会話を話すという現実があります。 成長期以前にアカデミックな詰め込みをすることが有効なことは九九を20×20まで詰め込むインドの成長がいい例だと思います。 その意味で私は、現在の英語教育を、よりアカデミックなものに変化させ、どうせ後で忘れてしまい使えないような、中途半端な発音練習やヒアリングは最低限で良いと思います。 あとひとつ、知能の発達は言語により抽象的概念を具体化できると言う要素が大きいので、英語の小学校導入は尚早だと思います。 あ、余談ですが、アカデミックな英語教育において、英語の先生の発音の下手なのはさほど支障にならないと思います。 それは口下手やずーずー弁の国語教師が居ても問題無いのと一緒です。 ネイティブの発音をする素人英米人より、文法や構文をしっかり説明できる東北人の方が絶対必要です。 高校生にsoftとtenderとflexibleの違いを説明するのに必要な能力は、流暢に会話する能力ではなく、生徒の感覚をしっかりつかみ豊かな日本語力で説明出来る能力です 。
お礼
長文のご回答ありがとうございます。 アカデミックな英語教育(英文和訳で解釈していく教育と仮定します)の最大の欠点はつまらないことです。そういう授業をされる方がいましたがあやうく英語嫌いになりかけました。 いま、これほどインターネットが進化して英語に触れる機会も多いのになぜ教科書中心の授業にこだわるのですか? 細かく文法をみていく読み方も必要です。しかし、その知識を応用した教科書以外の読書も必要だと思います。 読む英語の他に、話す英語、聴く英語を学ばせることにマイナスなことはあるのでしょうか?
No.4です、あついですね 実は先述した 「臨界期に外国に放り込まれて半年くらいでペラペラ」は私の経験なんですよ(笑) 英語は第二母語なんです でもそれはいわゆる「刷り込み」の類なので、 英語「教育」に関する専門的な事は正直わかりません ただ私の印象としては、私は会話力や発音では 絶対に非・母語話者には負けませんが(自慢ではなく当たり前) 日本で英語の勉強を頑張った方には、 私より色々な意味で英語に精通している方が大勢いますので それを活かすほうが絶対良いと思ったのです また、大学などで難解な英語論文を読解しつつ会話は駄目で..... という教授さん達がいる一方で、現地では読み書きは全くできない、 いわゆる貧困層で識字できない英語話者もいましたので 「相互作用」と「偏り」については「?」です 英会話がお好きな方が趣味としてそれをやる事は良いと思います ただし、学校は基本的に趣味ではなく(こどもの)仕事なので、 きつくてもためになる事をやったほうが良いのでは?と思った次第です そうそう、あと発音についてですが、 何もアメリカナイズしなくても.....と私なんかは思います もちろん英語に関してはイギリスやアメリカが位置的にスタンダードになるとは思いますが インド英語や、Konglish、Singlish(韓国英語、シンガポール英語)などは もう「そういうもの」として認めてもいいんじゃないかなと思います それこそ英語をグローバル言語に拡大しようというなら、 ある程度地域ごとのカスタマイズくらいはあって良いと思いますね なので、日本語英語も、日本人ら本人が堂々とすればいいだけの話にも感じます
お礼
興味のある分野なのであつくなってしまいました(汗 発音についてですが、アメリカナイズしなくてもと書かれましたが、ではカタカナ英語でいいということですか? それでは実際に会話はやりずらいし、聴くにも、話すにも意思の疎通が難しいと思います。 いまは仕事で海外にいってやりとりするという方が多くなってきましたよね。そのときに初めてカタカナ英語が伝わらないということを痛感すると思います。 でも幼いころに発音を習得したら後々そういう大きなギャップを感じずにすむのではないでしょうか。もちろん発音だけやればいいとは思っていません。文法も文章読解も英語の上達に必要なことです。 またためになることとはなんでしょうか? ぼくは使える英語を教えることだと思います。それは本を読むことだったり、ネットで情報を得る、意見を交わす、などいろいろな形態になりえます。 いまの英語教育は子どもたちのためになっているのでしょうか?英語嫌いにさせる授業が多いという現実をどう見ますか? あなたのなかの理想の英語教育を教えてください。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
我が家は1980年代、『ヒッポ・ファミリークラブ』に入会し、異なる外国語にたくさん接触しました。 あれから、20年近くが経過しました。 私も昔取った何やらで、結構このサイトで、英語の腕を振るっています。 日本で,『英語教育』に関し、いろいろな答申案が出されますが,英語をマスターした人の意見が反映される事は殆どありません。 殆どが、(言葉は悪いですが)『負け犬の遠吠え』に聞こえます。 何事でもマスターした人に聞いてご覧なさい。 答は一緒で『ラッキーだっただけ』というでしょう。 この世は全て『運が八分に実力二分』です。 この運を『出会い』という人もいます。 語学も良い教師と出会わなくては前進しません。
お礼
ぼくはよい英語の教師に会ったとは思いませんが、自分で前進していきました。 インターネットを使えば初心者レベルからネイティブレベルまで学ぶ材料はそろっています。ESLのためクイズ感覚で学ぶサイトもありますし、著作権のきれた本はただで読めますし、YouTubeでは世界からの個人の放送が聞けます。 そういう英語にふれる、学ぶ機会があるということを知るだけでも生徒にとってプラスになると思います。 マスターしたひとはそういうチャンスを逃さなかったということだと思います。ラッキーなだけではないです。語学は決して簡単ではありませんし、努力が必要だと思います。 ありがとうございました。
- booboo55
- ベストアンサー率24% (120/492)
私は「受験」から英語科目を外せばいいと思います。 今は幼児の頃から英語を習わせる家庭も多い時代。 それは別に将来の受験対策の為、っていうよりも、「英語が話せる人になって欲しい」という親の願望から通わせている様子。 習わせないにしても、昔と違って音楽・映画・パソコン・ゲームなど、当たり前のように幼い頃から身近に英語に触れられる機会があり、子供たちも自然に受け入れている様子。 なのに中学に入ってからの英語の授業は文法中心で難しく、でもテストの点数や受験の為に楽しくもないのに詰め込むばかり。 誰だって嫌になりますよ。 一般の高校・大学受験から英語科目を外せば、普段の授業内容も文法とにらめっこではなくなり、少しは楽しみながら会話が身につくのでは? 受験からはずされたからといって、みんなが余計に勉強しなくなるってことはないと思うんです。 今の時代、誰もが「英語が話せればかっこいい」「英語は必要」と感じているのですから。 そんな考え、甘いかなぁ・・・。
お礼
受験科目から外すことができたら理想の英語教育ができる!と感じてしまいました。 前に「英語は差をつけさせる科目」というのを聞いたことがあります。 受験のことを考えるとどうしてもテストにでる英語を教えたくなりますよね。 そして生徒も点数を上げるための英語を求める。これでは言語がもつおもしろさや可能性が伝わらないですね。 外すまで行かなくても、文法や読解中心のテストを変えていくことで授業はもっと自由になるかもしれませんね。 受験やテストの方法について、だれかいい考えがあったら提案お願いします☆ 根本から変えるという考え、大変興味深いです。ありがとうございました。
- NinjaWhite
- ベストアンサー率12% (43/349)
No.3です。 >日本人学校での授業はどんな感じだったのでしょうか? 海外と言うのはイタリアなのですが、授業は3つのグレード別でした。初め(小3)はもちろん初心者クラスで、イタリア在住の関西人女性が先生でした。 音楽の勉強のためにイタリアに来た人だったので歌が上手く、イタリア語の歌も良く教えてくれました。今でも覚えています。 小4になって中級を抜かしていきなり上級クラスに行きました。発音がいいと言われて嬉しかったです。 上級クラスの先生は日本語のできるイタリア人女性でした。 授業は教科書とプリントですすめますが、教科書はあまり使っていなかったような… プリントは文章・短文・単語・単語ゲームなどいろいろありました。 特に変わった授業ではありませんが、みんな楽しそうに授業をしていて、ぐんぐん覚えていきました。 イタ語の授業のほかに総合的な学習の時間で、イタリア(地域)のことを学びました。 実際にみんなで町に行くんです。市場(スーパー)に行ってイタ語を使って買い物をしてみたり、いろんな場所に見学に行ったり、働いている人に自分で考えた質問をしてみたり、イタリアの料理をみんなで作ったり。 そのほかに宿泊学習(移動教室?)やスキー実習でも実際にイタ語を使える場面が多くて、すごい勉強になりました。授業だけじゃなく、いろんな場面でも積極的にイタ語を使っていました。 ここでの学校生活はすごく楽しかったし、先生たちも楽しそうでした。 この学校を離任するとき、泣かない先生はいません。 って、つい余計なことも書いてしまいました;汗
お礼
早速ありがとうございます。 なんだかたのしそうな授業ですね。歌を教えてもらったのはいいですね。キーポイントはそのイタリア語を実際に使うということがひとつあると思います。またみんなが楽しく学べるような工夫がたくさんあったのだと思います。 英語を日本で学ぶとき、実際に使う機会が少ないですよね。英語でも実際に使う機会が増えればやる気がでそうですよね。 いまは海外で英語を学んでいるのですが、確かに実際に使えるとぐんぐん伸びます。それはコミュニケーションをとるという致命的な目的があるからですよね。 でも日本にいてもネットで外国のひとと連絡できるようになり、現在はきっと語学に恵まれた環境にあるのだと思います。 大切な思い出を話してくださり、ありがとうございます。文面からとてもいい時間をそこで過ごしたことが伝わってきました。英語も自分で楽しみをみつけてイタリア語のように学んでいってください☆
お礼
大変丁寧な説明ありがとうございます。 野球の例はとてもわかりやすく、その通りだと思いました。また必死の努力をすれば必ず成果が現れる勉強方法を教えることはとても大事だと私も思いました。 また語学は楽器の習得にも似ているなと思いました。 毎日基礎練習をし、徐々に弾ける曲が増えていく。努力がなすことですよね。 音読は自分もしています。音読がとても大事だと身にしみたからです。 また、現在カナダの大学でESLの教授法を学んでいますが、それは日本のものとはかけ離れたものです。きっとそれはカナダという英語の環境があるのと、日本という日本語の環境があるという違いですね。 大学受験は受けました。 今の受験の長文問題などの質の高さはわかっています。またそのころかなりの努力をしました。単語や構文を覚えたりと。いま思い返せば英語の習得のためにかなり努力をしていたと思います。 努力がかなりのウェイトを占めるという事実を認めます。ぼくの考えていたコツとはある程度努力を重ねたひとにしか当てはまらないものだったのかもしれません。 わかりやすい説明ありがとうございました。あと、あのおもしろい話かたのおかげで表現が和らぎ落ち着いて読むことができました。 ご配慮ありがとうございます。