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「古典の曲は勉強になる」といわれるのはなぜ?
アマオケの選曲で、モーツァルトやベートーベンの曲が毎回のように「古典の曲は勉強になるから」という理由で候補に挙がります。 私は楽典的な知識がほとんど無くてよくわからないのですが、どうして古典の曲が勉強になるといわれるのでしょうか。
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こんにちは。 アマチュアのオーケストラ経験者です。(楽器はトロンボーンです) 古典で勉強すべきことは,当然ロマン派以降を演奏する時にも気をつけねばならないことですから,古典でなければ勉強にならない,ということではもちろんありません。 ただ,アマチュアの場合,ロマン派以降の音楽に取り組むと,目の前の技術的な課題や,感覚的にわかりやすいおいしさに,ついつい基本を見失いがちになります。古典の音楽は,基本がシンプルに提示されていてそれ抜きに音楽が成り立たないですから,古典に取り組むと,否応なく基本に向かい合わねばならない,という側面はあるかもしれません。 私が上に挙げた「基本」というのは,あくまでも私の個人的な理解ですが, ☆四分音符たったひとつを正確な技術とアンサンブルで演奏すること (技術上の基本) ☆四分音符たったひとつにもしっかりと意味・思いを込めた演奏をすること (音楽表現上の基本) です。 これらの基本に気づいていない人に,その大切さに気づいてもらうこと,そして,気づいているけど楽譜が難しいとそこまで手が回らない人に,じっくりと基本に取り組んでもらう,というのが「古典は勉強になる」という言葉の意味だと理解しています。 --- 以下,少々くどいかもしれませんが,もう少し具体的に説明させていただきます。 【技術上の基本】 所属されているオーケストラや質問者さまのレベルにもよりますが,自分たちの能力を超えるような曲を無理にやっても,消化不良に陥ってごまかしの多い演奏になってしまいますから,自分たちのできる事を丁寧にやる事は,意義ある事だと思います。 譜面が比較的シンプルな古典だと,リズム・音程・音色・フレージングなどのずれがすぐに分かりますから,基本的な技術をしっかりとさせるためには,古典の方が取り組みやすいのかもしれません。 (逆に,取り組まなければ取り上げる意味がない) 【音楽表現上の基本】 古典を演奏するときにアマチュアが陥りやすいのが,とりあえず譜面上はできている,音程やリズムもずれていない,でも,聴いていて(演奏していて)面白くない,という演奏になってしまう事だと思っています。 チャイコフスキーのような甘い旋律,ラヴェルのような繊細な音色美,ワーグナーやマーラーのようなドラマティックな展開や迫力ある音響,といった分かりやすいおいしさがない中で,何をどう表現すれば素晴らしい音楽になるのか?・・・というのを考えるのが,古典をやる上で考えなければならないことだと思います。 楽譜の指示や自分の感覚にただ従うのではなく,和声や楽曲分析などの音楽理論の勉強や,作曲家についての勉強を通じ,表現方法を理詰めで考えいく,というプロセスに時間を割けることも,古典に取り組む意義のひとつだと思います。 (逆に,そこに時間を割かなければ取り上げる意味がない) --- *かっこ書きで蛇足を付けましたが,勉強になるという理由で古典に取り組んでみたものの,とりあえず楽譜はできたからという理由で練習時間が短くなってしまって,古典をやった意味がほとんどなかっただけでなく,お客様の評判も今ひとつだった,という本末転倒もアマチュアではよく起こるので,ご注意を(笑) (自省の念もこめて・・・^^;)
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#1です。 「縦の線を揃えて…」という指示をよく聞いたことを思い出しました。 どんな場面でよく聞いた指示なのかは記憶にありませんが, イメージからはベートーヴェンだったような気もします。 どの作品でも縦の線を揃えることは当たり前のことですが, 特にベートーヴェンは,めりはりを付けないとベートーヴェン らしくならないと思います。ベートーヴェンの格調高さというか, 厳格さというか,人物的には堅物というか…。 演奏する時には縦の線を揃えることを特に意識していた作曲家だった と思います。 縦の線を揃えること,これも基本のひとつかと思います。 オケのメンバーの技量や関心もまちまちで,何が勉強になるかは, 人によって違うと思いますが,私自身,勉強になったと強く印象に 残っているのは,ブラームスの4曲での絃パートのアンサンブルと, 始めは目が点になりましたが,ラヴェル,ドビュッシー, ストラヴィンスキーです。 >ロマン派の曲に決まってしまい、古典の曲をやることはあまりない・・・ 管楽器奏者の出番の都合で,管パートから押し切られたり, しかたないと納得して受け入れたりで,そうなってしまうことは よくあると思います。
お礼
再度ありがとうございます。 そうですね、ベートーベンの交響曲は何曲かやりましたが、正に厳格で堅いイメージですね。 歌う旋律があまり多くなくて、それをいかにめりはりをつけて演奏するか、とよく言われた気がします。 縦の線を揃えるとか、めりはりをつけるとか言われてみれば当たり前のことなんですけどもいざやるとなると難しいですね。 ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーは一度もやったことがないです。 いつかはやる機会があればと思いますが…。 選曲は古典の曲をやると特に金管が降り番になってしまうため、めったにとりあげられることはないです。 プログラムにたまには一曲くらい取り入れたらいいのになあと思うことはありますけど、彼らが言うには「ただでさえ出番が多いほうではないのに、さらに降り番が出てしまうなんて耐えられない」そうです。
- v-i-o-l-a
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ビオラ弾きです。 「古典の曲は勉強になるから」とはよく言われましたね。 個人的には「発音」「音色」「音程」がオケ全体として揃えやすいため、 ではないかと思っていました。 しかしどんな曲も「勉強になる」と思います。 いつもなんらか課題を持って取り組む人には 古典も近・現代曲もかわりないのだと思います。 そういった意味では、あまりこだわりが無いほうが自然じゃないかと 思ったりします。 「古典の曲は勉強になるから」とおっしゃっているかたに 直接お伺いしてみてはいかがでしょうか。 なにか特別な持論があるのかもしれません。 毎回毎回古典やロマン派の曲がプログラムに入るのもどうかと思いますが、 「あー、たまにはモーツァルト弾きたい~!」という欲求が高まって やるモーツァルトもかなりイケてたりしますよ。 で、モーツァルトの難しい領域に触れ、 改めて「やっぱり私たちは凡人だ」を再認識するわけです。 そういう楽しみかたができるのが、アマチュアの特権なんだろうな、と思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 勉強になる、以外に「ごまかしがきかない」ともよく聞きました。それなら古典以外の曲はごまかしがきくのか…とよく思っていましたが、揃えやすい反面、間違いがすぐわかってしまう、ということでしょうか。 ちなみに学生時代にモーツァルトの交響曲のみ3曲で構成された演奏会に出たことがあったのですが、大変恐れ多いのですが、途中で少し飽きてしまいました…。
- altosax
- ベストアンサー率56% (473/830)
こんにちわ 私は音楽と絵と文学で非常に納得の行く正解を教わったことがあります。 これは音楽に限らず、美術絵画、文学、すべての芸術における「模倣から創造が生まれる」という法則だと思えばわかりやすいと思います。 どの芸術においても、もっとも偉大で尊敬されるべきことは「過去の誰もなしえなかった新しいスタイルの創造」ですが、そうであれば過去の古典作品など全く勉強せず、そんなものは知らないほうが変な影響を受けずに済む、と考えがちですが、実はそう簡単にはいかないことを長い歴史で皆痛感してきたからです。 何も先入観のない人がいきなり発明した音楽や芸術はインパクトがありそうですが(実際うまく行けば大成功ではありますが)音楽のなりたち、絵画の成り立ち、文学の成り立ち、といった基本的な「原理」を知らないまま「新境地を創造する」ということは、もっと大変な苦痛を経験することを誰しも経験者なら痛感しているからです。 つまり、「ビギナーズラック」でたまたま素人がすごいアイデアで評論家をうならせるデビューをしたとしても、基本を知らないため応用が出来ず、その後の作品の創造の種が何もないため続かない苦しみを味わうことになります。 過去の名作を模倣することで、基本を体に叩き込んだ人ならば、さまざまな基本スタイルを少しずつ自分なりにアレンジして、新しい自己主張としての「自分の新スタイル」を築き上げることができます。 そして、次の作品に移るときには、永年溜め込んだ「過去の基本のいろいろな要素」をパッチワーク式にアレンジしなおすことで、また再び新たなスタイルを構築しやすくなることになります。 そういった意味で、あらゆる芸術においては、「創造」こそがすべての芸術家のゴールであるけれど、その過程においては、すべての芸術家の卵は「模倣」から「常識論と原理」を学んでパッチワークの素材として身につけていく訳です。 この辺の理屈をとても明解に解説されたのが、亡くなった版画家の池田満寿夫さんの「模倣と創造」(中公新書)に詳しく書かれていますので、ぜひお読みになってみて下さい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 新しいスタイルを確立するためには過去の作品を模倣して基本を知ることが必要ということですね。 ご紹介していただいた本機会があったら読んでみたいと思います。
そのようなことは聞いたことがなく,考えたこともありませんでしたが, 楽曲理解という意味なら, 近代の曲に比べて,ソナタやメヌエットなど,形式が単純で分かり易い, 近代のものほど,変奏や転調が複雑でないから分かり易い…ということでしょうか。 >古典の曲は勉強になるから・・・ だから,いつも古典・・・というのはよく理解できません。 古典も勿論勉強になりますが,ロマン派,近代も勉強になります。 いろいろやる方が勉強になると思うのですが…。 オーケストレーションについては,後期ロマン派,近代の方が むしろ勉強になると思います。リズムの複雑さについても。 和声についても作曲家それぞれの個性がありますし。 奏者の技術向上という意味でなら,私の経験では古典の方が簡単という意味ではありませんが, ハイドン,ベートーヴェンは弾き易い曲は多かったと思います。 とはいってもモーツァルトには特別な難しさを感じて,最後まで緊張していましたが…。 プログラムの2曲目がコンチェルトでメインが古典という場合に, トロンボーンやチューバ,或いは編成が小さくなるため出番がなくなる 管楽器奏者のために1曲目はワーグナーをもってくるなどしました。 いつも古典なら,こんな問題も出てくるかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も古典以外にもロマン派でも十分勉強になるのに、と思っていました。 確かに曲想がシンプルという理由もあるかもしれません。 しかし選曲にはいつも候補があがるのですが、だいたいはロマン派の曲に決まってしまい、古典の曲をやることはあまりないのですが…。
お礼
ご回答ありがとうございます。 丁寧に説明頂いて、大変わかりやすいです。 ロマン派の有名な曲だと感覚的に弾いてしまったり難しくて弾けないということは確かにありますね。楽譜を楽譜どおりにしっかり弾くということでは古典はやりやすいかもしれませんね。 しかし弾くだけならともかく、聴かせられる演奏というのは難しいですね。こうやってみると古典の方が難しい感じもします。