何か仕事をされている中でそう感じておられるのでしょうか?
それとも、仕事をせずに家で虚無感に悩んでおられるのでしょうか?
それによっても多少答えが変わってくると思うのですが、
まず言えることは、生きている意味なんて考えない方がいいのでは。
それは自分が一生涯を終えようとするとき、フッと思えれば良いのではないでしょうか?
最近、日々の暮らしのなかに生きる意味を見つけられずに悩んでおられる方をちらほら耳にしますが、見つけようとすれば、見つけようとする人ほど、どんどん見つからなくなっているような気がするんです。
よく「自分探し」といって旅行ばかりしている人を見ますが、だいたいその人たちは何年経っても「自分探し」をしています。
結局、当たり前のように毎日漠然と過ごしている中で発見があるんじゃないかと思うんです。
たとえば、植物や他の動物などは生きる意味を考えるでしょうか?
やはり意味など考えずに、ただただ毎日を自然に生きているのではないでしょうか。彼らはただ条件が揃ったところへ自然に存在しているだけなんです。
質問者さんもそこに条件が揃っているから存在できているのではないでしょうか?だから、この先も自然に条件の揃った所へ移ろっていくということが考えられます。
とにかく毎日、読むことをしたり(漫画ではなく文学やエッセイなど)、見たり、聞いたり、触ったり、食べたり、感じたりして、意味を考えず五感を使っていれば、どこか違う場所に条件を見出すことが出来るかもしれないし、些細な発見があるかもしれません。
大きな、ドラマティックな変化を求めず、小さな発見を求めれば、少しずつ興味が広がるかもしれませんよ。
とにかく体を動かして(歩くなど)、暇な時間を作らないようにしたほうがいいと思います。どうしても考える時間が多いと余計なことを思ってしまうものです。
毎日、ただただ生きることの方が、意味を考えるより意味があると思いますよ。