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摩天楼より新緑がパセリほどの句意
「摩天楼より新緑がパセリほど」 は鷹羽狩行先生の名高いお句ですが私にはよくわかりません。特に「より」が上から落ちてきたように読めて句意がすんなり理解できません。ここは摩天楼「から見下ろせば」の意味で、高さが十分表現されているとことと、「パセリと摩天楼」の語の響きあいの新鮮さが評価されているものと思いますが、どうしても「より」の強引さがひっかかります。捨てるべき句ではなかったかと思いますが、どなた様か宜しくご教示いただければ幸いです。
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noname#20941
回答No.1
教示などと恐れ多いものではなく単なる感想なのですが。 確かに読んだ最初の印象でも「より」に強いものを感じますね。この「より」が「から見下ろせば」の意味というのはご解説のとおりですが、「(遥か日本から離れて紐育)より」のような意味も込められているのではないでしょうか。あるいは、「ここでは新緑がパセリほどに見える。鷹羽狩行 拝 摩天楼より」という手紙文のような。 いずれにせよそこには作者の(紐育は摩天楼での)存在を強調する働きがあると思います。俺は遠く日本を離れて今ここ(紐育)にいるんだ!という感動の叫びのような。 作者に聞いたわけでもないのでまったくわからないのですが……あくまで私個人の解釈として読み流してくださいませ。
お礼
ご回答頂き有難うございました。俳句が山本健吉のいう「挨拶」であるなら、お説のご趣旨よくわかります。私に欠けていた視点です。いい勉強をさせていただきました。>、「ここでは新緑がパセリほどに見える。鷹羽狩行 拝 摩天楼より」という手紙文のような。のお説は目から鱗です。 すっきりいたしました。深く感謝いたします。