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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:文学と芸術)
文学と芸術の研究にはどのような社会的意義があるのか
このQ&Aのポイント
- 大学の研究は学問的意義だけでなく、社会的意義も必要であると考える。
- 文学と芸術の研究には学問的意義があるが、社会的意義が不明瞭である。
- 個人の趣味としての文学と芸術の研究と、大学での研究の違いについて疑問を抱いている。
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- jojo-jojo-jojo
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- jojo-jojo-jojo
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- sakura4531
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補足
需要と供給のバランスから指摘されているのですが、知的生産物を提供できるなら、カルチャースクールで十分です。講師は講演謝金はあっても、その知識を生み出すための資金は個人持ちです。 大学では研究費や研究室という資源を利用して、知的産物の創出と公開が求められています。そこに税金が絡むなら、国家繁栄に絡むそれ相当のリターンがあること、あるいは個人レベルでは追求できないことを説明しなければなりません。私は文学や芸術分野のリターンが何か、カルチャースクールや趣味とどう異なるのかを知りたいのです。 文学や芸術が不要であると思っているのではありませんが、どんな趣味も完全に消滅することがないように、少しずつ変化しながら必ず残っていくはずで、完全に無くなることは考えられません。 定義といわれても厳密な説明には時間が必要なのですが、「リターン」の説明ができない学問領域を国家が保護できないのは仕方が無いと思うのです。そして文学や芸術の多くの分野は、それを説明しきれていないとも思うのです。 それは他の領域で、社会的意義に直結するとは限らないが基盤となる意義を有している基礎研究であっても、素人に説明できなければ、個人の趣味と揶揄されても仕方がないと思いますし、それがその学問の弱さなのだと感じています。