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弱音が吐けない
私は、何事も一人でやろうとしてしまう部分があります。なのに、人一倍悩みやすくてそれが周囲からみても伺えるのに、気持ちをうまく言えないので周囲も困ってしまうということがたまにありました。 今、自分の体調(婦人病を経験しました)のことが原因で、仕事の件に関して悩んでいます。好きな人に、仕事のことで相談したら「何か困ったことがあったら遠慮しないで言ってきな」という温かい言葉を貰いました。凄く嬉しいのに「これは自分の問題だから」と変に虚勢を張ってしまっていざという時、相談できない自分がいるのです。結果的に出てくる言葉は強がりや見栄になってしまって、好きな人にも伝わりません。今までもこんなことが何回かありました。親身になってくれる男性がいても、弱音が吐けないのです。 だけど「弱ってる」のは分かるから矛盾になってしまって、自分でもどうしたら良いのか分かりません。 もしかすると、根底には「そんなの本気で言ってくれてない」「忙しい時は迷惑だろうし、社交辞令を本気にしちゃ駄目だよ」とか、そう思ってる自分がいるかもしれません。でも理由が自分でも分からないのです。親しい友人とかなら、私の性格を知ってるので問題ないですが、イキナリこういう面が見えるときっと男性も困るし、重いと思います。 私の両親は、中学の時に離婚しています。それから良い子でいようと思ったり、疑う気持ちが芽生えたような気もします。書ききれないのですが、少しでも自分の気持ちの整理がつけば・・・と思い、投稿しました。本来は明るい方だし、決して人が嫌いとかではないのでもっと良い方向にいきたいのです。どうかアドバイスがあれば、宜しくお願い致します。
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原因は色々と考えらると思います。 けれど癖になってしまっている部分もあると思うので あまり深く思いつめないようにして下さいね。 弱音を吐けない。人を頼れない。という感情が働く要因には カッコ悪いところを見せたくないという虚栄心の他に 相手に迷惑をかけたくない。そんな思いがある場合もあります。 もしくは他人に頼ることを教えてもらって来なかったとか。 たぶんハニーさんの場合は上記の下2つだと自分は思います。 当時どういった状況だったのか分かりませんが ハニーさん自身も少し自覚されているように 御両親の離婚も、ハニーさんが弱音を吐けなくなってしまった 原因に関わっている可能性があるのではないかと思いました。 あくまでも自分が見る限り・・ですので、それが正しいかどうかは 分かりません。参考程度に読み進めてもらえればと思います。 離婚をするということは、その結果に至るまで、その渦中 その結果後、御両親自身がとても大変だったのが推測できます。 自分の子供に十分にかまってあげられなかったことも推測できます。 そんな状況の中でハニーさんは、御両親にこれ以上の負担を 増やしてはならないと自分を抑えておられたのかもしれませんね。 では何故、そう思ったのか。そうしていたのか。 頼っても助けてもらえないと思っていたからではないでしょうか。 その自覚が御自身にあるなし関わらず。だから全て一人でしようとしていた。 そうしていたのは、勿論ハニーさんの 御両親への優しさから、というのもあったでしょうけど ある意味、助けてもらえると「信じていなかった」ということです。 目の前にいる御両親が大変なことは分かっていたので。 「信じていない」というのは、とても悲しく冷たい感情では ありますけど、そうなるのも仕方のなかったことだと思います。 ですからもしそうだったとしても、それについて気になさる必要は ないと思います。 >親しい友人とかなら、私の性格を知ってるので問題ないですが 限られた御友人になら「弱音を吐けない自分」を曝け出しても 安心していられるのは何故でしょう? 本当はそれも隠してしまいたいところなのはずなのに。 隠しきれないことで困ってしまうところのはずなのに。 安心していられるのは、大丈夫だと分かっているから ではないですか? 良い子になりきれない自分でも受け入れてもらえることが。 つまり相手を信じているから、人は自分を曝け出すことができるんです。 さて、また当時のハニーさんに戻りますが。 では何故、助けてもらえそうにないと信じることを諦めたのか。 もしかしたら、助けてもらえたかもしれないのに。 それはきっと、助けてもらえなかった時に悲しくなるから。 だったのではないでしょうか。 傷付くのが嫌だったんです。 拒否されるのが怖かったんです。自分の大好きな人に。 大好きな人を信じて傷付くのが怖くて、諦めたということです。 それを確認するくらいなら、弱音を吐かずに一人でやってしまおうと。 上記に書いたこと、どこまでハニーさんに当てはまるか分かりませんが そうやって、では何故か?では何故か?と一枚一枚めくっていくような 感じで感情を掘り下げていくと、一つの答えにぶつかると思います。 たいてい、最終的にぶつかるところは「自分を認めてほしい」 「自分を愛してほしい」という、人間の心の奥底にある欲求です。 そこが満たされていないと色んなものを積み重ねていった末に 何かの事情で悩むことになってくることが多いと思います。 一概には言えませんけど。 答えが分かれば対処方法や改善方法も見つかるかと思います。 もし、自分が書いたことが当てはまったとしたら・・・ 傷付くことを恐れて信じることを諦めては、結局自分が苦しくなって くるということ。ならば恐れずに心を開いていくしかないです。 自分についてしまった癖を直していくしかないです。 たとえ拒否され傷付くことがあっても。たとえ少しづつでも。 理屈で分かっていても、なかなか難しいのですけどね。 癖になってしまっていたとしたら尚更のこと大変だと思います。 あと、頭の片隅にいつも置くようにされると良いと思うことが 一つあります。No1の方も書いておられますが・・ 人は持ちつ持たれつで成り立っているということです。 たとえばハニーさんの御友人が何かの事情で悩まれていたとしたら 力になろうとは思いませんか?助けになりたいと思いませんか? そこにかかる労力を負担だと思ったりするでしょうか? 一人で抱えているのを見たりするほうが辛くないですか? きっと、ハニーさんの周囲の人達にとっても ハニーさんはそういう存在です。 信じて頼ったり弱音を吐くことも周囲への優しさでもあるんです。 負担をかけないことに越したことはないですけど 過度な負担になるとまた話は違ってきますけど そういった周囲の人達の気持ちも考えてみられても良いかもしれません。 とても長くなりましたが、参考まで。
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- wandfull
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素直になれない人の根底には、他人への思いやりの欠如があります。 弱者や欠格者に対し厳しい目でしか見られない点に心当たりがあるのでしたら、謙虚に意識して改めれば、素直な気分で楽になると思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私の中にそういう部分があるのか・・・考えましたが、今まで極端に人を嫌ったりしたことはなく、ちょっとびっくりしました。しかし、振り返ってみようと思います。ありがとうございました。
- 007_taro
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懐かしい昔の自分に会ったような気がしました。 私は、家庭に別に理由があったわけではありませんが、誰にも何も言いませんでした。自分で頑張るのが普通で、他の人に悩みや弱みを相談するなんて、毛頭ありませんでした。そのため、確かに対人関係ですれ違いもありました。 何故か小さい頃からです。ヤケドしても黙ってて、海水浴に行って水着になって両親が気がついたほど、極端でした。 でも、だんだん、弱さがあることを、誰かに言いたくてならなくなりましたよ。でも、誰にも言えないし、言うまで誰も気付いてくれない。それに気がついたら、とてつもなく寂しくなってしまいましたね。 ただ私も自身の身体を壊したことから、だんだん「人に甘えるとはどういうことだろうか?」と考えるようになりました。「甘える」と言う言葉は、誤解を生むんですよね。どうも子供っぽい、依存のようなものを考えてしまう。でも、実は、「人と言う字は、人と人とが頼りあっている姿を指す」と言うこと、そのものなんです。 人は全部一人でやって生きていくことは、どうやっても無理です。山奥で庵を結ばない限りは。世俗で生きていくには、普通のように、人と関わりあって生きていくわけです。その中では、お互いに迷惑を掛け合って生きていく、それは大なり小なりあっても、「普通」のことなんです。 人に頼る=甘えることは、特別なことでなく、日常のこと、と捉えてください。少しずつ、自分の他人へのバリヤーが解けていくようになります。
お礼
本音の晒し方が分からないのかもしれません。 でも、一個ずつクリアにしてくことが大事なのかもしれないですね。ありがとうございます。
お礼
とっても詳しい回答をありがとうござます。 何だか思いあたる節が沢山ありました。 人に対して警戒心はあるのに、自分を愛して欲しい という気持ちが強い部分があります。 こと、自分が「大事だな」と思った場合・・・。 それがうまく表現できない時があります。 一人よがりにならないように、ご意見いただいた ことを参考にしたいと思います。 ありがとうございました。