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よくないことなの??
私は高校生のキリスト教徒です。信仰生活が浅いからまだよくわからないのですが、日本にはいろいろな神社がありますよね。そういった神社に行くことは偶像をしんじてることになるんですか?また靖国神社等にいって先人を尊ぶことは罪なんでしょうか??
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こんばんは。 神社に行って参拝することは偶像崇拝ということよりも、心の拠り所を求めたい気持ちがあるからです。お寺への参拝も同じです。 日本には八百万の神様がいて、それぞれが人のために見守っているとも言われています。 お寺でも、多数の宗派がありますが、釈迦が唱えた仏教から派生して日本国内に根付き、布教されて現在に至ったもので、信じる人を救いたいということには変わりません。 靖国神社も同じです。戦争で亡くなった人を祀っている場所です。 過去の戦争は多くの犠牲があって、そして近隣諸国にも多大な犠牲と苦痛を与えました。 国としても諸外国に対しては何度もお詫びの意を唱えています。 靖国神社の参拝を否とする国もあることは事実ですが、国内の動静を日本の戦争犯罪人とされる者のが合祀されていることを取り上げ、問題の矛先を変えようとしている極めて政治的な背景が色強く残っています。 内政干渉とも言われ反対だとする意見も有る中、靖国神社への参拝は罪ではないとも考えられますが、他への戦没者の合祀が出来る場所を作ろうという考え方もあります。 この国を憂い、この国を愛し、戦陣で命を落とした行った先人たちの想いを心静かに見守って行くにはどうしたら良いのかを改めて考えて行く時期でもあると思いますがいかがでしょうか。
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- sgm
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曹洞宗の僧侶です。 神社に参詣すること自体は偶像崇拝ではありません。偶像とは神や仏、それに準ずる聖人などの画像を礼拝の対象とするものですが、日本の神社ではほとんどの”ご神体”(礼拝の対象物)は秘蔵されていて、直接目視して拝礼することはできません。その”ご神体”も神の画像であるものばかりでなく、それどころかどのような姿をしてるのかすら知られていないものも少なくありません。 以前、日本神道の礼拝の精神について「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」という歌を引いて説明した評論家がいましたが、まさに神社での礼拝は”姿形はわからないけれども、たしかにそこに存在すると信じられる神霊の存在”に向けて行なわれるもので特定の画像を礼拝しているものではありません。 何が”罪”かという定義の問題にもなると思いますが、先人を尊ぶこと自体は何も罪ではありません。 靖国神社は、国や民族のために殉じた方をお祀りするという精神には何の問題もありませんが、その存在がかつての戦争動員体制の道具にされた経緯があり、また個人の宗教的自由を考慮せずに勝手に殉職者を合祀したりといった、いろいろな論争点があるために、単純に心の問題だけで片付くものではなくなってしまっています。私個人の意見としては、太平洋戦争の戦犯合祀の問題よりも、西郷隆盛など最期には賊軍として亡くなった功労者が祀られていないところに、何か釈然としないものを感じます。 キリスト教徒であるkuerutenさんが、キリスト教の礼式によらずに先人を尊ぶことが罪になるかどうかは、kuerutenさんが教えを受けているキリスト教の聖職者の方に聞いてみてください。
- ozisan
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神社、仏閣にお参りすることは、信仰と関係のないところでの習慣だと思いますよ。 靖国神社に関しては、専門家にお任せします。
- shiranui-
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昔なら信じて神社に行っていたと思いますが、 最近の人は行事だからとりあえず行く人や、 みんなが行くからいくなどのくだらない理由の人も多々居ます。 勿論信じて行く方も沢山居ます。 けど日本で仏教などを信仰している方はそんなに多くは居ないでしょう。 なんせ日本は珍しい無宗教の国ですからね。 靖国神社は昔の戦犯や中国人の死体がいるので中国側は 怒っているわけです。 ですが普通の戦死者も居るわけなので、小泉首相はこの戦死者に 対して行っているといっているんです。 まぁこれは海外のある国の様に、戦犯と、一般の戦死者を分けなかったから、こんなにもめているのです。 中国だって一般の戦死者が居る所へ参拝しに行っても 起こるようなことは無いと思いますよ。
いや基本的に日本人は信じる信じないとか考えてないので、神社に行く=信仰するではないかと思います。 靖国については他の方の回答を待ってください。