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『脳死と臓器移植問題について』意見を聞かせて下さい。

私は今、高校1年です。 学校の倫理の課題として『脳死と臓器移植について自分の考えを書いてきなさい』と言われました。 臓器を求めている患者さんへ自分の臓器を提供するかどうか、問題点を把握しながら、提供する側・される側の双方の立場にたって賛成か反対かを理由をしっかり書けというものです。 私はどういう風にかけばいいのかよく分かりません。 皆さんの意見を参考に書きたいと思っているのですが・・・ 皆さんは、どのようにお考えですか?

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  • heigawa
  • ベストアンサー率59% (13/22)
回答No.3

カナダで脳死臓器移植に携わった経験者として一言。 仏教では「色心不二」という考え方で、遺体を大切にしますが、キリスト京の文化圏では「遺体はギャベッジ(ごみ)」という感覚です。 ERというドラマの中で、いたいけない幼児の遺体を使って救命救急士が気管内挿管の練習をしているシーンがありましたが、日本で同じことをやれば、遺体を冒涜する行為として、大問題になるところです。 こうした、「(魂のない)遺体はゴミに等しい」という感覚が脳死状態での臓器移植を容易にしているわけです。 日本は医療後進国として、アメリカの医療を学ぶ立場にありましたので、臓器移植を受け入れたわけですが、日本がもし最初に臓器移植の技術を開発した立場にあったとしたら、決して人間に応用しようとは考えなかっただろうと思います。 「遺体はゴミ」ですので、欧米では肉親の臓器がだれに移植されたかを気にすることはありませんが、日本人は「色心不二」ですので、提供する人もされた人も、どんな人の臓器だったかが気になるわけです。 脳死臓器移植を推進する立場の方々に、こうした点に対する理解がないことが、日本で脳死臓器移植が遅々として進まないことの大きな理由だと思います。 脳死臓器移植に反対された梅原猛さんの反対意見などお読みになることをお勧めします。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。私、仏教とキリストの違いが関わるのかなぁ?ってずっと心の中で疑問に思ってました。向こうは『遺体をごみ』としか扱ってないなんて、正直驚きでした。だって、自分の家族なのに、大切な人なのに、それをゴミと考えられるなんて・・・日本じゃ考えられないですよね。 なんかとても参考になりました★ 課題頑張って書きます。

その他の回答 (3)

回答No.4

まずは『脳死』をきちんとわかっていますか? 『脳死』は普段普通の人が感じているような『死』と同じものではありません 臓器移植に関する『脳死』は 医師が判定するものです この点から考えないと 『臓器を求めている患者さんへ自分の臓器を提供するかどうか 』を単純には答えられないと思います ここで 私の意見はあえて言いません 私には私なりの意見はモチロンありますが あとNo3さんの書き込みを読んで なぜキリスト教圏で問題なくスムーズに始まったのか わかりました 参考になると思いますよ

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質問者

お礼

回答ありがとうございます! 参考にさせていただきます^^

回答No.2

こんばんは、確かに賛否用論があるもんだいですよね。  私は医学には詳しくはない ただの素人ですので参考になるかは分からないですが聞いて下さい。  私は去年の12月の末に父を亡くしました。身近な人が亡くなって私は真剣に家族や自分の死について考えるようになりました、私の父はとても優しく、情にあつい人でした もし私の父が脳死で死んだのなら父自身臓器をあげたいと言ったにちがいありません 私自身も、ただ消えていく体なら誰かの役にたって死にたいと思うでしょう。  でも小さな我子の臓器を仮にも欲しいと言われたら私はどうするでしょうか?これ以上傷つけたくないと親心で思うでしょうが、死んでしまった人間の体は燃やされ無くなってしまっても 体の一部がどこかで誰かの役に立ち元気でいてくれたら嬉しいと私は思うでしょう   課題がんばって下さいね あなたの答えがどうなって行くのか楽しみです

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私もあなたと同じ考えです。自分が誰かの役に立つのならいい・・・。そう思います。しかし両親のことを考えると難しいです。やはり親からしてみれば、子供は大切ですからね。課題頑張ります。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.1

こんにちは。 これはすごく難しい問題ですね。 誰にも「はいこうです」って答えられる内容ではありませんので、質問者さんご自身の考えをまとめてもらうよりありません。 ポイントとしては、 ●身近に臓器提供を待ってる人がいればいいのですが、いないなら、自分がそうなったと思って考えてみること。 臓器を誰かから提供してもらわないと、質問者さんは、あと半年なり一年なりで死ぬんです。 こういう立場を、現実ではないので難しいでしょうが、考えてみる事です。 ●臓器を提供する側の事。 身内が亡くなったとき、臓器が欲しいって言われたらどういう風に思われますか? これは人によって全然違います。 故人を傷つけるなんてやだって人もいれば、もう死んじゃったんだから役に立つならいいって人もいます。 どれも正解であって、それを誰も否定できないのです。 そして家族は一人じゃありませんね。 意見調整が必要になります。 こういった事がヒントになるでしょうか。 私の意見を書く事はできますが、私は医療の人間なので、どうしても医療よりの発言になるので、あえて控えておきます。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます! 臓器を提供する側・される側の立場になってよく考えてみたいと思います。

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