日本人にとっては、確かに英語力の向上にはなります。しかし、目的は別のところにあります。
もともとは、a club to afford practice and training in the art of public speaking and in presiding over meetings, and to promote sociability and good fellowship among its members という趣旨でアメリカで創設されました。
アメリカの多くの企業で、新入社員研修にこのクラブへの参加を義務づけているところが多いそうです。
いかに論理的で、説得力あるスピーチができるようになるか、が主目的です。文法もチェックされるし、話をする時の癖(アーとかエーとかは禁止で回数がチェックされます)を直す、いたずらにダラダラとどうでもよい贅肉部分を削り取るとか。ジョークの使い方や、ジェスチュアなど。
つまり、彼らは英語力が当然あるというところから出発していることを認識する必要があります。したがって、日本人だけで英語のスピーチをするクラブでは、目的がずれてくることが多いです。つまり、スピーチが目的なのに、英語力が足りないがために、お互いに何を言っているかわからないとなりかねません。スピーチ以前に英語レベルも問題になってしまいます。
これではクラブは解散に進むだけです。
それなら、日本語だけでやった方が役に立つということになります。日本語だけというのはイメージがわかないかも知れませんが、昔の日本の弁論部に似ているのかも知れません。とにかく発表力や表現力は大事で、欧米では幼い頃から鍛えられます。
一方、日本は、おしゃべりは嫌われる、沈黙は金の文化ですから、そのギャップが大きいです。
クラブはマニュアルにそって進められますが、定義された各種のスピーチをこなして行くと、だんだん上のレベル認定がされます。するとひたすら、この上位認定を短時間で取得しようとする、日本人的発想が強く出て来たりします。クラブにはこういう人達も多いです。
お礼
重ねて詳細なアドヴァイスありがとうございます。 クラブによって大分違いがあるようですね。とにかく、一度見学させていただこうと思っていますが、問題は、自分が何をしたいのか、良く整理しなければなりません。 現在の自分の状況においては、「論理的で、説得力あるスピーチ」を身に付ける必要性は無いのです。むしろ、いかに情緒的に自然のままに生きるか、が大事と思っています。 これで歳が分かってしまいますね。