「仕事で」というのが少し引っ掛かるのですが・・・。
哲学?教育?文学?宗教学?保険商品?
どういう面で捉えたらいいのかは分かりませんが、私なりに答えてみます(私より前の方々が答えているのも正解だと思いますが・・)。
そもそも、この質問に対する答えなど一様に存在するのでしょうか?・・・
私は、人それぞれだと思います。
例えば、プロ野球の打者にとっては、バットを振ってボールを飛ばすという事で、お金を稼ぎ生きているわけですから、極端に言えば、一球一球の勝負が生きる力を試されているのかもしれません。
また、クライマーにとっては、山に挑むたびに、その生きる力が試されているのかもしれません。
また、マラソン選手にとっては、走るということが、自分への挑戦、かつ「生きる」ということに繋がるのかもしれません。
また、ジャーナリストにとっては、真実を明らかにすることが、「生きる」という証しなのかもしれません。
また、病気で苦しんでいる人にとっては、その一呼吸一呼吸が、生きる力を試されているのかもしれません。
だから、そんな風に考えていくと、やはり答えは、人それぞれではないでしょうか?
しかし、敢えて私なりにくくるなら、
「「生きる力を試す」とは、自らの能力と運命、そして摂理に対する挑戦である」
とでも言いますかねえ・・・。
ただやはり、その答えは、質問してきた本人にしか分からないのでは?と思います。
それに、「生きる力を試す」という言葉にも、生きる事を弄ぶ、どこか傲慢さを感じてしまいます・・・。
ですからあなたは、突き放すと言う意味で、「その答えは、きっと君の人生の中にあるよ」とでも答えては如何でしょう?
きっといつか、本人も納得する日がくるでしょう。
ただ、それについて「考える」という行為自体が、ひょっとすると、「生きる力」を、誰かから試されているのかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 会社に経営の講師が来たときに言われました。生きるという言葉を理解しているようでそれを試すと言われると、どう説明したらいいのか難しいと感じました。 自分への挑戦を乗り越えることなのかなと感じます。