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野茂英雄の近鉄退団理由。
近鉄から野茂が退団した時は自由契約扱いでしたよね。あれはどういう経緯でそうなったのでしょうか?。まだFA権利を取得していないのにメジャー移籍を駄々こねたんでしょうか?。 それで近鉄もよく自由契約にしましたよね?。
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元々は代理人制度と複数年契約を希望してたようです。 http://www.webmie.or.jp/~m-yama/player/sportsnomo.htm 近鉄がこれを拒否して交渉決裂してアメリカ行き決意、のようです。 このへんの詳細は分かりませんが、自分で書いた本に語っているようです。 http://www.s-book.com/plsql/com2_detail?isbn=4087486508
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- 236735
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NO.5の方は近鉄球団が悪いからと言ってますが、完全にそうとも言い切れないでしょう。 野茂は近鉄最終年度は故障で成績はプロ入り後最低、しかも大リーグはストライキ中。この状態でメジャーに行きたいと言ったらどの球団も?と思ってもしかたありません。当時の野球解説者の多くは野茂のストライキ中のメジャー挑戦に批判的でしたから。 お金がないのは何処の球団も同じことです。そのことで球団のせいにしたら、みんな巨人に行けば解決、になってしまいます。 野茂を欲しがる球団は何処でもあったでしょう。ただ近鉄の選手なのだから、他球団は当然口を挟むことは出来ないし、一連の騒動を見守ることしか出来ませんから。任意引退にしてメジャー移籍を容認したのは、むしろ近鉄球団としては最大の譲歩でしょう。 もちろん近鉄もその後、石井の件、球団合併など球団体質を問われる事件があったところを考えれば、結局のところどっちもどっちです。野茂からすれば、球団に対する不信感、近鉄からすればわがまま、問題児ですから、それが合致?してメジャー行きになったわけですから。ただメジャーの道が開かれ、代理人制度の導入など、野茂の功績は確かです。
- koko49
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少し野茂選手がわがままなように受け止められているようですが、問題があったのは球団側ですよ。 野茂選手の実績に見合う年俸を出さなかったのと、野茂選手の投法を強制的に治そうとしたことにあります。 当時、野茂選手は日本記録をバンバン出す名投手でした。ところが、近鉄球団は貧乏球団でお金が無かったので、不当に年俸を上げようとしませんでした。他球団であれば、2倍は貰える実績を出していたのですが、近鉄球団はごく普通の年俸しか出さず、選手を飼い殺しにする球団だったのです。当時の制約では球団が圧倒的に有利で、選手にはほとんど権利が認められない時代でしたので、活躍しても年俸を払わないということが球団には出来ました。そのため、FA権という制度ができて、10年間在籍したら、他の球団とも交渉できるという制度ができたのです。 野茂選手は新人の時から大活躍していたのですが、年俸を上げてもらえず、FA権の前に状況を打開すべく、代理人制度の要望や複数年契約、トレード、メジャー移籍などを提案しました。しかし、トレードについては、近鉄球団としてはFA権行使の歳まで待って、FAさせた方が相手球団からたくさんのお金がもらえるため、近鉄球団が拒否していました。(その後も巨人へ石井を出したのなんか有名ですよね、みんな怒りの会見をして近鉄を出て行ってました) 野茂選手も他球団もトレードを希望していましたが、FA権で売り払って儲けるつもりだった近鉄球団は当然拒否をし続けていましたので、最終的には野茂選手がリスクのある任意引退(近鉄に国内交渉権を持ったまま)、メジャーへ挑戦することになったわけです。 ちなみに、野茂を積極的にほしいと思う国内球団は無かったと思われているようですが、当時はどの球団も野茂選手を欲しがった時代ですよ。 巨人だったら軽く3倍は出していましたね。 ただ、近鉄はお金になるFAでの移籍で大金を手にしたかったのです。FA権が無いうちはお金を出さなくても昔は拘束が出来たのです。 野茂選手が切り開いた道はかなり大きく、今の選手たちが活躍に見合った年俸をもらえるようになったのも、メジャーへ挑戦できるようになったのも、すべて野茂選手のおかげですね。
- 236735
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NO.2です。 NO.1のお礼欄で任意引退のことを聞かれたので補足します。 任意引退の場合は所属していた球団の了解なくして他球団への移籍は出来ないため、日本球界に復帰するには近鉄(今はオリックス)の了解が必要となります。自由契約は事実上の解雇・クビなので所属球団の了解なしで移籍できます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E6%84%8F%E5%BC%95%E9%80%80#.E5.A5.91.E7.B4.84.E3.81.AE.E5.BD.A2.E6.85.8B
お礼
なるほど、そういう事ですか。 必然的にメジャーでしか野球をやる道が無かったという状況だったんですね。 自由契約と任意引退って結構重要で違う点があるんですね。
- you19994
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当時、他球団への放出にしても野茂に見合う選手というのは なかなかいないのが実情ですし それにそういう選手を他球団と採りたがるわけもないので 結局メジャー志望ということになったんではないかと思いますが。
お礼
確かに、野茂を積極的にほしいと思う国内球団は無かったかもしれませんね。
- you19994
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自由契約ではありません。 「任意引退選手」です。 もともと複数年契約と代理人同席を要求してそれを拒否されて 当時の鈴木啓示監督からトルネードからの改造をしようとしていたことから メジャー移籍を希望し、任意引退選手となって近鉄を退団し、ドジャーズとマイナー契約を結んだんです。 当時、日米間の選手の移動など取り決めがなかったこと、 日本の野球協約はアメリカでは通用しないことから、任意引退選手でも メジャーリーグでプレーすることが可能だったんです。(抜け道ですが) メジャーでプレーしたいというよりは近鉄を出たいがために メジャーという選択肢を選んだというのが妥当であるように思えます。
お礼
ありがとうございます、 国内の他球団への移籍はありえなかったんですかね?。 任意引退の場合だと、球団がまだ所有権を持っているんでしたっけ?。 そうなると、国内球団への移籍は不可能ですが。
お礼
複数年契約を考えてていたんですね。 まあ、今となってはその当時の近鉄フロントが認めなかったので、今日のイチロー・松井がいるわけですが。