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私は人殺し?
今から、3年ほど前に祖母がなくなりました。81歳でした。 自分の誕生日の一ヵ月後、家の中の階段の手すりに紐を掛けて 自分の首を絞めて自殺をしたのです。 祖母は元来、とても元気な人でした。元気と言うよりも、 夫を早くに亡くし、女手一つで子ども五人を、そして、孫を 四人育ててきたので凄く苦労を重ね、とても気の強い、頑固な おばあちゃんになっていました。 しかし、晩年は胃や首の手術をした辺り60歳後半から 70歳後半に掛けて)から、身体が弱り、どちらかと言うと心が 病んでいくようになりました。恐らく鬱病だったと思います。 夜は眠れず、医者に貰った安定剤(睡眠薬のようなもの?)を服用 していましたが、副作用がひどく機嫌が悪い日が続き、ますます、精神 不安定になっていきました。 死ぬ前は毎日のように「わしなんか生きててもしょうがない。殺して くれ」とせがまれていました。もちろん誰もそれを肯定するような 事はありませんが、やはり家の皆が看病で疲れきっていました。 そして、死ぬ前日「○○子ここへ来て。ほんまにわしはえらい(辛い) んや。」と言われつい「そんなこと言われても」と口調を荒げてしまい ました。 いま、その事が悔やまれてなりません。もし私があの時、突き放なさ なければ祖母は死ぬことは無かったでしょうか?そして祖母は私を 憎んではいないでしょうか?憎みながら死んでいったのなら、そんな 思いをさせてしまった自分がとても許せません。 町ですれ違うお年寄りを見るとたまに無性に泣きたくなります。 「もし、祖母が生きていれば」と思うこともしばしばです。 いくら病気だったとしても、祖母は私にとってたった一人の祖母であり 本当に大好きな、大切な人でもありました。 私はこれから、どのように償っていけばいいでしょうか? そして、私が祖母の自殺への背中を押してしまったのでしょうか?
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- kaigo2005
- ベストアンサー率17% (9/52)
おばあ様のこと、本当につらいですよね、、、。 少し違うかもしれませんが、私にも似たような経験があります。 祖父から電話で会いたいといわれたとき、 いつかね、とそっけなく断ってしまい、 その後すぐになく亡くなってしまったとき、 どうしてあのとき、、、、という、 本当に悲しい気持ちになりました。 私は、これからの自分自身が、力強く生きることで、 天国の祖父へメッセージを伝えたい、そう自分を奮い立たせました。 きっと届くのだと思います。
貴方のせいではありません。誰のせいでもありません。 病気がそうさせたのです。貴方がその場でどんなに励まして いたとしても結果は同じだったように思います。 おばあさまは貴方に愛されて幸せだと思います。 なのでこれからは償ったり、墓前でごめんねと謝られるより 楽しかった思い出を話したり「おばあちゃん、ありがとう、 私も頑張って生きるね、見守っててね」と言われたほうが 嬉しいと思います。
- nobujun
- ベストアンサー率28% (95/333)
沢山の意見が出ているようですが、お邪魔しますね。 読んでいて涙が止まりませんでした。私も同じような経験があります。10年前です。 生まれたときから一緒に暮らしてきた祖母。孫は私たち兄弟(兄姉自分)3人しかおらず、性格も穏やかな優しい祖母でした。 亡くなる数日前から何だか体調が悪そうで、一緒に出かける約束をしていたのですが、それも延び延びになっていました。私も出かけるのが面倒な感じもして体調を気遣うというより、良かったと思っていました。 前日、私はその時風邪を引いていて、お風呂洗い祖母に頼みました。亡くなる朝、朝食の支度をしながら頭が痛いと言うので「これきくよ~」とりゲインのようなドリンクを飲ませました。私が出かけた後すぐに倒れ亡くなりました。 今でも心の中で謝ります。お風呂掃除を押し付けたこと、約束を守れなかったこと、ドリンク剤(ドリンクが原因で亡くなった訳ではありませんが)を飲ませたこと。 でも、それとは別にこの10年祖母は私と共に生きています、辛い時嬉しい時、必ず話しかけます。1日たりとも一緒にいない時はありません。 私はまだ若いですが、もしお迎えが来るなら祖母に来てほしい。そして、謝りたい。 許してくれることは分かっていますが、やっぱり会って謝りたいです。 亡くなって2.3年はお年寄りを見るのがつらかったですよ。 tata55_10は今頃天国で、病気も治り本来の性格でちゃんと見守ってくれています。それだけははっきりとした真実です。 自分を責めつづけるのは、多分消えないかもしれません。でも、許してくれているのだと言うことを理解してあげなくては、おばあ様が可愛そうですよ。 何だか、良いアドバイスができないのだけど、優しいお孫さんを持ててそれだけでもtata55_10さんのおばあ様は幸せだったと感じます。 幸せに生きていきましょうね、それが一番の償いです。
- hamaken5031
- ベストアンサー率22% (15/68)
あなたのせいではないと思います。 私はそのおばあさんではないので確実なことは言えませんが、もし自分がおばあさんの立場になったらと考えてみました。 あなたに対し、「ほんまにわしはえらいんや。」とこぼしたとき、自分の胸のうちにあった思いは、「・・・だから殺してほしい。楽になりたい・・・」でした。あなたがそこでどういう回答をしようと、よしんばそれで延命したとしても、やはりつらい日々が続くだけで、結局は地獄だったんじゃないかと思います。うつ病に陥り、副作用で何度も痛めつけられれば、前向きな気持ちだってなかなか起きないものでしょうし。 そして行き着いた自殺を前に、思ったことはあなたへの恨みではなく、「これで楽になれる」という、後ろ向きではありますが、唯一の希望でした。きっとおばあさんもそうだったんじゃないでしょうか。 私は1年半前にガンで母をなくしました。完全に末期だったため、闘病生活はそれほど長くありませんでしたが、それでもその期間の母の心情を思うと居たたまれない気持ちになります。でも、今は、母も転生して新しい人生を幸せに過ごしているんだと信じています。 償い、というものではありませんが、あなたがおばあさんのために今できることは、転生して幸せな生活を送っていることを信じて(願って)あげることと、生前のおばあさんを昔と変わらず愛し続けることではないでしょうか。
- tomy41
- ベストアンサー率22% (322/1401)
あなたが >「そんなこと言われても」 と言ってしまう気持ちは誰しもわかると思います。 ながく一緒に住み、介護をしているとどうしてもそういうことを言ってしまうと思います。 それはおばあちゃんを対等に見ていた証拠です。 介護者として見ていたら聞き流して相手にしなかったでしょう。 第3者的に言えば、「しょうがない」ということになってしまいます。あなたがそのとき優しい言葉をかけたとしてもおばあちゃんの心に劇的変化は望めなかったと思います。 一番大切なのはあなたが今後生き生きと幸せに生きていくことです。このままではあなたの心はボロボロになってしまいます。 >私は人殺し? こんなこと絶対思っちゃだめです。 こんどはあなたが鬱になってしまいますよ。 おばあちゃんの分も楽しく生きていくことが何より大切です。おばちゃんもそれを望んでいます。
- penpen0608
- ベストアンサー率23% (120/510)
貴方がそうやって自分を責め続ける事をお祖母さまが知ったらそれをこそ死ぬよりも後悔なさるでしょうね。 可愛い孫が自分が選んだ結果でこれほど傷ついているのか、と。それこそ貴方が後悔しているのと同じくらいに。 看病に疲れて、つい些細なことにイラ付く。よくあることです。お祖母さまにもそんな経験はあるはずです。ちゃんとお祖母さまも分かっていらっしゃるはずです。大丈夫。お祖母さまはたくさん辛い事があって悲しい方法を選んでしまわれましたが決して貴方のせいだとか、ましてや可愛い孫である貴方を憎んだりするはずがありません。 もしも償いたいと思うのであればお祖母さまが貴方を愛してくれた分も、その気持ちに報いるようにうんと幸せになる事だと思います。
- zato
- ベストアンサー率60% (2090/3478)
お祖母様はとても苦労されたのですね。 最期もとてもおつらい様子ですが、たくさんの子供と孫に囲まれた生活はけして嫌なものではなかったはずですよ。 案じることはありません。 お祖母様にとってとても幸せな時も多かったことでしょう。 質問者様を憎んでいることはありませんよ。 それはこの文章を読んだ誰もがわかることです。 質問者様はとてもお祖母様のことを愛していらっしゃいますよね。 お祖母様も同じ気持ちのはずですよ。 最期の行き違いはあれど、それはほんの一時的な話。 気に病む必要はないと思います。 あまり悩んでいらっしゃると、天国のお祖母様がまたつらい思いをしてしまいませんか。 「勝手なことをしてごめんね。 tataちゃんのせいじゃないんだよ。」 そう呼びかけているような気がします。 お祖母様の為にも、どうか顔を上げて、堂々と生きていってください。 お祖母様のことをいつまでも大切に思う心があれば、きっと天国のお祖母様は質問者様のことをずっとずっと見守ってくれますよ。
- akatsu
- ベストアンサー率16% (9/56)
うちの祖母は1月10日に亡くなりました。86歳でした。2年前ぐらいに足を悪くして、でも動かさないとずっと寝たきりになるからと体に触れると「動かねぇでいいんだ!このまま寝たきりで死ぬんだ!」と叫ぶのがしょっちゅうでした。大晦日に様子がおかしいのに私が気付き救急病院へ。でも生きる気力は既に無く、体の丈夫さだけで10日間もちました。突き放さなくても、生きる気持ちがないのならやっぱり亡くなられていたと思います。むしろ私は本人の希望を無視して、生き延ばしてしまった事を後悔しています。
- yspec
- ベストアンサー率22% (58/255)
鬱は歴とした心の病気です。病気にかかると人は冷静な判断力をもてないものです。 またあなたが思うような事は、介護を経験したことがある人なら誰でも思うようなことであって、決して珍しい感情ではありません。 自分以外にもう一人の人間を完全に背負い込む事に、ずっと笑顔で耐えられるほど人間は強くありません。 また人が亡くなると、あのときああしとけば良かったとか、あぁしといてやればなどという後悔が心に溢れ出てくる事も誰にでもあることです。でも実際その時には思いつかなかった事だし、それがあなたに出来る精一杯の行動だったと思いますよ。「あのとき」というのは今だから言える言葉ですから。 お祖母さんも、長く苦しい思いから解放されて喜んでいるかもしれません。残された者がそう思って生きていく事が何よりの供養だと思います。 孫を恨む祖母なんていませんよ。
- teru_kun
- ベストアンサー率19% (8/42)
背中は押してないと、おばあさまは言われるんじゃないですか? きっと、あなたの事を愛していると思います。 良く先祖がたたると言いますが、自分の子や孫や子孫になんで、 たたるのかが不思議です。子供や孫を可愛く無い親は居ないと 思います。 くよくよするより、前向きに生きる事が、おばあさまへの供養 だと思います。 どうしてもと言うなら、お年寄りの介護のボランティアなどを されたらいかがでしょうか?
お礼
回答有難うございます。 私に愛情を覚えていてくれたでしょうか。 そうだと、凄く嬉しいのですが。 介護福祉のことも考えたりもしたのですが、自分の祖母にできなかった ことを他人に出来るかが不安で、断念していました。
お礼
胸がいっぱいで、思ったように文章が書けません。 乱文失礼します。 有難うございます。祖母に「ごめんね」と仏前で手を合わせることが 供養だと思っていました。確かに長い闘病生活だったので今頃は 死んだ時は苦しい思いから解放されていたのでしょう。 今になって安らかだった死に顔を思い出しました。 天国で笑顔でいてくれることを祈っています。