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死にたくないけど死にたいです。
人はどうして生きなければならないのですか? 生きていてもつらいことばかりです。 そしてどうして死はこんなにも恐怖を感じるのですか? 死がもっと楽しく快楽を与えるものであれば 喜んでその世界へと旅立てるのに・・・ 周りの人間は誰も私の気持ちを理解してくれません。 私はいつもひとりぼっちです。 いえ、そういう意味ではありません。 妻も子供もいます。 子供は可愛いです。まだ小さいです。 私によくなついてきます。 この子を残して死にたくはありません。 ですが心の中はいつも孤独です。 面倒です。死にたいです。 本当はどっちなの?訳が分かりません。 もう会社を長く休んでいます。 このままでは給料も出ません。 そのうちやめざるを得ないでしょう。 生活もできなくなります。 一刻も早く仕事に復帰できるべく、精神科に通っています。 医者に紹介され病院を転々とし、 薬も飲んでいますがまったく効果は感じられません。 しかしもし復帰してがむしゃらに仕事に打ち込めば 経済的不安はなくなりますが 思えば仕事もつらいです。 一生こんな仕事をやっていかなければならないかと思うと もう絶望で・・・
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心中お察しします。 お伝えしたい点がひとつあります(あとで出ます)。 私の回答は、説教や同情とかでなく、頭の整理を目的とします。 自分自身のことから申し上げるのはおかしいですが、私は、(1)死に恐怖を感じない(2)周りに理解者がいる(3)愛している人がいるので死ねない。という風にかろうじてブレーキがかかっています。遠くからあなたやあたしを眺めれば、この違いのように、色々な事情や個性的な要因で、希死願望が実現しないで生きているだけのようです。 希死願望を回避するには、単純に解脱(げだつ)すればいい、ということでもなさそうです。未練なく死んでしまいそうです。周りの人がすごく心配します。 しかし死の恐怖の強い方において、うつ状態による希死観念が増強すると、恐怖と相俟って塗炭の苦しみです。さらに”死にたくないけど死にたい”二律背反まで背負います。 死の恐怖や解脱状態はあまり変動しませんが、希死観念は、波があります。なぜか。脳は疲れますし、生理的にどうしても波(でこぼこ)をよけ切れません。 私たちは、自分の、感情が、神様のように絶対と思っていませんか?胃と同じように脳の調子も考えてあげなければいけませんのに。 次は、脳の講義です。 うつ(depression)状態は、脳の回路の状態で発生します。脳は、海馬の近傍の近時記憶中枢のすぐ近くの警告中枢(あだ名はうつの中枢、反省中枢、悲しみの中枢など)のとめどない過剰な活動状態のひとつです。近時記憶をネタにした警告中枢の活動がうまく終了しないでいるとき、現実には役に立たない警告の過剰状態になります。もし、つかれちゃって(あるいは加齢で)認知能力が低下すると、ネタ(情報元)に混乱が生じるのでこの状態はもっとひどくなります(老人の認知症に伴ううつ状態など)。疲れが回復したりして認知能力が向上したときにはこの状態は改善します。だから、休息、というわけです。 休息にはもうひとつの理由があります。うまくいかなくなった警告中枢(および情動中枢)の活動は、”前向きの”(苦痛を伴う)神経活動能力の減退が影響しています。休息によって回復させます。この神経活動能力には、多くの神経伝達物質が関与します。薬物により、それらをうまく制御することは、治療となります。その使い方は、本来はその人それぞれにあったものが理想です。 治療法は、初歩から順に 1.休息 2.態度療法(より次のストレスのない態度<反応>のパターンを学ぶ、思考過程はいじらない) 3・認知療法(より現実的で、トラブルの少ない課題の認識と思考パターンを学ぶ) 4.補助療法 1)瞑想、2)5-HTP、3)アロマ、4) 瞑想、5)ビタミンなどの栄養食品 ほかに、実存療法(Existential Therapy)、 Rational Emotive Behavior Therapy(REBT)、 などがあります。 5. 薬物療法 1)3環、2)MAOI,3)SSRI/SNRI 6.Electroconvulsive Therapy (ECT) この6.は薬物も効かない老人の鬱に使われていましたが、最近、脳の機能の画像科学の進歩によって、警告中枢を攻撃する方法が出てきました。そのすばらしい効果はNHKスペシャルでも紹介されました。侵襲の少ない処置なんですが、まだ日本では鬱に対する治療としては普及していません。1~6について英語ですがURLをあげておきます。 アメリカ等ではこのような体系的なサイトが多いのですが日本で体系的なサイトは知りません。鬱の治療が、アメリカではお金になるのは、鬱を背負った成功者(お金に報われた人)が大勢いるからです。実存療法などは、禅の瞑想も日曜礼拝もいりませんが、非常にpositiveです。 たとえば、次のような究極の問題を常に念頭におきます。(1)生命の有限性、(2)私たちは自由の主体であること、(3)自分自身が個人の尊厳を保障された生命体の主体であること(4)無意味との戦い、など。ことにあたって、これらを考えた解決をはかるのです。 話を戻します。 私が、申し上げたい、ワンポイントは、自分の調子を、正しく客観的に理解することこそが克服につながるということ。でも疲れたときは休まなければしかたありません。人の脳も生身ですよ。 REBTに従えば、周囲の理解がないのなら、それを得るだけで、非常に楽になるでしょうね。 会社での対人は、かなり重症な時以外では、REBTでカバーできます。他人は他人ですから。いままで、あなたがそうだったような、がむしゃらでなくてもいいです。それに、きっと、がむしゃらなときは、別に、そのぶん、気がつかないこともあって、損をしています。すこしペースダウンして、たとえば、新入りの女子社員の目線で、ものが見えたときに、新しい空気を吸えるでしょうね。 一番大切なことは、自分を大切にすること。 メッセージ 復帰したら少しペースダウンすること。 あたしのちりばめた言葉を思い出して、できたら、少し、心と脳のお勉強をして、自分の心をいたわること。疲れたら休むこと。 夜もふけました。お休みなさい。
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- russy1
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お役に立つかどうか分かりませんが、二つ問題になる点があると思いました。ひとつは生きているということは、意味が無い時だけ生きているという感じがすはずであるということです。家族を養う為に生きているといったら生きている事はどっかへ行ってしまいます。つまり生きていることに意味がないというときにだけあなたは生きているということは実在します。生きている事の意味を問うときには、必ず生きているとには意味が無くなってしまうわけです。生きている事を忘れている時の方が生きているということは実在します。もうひとつ、孤独というのは、人間は原理的に孤独なのだと思います。誰でもこのふたつの問題は自分の問題として抱えているはずです。あなたの周囲で、生きている事の意味をはっきり知っている人や、孤独でない人が居ますか。絶対と言ってよいほどいないはずです。一見生きている意味を知っていそうな人や孤独で無さそうな人は沢山いますが、これは本人も周囲の人もわざと錯覚にだまされて生活しているだけです。
お礼
回答ありがとうございます。 生きることの意味を考えるのはやめにしました。 死ぬことへの願望も今は薄れてきました。 これも皆さんのおかげです。 ありがとうございました。
- sorahaaoiyo
- ベストアンサー率16% (1/6)
私も休んで休んで休んでやっと立ち上がり それから本を読み始めました。 休んでいる時は敷きっぱなしの布団で毎日毎日過ごしてました。 下の方が書かれている 五木寛之さんの「生きるヒント」も読みました。 私が本を読んだのは何か手がかりを探したかったんだと思います。 今はいっぱい休んで下さい。 でもちゃんとに食事をとって下さい。 風邪も流行っていますのでご自愛なさって下さい。 自分の生きる道が見つかる事祈っています。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃるとおり、 風邪にかかってしまいました。 気分は最悪の状態からは脱しましたが まだちょっとふらつき気味です。 しばらく休んでいたら、 最初に質問したときよりも だいぶ気力も回復してきたように思います。 皆さんのおかげです。 ありがとうございます。
質問や各回答に対するご返答から、あなたが非常にまじめで責任感が強く、またそのことに誇りをもって生活されてきたことが伺えます。 しかし、この際、ご家族や周囲の方々にどっぷりと甘えて、その辺りの律儀さを思い切って捨ててしまいましょう。 私の友人の一人もそのようにこころがけ、かなり楽になったようです。 あっ、お返事は結構ですよ v(^ ^)
お礼
回答ありがとうございます。 「お返事は結構です」といわれても 「ああそうですか」、とやっていける人になれればいいんでしょうけどね。(笑) 律儀なのは一般には美徳ですが、 それも度を超すとろくなことはないですね。 これからはほどほどでやっていきたいと思います。 ありがとうございました。
- bda39563
- ベストアンサー率33% (4/12)
お気持ちお察しいたします。私も鬱病で精神病院に長年かかっています。薬もアナフラニールという精神安定剤を現在でも飲んでいます。パニック障害もありますし、慢性肝炎です。死にたいと思った事は何回もあります。だけど死ねなかったのは、多分生きて、やってみたい事があったからです。現在治療を受けながら、公務員として働いています。妻も小学生の子供もいます。あせってはいけません、休んで休み疲れたら、自分でできる事を無理をせずにやるしかありません。この病気は克服しようとしたら負けます。うまく付き合えばいいのです。そして、絶対に死なないで下さい。私の父も精神障害を句に52歳のときに自殺してしまいました。その事が心の傷になり、残された、母や私まで心の病にかかってしまいました。この病気にかかる人は生真面目で完全主義で自分を責める人が多いんです。がむしゃらに働かなくてもいい。五木寛之という作家が「生きるヒント」や「大河の一滴」の中で言っていますが、人間が生きるという事はつらいことなんです。そして人間はは生きているだけで価値があるのです。 私は浄土真宗の僧侶に救われました。お寺の住職も心の闇を開いてくれます。薬は効鬱剤が多分きくはずです。精神科の医者に相談を勧めます。utu-netという専門のサイトがあります。開いてみれば色々参考になると思います。
- 参考URL:
- http://www.utu-nett,com/
お礼
回答ありがとうございます。 おかげさまで死への願望は遠のきつつあります。 鬱に関する本も買ってきました。 まだ読む気力はありませんが・・・ utu-netはかなり初期の段階で目を通しました。 医者にもかかっております。 長い目でこの病と取り組んでいきたいと思います。 ありがとうございました。
- sorahaaoiyo
- ベストアンサー率16% (1/6)
はじめまして、 たいしたアドバイスにはならないと思いますが… 私もいろいろ悩んだ事はあります。 子供もいますし、お気持ち分かります。 いろいろ本を読むのですが、加藤諦三さんの 『心の休ませ方』をお勧めします。 本の帯には 人生には頑張る時と、休む時がある。 ~中略 忘れてはならない。きっと春がくる。 それまで休む。 と書いてあります。 休む事が必要な時はありますから。
お礼
ありがとうございます。 下の回答の方のお礼にも書きましたが 今はとてもじゃないですが本を読める状態ではないです。 とにかく休むことにします。 少し回復したら、書かれてある本も読んでみたいと思います。 アドバイスありがとうございました。
- soraniaita
- ベストアンサー率24% (76/311)
貴方も本当に辛いのですね。 私は貴方と同じような状況の方を知っていますが、何度ものリスカ、OD、7回もの未遂の結果今は休職中です。 生きて行くためには、人に必要とされることですから、お子さんの寝顔をよく見てあげてください。 貴方がいるから、安心して眠っているのでしょう。 奥様はとうに気付いていますよ。ただ、貴方を追い込みたくなくて、何も言わずに見守ってくれているだけです。 いかがですか、写経など始められては、又老住職のいるお寺に通って見てください。 いろいろな人の心の闇と接していられる方は、「心の持ち方」を教えてくださいます。総ては、貴方の心次第、病気も、自分で治すと言う強い意志が無いと、治らないのです。 座禅、瞑想も良いでしょう。 きっといつか、なんてバカな事ばっかり考えていたんだろうと気が付く時が来ますよ。
お礼
ありがとうございます。 根気がないので座禅は無理ですが寝込んでみることにします。
こんにちは。だいぶ追い詰められているようですね。 確かに生きていれば誰の上にも雨が降る日はあります。何日続くか分かりません。早く止む人もいれば、あなたのように何日も止まない人もいる。それはなぜでしょう。 それはあなたが雨が止むのを待っているからです。雨は止みません。雨が早く止んだ人は、実際に雨が止んだわけではなく、自分が変わったため、雨を雨と思わず進んでいけるようになった、それだけのことなんです。 >こんなところに書き込みをしたところで、 今の境遇が180度がらりと変わることなどないことは、じゅうじゅう分かっています。 境遇は変わりません。変わるわけがないじゃないですか。境遇が変わるという望みは一切捨てましょう。あなたが変わるんです。あなたが180度変わる可能性は十分にあります。私は180度変わりましたよ。 変わるというのは考え方を変えるということです。人間は面白いことに自分に合った見方で世の中を見ないと必ずつまずいてしまうんです。つまずくことは、自分に合った見方を得るきっかけにすぎません。とってもいいことです。 <社会にとってなんの役にも立たない自分が 人間としてゴミのような存在に思えてきます。 こんな自分と結婚してしまった妻、 こんな馬鹿な親の元にうまれてきた不幸な子供。 親が選べるものならこんな父親を選ぶことはなかったでしょう。 だから申し訳なくて申し訳なくて。 申し訳ないと思うならこんなことを口にしないことです。「不幸な子ども」と決め付けないでください。不幸かどうかは子どもが決めるでしょう。妻が決めるでしょう。そしてあなたは何を決めますか?それはあなたの自由です。不幸にさせないと思うか、不幸にしてやると思うかはあなた次第です。 >しかしこの先いつまでも休養ばかりとっているわけにも行きません。 これは誰の言葉でしょうか?誰かに言われたのですか?どうしてあなたはもっともつらい言葉を自分にかけるのでしょうか?家族のため?それは違いますよね。本当の自分から逃れたいからにほかなりません。だからもう一人の自分を作り、自分を批判する。そうすることで自分から目をそらしているんです。家族のためにできる一番のことはあなたがあなたを見放さないこと、それしかありません。あなたがあなたを見放して一体何がどうなるのでしょう。 自分は自分を批判してはいけません。どんな状況でも。それは自分を見放したも同然だからです。もうやめた、あとは人に任せた、自分は消える、といっているにすぎません。 あなたはずっと仕事を休んでいる。なるほど、それは社会的によい目で見られない、妻にも子どもにもよくは思われないかもしれません。でもそこであなたまで自分をよく思わないで一緒になっていじめてはだめです。自分だけは自分をフォローし、支えてあげなくてはやる気がでなくて当然です。 悩む人に共通なのがこの周りや社会の評価に引っ張られる自分のなさ、弱さです。周りや社会がどう言おうと、自分だけは自分の好きなように決められる権利を持っているのに、そこを周りと一緒になって自分をいじめてしまう。社会が、妻が、子どもが、と他人を主語にする。「自分は」がない。「自分は」を使って自分に責任を負うのが嫌なんです。でも、あなたの負う責任はあなたが思うほど大きく在りません。ただ自分を見捨てないだけでいいんです。それがあなたの責任です。「自分は」本当はどうしたい、何がしたいのでしょう? 自分の心からの希望を述べてみましょう。
お礼
回答ありがとうございます。 せっかく長文での回答いただいたのですが、読む気になれません。 全く私の心に響いてこないのです。 きっと私とあなたは水とアブラなのでしょう。 せっかく回答頂いたのに、ごめんなさい。 でも私が今書けることはこれが精一杯なのです。 ありがとうございました。
- tanuyama
- ベストアンサー率38% (109/286)
私もあなたと同じ不安感にさいなまれてどうしようもなくなり、死んでしまったらと思う日々が続きました。自分はバカで、同僚が皆自分をバカにしているようなそんな気になり、会社も休みがちになりました。子供も嫁もいますが、やはりあなたと同じ死を考えざるを得ないところまで追いつめられました。でも一切の思考を放棄することで自分を取り戻しました。幸い入院までには至らなかったのですが。 家にいるから子供さんや奥さんとのことを考えないと行けなくなるのなら、入院されては如何でしょうか。精神科の開放病棟なら普通の病院と変わりませんよ。事実長期入院の後復帰された方もいらっしゃいます。 自分が社会にとって役に立つのかどうかは、今はちょっと置いておきましょう。自分がバカかどうかも置いておきましょう。そんな評価はずーっと後で他人が評価することです。自分で通信簿をつけることがないのと同じです。 お金がなければ生活保護という社会であなたを支えるシステムがあるのです。それを利用すればいいのです。今まで税金を払ってきたのは、そのためなのです。全然恥じることはありません。 判断は先送りにしなさい。どうしたらいいかどうかも感がないようにしなさい。いつでもできることなのだから。いまは何も考えないこと。あなたができることは今それだけなのです。
お礼
もう頭が疲れてしまって考えがまとまりません。 せっかく回答頂いたのに、 お礼の言葉をなんと書いていいのか疲れて頭が回りません。 皆さんのおっしゃるように、 とにかく今は考えないことにします。 とにかく休むことにします。 ありがとうございました。
#1のものです。 私も涙が出てきました。 私も辛いです。 お願いですから、自分で「死を選ぶ」という悲しいことを考えないで下さい。 そしてご自分をもっといたわってやって下さい。 働けないから生きている価値はないということはありません。 あなたの存在そのものに価値があるのです。 もっと、ご自分を楽にしてあげて下さい。 どうか苦しまないで下さい。 よろしくお願いします。
お礼
妻は昨日の晩、 子供を連れて実家に帰ってしまいました。 今朝目が覚めて、 コーヒーを入れようとヤカンでお湯を沸かしていたら この間テレビでやっていた 槇原敬之の 「もう恋なんてしない」 の歌詞が頭に浮かんできました。 あの曲がさっきから脳内リピートです。 無限リピートしています。 一番の歌詞があまりに今の自分にぴったりで 涙があふれて止まりません。 槇原さんは天才ですね。 僕にもあんな才能が、 あんなすごい曲を作るとまではいかなくても なにか自分に自信を持てるものがあったらいいのに。 涙が止まりません。 涙ってどれくらいでるものなのでしょうか。
- headphone
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こんばんは。 oshietechodai様が本当に死にたいと思っているのなら、 どんな手を使っても既に死という道を選んでいるはずです。 生きていくのが本当に面倒なら、このような場への 書き込みの機会は無かったはずです。 私は大事な人が死を自らの手で図ったことがあります。 死ぬ本人はいいです。とても楽な道です。 人間お金が無ければ暮らしていけないですが、 お金を稼げる状態じゃないのに働く事はありません。 気は急くでしょうが、今はお子さんとの時間を お子さんと奥様のことだけを見てあげてください。 奥様だって、本当に別れたければ どんな手を使ってでもあなたから離れるはずです。 死への憧れを抱かないでください。 自ら死を選んだ人が、その後どうなるかご存知ですか? 仏門に入っている知人は、自ら死を選んだ人は この世にもあの世にもとどまることができず、四十九日を過ぎようが 百日を過ぎようが五十年過ぎようが上へ上れずさまよい歩き続けるという事でした。 死に恐怖を感じることが無ければ、死を選ぶことができますか? 死んでからもなお、地上をさまよい続けるとしたら? oshietechodai様、味方はすぐ傍にいるのです。 手をのばせばすぐそこにいる人達のために、どうか近くにいてあげてください。
お礼
ありがとうございます。 そうですね。本心は死にたくないのです。 この先もし私が死んだら、と妄想を抱くことはあっても、 おそらく死ぬことはないでしょう。 そんな度胸もなければ、 この世への未練もたっぷりあるのです。 もしも死なずにすむのなら 幸せがやってくるのなら、 それは生きていること以上によいことはないと思っています。 しかし最近私が何かに付けやけ気味で、 妻に八つ当たりばかりしている私に 妻が愛想を尽かしているのではないかと、少し不安がよぎっています。 愚痴ばかりこぼし情けない醜態をさらす自分に、 結婚当初の自分との変わりように、 妻の私への気持ちがさめてきたとしたら・・・ ほとんど唯一と言っていい私の支えとなってくれる存在である 妻が私の元から離れてしまったら・・・ そんな不安がよぎります。 もちろん妻はそんなことは一言も口にはしませんし、 むしろ私の味方だと言ってくれますが・・・ 心配ばかりかけてしまっている自分が本当に情けないです。
お礼
とても専門的な観点からのご意見で、 とても参考になります。といいますか、 専門家でもなんでもない私には、 あなたの回答の意味の半分も理解できませんが、 でもすごくこの疲れた脳みそにもするりと入ってくるような気がします。 何となく救われたというような。 何となく癒されたというような。 同情の言葉も、励ましも説教もないですが、 あるのは客観的な事実と、科学的な説明だけですが。 何か崖っぷちから落っこちた僕が一本のロープにしがみつけたような感覚です。 ありがとうございます。 いま、とても疲れています。 他の回答者さんへのお礼もいずれ必ずします。 順番が前後してすみません。 でも必ずコメントはしますので。待っていてください。