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無宗教の人の葬儀とお墓について?
人が亡くなると、お葬式をしてお墓に入ります。 でもお葬式もお墓も、何がしかの宗教に入っていて、ある程度その形式に従って行われる事が通例です。お金もなかなかかかります。 そこで質問なんですが、 無宗教の人(宗教を持っていない人)は、一体どの様な形をもって、お葬式をとり行ったり、お墓を建てるんでしょうか。お墓はどこに建てるんでしょうか。まあその後の管理は、勿論ですけど遺族の方に委ねられるのでしょうけど。どの様な選択肢が考えられますか。 その辺につきまして、どうされているのか、どのようにすればいいのか、維持管理費などはどうなるのか、お年忌とかの行事に変わるものはあるのか、このような形態について、葬儀やお墓など法律上から見ての取決めはどの様になっているのか。 あと、故人の方は報われるのか。知りたいです。
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無宗教といっても、普段気にしていないだけで実際に葬儀を執り行う際には後々のことを考えたり親戚などに説得されて仏式で、ということが多々あります。 それでもなお無宗教で葬儀ということも実際にあります。 たとえば、音楽葬。 故人が好きだった音楽をかけ、参列者一同故人の在りし日を偲びます。 友人代表や親族(たとえばお孫さんなど)がお別れの言葉を述べます。 参列者で献花をします。 式場は写真や好きだったお花や思い出の品で飾ることもできます。 無宗教では式次第もいろいろです。いろいろなアイディアがあると思います。どのようにしてもいいのです。 葬儀をしないで火葬のみということもできます。 火葬場の炉の前では、仏式ならばお経をあげて焼香をしますが、なにもしないことも可能です。 年忌法要なども必要ありません。遺された遺族として命日に故人を偲ぶお食事会を開いたり、故人の写真にお花を手向けたりしてもいいかもしれません。仏式ではないのでもちろん仏壇は必要ありません。 お墓ですが、お寺のお墓より霊園墓地がおすすめです。 見学に行かれると気づくと思いますが、昔ながらのお墓のほかに洋墓もたくさんあります。四角い形やらハート型、サッカーが好きだった人用にサッカーボール型ってのもあります。 霊園墓地は宗旨・宗派を問わないですので、無宗教ならば納骨のときにお経も必要ありません。 管理事務所で納骨の日時を告げて手続きをするだけです。 維持管理費は宗旨にかかわらず、墓地をお求めになれば支払わなくてはなりません。 あと故人が報われるのかということですが、それは個人の考え方によりますのでなんともいえません。 信仰心の篤い人に言わせれば報われないでしょうし、無宗教の人に無理に宗教をおしつけても意味がありません。 人間は2度死ぬと言います。一度目は医学的に死ぬとき。二度目は亡き後生きている人の心から忘れ去られてしまったとき。 要は遺された者がどれだけ故人のことを偲ぶ気持ちがあるかということだと私は思います。 葬儀に関してはその仕事をしてますので専門家ですが、宗教的な考えは一般人です。
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- ucok
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無宗教の火葬に立ち会ったことがあります。火葬場に集まって、各人、遺体に「最後のお別れ」を心で告げて、火葬しているあいだに、火葬場の大部屋で歓談しながら、近親者や遺族の簡単なスピーチがあり、お骨は遺族と希望者が拾って遺族に渡しました。その後、故人行きつけだったお店で、友人同士、盛大にお別れ会をしたのですが、生前のビデオや昔話で盛り上がり、しばらくして遺族がお骨を持ってあいさつにいらしたので、お骨に触れて涙のサヨナラをしました。 私が参列したどんな宗教儀式よりも心がこもっていましたよ。故人はさぞや報われたのではないでしょうか。 しかし、故人は(一般的な日本人同様)家族のお墓に入って、その家族のお墓は仏式なので、おそらくお墓に入る際に仏式の儀式をしたはずです。というのも、私の身内にキリスト教式の葬儀をした人がいるのですが、家族の墓に入る時に仏式の儀式をお寺にしてもらう必要があったのです。そして、それはそれなりにお金が掛かったので、その人の配偶者が亡くなった時に、夫婦だけ、お墓をキリスト教式のところに替えました。 今は無宗教を受け入れる墓地も増えていますね。お墓が無宗教なら、葬儀はどうとでもなると思います。日本では火葬だけはしないといけない法律になっていますが、火葬場は宗教を問いませんから。 ちなみに、宗教にのっとったとしても、いくらでも簡単かつ安価に済ませることはできますよ。故人が、生前に強くそう言い遺しておけばいいのです。先日行なった身内の葬儀や納骨は、かなり簡単に済ませました。お金や手間暇がかかるのは、「宗教」ではなく「風習」のせいです。
お礼
>無宗教の火葬に立ち会ったことがあります 昔、火葬場で、お坊さんなどが付き添っていない形の、最期のお別れの形式をとっておられる方々を拝見して、このやり方はどういう?という疑問が心のどこかで、ずっとあったような気がしてます。 >私が参列したどんな宗教儀式よりも心がこもっていましたよ。故人はさぞや報われたのではないでしょうか 世間一般の慣例にこういうものだと多くの人の心が既成概念化されている葬儀は形式立ち過ぎて、葬儀のプロでもないと実際の心の伴い難い状況にならざるを得ない事が、多々あると思います。それが通例化されて内容の伴わない、その代わり金銭面では立派過ぎる式が増えているかと思います。それを引き受ける業者さんやお寺さんも、もしかしたら然りかもしれない?と思われる面がチラチラしそんな、人の生死はお金なんかじゃない!と思ってしまいます。 >日本では火葬だけはしないといけない法律になっていますが、火葬場は宗教を問いませんから。 なるほどな、一文です。 >お金や手間暇がかかるのは、「宗教」ではなく「風習」のせいです。 そうですよね。死して際にまで、ころころと変わっていく現代の社会の風潮に踊らされていたり、実質を得にくい適応を迫られざるをえない状況はまっぴらですからね。本質を見極めたいです。 ありがとうございました。
>人が亡くなると、お葬式をしてお墓に入ります。 一般的にはお説の通りです。 無宗教の場合には葬儀のみ僧侶にお経を上げてもらう場合があります。 お経無しの葬儀もあります。 友人・知人の「送る言葉」のみの場合も 葬儀は行うが「お骨」は不要と云う場合には斎場に申し入れると斎場の共同墓地に埋葬されます。 無論、葬儀も「お骨」も不要の場合には直接斎場へ お墓が無い(不要)場合(少子化等で墓守ができない)には納骨堂が業者やお寺に設けられています。 又、「散骨」と云う方法もあります。 法律的には「墓地法」で墓所の設置が規制されている以外にはありません。 土葬は一部の特例を除いて禁止されてはいますが 故人の供養とは残された人の安心感・満足感であって、残された人の考え方で決まります。 納骨堂と散骨について参考に(一例です) http://www.create5.com/kuyou/anrakuji/anrakuji-1.htm http://www.1step.co.jp/mirai/
お礼
>お経無しの葬儀もあります。 >友人・知人の「送る言葉」のみの場合も葬儀は行うが「お骨」は不要と云う場合には斎場に申し入れると斎場の共同墓地に埋葬されます。 >無論、葬儀も「お骨」も不要の場合には直接斎場へ 慣例の実際の現状にあまりにも盲従してることが多かったことを感じました。 >法律的には「墓地法」で墓所の設置が規制されている以外にはありません。土葬は一部の特例を除いて禁止されてはいますが これ、知ってない人がきっと大多数であろうと、感じます。私もその一人でした。 >納骨堂と散骨について参考 様々な業者の方があるんですね。指輪の形式は、ちょっと最近知りました。 様々な選択肢を示してくださってありがとうございます。
- sirowan777
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無宗教です、厳密な意味では既成の宗教を信心していないという意味です。 父親がなくなりましたが、葬式はしていません。 お骨は家に保管してあります。 年中お墓参りしているようなものなので、故人も寂しくないと思います。
お礼
>父親がなくなりましたが、葬式はしていません。 お葬式は、特に法律上では、やらなければならないという訳では無いという事なのでしょうね。 >お骨は家に保管してあります。 こちらも法的に見て、自宅保管は、認められるということでしょう。 >年中お墓参りしているようなものなので、故人も寂しくないと思います。 そうですよね。お墓って、夏はものすごく暑くて、冬はその逆の典型ですからね。雪に埋もれてたり、それはもう過酷な状況です。 実際の例を挙げていただきまして、大変参考になりました。ありがとうございます。
お礼
> 葬儀をしないで火葬のみということもできます。火葬場の炉の前では、仏式ならばお経をあげて焼香をしますが、なにもしないことも可能です。 以前、そのような形で執り行なっている方をお見受けしたことがあります。 >年忌法要なども必要ありません。遺された遺族として命日に故人を偲ぶお食事会を開いたり、故人の写真にお花を手向けたりしてもいいかもしれません。仏式ではないのでもちろん仏壇は必要ありません。 心が伴っておりますね。 逆にお年忌などでは、半ばルール化され、お坊さんもいつものルーティンをこなしております的な面がはたから見ても否めません。あまりにも職業としてやっております。キャッシュの為なのか。 >お墓ですが、お寺のお墓より霊園墓地がおすすめです。 >管理事務所で納骨の日時を告げて手続きをするだけです。維持管理費は宗旨にかかわらず、墓地をお求めになれば支払わなくてはなりません 参考になりますね。 >要は遺された者がどれだけ故人のことを偲ぶ気持ちがあるかということだと私は思います。 まさにその通りです。故人のことを偲ぶ気持ちは、結局自分を大切にしようとする気持ちですからね。大切なことです。
補足
daisukichopperさん。ここのスペースをお貸しくださいませ。 多くの方々のご回答大変感謝しています。 とても貴重なご意見ばかりです。 お礼は、休日に書かせていただきます。 必ず書きます! また、さらに多様なご意見をお待ちしております。 daisukichopperさん。ありがとうございます。