- ベストアンサー
入試全廃
すべての私立公立中学、高校、大学入試の筆記を全廃して代わりに実技や作品、論文や内申のようなものだけで入試をやるという案にはどのような弊害があるでしょうか。また小学生ぐらいで将来の進路を決めさせ それ以外の科目はあまりやらないという考えは どう思いますか。また現在就いている職業に 関係のない科目を学校で勉強したことがまったく 無駄だったと思う方いらっしゃいますか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんばんは >すべての私立公立中学、高校、大学入試の筆記を全廃して代わりに実技や作品、論文や内申のようなものだけで入試をやる 公立中学で入試があるのは、国立大学の附属中学校ぐらいでしょう。ここは、一種教育に関する「実験」の場でもあるのですが、学科試験の成績優秀者のみで「実験」を行っても、一般の公立学校の参考にならないという点で、自己矛盾している学校だと私は考えています。私立中学は、まだ義務教育なので、面接や作文程度の「入試」でいいのではないでしょうか? 小学校時代から、塾だのなんだの、遊ぶ暇を与えないと、大人になってからゆがみますよ。 さて、公私立高校や大学ですが、フランスのバカロレアやアメリカのSATのような共通資格試験での点数(高校での学習の成果を評価)は最低限持っていることは必要でしょう。大学での学習内容についていくための、知識や技能は不可欠です。「好き」と「できる」とは違います。また、面接や論文試験は不可欠でしょう。 欧米のように身分社会というか、階級社会が厳然として残っている国々では、社会システムがそのように機能しています。義務教育終了段階で、ホワイトカラーかブルーカラーか、だいたい分かれますから。しかし、彼らは自分たちの生活圏内で、十分楽しむすべを知っていると思います。変に背伸びせず、自分をあるがまま受け入れて、充実した生活を送っています。 >小学生ぐらいで将来の進路を決めさせ それ以外の科目はあまりやらない アメリカでは、飛び級が多く行われているというイメージがありますが、実際にはほとんど行われていません。年齢相応の、友達や遊び、生活がないと、その子が大人になっても、その能力が開花しないことが明らかになっているからだそうです。中国・韓国などでは、超秀才少年が大学に入学といったことがニュースになりますが、知的レベルは別にして小学生が、大学生と同じレベルで大学生活を送ることには無理があるというのが実情のようです。そして、その子らがアインシュタインをしのぐような大人になったかというと・・・??? 結論、小学生には小学生の、中学生には中学生のそれぞれの年齢に応じた生活や学習があるのではないでしょうか?良いことも悪いこともその年齢集団の中でバランスよく学んでいくことが、必要だと思います。 >また現在就いている職業に関係のない科目を学校で勉強したことがまったく無駄だったと思う方いらっしゃいますか。 私の場合、そんなことは全くありません。むしろ、もっといろんなことに首をつっこんでおけば良かった、と思うぐらいです。 ちょっと質問からそれたかもしれませんね。あしからず。
その他の回答 (2)
- nofutureforyou
- ベストアンサー率9% (25/277)
>筆記を全廃して代わりに実技や作品、 >論文や内申のようなものだけで入試をやる というのは、入試の全廃ではない。入試科目が変わるという話である。 科目が変われば得意な人は有利になり、不得意な人は不利になる。 >小学生ぐらいで将来の進路を決めさせ >それ以外の科目はあまりやらない これは、音楽?職人?小作農? まあ、さみしいよね。 質問の意図がよくわかりません。宿題?
お礼
ありがとうございました。 某校長の案、やっぱりヘンですよね。 自分じゃすごくイイつもりで 文部科学省に提出してますよ。この案。
- shinkun0114
- ベストアンサー率44% (1553/3474)
面白い案ですね。 弊害についてですが・・ >実技や作品、論文 これらを試験の代わりに提出することになると 思いますが、本人の作であるとの証明に問題が あるでしょう。 論文などは誰かに作ってもらって、清書だけ すればいいわけですし。 >内申のようなもの 公平性に問題ありと見ます。 現在の入試制度では、試験を課す学校が 一律に判定しているわけですが、 内申制度となれば判定をするところが バラバラになってしまいます。
お礼
ありがとうございました。 内申にしろ実技にしろ判定は難しいですよね。
お礼
ありがとうございました。 小学校時代から、塾だのなんだの、遊ぶ暇を与えないと、大人になってからゆがみますよ。 この案を主張している人は、某国立小の元校長ですが 塾を全廃したいから入試の筆記をなくせば 教育界のアダ花である塾を潰せると考えているよう でした。