- ベストアンサー
「社会主義国以上に社会主義」
日本人は、島国の性格で、なかなかグローバルになれない。そして、最近海外から、「社会主義国以上に社会主義」と批判されるようになりました。 これは、日本のどの部分をとらえて、そう言っているのでしょうか ? また、それを踏まえて、グローバルな経済社会の構築には、どうしたら良いのでしょう。 難しい質問でごめんなさい。
- みんなの回答 (28)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
Bronerさんが仰りたいことは、《30年間何も変らなかった》のではなく、日本人は失敗から学習する能力が「文化的」に欠けてるのではないか?(柳田邦男氏)という視点ではないかと思うのです。。 その意味ではノモンハン事件以降、同じ体質で居るのを思います。。 帝国陸海軍の作戦と組織の失敗の原因の分析(『失敗の本質 日本軍の組織的研究』戸部良一氏)が根本を見てしていないから、この手痛い敗戦から学習しないから、今尚!官僚にや政治家にその甘い体質が温存されてる。。というものです。 さて、『失敗』を二つの要素で分析すると A)戦略上の欠陥 B)組織上の欠陥 A) (1)戦略の目標が曖昧 (2)短期決戦しか想定していない(米国の日本への戦略は、非常に!長期です!私の側からすると!) (3)客観的事実(論理性、物質資源、総動員の限界)を無視して戦略を立てた。(竹中経済政策の無駄死にさせた兵隊の多さを思います!) (4)戦略オプションが狭い視野で想定された(机上演習でも、もし途中で空母が沈没すればその先がなくなるはずなのに、子供の将棋ゲームみたいに次の作戦では沈没したはずの軍艦が出てきたりしたそうです。。) 日本は、戦争には歴史的に慣れてなかったとは言えね。。。! (5)アンバランスな装備。。世界一の戦艦大和と日露戦(1905年制)の三八式銃が大勢を占めてる。。このアンバランスな装備で、戦略だけは高度なレベルを求めた。。 B) (1)コネ(人的ネットワーク)、根回し、腹のすり合わせの偏重・・今の官僚、政治家にも引き継がれてますね!?特に、宗教団体の決断力の強さは他国の民族意識ぐらいあるでしょうね・・?! 一部のカリスマ性のある幕僚(小泉さん?)に意思決定と権力が集中し、作戦参謀(竹部さん?否、姿が見え難い組織代表者?!)が主観的な戦略思想の下に作戦を次々指導していく。。組織(議会)全体討議、検討はされずに(圧倒的議決数)、根回し、コネで決まる。人的コネでの最大の価値基準、目標はお互いの相互依存関係と地位の守り合い。。(小泉さんは族議員のコネを破壊するという名目で、新たなより強固な一部企業と政党間のコネを作り上げたのではないでしょうか?そのコネに支持されてる阿倍さんを新たな看板=政治家として政策能力では見るからに!エンプティ。。教えられたことを無難に口数多く、結局は訊ねられたことにはノーコメントと変わりない。。しかも!自覚さえしてられない!!改善の余地無し。。?!) (2)作戦(金融政策、民営化、偽装事件、JR事故、・・・)を失敗した時の徹底的原因分析のうえ次回の戦略に役立てる。。 ノモンハン事件(日米開戦2年前)で辻関東軍参謀は自己のソ連軍を甘く見た敗因を隠したまま、知らん顔し通し、太平洋戦争でもちゃっかり!陸軍の中心にいて、再び悲惨な過ちを繰り返してる。 薬害エイズ、動燃事故、大蔵省の都度重なる金融政策の失敗、防衛庁背任容疑などの処理をみても、トップが頭を下げるだけで、風当たりが弱くなるのを待ってるだけ、、正面切って失敗の原因を議論しようとしない、ムードや他の事件をマスコミに流させて、すぐに国民の気を逸らす。。「特殊だった」「運が悪かった」「今から蒸し返しても・・」と封印されても何も思わない。。表向きに体裁として対策委員会などをカモフラージュに使い、決して積極的な有効な教訓を導き出す為の作業はしない。。 日本文化伝統の『精神主義』信仰が『モノ』信仰におきかえられ、モーレツ社員、企業戦士が生まれ、バブル経済政策の中で激しく踊り明かした、、 (3)責任の所在を曖昧にする(偽装事件も主犯は信仰リーダーが大本では?!)ノモンハンの責任も陸軍は誰一人追求されないまま、ミッドウェーでも山本五十六司令長官、南雲中将も取っていない。 自己改革の為の分析をしないと、永遠に!ずっと!アメリカの実質、植民地としての世界からの評価は拭えないのではないでしょうか。
その他の回答 (27)
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
#16の続きです。 外交なんて大舞台のことは想像するだけですが、、例えば、、個人会社で戦後から平衡貿易をなさってられる方を拝見し、自分がいかに確固たる『法治国家』の治安の空気を吸って当たり前として生きてきたか、感慨深く思ったことがあります。。 国際法とやらもあるそうですが、実際には!「自己責任」「紳士協定」が海外の取引では多かった、当たり前?リスキーな世界で、信用にヤクザ?的にまで厳格、用心深いユダヤ人がキーパーソンだったりするのも納得するほどです。。又、そのユダヤ人に認められる人物もエリート社員やキャリア官僚ではムリで、信用できる『人物』だったのを思います。。国の外交は、どちらかというと、、まず、民間企業が外国にきっかけを作り、きちっとしたものにする為に外務省に紹介する、、 外務省はよく分りませんが、、外交(貿易など経済だけでなく、国防も含め)では日本国憲法で合理的に理路整然と判別出来ない資金がいつも準備しておかなくてはならない、、のかな、、って。そこに政治家が目をつけ、(宗夫事件など)ヤクザ的に侵食されてる組織が悪循環してしまったのかな、不条理な力で流されると、どんな組織でも働く人々のモラルも風化するのを思います。。 ODA自体の現地活動してる人が怠慢なのではなく、そこへ行くパイプに水漏れや腐食があると言うことに思います。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
Bronerさん、遅くなってごめんなさい。少し忙しかったのと、あと、いい加減にお答えするのはいけないと、私なりに昔!学生時代、テキストで買ったまま、一度も読んでないような本を紐解いたり。。 1)一箇所訂正です。。《日本企業やODAは平和的に・・》 のODAはNGOの間違いです。ごめんなさい。 《現地の人たちの要求に合わないことばかりをしてきたと・・》 2)Bronerさん、私にはファシズム的にマスコミを使った情報戦略(アメリカのブッシュ、ネオコン体制はそうしてると2年ほど前にNHKで解説されてましたよね!?)に今の日本は全く無関係ではないように感じます。。 その時に受け取る側として用心すべきことは、『ばかり』と受け取る危険性です。。 報道されたことが、『一面』?或いは何らかの利害の反映であることは充分に有り得る事に思います。。特に、、圧倒的な(理屈を超越した)カリスマ性を求めてる政治体制の時には・・ 本当に健全な社会では通常はバランス感覚を大切にしてるのを思います。。(日本経済を郵政省と金融庁(大蔵省)の二本立て、など・・) 2)緒方貞子さん:『戦争、武力放棄した日本にとって、ODA(政府開発援助)は国際貢献の主要な手段です。その一端JICA(国際協力機構)は、「日本の平和と繁栄は、世界の平和と安定なくしてはありえない」という考えのもと、平和で豊かな世界の実現をめざして日々努力している。 JICAの改革プラン(昨年3月) 1)現場主義 2)人間の安全保障重視の事業 3)効果・効率性と迅速性 組織改革を推し進めてきた。理事長は改革1年目を振り返り、「在外強化、現地主導案件の増加など、ある程度改革が進んでいる。“国内事業もこれにマッチしなければならない”」と語り、さらなる現場主義推進に向けた国内事業改革の必要性を強調した。 理事長はまた、ODA予算の確保について、「非常な貧困への不満を放置しておくことは、安全保障上も危険」と指摘したうえで、「来年度に向かい、政府に働きかけていきたい」と語った。』 1)現場主義:開発途上国のニーズに的確にかつ迅速に応えられるよう、現場の声、現場の目を大切にすること。 2)「人間の安全保障」の視点を取り入れて活動すること。 3)独立行政法人として、事業の効果・効率性をいっそう高めていく。 世界の人々から信頼され、期待される国になるために、国際協力を日本の文化にしていきましょう。1954年にスタートした日本のODAは、2004年には50周年を迎え、そのための土壌は十分育っていると考えます。 』 一方で、国連負担金が“常任”理事国、仏、ロ、中、英は15%、常任理事国でない唯一の日本国は19.5%、、その理由として、途上国(ロ、中?)へのハンディキャップを、、アメリカが段トツ一位という負担を軽くする為に『経済大国』日本が呑み込まされてきたこと、、 このニュースも聞いて、「何でそんなことに日本が大金を払わないといけないの!?」なんて単純に反応しては、危ないように思うのです。。 外交方針として、緒方さんが頑張った、ODAなど通じてのA『平和路線』とアメリカ・ネオコンB『軍事路線』と二手があるとき、Aを止めさせて国連より手を引き、純粋にアメリカの配下に入ったBへ日本が政策として向かう意味があるのではないかと心配します。。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
《先進国経済に対する協調性のなさ、別途の消費地を創る努力という視点での戦略的な展開がありませんでした。今思えば、残念なことです。》 とは、如何なる根拠でもって断言できるのでしょうか? ベ戦終結するや、日本の企業はその福祉援助や芸術文化活動で枯葉作戦で荒廃した人々の中で活動されてるのを、、、フィリピンの人が生活したことの無いような奥地での工場建設?や都市開発?に技術者が行かれてるのを知り、驚いたことが何度かあります。。 日本人が知らないだけで、日本企業やODAは平和的に途上国といわれる国へバブル前から出かけてるのです。。 アメリカの戦略だけがマスコミに大きく取り上げられ、《地道な》支援活動は日本人自身が知らない。。でも!現地の国民は知ってくれてる。。 それは、途上国へNGOで出かけた人が「日本人だ。平和憲法の原爆を受けた唯一の国だ。」と言って、日本人だと言うことだけで、活動の中枢に入れてもらわれるそうです。アメリカがどんなに予算と物資、期間を日本よりも掛けていても、「アメリカ人は信用なら無い。。。」 その体験を聞いて、外交では卑屈な日本、世界経済ではいつも“してやられる”フガイ無い日本ですが、地道な活動の中で育まれた信用を聞いて、胸を打たれました。 アメリカ的な経営・営業方針で行こうとするから、日本の企業は「それほどの(暴)力がないくせに」と撥ね付けられるのではないでしょうか? アメリカの傍若無人な合理主義に反感と危機感をもつ諸国は多いと思います。日本は日本人らしく大手スーパー的な戦略でなく、イタリア経済みたいに個人専門店的な戦略で地道に力をつけていく方が合ってるのではないのでしょうか?
補足
日本人が知らないだけで、日本企業やODAは平和的に途上国といわれる国へバブル前から出かけてるのです。。 わたしは、そのことについては、現地の人たちの要求に合わないことばかりをしてきたと、聞かされていました。 あなたの仰っているとおりなら、素晴らしい事です。 さて、私の、グローバルの基準は次のようなものです。 1. 人と物の自由移動。 2. 技術、文明の自由移動。 3. 食料、工業商品等の国家間の相互依存の推進 ただこれだけで、アメリカのスタンダードのグローバル化とは違うと思います。 イタリア経済みたいに個人専門店的な戦略で地道に力をつけていく方が合ってるのではないのでしょうか? には、わたしも同感です。 次に、《先進国経済に対する協調性のなさ、別途の消費地を創る努力という視点での戦略的な展開がありませんでした。今思えば、残念なことです。》の件ですが、簡単に説明しますと、 1985年プラザ合意で、円高推進の合意がなされました。日銀も円高を推進することにしたのです。結果は、海外での日本商品の価格が上がり、日本の貿易輸出高の減少となりました。それだけではなく、日銀元総裁前川氏の「前川レポート 日本の経済政策への提言書」により、「内需拡大 即ち、10年で670兆円の内需を行う計画」でした。 これは、自民党にとっては、建設関連の賄い費だった為、票集めに繋がり、おいしい話だったのです。官僚にとっても、人員の増加による、発言力の強化で、おいしい話だったのです。財界にとっても、内需拡大、相乗効果による、景気拡大のおいしい話だったのです。 この時、だれも、その先の財政破綻のことを考えませんでした。考えた人がいたとしても、それを発言したら、窓際に追いやられてしまう、社会現象だったのです。このあたりは、先の戦争の1940年代の日本と変わらないところがあります。 このようにして、現在の財政破綻が生じたのです。 敗戦後、日本は、国民の自力で国の民主化を出来ませんでした。 その結果が、現在です。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
Bronerさん、ご返答有難うございます。 私は《ネオクラもしくはネオコンの視点で見ると》という条件下では、《30年間日本は何の変化もしていない》と断言し得るのではないかと?と反論してるわけです。 つまり、私の見聞きし、実際に仕事や生活上で《政治》に触れた経験は決して!広い世界を駆け巡るものではありません。しかし!末端でこそ!その中枢の政治姿勢の状態、実態が直接的に反映されてるものなのを思います。。 例えば・・「社会主義とは?」、「民主主義とは?」の視点、考え方でこの議論も随分違ってくるはずです。 その視点とは、プロセスが同じであったとしても、《政策、政治の目的》が何であるか?が根本の要件、政策に掛けてはならないものに思います。 《郵政民営化こそ民主主義、グローバル化が赤字国債を払拭してくれる切り札》という私が感じるのには“プロセス”の合意で民意を得たのが小泉竹中戦法だったのではないのかな・・て今振り返るのです。。 政策に、“「大多数の国民=庶民」の安定した生活をいう目的”が抜けてませんでしたsでしょうか? 「庶民」の中には生活保護の不正受給があるかもしれませんが、それは大多数の庶民の内のどれ程でしょうか?その部分だけを改正すれば良いわけで、庶民全員に非を問うことが国の長たる者がすべきことがどうか?! Bronerさんが批判されてる「社会主義的経済システムを継続してきた日本経済」は 1)社会主義国の欠点とされてる労働者の質の悪さ、では、日本国民の庶民?大衆?多くの名も無い労働者の質の良さ、堅実さ、誠実さ、几帳面さは世界に比する所がなかったのをお忘れでしょうか?(経済破壊される小泉政権前を思いだしてください) 決して、一部の事業成功者でなく。。 2)会社と従業員との家族的関係、、リーダーを信頼し、リーダーも従業員を大切にする。。その為に《会社人間》も多かった、、リーダーも社員も互いに大切にし合い、“家庭”を両者が省みない、、しかし、学校卒業後、入社して会社が子育てでなく社会人教育を会社人間教育を通ししていくシステム。。 以上、Bronerさんが一つ括りにプロパガンダされてるように畏怖する理由です。
補足
まさしく、あなたの仰っているとおりです。 日本人の、多くの名も無い労働者の質の良さ、堅実さ、誠実さ、几帳面さは世界に比する所がなかった。 そのとおりでしたが、先進国経済に対する協調性のなさ、別途の消費地を創る努力という視点での戦略的な展開がありませんでした。今思えば、残念なことです。 また、あなたの、その視点とは、プロセスが同じであったとしても、《政策、政治の目的》が何であるか?が根本の要件、政策に欠けてはならないものに思います。 政策に、“「大多数の国民=庶民」の安定した生活をいう目的”が抜けてませんでしたでしょうか? とのことですが、私もあなたと、同意見です。 しかし、その問題の解決には、大多数の国民の人が、自ら「安定した生活をするのには、グローバル化が必要不可欠なものである。」との認識をしない限り、押し付けとなってしまいます。反発を受けるだけです。 ここのところが、この国の明暗を分ける重要な分岐点だと私は思いました。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
Bronerさん、ご返答有難うございます。 私は《ネオクラもしくはネオコンの視点で見ると》という条件下では、《30年間日本は何の変化もしていない》と断言し得るのではないかと?と反論してるわけです。 つまり、私の見聞きし、実際に仕事や生活上で《政治》に触れた経験は決して!広い世界を駆け巡るものではありません。しかし!末端でこそ!その中枢の政治姿勢の状態、実態が直接的に反映されてるものなのを思います。。 例えば・・「社会主義とは?」、「民主主義とは?」の視点、考え方でこの議論も随分違ってくるはずです。 その視点とは、プロセスが同じであったとしても、《政策、政治の目的》が何であるか?が根本の要件、政策に掛けてはならないものに思います。 《郵政民営化こそ民主主義、グローバル化が赤字国債を払拭してくれる切り札》という私が感じるのには“プロセス”の合意で民意を得たのが小泉竹中戦法だったのではないのかな・・て今振り返るのです。。 政策に、“「大多数の国民=庶民」の安定した生活をいう目的”が抜けてませんでしたsでしょうか? 「庶民」の中には生活保護の不正受給があるかもしれませんが、それは大多数の庶民の内のどれ程でしょうか?その部分だけを改正すれば良いわけで、庶民全員に非を問うことが国の長たる者がすべきことがどうか?! Bronerさんが批判されてる「社会主義的経済システムを継続してきた日本経済」は 1)社会主義国の欠点とされてる労働者の質の悪さ、では、日本国民の庶民?大衆?多くの名も無い労働者の質の良さ、堅実さ、誠実さ、几帳面さは世界に比する所がなかったのをお忘れでしょうか?(経済破壊される小泉政権前を思いだしてください) 決して、一部の事業成功者でなく。。 2)会社と従業員との家族的関係、、リーダーを信頼し、リーダーも従業員を大切にする。。その為に《会社人間》も多かった、、リーダーも社員も互いに大切にし合い、“家庭”を両者が省みない、、しかし、学校卒業後、入社して会社が子育てでなく社会人教育を会社人間教育を通ししていくシステム。。 以上、Bronerさんが一つ括りにプロタバンガされてるように畏怖する理由です。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
Bronerさんの返答など、対話の持つ相互理解で近づきあって互いの違いを明確化して話し合う・・というより固定的で予め設定された内容で返答するロボットのようなやり取りに感じてしまうのですが。。 (自分で考えて判断するのでなく洗脳されてる人と話し合うと、視点の違いが明瞭化して来ると、不機嫌になってケンカに持ち込むか、繰り返すか。。)もし、違ったら、ごめんなさい。。 2003年5月1日、ブッシュさんが空母アブラハム・リンカーンの艦上でイラク戦争の戦闘終結宣言をした。論旨はネオコン(新保守主義)の特徴が明瞭に見られる。 1)天動説 アメリカ型社会システムこそが《唯一の》(つまり完全排他的!!)民主主義であるという他の存在を一切認めない視点。アメリカ以外の社会システムは全て!悪であり、その為の破壊は《開放》であるという発想。 2)根拠のない楽観論 米軍のイラク侵攻がイラク国民に歓迎されるとの前提で、大量破壊兵器はそのうちに発見されるはずである。。発見されない時の取り返しのつかない命の応酬の重さを思い、躊躇しない楽観、思い込み、自己神格化。。 このネオコン思想はこの十数年アメリカ経済を支配してきた経済理論と通底する。竹中さんが信奉してきた新古典派(ネオ・クラシカル)経済学。 ネオクラの人たちは天動説で“アメリカ型市場原理以外の経済の組み合わせを認めない。”経済が上手く行かないのは、経済システムがアメリカ型になっていなことが原因と考え経済を活性化させる為には旧来型の日本経済社会システムを破壊すれば良いと考える。そこに「構造改革」が由来する。 ネオコンとネオクラのもう一つの共通点は戦争や改革の終着点を相手国がアメリカ型システムを受け入れ、アメリカに完全に《隷属!!》することに置いてる。。。 (森永卓郎氏) 《日本人のものの考え方、行動、これは、10年前も、20年前も、30年前も変わらないのですよ。》 ネオクラもしくはネオコンの視点で見ると、日本人はこの30年間変っていないと言えるかもしれません。。 ちがいますか?
お礼
ご回答ありがとうございました。 日本人はこの30年間変っていないと言えるかもしれません。。 ちがいますか? には、私も同感です。
補足
あなたの仰っておられる、アメリカの地球支配、この激動の現代の中、60年も維持続けていられるのは、それなりに価値のあることだと思います。終戦後、自力では民主化できなかった日本を、農地解放、財閥解体、憲法改正、預金封鎖に伴う新円切り替え、衛生思想の普及と全国各地に保健所の設置など、計り知れない貢献をしているのですよ。 現在の選挙制度の不平等、政府の財政破綻、銀行の公的資金の注入、国土交通省の機能不全の問題(マンション、ビジネスホテルの強度偽装事件の)など、一人前とはいえない国なのです。 国民一人一人が自立していない国なのです。 とにかく、レッテルで議論するのではなく、理屈でこれは良い、これは悪いと議論しましょう。
- arakororin
- ベストアンサー率39% (80/205)
>日本人は、島国の性格で、なかなかグローバルになれない。そして、最近海外から、「社会主義国以上に社会主義」と批判されるようになりました。 10年位前によく言われた言葉ですね。最近はまったく聞かなくなりましたが。今でもそんなことをいう人がいるんですか…。 当時の一般論で言うと、民間企業に対する規制が多く横並びの政策、いわゆる護送船団方式や経営が傾いた銀行に税金を投入するなど資本主義ではありえないようなことをしまくっていたことが、「国有企業ではないか」という意味合いで使われました。このときは世界のほとんどの国と、日本人のある程度わかっている人はそう思っていました。驚くべきことはこのときの日本の状態が「正常な資本主義だ」と思い込んでいた日本人が非常に多いことです。その話はまぁいいか。 そんな批判を浴びた結果、「規制緩和」を進め企業同士を競争させるようになりました。結果規制がダイブなくなり銀行も争うように生き残りをかけて合併を行いました。結果として現在では当時のような社会主義的官僚主義はなくなりました。 今まだその気があるところといえば、郵貯と簡保ですかね。巨大金融機関を国営で行うのは批判されて当然です。しかしそこを狙ってちょっかいを出してくるのはアメリカくらいなものですが…。一方で、余談になりますが郵便事業を民営化した国がことごとく失敗し国営に戻している現状を知っていれば、郵便事業は民営化などすべきではないと思うはずなのですが。 あとあえて言うならば特殊法人ですかね。いまは大部分が独立行政法人と呼ばせるようにし、「特殊法人」と呼ばせないようにしたそうですが、実態は何も変わっていないという現実があります。わけのわからない国営企業を増やし私服を肥やしていたり、批判を受けても「改革改革」と口先でいうだけで実際にはごまかして存続させようとするところも、批判を受けてもいい点でしょうか。ただしこの部分は国内からの批判になるでしょうけど。
お礼
ご回答ありがとうございました。 現在では当時のような社会主義的官僚主義はなくなりました。 とのことですが、私は、そうは思えませんでした。 独立行政法人については、私もあなたと同じ意見です。
補足
10年位前によく言われた言葉ですね。最近はまったく聞かなくなりましたが。今でもそんなことをいう人がいるんですか…。 と仰られてますが、日本人のものの考え方、行動、これは、10年前も、20年前も、30年前も変わらないのですよ。 日本映画、テレビドラマ、マスコミ全て、日常の生活に埋没して、グローバル化による利益を、享受できてなく、孤立化へ埋没して行っているように思います。 日本人のものの考え方、行動についても、あなたのご意見を伺いたいのですが。よろしければ。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
《経済学は、我々の生活をより良くするために存在する》 生活を良くする、悪くする、という判断基準そのものが、単純には割り切れない、割り切るから噴出する矛盾に世界が気付き始めてるのではないでしょうか?《生活環境良くする事も、利害の項目となります。》 このことも、然りです。『利害』とは一断面上でのみ、明確に出来ることで、そのことで多層に修復しがたい悪影響を結果的に及ぼしてることに、経済学でも気付き、自分の立場では利害の内の『アンチ利』でも地球上にすむ生物として、日本国民として、考える寛容さ、広い視野が必要とされてるのが今の時代ではないでしょうか? 合理性とは、狭い視点に立つほど明確に出来る傾向があると思いますが。。
お礼
ご回答ありがとうございました。 あなたの仰っていることは、よく理解できるのですが、(・・ところによっては、難しいようで、・・・)そのように考えてしまうと、何も出来なくなる。ようで、 孔子曰く、「学びて、思わざれば、すなわち、暗し。 思いて、学ばざれば、すなわち、危うし。」 実行が大事だと思いました。
補足
合理性とは、狭い視点に立つほど明確に出来る傾向があると思いますが。。 とのことですが、それは手段であって、目的ではない気がします。 「必要は発明の母である。」、我々の生活をより良くするためにいろんなこと(戦略的に)を発明していく、教育を普及させて、実のある討議が出来るようにするのも一方法かとも思います。 しかし、別の考えもあるようです。 地球上の60億の人口を賄っていける化石燃料は無いのだから、現状維持でいい、という現実論もあるようです。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
ヨコですが、#7さんは、『利益不利益で考えるべきです。 には私も同感です。』とはむしろ、反対のご意見に読めるのですが。。?! 私たちは個々、家族の一員であり、国民であり、地球人であり、地球上の生物であるということで、「経済学」という視点だけで二元論的に追求していくと、他の学、例えば、「政治学」でさえ!矛盾してしまうことに気付くべきに思うのです。「自然科学」の諸分野とは矛盾、対立要素が出てくるのは想像に難くないですよね。。 例えば政治学と経済学との矛盾・・(OKから気付かされたのですが)「新保守主義(ネオコン)」という政治思想と「新自由主義」という経済思想・・一方は『保守』で、もう一方は『自由』ですが実際には政治的に新保守の立場を取る人は経済政策としても『新自由主義』をとる。。
お礼
ご回答ありがとうございました。 あなたの仰っているように、政治とか、経済とか、環境とかそれぞれの立場で追求していく対立要素があると思います。 しかし、全ての学問は、人類のためにあるのですから、人類のためにと言うことで、統一した目的を追求すべきだと思いました。
補足
経済学は、我々の生活をより良くするために存在するわけですから、生活環境良くする事も、利害の項目となります。 生活環境についての温度差についても、他の経済問題についての温度差と同じで、合理的に、利害で考えることになります。
- 301007
- ベストアンサー率22% (27/121)
学生時代、般教の詳読だったかで若かりし!?『今西進化論』の伏線だったか「ハックスレー?」の「Evolutionary Humanism」?だったか「○○~~Science」?だったか・・あった(読んだとは恥ずかしくて言えない!)のを記憶します。 学問の分野ですが、経済学、政治学、法学、、文学も生物学・化学も・・全てあらゆる科学分野が夫々に独自に展開、進歩、発展していくと地球上に住む私たち「一」生物としての『人類』として『矛盾』?『対立要因』が出てくる。つまり・・それぞれの分野は最終的に『哲学』により統合されて、『排他的』でなく、『共生』されてこそ、実現すべきものでは・・というような読後感をもったのを覚えています。。 今の小泉、竹中経済・政治・行政政策は、弱肉強食、必ずしも証明されたとは断言できてはいない『ダーウィニズム』の前提にたった考え方で、それを追求していくとエントロピーの法則で最終的には飽和状態、破滅へと向かうということでは。。と、社会人になってから、品川よし也さんの「意識と脳」を読んでから、確信するように感慨深く思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 それぞれの分野は最終的に『哲学』により統合されて、『排他的』でなく、『共生』されてこそ、実現すべきものでは・・ というあなたのお考えには、私も同感です。 そうあらねば、ならないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 あなたの仰っておられる NPO,JICA,ODA のご説明、良く分かりました。 ネオコンのグローバル化の強制についても良く分かりました。 わたしは、日本として、まだ、このことに拘りたいのです。敗戦後、日本は、国民の自力で国の民主化を出来ませんでした。その結果が、現在です。それは、惨惨たるものです。 普通選挙制度の下では、国民の広い知識の向上が必要不可欠です。