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熊谷登喜夫現役時代の活動や評価について教えて下さい
熊谷登喜夫の古着を集めている者です。 無駄のないシンプルなデザインに陶酔しています。彼についての知識が貧弱なので、現役時代の活動や業界での評価、人物像にについてなんでも構いませんので情報を提供してください。
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- montuki
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CUE009さんの補足になると思いますm(__)m CUE009さんの説明は素晴らしい内容ですね!感激します(^○^) 僕も年齢的にはまった時代だったので、昨年まではスーツ100着位・靴20足程所有 していましたが、ほとんど売却してしまいました(T_T) カラス族の流行った時代にはギャルソンやヨージがよく比較されていた時代だと思いますが、独自の路線で着用者も実際は少なかったし、商品の流通も決して多く無かったと記憶しています。 ですが、古着は程度の良い物からからそれなりの物まで100万都市で展開していたのでまだまだ出てくると思います。 ネットなどで検索されては如何ですか? 及ばずながらお力になれるかと思います(^o^)丿 HOMME_DE_NUIT@EXCITE.CO.JPへご連絡いただけましたらもっと詳細をお伝え出来るかと思いますので、お手数でなければ・・・(^o^)丿
> 熊谷登喜夫の古着を集めている者です。 あっ、いいな~。私も時間が許すなら集めたい。 彼が元気に活躍していた頃、私は20代でした。 その頃の思い出で宜しければ、以下に綴らせて頂きます。 熊谷登喜夫が有名になったのは DCブームの中期~後期で 川久保玲や山本耀司の次の世代のスターだったと思います。 とはいえ耀司より年齢では4つ下なだけ パリ進出はほぼ同時期だったんですけどね。 パリコレに衝撃的デビューを飾った川久保や耀司と違い 熊谷登喜夫は、まず靴で評価された人ですから 少なくとも東京では川久保や耀司ほどのメジャー感はなかったと思う。 DCブームの中期~後期ってのは むしろミラノブランドが大人気だった頃だから ケンゾー、イッセイ、ヨージ、ギャルソン、マツダは別格としても 他のDCブランドが一斉にアルマーニのコピーブランドに成り下がっていた頃 唯一独自性を打ち出していた感がありましたから 熊谷登喜夫ファンっていうと、とてもマニアックだったと思います。 私の感覚的には、デザイン学校の生徒あたりに支持されていたかな? でも、ビジネス的にはどうだったんだろう? ショップは都内にあちこちあったんですけどね。 ラインもトキオ・クマガイとオム・ドゥ・ニュイの2つがあったし。 でも、売れ残りが多かった印象がある。 確かイトキンが製造・販売していたと思うんですが その辺がエッジをスポイルしていたような気がしました。 (一時期DOMONをやっていたましたが、その頃はよく知らない。) 人物像は、イッセイやケンゾーの様にメディアに頻出する人ではなかったのですが ブルータスのエッセイか何かで すごく、飄々と軽やかなキャラクターの人だと書いてあった気がする。 どんどん軽くなって、ついに天に昇ってしまった、みたいなことが書いてあったと思う。 一方、松嶋正樹なんかは「僕の書いたデザイン画を、無言で窓から投げ捨てる とても気難しい人だった」と言っていたような記憶があります。 デザインは、仰る通り無駄を嫌う人で とにかくドレープを嫌い、緩みがあったらダーツで削ぎ落としていたそうですね。 彼の靴はまだ流通しているのでしょうか? 久々に見てみたいな。 あと、私は(男ですが)彼のスーツが好きだったんです。 肩幅の広いYライン全盛の頃でしたが 彼のシルエットはチューブラインの 今のロング&リーンに近いバランスですよね。 う~ん、ロングだったけど、リーンではない、もっとシャープだった 印象がある。