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闘龍門とDRAGON GATE
ちょっと古いなしですが、 闘龍門ってなんでDragon Gateになったんですか? ウルティモドラゴンって追い出されたの? 理由を知っている人がいたら教えてください。
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ウラの理由は知りませんが、一応闘龍門を正式に卒業してドラゲーになりました。何故か花やしきで。 やはり校長の現役復帰が一番の理由ではないでしょうか。彼自身 「自分が現役だったら闘龍門は成功しなかっただろう」とインタビューで述べています。 また、闘龍門はきっちり練られたストーリーとテーマのあるキャラクター、他団体との交流を拒む独立した完全パッケージの団体でした。これは成功の大きな要因ですが、反面レスラーを道具として使う事でもあります。 「レスラーが試合設定をトーク中に決める(本来無理な話です)」 「どれだけユニットが変化してもリーダーになれる人間が決まっている」 など、心当たりはあるでしょう? レスラーは欲がないと上に行けません。結局はこうなる運命だったのでしょう。 今、ウルティモ・ドラゴンはメキシコで闘龍門を運営しつつ現役レスラーをやっています。
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- redista
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まあ、だいたい前のお二方の仰るとおりです。 ようするに基本的には、究極龍校長から卒業して、プロレスラー育成学校からプロレス団体へと進化したということでしょう。 現在その校長はアメリカではWWEからTNA、メキシコでは育成学校を続け、日本では初代タイガーマスクのリアル・ジャパンで二代目ザ・タイガーとして、そしてDragon Gateへの流れの中で様々な理由からその流れから離れた選手達を集めたdragon doorを開催しています。
- westcanyon
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一応カタチ上大きな違いは闘龍門がウルティモ「校長」を中心とした学校というスタンスであり、ドラゴンゲートは岡村社長他の下運営される興行団体であると明確に打ち出したことでしょうか。ゆえに♯1さんの言うように闘龍門時代は他団体との交流は初期を除きほぼなかったのです。 もしかしたらその点において軋轢のようなものがありウルティモは出て行った、とも考えられます。またSUWA、TARU、悪冠一色ほかドラゲー転換後急に離脱者が増えたのも謎ですし。加えてウルティモが企画し闘龍門出身者中心に構成されるDragon Doorという興行が行われ、そこで(何の意図かは不明ですが)来客したマグナムTOKYOが追い返されるという事態も起こりました。少なからず内部で何かが起こっていた、ということは考えられますがあくまで予測であり、カタチ上は「ウルティモからの卒業」ということになるんでしょう。 ちなみにドラゲーについては批判ばかりしましたが、新たな若手を多く用いたり他団体とも交流し始めている点など評価できる点もありますし、お台場プロレスのような奇抜な発想も生まれていますので良い点も多いかと思います。
お礼
ありがとうございました。参考になりました。
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