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都会の「ゆとり」「密集化」「人との繋がり」

こんにちは。 私の言う都会とは、政令指令都市、中核市、特例市あたりを指すと思ってください。 1.これからもどんどん人が流れ込んで、パンクすると思いますか? いい方を変えれば、これ以上人が溢れていいと思いますか? 人口密度的にも、凄く苦しそうなイメージを持っています。 日本が狭いから仕方ないのかな? とも思ったりしますが、 都会在住の人からすると、これ以上人はくるな! という気持ちを持っているのかも知りたいです。 2.意外と人と人の繋がりはあるように思うのですが(会社除く)、実際の所どうなのでしょうか? これは「隣に住んでいる人がどんな人が分からない」や、「ご近所さんと分かっていても、道ですれ違っても挨拶なんかしないよ」と友人に言われたからです。 3.人と人の繋がりはどの程度あった方がいいと思いますか? どの程度の付き合いがベストだと思いますか? 4.アンケートを取っているのをみますと、必ずゆとりは「ある」「ない」に分かれているように見られます。 実際私も、是非今の現状を知りたいと思います。 これは社会としてゆとりがあると思うかをお答えください。 できればお住まいの都道府県もしくは、地方名を記載して頂けると助かります。 よろしくお願いいたします。 *********ここから下は私の持論です******** 人が都会へ出て行くのは当然と思いますし、時代の流れだと思います。 ゆとりがない(社会的に)のは、もはや全国同じだとも思いますし、 ゆとりがあるのは、農村部までいかないとないように感じます。 また人との繋がりがないのは、仕方のない事だという現状であり、現状こうなのだからこれでいい人はいいのだろうと思います。 ただ隣にどんな人が住んでいるか分からないというのは、怖い気もします。

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  • rinring
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回答No.1

大阪府大阪市内に住んでます。 1 少子化といわれていますので、パンクはしないと思います。 2 マンション住まいなのですが、私は引っ越したときは一応隣、上下には挨拶に行きましたが、最近引っ越してきた人は挨拶はまったく無いです。単身向けのマンションではありません。単身向けのマンションなら尚更、挨拶はしないでしょう。いつ引っ越してきていつ出て行ったがかわかりません。 3 せめて引っ越してきたときくらいは挨拶は欲しいです。 4 ゆとりはないと思います。ゆとりが無いからこそ、思いやりのない事をする人が多いのだと思います。

u-run
質問者

お礼

最近引っ越しの挨拶をされない方も多いようですね。 単身向けならまだ分からなくもないですが、ファミリー向けですと挨拶くらいはとは思いますね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • huyumi
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回答No.3

こんにちは。 東京都内在住です。 1)パンクするとは思わないです。 都内でも特に若年層が多い地域に住んでいますが、ある程度の期間に 逆に外へと出て行き、また入ってきます。 地方からの上京に関しては特に何も感じません。 2)私の場合は特殊な事情からもご近所付き合いはあります。 アパートの人は、敷地内では挨拶をしています。 但し道で見かけても判らないというのが現実。 3)繋がりはあった方がいいと思っています。 昔のように調味料の貸し借りは無くても、最低限顔見知り、挨拶~会話までは。 災害の時困りますから。 4)個人が人との繋がりについてどう考えているかによるかと。 今は自分の事で精一杯で、人の事を知るには自分の事も教える必要がありますが それを嫌がる人が多いですから。 (個人保護法、本来の意味合いというか範囲を勘違いしている人が多そう) 世間がそうなっているので昔より世知辛くなっているんだなと思いますよ。 なので答えとしては「心のうちでゆとりはない」の割合が高いと思います。

u-run
質問者

お礼

今がピークといった感じですね。 私も災害の時は、誰がいなくなったか分からないと言うことが起こらないかという心配があります。 回答ありがとうございました。

noname#49694
noname#49694
回答No.2

1. 都市化と過疎化  これは実態的に進んだことは確かでしょうが、パンクなどということはありえないと思います。田舎が何らかの災害などで住めなくなったなどの要因がない限り・・・今は定年後の都市から田舎への逆流も起こっていますから、その意味で市場社会はうまくバランスを保つように思えます。人は来るなとは思いません。 2. 都市と農村における社会関係の変質  都市と農村はしばしば人間関係の変質を読み解く対比手段です。それは今でもいわれるように、農村が共同体を形成し、都市がそれを失った・・・という議論です。これは必ずしも嘘ではないのですが、少し単純すぎます。確かにご近所関係などの田舎的親密さは、都市においては喪失しています。この主因は、人の流動性があまりに高すぎるからです。  人の流動性とは、通勤、引っ越し、買い物など、都市における移動は農村のそれをはるかに凌駕します。そのため、都市は匿名性による人間関係を作り上げています。つまり、市場関係といわれるものです。市場関係とは、スーパーの店員とあなたの関係です。そこには確かに社会関係があるが、親密さはない。そういった関係が中心となっている、それが都市です。この匿名性にあまりに慣れすぎると、田舎的親密さは必要なくなります。 ですから、ある人は「都市の空気は人を自由にする」と肯定的に述べています。 3. 人と人の結びつき  これは難しい問題です。市場社会において、とりわけ都市においては匿名性がその特徴だといいましたが、具体的には大企業が都市を中心に席巻しはじめています。そのために、従来の商店街や小売店などが急速に排除されていっております。そこで現在は、それに抗して、商店街の復活などが議論されています。  1つがエコマネーの存在です。都市の匿名性は着実に田舎にも浸食しつつあり、そのため田舎の人々はますます田舎への愛着を失います。そこへ大企業が入ってくると、便利さが優先され、市場の渦へと巻き込まれていきます。そこで商店街に元々存在した結びつきの強い社会関係を再生しようということになっているのです。  とはいえ、この匿名性はいまや止めることはできません。そこでは新しい社会関係を生むしかありません。1つは、市場関係のさらなる徹底。つまり、多様なサービスへ拡張していくことで、ライフスタイルに必要な社会関係を再構築する。もう1つは、いわゆる各種の市民団体を強化し、新しいコミュニティを創造する。 4. ゆとりがある? ない?  都市と田舎のゆとりというのは、普通は前者がなく、後者があるというでしょう。しかし、都市には田舎にない「自由」があります。それは簡単にいえば、共同体がもっていた拘束力から解放されているということです。それは過去の日本と比較すれば容易に理解できます。もちろん環境が豊かな田舎は、われわれにゆとりを持たせるということができます。しかし、田舎には社会関係が強すぎるために、わたしたち一人一人への拘束力が非常に強くなります。さらに、不思議なことに自殺率は田舎のほうが高いという現状が存在します。  簡潔にいうと、都市は顔の見えない社会、農村は顔のみえる社会ということです。          

u-run
質問者

お礼

確かに逆流現象は起きていますね。 ただ都会の方が田舎にきてのトラブルも非常に増えています。 顔が見えるか見えないか、自由かどうかというあたりですね。 回答ありがとうございました。