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高野文子 『奥村さんちのお茄子』について・・・・(長年の謎)
高野文子さんは、大好きな漫画家で 今まで様々な作品を読んできました。 『棒がいっぽん』に収録されている 『奥村さんちのお茄子』は、 これまで何度か繰り返し読んできたのですが、 何度読んでも、意味がよくわかりません・・・。 203ページの女性は、主人公と同一人物?(違うかもしれませんが) だとしたらなぜ? など疑問が頭をぐるぐる回ります。 この漫画を読んだ方が、どんな感想を持たれたか気になります。 良かったら、ぜひ色々な感想を聞かせて下さい。
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こんにちは。 私も高野文子大好きです。特に好きなのは『おともだち』の「日本のおともだち」、『棒がいっぽん』の「美しき町」「バスで四時に」ですね。 で、「奥村さんちのお茄子」は、私も同じ疑問を永らく抱いておりました。何度読んでも、わからない……。 いま、回答に当たり、読み返してみました。 203ページの女性は、遠久田さんの報告の通り「ユキ子さん 駅前クラブ「パパ」勤務」だと思います。 この話って、報告書を遠久田さんが読むまでは、わかるんですよね。 つまり、インベーダー遠久田さんは、先輩の無実を証明するために、奥村さんの所へやってくる。で、それは一応証明できるけど、そのあとで先輩のうそ(計画の失敗とその隠蔽公作)を遠久田さんはみつけてしまう。 ここで、遠久田さんと先輩の地球へやってきた目的も語られる。 そこで、遠久田さんとしては(もう死んでしまっているけど)先輩のミスをかばうため、奥村さんを助けなきゃいけない(この辺が微妙ですね、先輩のミスをかばうためだけに奥村さんを助けようとしたのか、奥村さん自身にも助かって欲しかったのか、私は、前者に取りますが)。 とにかく、1968年6月6日木曜日の茄子の味を、奥村さんが思い出して、遠久田さんの同僚(?)が確認にきたとき、確かに食べたといわなきゃいけなくなる。 でも、奥村さんは覚えてない、じゃその時間(1968年6月6日木曜日)を、できるかぎり再現することで、これに替えようとするんですね(192-193pの遠久田さんのせりふ、ここと、176-178pの遠久田さんのせりふが、この話の鍵でしょうね)。 で、その「時」、一瞬の「時」をつかまえることに遠久田さんは成功して、報告書をまとめる。と、そういう筋ですよね。 こういう、ちょっとファンタジックな話に、理屈をつけるのも、どうかという感じはしますが、要は、「覚えていようといまいと、ひとは時間の積み重ねの上に生きている(176-178p)」ということと、「ある瞬間を、すべての人は共有している(192-193p)」という、とてもリアルな時間感覚がベースになっている話で、それをこういうストーリーに嵌めこんで読者を引きずり回すという、かなりアクロバティックな方法を高野さんは執っている、と思います。 ただ、私が、引っかかっちゃうのは、最後のシーンです。この漫画は、所々に、家電が出てきて「五分休憩」とかやりますが、「幕」の炊飯器の向こうに、醤油さしと漬け茄子が見えるんですね。そこで、「え? あの醤油さし、誰? あの茄子は?」って思っちゃって、「終わった」っていう感じがしないんです。 もちろん、話のパターンとして、はいめでたしめでたし、じゃつまんないから、さいごにちょっと「?」をなげて終わる、というのがあるのはわかるんですが、この場合、私には、その「?」が強烈過ぎて……。 そう感じることこそ、一見平易でいて、なかなかテクニシャンな高野さんの術中にはまったことになるのかもしれませんが。 どう思います? 私の感想は、こんなとこです。bluexxx963852さんは、どこで引っかかったんですか?
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- d-drop
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こんばんは。#1です。再度失礼。 お礼をいただきありがとうございます。 ちょいと補足を。 この話で、いちばん心にのこるのが 「楽しくてうれしくて ごはんなんかいらないよって時も 悲しくてせつなくて なんにも食べたくないよって時も どっちも六月六日の続きなんですものね ほとんど覚えていないような、あの茄子の その後の話なんですものね」(178p) “時を重ねる”ことへの不思議さ。 と、 「あの三秒間 自分以外の誰かを見てその誰かについて考える うどん三センチ分 ここんとこ ここんとこに あの六人がいて 一瞬一秒同時にそれやったら 奥村さんもきっとあそこで お茄子食べてたことになります」(193p) おなじ“時間”を生きてることは、偶然のようでいて、ほんとは奇跡に近いこと。また、他者へ興味をもったり、共感を抱いたりすることが、その他者の存在証明になる時があるくらい重いものだということ。 ここに、じわーっとくるんですね。 あと、家電の「五分休憩」は、ちょうど話が代るところにありますんで、奥村さんの稼業(電器機器店)にからめた「章」の変わり目、というふうにかるくとらえてました。 >「実は、人間は、これまで経験してきたことの >全てを記憶している。」 これは、私も聞いたことがあります。続きがあって、 「そして、人は、忘れたと思っている記憶に支配されている」 精神分析の考え方ですね。“無意識”に沈んでしまった記憶が重要だという……。 以上、繰り返しのようなことですが、私としては、いちばんだいじな、“どこにどう感動したか”、をいい忘れたように思いましたので、あえて補足します。 『絶対安全剃刀』だと、「ふとん」、「午前10:00の家鴨」、で「うしろあたま」ですね。 以上、蛇足ながら。他の方の意見、私も楽しみです。
お礼
d-dropさん、こんにちは。 感想、とてもよくわかります。 さまざまな人が何でもない一瞬を共有している…。 一瞬の濃密さ…。 私が文章にしてしまうと、ちょっとウエットになってしまうことを 高野さんはカラリと、心に残る漫画にしてくれた。 改めて作者のすごさに気づきます。 d-dropさんのおかげで、この漫画の面白さを発見できたと思います。 もう、だいぶ後ろの方にきてしまったので 他の方の感想を聞くのは難しいかもしれませんが…、 ありがとうございました。
お礼
d-dropさん、感想ありがとうございます! 私も「棒がいっぽん」の中では、 一番好きなのが「バスで四時に」次は「美しき町」です。 その他の作品では、「うしろあたま」「玄関」(絶対安全剃刀)、 「るきさん」、「マヨネーズ」(黄色い本)などが好きです。 話を「奥村さんちのお茄子」に戻しますと… 最初から最後まで、不思議でナゾなお話だなという感想です。 所どころで入る「5分休憩」のコマも「?」だし、 絵柄でショッキングだったのは、 遠久田さんがスポンジを握って洗剤をちゅーっと 飲むシーン…。 私は、今までd-dropさんのような解釈ができず ナゾをナゾとして抱えてきた…。 それでずっと印象に残っている、記憶に残る漫画の ひとつになっているので 作品として成功しているのかもしれないと思いました。 今回の感想を読ませていただいて、 このお話のキモは178pにあるのかなと感じました。 あと、何かの本に、 「実は、人間は、これまで経験してきたことの全てを記憶している。」 とあったのを思い出しました。 「バスで四時に」も、 頭の中をそのまま映像化する、シュールで楽しい作品 ですが、こちらの方はわかりやすいですね。 できれば、いろんな方の感想をもっと聞いてみたいと思います。