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診察を受けるべきか、否や…
精神的にかなり厳しい状況と前々から感じています。 この様な問題は精神科等で診察を受け、投薬等で解決へ向かうことがあると思います。 一方、所謂「人生相談」などで多くの経験者から話を聞いたり、考え方を改めたりして立ち直ったり、踏ん張ったりして解決へ持って行く場合もある思います。 一体、その見極めは何処にあるのでしょうか? 1ヶ月様子を見て、状況が落ち着くのであれば鬱病ではない、という話を聞きますが、それなら私はセーフです。ですが、落ち込むきっかけが、地雷の様にありとあらゆるところにあるので、連続では無いにしろ、殆どの期間厳しい状況です。 仕事や生活、交友関係でも苦痛を感じていますが、直接致命的となる原因(例えば、解雇、降格、失恋、家族の死、経済的な問題)はありません。いや、仕事に関しては上司と極めて険悪な関係ですので、それが原因かも。 兎に角、くつろぐということが出来ません。休みの日でも楽しくありません。「休まなくては、遊ばなくては」という義務感で。出かけなかったことで、「一日無駄にした」と延々悔やんでいます。旅行に出れば、名所を駆けずり回り、「観光のノルマ」を果たすのでヘトヘトです。緊張を緩和させるのにアルコールに依存しています(煙草は9年前に禁煙)。量も増えていますし、途切れのない飲酒も長いので不安です。 診察は受けるべきでしょうか? もし診察の結果、問題が無ければ、私は「病」のせいではなく、本当に「人間の屑」と判定されてしまうことになるのですが。 暫く、そっとしておいてくれ、というのが本音ですが、そうも行かないので、休職、退職も考えています。
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心理カウンセラーをしていました。 ご質問の内容を読んで、診察は受けない方がよいと思いました。私の直感でもありますが、理由を以下に書きます。 >この様な問題は精神科等で診察を受け、解決へ向かうことがあると思います。 一方、「人生相談」などで考え方を改めたりして立ち直ったり、解決へ持って行く場合もある。 一体、その見極めは何処にあるのでしょうか? この部分、質問者さまはたいへん、正しくご自分の状況を把握されてます。 そうなんです、病院で診察を受けるのと、人生相談で解決するのと、どこで区別するのか?賢い人はここまで考えるものです。 残念な事に、多くの人は「うつ病っぽいから」といって精神科や心療内科を受信し、「鬱病です」と診断され、「ああやっぱり」と納得し、そして鬱病の闘病生活を始めてしまうのです。 でも鬱病の診断って、なんだと思います? 心の病気は医師によって診断が違うように、明確な診断法などないのです。 つまり病院にかかるべき、つまり病気であるのか、人生相談で解決できる、つまり病気でないのか、そのボーダーラインははっきりとはないのです。 質問者さまがそれを疑問に思われるのは至極健全な証拠です。 このような場で、病院に行きなさいと勧めることは人道的に正しいとされ、病院に行くなと勧めて万一質問者さまが悪化された場合には、間違ったことを勧めた私は責められます。 だから病院に行くなということはなかなか申し上げにくいことなのです。 けれど現実には、病院に行って診察を受け、鬱病という烙印を押された日から悪化していく人は、たいへん多いのです。 投薬で治るという人もいるでしょう。ただ私個人としては、投薬で鬱病が軽減した人よりも、悪化してどうにもならなくなった人の方が、はるかに多く見ています。 それは薬が合わなかったからだ、と解釈されるのですが、薬が合うまでドクターショッピングを繰り返し、結局合う薬に出会えないという場合の方が多いです。 これは私の勘ですが、質問者さまが投薬を受けても「こんな薬物では私の問題は解決しない」という疑問を持たれると思います。 それは、 >落ち込むきっかけが、地雷の様にありとあらゆるところにあるので、 ・・・・・・・・ >もし診察の結果、問題が無ければ、私は「病」のせいではなく、本当に「人間の屑」と判定されてしまうことになるのですが。 この部分を読んでわかるのですが、このような分析をされること自体がとても、質問者さまはまともな思考を持たれています。 一見、屁理屈のように見えますが、真剣に悩みについて分析した人はこのような理論に到達するものです。 薬物を投与して多少神経が鈍くなって、感情の起伏が緩やかになるなどの効果があるかもしれませんが、「だからといって問題が解決したわけではない」と必ず疑問に思うと思います。それが本当なのです。 質問者さまの分析されるように、診察の結果、病気ではないとしたら要するに自分の「性格」のせいということになり、それが人間の屑ということですよね。 つまりそういうことなんです。薬を飲んでも人間の性格まで変えられるわけではありません。 性格に問題があるというのは、確かに人間の屑のように感じられるかもしれませんが、性格にいいも悪いもないのです。 病気という診断を受けようと受けまいと、問題は自分の性格にあることを自覚し、現実を受け止めた上で対処する方が、私はずっと健全であると思います。 一日を無駄にしないようにとか、旅行のノルマを果たすためにヘトヘトになるというのは、強迫ですね。これは私も悩まされた経験があるのでよくわかります。 これは簡単に克服法などを説明できるものではありませんが、これは地に足をつけて生きている実感とか、自分の存在価値の実感が乏しいために、何かそれを埋めてくれるものを求めてしまうのだと思います。 自分自身をしっかり確立していれば、家で何もせずにぼーっとしていても、何も焦ることもないのです。 大したアドバイスはできませんで申し訳ないです。アルコール依存についても、自分でまだ量が増えててまずいな・・と自覚があるうちは大丈夫なような気もします。まずは自分でコントロールする努力をしてみることです。 もしそれでも危機感を持っておられるのならば、これは専門機関に相談された方がよいと思います。
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- che_guevara
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>結局、精神的な病かどうか、ということは自身で考えるよりも医者に診断して貰ったほうが良い、もしくは自身では判定出来ないということでしょうか? 「ぐるぐる」と同じところで悩んでいるより、さっさと診察を受けたほうがよいと思うのですが?
お礼
度々のご回答ありがとうございます。 そうですよね。一杯一杯の状況になると、同じところを「ぐるぐる」 回っていることが多いです。そうですよね。兎に角、行って見て、 それから考えることも有りですよね。ありがとうございました。
- toby3
- ベストアンサー率22% (18/79)
No.2の者です。 No.7の元心理カウンセラーの方のご意見に我が意を得たりと感じまして、再度書き込み致します。 私の場合、町中の心療内科にて「軽い鬱の疑いあり」という診断で2種類の抗うつ剤を処方されてから、躁鬱症状が激しく出るようになってしまいました。気分のいい時はやたら多弁になり、金銭を浪費する、その一方で気分の悪い時は、テレビも漫画も読めない、ただただ目をつぶって横になっていたい、というように。 医者は躁状態が激しくならないようにと、リーマスという薬を処方しましたが、これがとんでもない薬で、自分を締めつける、押さえ込むような薬で苦しくなってしまいました。結局、自分の判断でリーマスの服用を中止しましたが、中止すればよいと判るまで半年かかりました。 今は抗うつ剤1種だけにして少しはましになりましたが、鬱症状は消えてはいません。なんということか、抗うつ剤の副作用に「手の震え」などの他に「不安」というのがあるのをご存知ですか? 私の経験からは、薬は何も解決してくれない、かえって酷くするだけだとしか思えないのです。 なぜ「町中の」心療内科が薬を処方するか? それは、ずばり薬を処方しないと儲からないからであって、患者のことを考えてのことではない、と私は確信しています。 (大きめの精神科専門の病院は別だと思いますが)
- w0440
- ベストアンサー率5% (2/36)
診察受ける事は大賛成です。話をするだけでも安心が出来るはず。
お礼
ご回答ありがとうございます。 併せてお礼が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。 「話をする」というのは自覚症状を述べるということですか? こういうことで苦しんでいると説明することでしょうか? 対人恐怖的な部分もあるので、権威者(医師)とまともに話を するのも困難かも知れませんが、前向きに考えてみます。 ありがとうございました。
- hoshimineko
- ベストアンサー率13% (132/996)
個人的には、早急に精神科または心療内科に行くことをお勧めいたします。 あなたの現在の状況から察するに、恐らく抗精神薬の類を処方してもらえると思います。また、診断書をもらっての休職も可能だと思います。 ただ、問題はアルコールに依存気味であると言うことです。 抗精神薬に限らず、薬を飲む時にはアルコールは厳禁です。アルコールをやめることができるでしょうか? このことについても、病院で相談すれば、専門医や断酒会のようなものを紹介してもらえるかも知れません。 あなたは決して「人間の屑」ではありませんよ。現に、上記のようにきちんとあなたご自身の状況を自分で理解して、何とかしようとなさっているではありませんか。立派なことですよ。 思い切って、病院に行きましょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅れましたことをお詫び申し上げます。 実はアルコール自体が(別カテとは思いますが)相談の 対象となるべき問題です。でも話が拡散するだけなので。 多分一定期間、連日飲むことは止められるとは思いますが、 何かのきっかけで飲み始めたら崩壊。ルイ=マルの映画 「鬼火」のように。 皆さん色々励ましてくれて大変に嬉しくありがたく思いますが、 「病」でなければ、こんな恵まれた時代の、恵まれた国に生まれ 育って、(私の場合)恵まれた環境にいて、それでいて、まともに 生活も出来ない(詳細は略)のは、やっぱり「人間の屑」と思います よね。 と書きながら、おかしい、と分かるし、第三者が同じ相談を 寄せて来たら、矛盾点を論破し、慰めることも出来ると思うのですが 自分には適用出来ません。ありがとうございました。
- hitoriop
- ベストアンサー率24% (34/140)
GONGさんの質問を拝見していると、非常に生真面目な方なのかな、と言う印象を受けます。 おそらく、仕事の愚痴を友達に話す、なんてことはもってのほかなのではないでしょうか?良く、「愚痴をこぼす」、ことはネガティブなイメージがありますが、これだけで随分気持ちがすっきりするものです。精神的に行き詰る、というのは、気持ちの行き場がなくなってしまう状態だと思うのですが、愚痴は、その良いはけ口になり、場合によっては非常に重要であるとさえ私は考えています。 もし、愚痴の言えるような家族や友達がいたら、思いっきり愚痴をぶちまけるとすっきりするものです。もし、そういう相手がいない場合は、プロのカウンセリング(それが、いわゆる心療内科のクリニックなどになるのではないかと思うのですが)に相談すると随分楽になるのではと思います。予約制で、個人に一時間くらい時間をかけてくれるところが良いと思います。 大体初診料は一万円前後では、と思いますが、事前に聞いておくと良いでしょう。 拝見した感じでは、GONGさんは、明らかな病気というよりは、ストレスから来る症状で、そのはけ口の見つけ方に問題があるのかも知れない、と言う印象を受けます。もし、そうだとしても(はっきりと病気だと断言されなかったとしても)それは、人間の屑という事にはまったくなりません。ストレスの多い、今の世の中、同じような悩みを持つ人は結構たくさんいるのではないかと思います。自分だけが、と思わずに、もう少し、気持ちを楽に持って、自信を持ってください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 併せてお礼が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。 ( ANo.3の方にお礼が遅れたお詫びの一文が抜けていたことに 気付きました。気を悪くされませんように。申し訳ございませんでした。) 確かに家族や友人に愚痴を言うこともあります。でも…愚痴って 聞かされた方も迷惑。言った後は大変恥ずかしい、申し訳ない気分に なります。言わないようにしています。が、その反動か独り言が 増えました。 内容はかなりドロドロです。 「嫌だ嫌だ嫌だ」「駄目だ駄目だ駄目だ」(何故か3リフレイン) 「早く死ねば良いんだ。」(どうせ死なないけれど) これがマイナスの自己暗示になっていることは分かるが止められません。 ※ストレスを発散するとことについて意識しているのですが、それが 自身の中で『義務』化しているので、相談のところで申し上げた様に 「何処にも出かけなかった」「一日を無駄にした」という展開になる です。 ありがとうございました。
- QOK
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そうですよ!#1さんが早速あなたに御返事したように みんな同じことで苦しんでます。 でもいまのその気持ちを少しでも楽にするために精神内科とか ストレスケアとかで処方されるお薬でそのちょっとの気持ちが 楽になるのではと思います。 私自身、そんな看板の病院へ行くことは屈辱でしたが、家族に 多大の迷惑をかけていたことを知って、今までの妻や娘からは聞いたことがないほど訴えられたとき、理由はさておき、不安定な自分が 例えば思い詰めて人様を傷つけてはとの最後の?人間性で受診しました。 1週間ほどで確かにうつうつ、ぐずぐずしていた気持ちは少し楽になり 医師や家族との会話が増えて、少しずつ考え方が変わってきています。 まじめなお方だと思います。伝わります。 でも、まだまだ捨ててはいけないあなたの人間性を維持、進展されるために ぜひ、受診処方受けてください。 このサイトでは医師でもないものが、カウンセラー出もないものが うんぬんすることは禁止されていますが同じ悩みを持つもの同士、体験に 耳を傾ける、あるいは吐露することは許されるのでは? きっとみんな御返事してくれますよ。 一歩、前に出ませんか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 失礼を承知の上で申し上げますが、私としてはいっそ「病」の方が 楽なのです。「あー、やっぱり病気のせいだったのか」と思うことが 出来ますからね。それに治療を委ねることが出来るし。 職場の近くにその手のクリニックがあるので、(診察を受けるという 姿勢で)前向きに(?)考えてみます。
- toby3
- ベストアンサー率22% (18/79)
アルバート・エリスの心理療法で「論理療法」というものがあります。「認知行動療法」の基礎になっているものだそうです。(会社の健保冊子からの受け売り) ある出来事(例えば「自分の意見が否定された」)に対し、不合理な思い込みをすると(例えば「私はすべての人から認められなければならない」)、結果湧き出る感情は「怒り」になりますよね。 一方、合理的な思い込みができると(例えば「すべての人から認められるなんてあり得ない」と考えることができれば)、「いやーな気持ちは残るけど、まあいいか」と受け止めることができます。こんなことのようです。(受け売り (^_^;) > いや、仕事に関しては上司と極めて険悪な関係ですので、それが原因かも。 これは気持ちが重たいですよね、毎日のように顔を合わせるのですから。 > 出かけなかったことで、「一日無駄にした」と延々悔やんでいます。 これは体が疲れていて、休養が必要だったんですよ。休養は無駄ではありません。休養は誰にも必要です。 > 旅行に出れば、名所を駆けずり回り、「観光のノルマ」を果たすのでヘトヘトです。 のんびりするために旅行をするんだと考えられるとよいのですが。 文章を読ませていただいた限りでは、マイナス思考のループに陥っているように感じました。 > 診察は受けるべきでしょうか? 診察よりもカウンセリングの方がよいのではないでしょうか?薬に依存するのはなるべく避けた方が賢明だと私は思っています。 > もし診察の結果、問題が無ければ、私は「病」のせいではなく、本当に「人間の屑」と判定されてしまうことになるのですが。 そんなことはありません。貴方のような繊細な人は「人間の屑」ではありません。少しでもプラス思考ができるようになると変わってくると信じたいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 (お礼が遅くなって申し訳ございません) 「論理療法」に関しては、ずいぶん以前に新書レベルの本で読んだ ことがあります(が、多分読みかけで終わった)。 説明するのが難しいのですが、理屈では分ったとしても、 それだから呪縛から解き放たれるのかというと、そうではないのですね。 論理療法ではありませんが… 兎に角、自分を言い聞かせる訳です。自分自身が傷付いたり、 落ち込んだりする『地雷』を踏むたびに。 例えば他人から「軽蔑、敵意」のある言動を感じ取った場合、 「この人には余裕が無いんだ。誰だって上手くいっているときは 良い人なんだ。イライラして誰かに当たりだけなんだ」と 意識的に言い聞かせるのです。でもだからといって傷付かない訳では ありません。大体とっさにそうは思えません。びっくりして、 傷付いて、時間をおいて、それでやっとです。損傷をある程度食い止める のがやっとです。 自身がそれ以上「落ち込まない」ように、懸命に論理的な状況説明を 意識的に行っている場合、『意識的』な分だけ効果は少ないと言わざるを 得ません。無意識にそれが出来て、仮に上記の様なケースでも 「何言ってんの」と流せるようであれば良いのですが。 ありがとうございました。
- che_guevara
- ベストアンサー率17% (44/251)
>診察は受けるべきでしょうか? お気軽にお近くの「心療内科」などを受信されては、いかがでしょうか? >もし診察の結果、問題が無ければ、私は「病」のせいではなく、本当に「人間の屑」と判定されてしまうことになるのですが。 問題が無ければそれはそれでいいじゃないですか? なんで、「人間の屑」などと卑下なさることがありますか? >暫く、そっとしておいてくれ、というのが本音ですが、そうも行かないので、休職、退職も考えています。 それならば、きちんと診察を受けて(必要があれば)診断書をもらって休職されてはいかがでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってすみません。実は何度も何度も書いては消し、 書いては消しの繰り返しで、これも5回目の入力です。 結局、精神的な病かどうか、ということは自身で考えるよりも 医者に診断して貰ったほうが良い、もしくは自身では判定出来ない ということでしょうか? 私はいっそ病気と診断された方が楽なのですが。 すみません。まとまりのある文章が書けません。 簡単に「休職」と書きましたが実際は困難だと思います。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 忙しい日々が続き、なかなかお礼を申し上げることが出来ませんでした。 お詫び申し上げます。 私の相談のポイントを、実に的確に捉えていたので驚きました。 診察はまだ受けていません。これから行くかどうかは、 まだ決めていません。もう少し考えようといます。 ありがとうございました。