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空手はいかにして日本化されたか?
型の名残からもわかるように、空手というのは元々中国から伝わってきました。しかしながら、沖縄に伝わってきた過程で完全に日本独自の武道として体系づけられたとどこかで読みました。 どなたか、なぜ空手が日本独自のものなのか。どういう過程を経て日本化されていったのか。わかる方教えて頂けますでしょうか? また、空手にかかわらず日本の外国文化の摂取能力、咀嚼力などについて詳しい方お教えいただけたらと思います。 よろしくお願いします。
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洪家拳を学んでいる者です。 中国から渡ってきた武術について。 一般に中国から伝わってきたのが少林拳って言われていますが、 厳密に言うとこれは間違い。一般に言う少林拳は嵩山少林寺の 武術を言います。が、ここで困った事が一つ?(かな?) 少林寺は南方にもう一つ有った(っと言う伝説。でもその 寺の跡地も見つかってるから伝説ではないのかもしれない) と言う説。で、嵩山が北方に有る事から嵩山にある武術を 北派少林拳。南方を南派少林拳と呼びます。 でこのうちの南派少林拳の洪家・鶴が沖縄に伝わったのでは? って言われていますが、私は疑問に思っています。 もっとも誰もこの二つが伝わったって限定している人が いる訳では有りませんが。 本題です。中国武術において大きく分けて外家拳・内家拳に 分かれて、それぞれ外家拳=少林拳(南北)内家拳=太極・形意・ 八卦のように言われて太極・形意・八卦意外の武術が少林拳の 総称で区切られてしまうときが有ります。=少林寺に関係ない 武術も少林拳にくくられてしまう事が有るって事です。 だもので、本当に少林拳かどうかまでは解りません。 (特徴が似てるからかもって事です)だもので、中国から伝わった 武術があったの認識が一番正確かと思われます。 中国から伝わったものが『手』と思いましたが、ここから先は 他の人が詳しいはずですのでそちらを参考にしてください。
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- No3-A
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14世紀の初め頃、沖縄は明と貿易を行っていたわけですが、 この頃に、武器、武術(少林拳)が渡ってきたと言われています。 少林拳なので、武器の使用方法も込みですね。 沖縄では歴史上2回の禁武政策が行われており、 武器の使用に制限がかかったことから、徒手空拳の技が発達したと 思われます。 ただし、武器の技はその後も継承されているので、 一概にそうと言い切れませんが、影響はあったでしょう。 この頃の武術は門外不出で研鑚を積むものであったため、 武術家による独自性というものが生まれてくるわけですが、 まだ、沖縄だけのものであったので、 日本独自とは言えないと思います。沖縄、日本に属していなかったですし。。 沖縄の風土や、沖縄の血統に育まれた独自性はあると思いますが、 個人や、その流派独自の時代ではないでしょうか。 19世紀の末頃になると沖縄で学校教育に「唐手(とうてい)」が 取り入れられたりするなど鍛錬の手段として一般的なものになっていきます。 (手を習っている子供の体格が良かったからという話もあります。) その後、本土に紹介され「空手(道)」になり沖縄の流派にあった型を 空手の型として組織が形成され日本全土、国外にひろまっていくわけです。 これには当時の富国強兵の政策も絡んでいると思います。 空手道の道は武士道の道であり、教育目的の精神性(武家社会の精神)が 強調されています。 ただ、武士道も基盤は儒教なので、どこまで独自かというとわかりませんが。。。 このあたりから、日本独自となっていくのではないでしょうか。 この流れの空手(道)は、一般化したが故にスポーツ化が強まり、 その意味でも本来の中国武術と異なる独自性があると言えるでしょう。 また、その流れを嫌がる空手家の方々は 格闘技として欧米の体の大きい空手家と闘う上で(闘うフィールドによって 多少異なりますが)パワーよりスピードという日本流の空手を作り上げている と思います。
お礼
詳しい説明をありがとうございます。 私自身、空手をやっていたこともあるのですが、「空手は中国のまねだ」みたいにいわれるのにどうも反発を感じてしまいます。しかし、相手を十分に納得させるように反論もできないし。やっぱりでも、空手は日本独自のものだと思います。 日本は海外のものをうまく取り入れて、それを発展させていくのが非常に得意な民族でした。鉄砲なんかもそうだと思います。 剣や柔が武道としての性格をまだ持っていた頃、日本的であったように空手もいつからか日本的になりそれがまた、近代スポーツへと発展(堕落?)していったのだと思います。 空手が儒教化していったところから日本化が始まったというご意見でしたが、中国は儒教の本場だったのでむしろ琉球に入ってきた時点で儒教の性格をすでに帯びていたのではないでしょうか。 と、いろいろと書きましたが、ありがとうございます。
- Nickleback
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もともとは唐手と呼ばれていました。 唐手とは琉球古来の「手」と中国拳法が融合したものです。今の空手とは違い関節技や投げや武器術まであったそうです。 琉球が薩摩藩に組み込まれ、船越義珍という人物が本土へ紹介した頃は、柔道の下に分類されていたので、差別化のために打撃に特化した「空手」が誕生したようです。 このあたりで、すっかり日本化されていたのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます 空手はどうも、柔道や剣道より格下みたいに扱われていたみたいですね
お礼
ありがとうございます。いろいろとお詳しいのですね。中国武術もいろいろと流派があるようです。 少林寺拳法と少林拳は違うのに、同じと思ってる人が多いというのは以前読んだことがあります。 詳しい情報ありがとうございました。