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塩狩峠について

塩狩峠の感想をお聞かせ下さい。 お願いします。

みんなの回答

  • bultmann2
  • ベストアンサー率100% (2/2)
回答No.4

たしかに感動的な物語だと感じました。しかしそれ以上に、ある意味で危険な物語だと思いました。御参考までに、この「教えて!goo」の「小説『塩狩峠』の事故の状況を教えてください」の私の回答を御覧下さい。日本人は特に、犠牲の死を美化する傾向があります。時代背景も考慮する必要があります。主人公の永野信夫とモデルになった長野政雄さんとが混同されて、クリスチャンというのはかくあるべきものだ、などと誤解されたらいけないと思いました。なぜなら、三浦綾子さんが引用しておられるヨハネ福音書の「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。」の本来の意味は、人間の自己犠牲ではなく、キリストの十字架における犠牲の死を示すものだからです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」という言葉も単純に友情のためには命を捨てるべき時もある、というようなことではなく、その前後の文脈を読めば、キリストが「友」となられた人々のために十字架の死を受け入れたことを意味することがわかります。聖書では、神が求めるのは憐れみであって犠牲ではない、とも言われています。とにかく、この「塩狩峠」の小説を通してクリスチャンは殉教とか犠牲死を尊ぶ人々だと思う人々が出てくるおそれは作者も十分に想定できたはずです。しかし『信徒の友』という雑誌から連載要請が来たので、教会の仲間の藤原氏という人物から、その上司であり教会の先輩にあたる長野政雄氏について知らされていた、その死の出来事を小説にしようと思い立たれたようです。そして小説の主人公の永野信夫とモデルの長野政雄とはまったく別である、というようなことを三浦さんも言ってはおられますが、その正反対のことが『光あるうちに』の中で書かれており、小説の永野信夫と同様に長野政雄氏も自己犠牲の死を遂げられたと断定的に言っておられます。しかしそこには客観的な根拠などないのです。あくまでも小説家の想像力にすぎません。実際、『氷点』で取り上げた洞爺丸沈没事故で他の乗客に自分の救命具をゆずって犠牲の死を遂げたと三浦さんが断言した宣教師は、他の人物の証言によって作られた美談であることが証明されたのです。だから、長野さんの場合も、どこまで小説のような状況だったかは大いに疑わしいです。足を滑らせた事故死の説もあります。とにかく、小説家がいかに本当のことであるかのように書いても、そこには小説家ならではの想像が含まれていることを十分に認識する必要があると思いました。その意味で『塩狩峠』の感想としては、実際にあった出来事を扱っているだけに(三浦さんの作品にはそのようなものが他にもありますが)、しかもキリスト教の「犠牲」という難しいテーマを扱っているだけに、作者にはもっと慎重であってほしかったという思いが一番大きいです。

  • yasureni
  • ベストアンサー率0% (0/6)
回答No.3

この本を読んでクリスチャンになった方も多いと思います。 主人公は「友のために 自分の命を捨てる これほど大きな愛はない」という聖書の言葉を実行された実在の方。 (作者 三浦綾子さんの意図とは違っているかもしれません。違っていたらお許しください。) 私は主人公が列車の下にとっさに降りたのは 「愛」という問題ではなく何か大きな「力」がそういう行動を起こしたと 考えています。自分自身 その「力」について考えています。。 主人公は今の愛知県で生まれたそうです。 私も愛知県出身ですので ますます興味があります。

  • nach-hus
  • ベストアンサー率38% (30/78)
回答No.2

塩狩峠は何年か前に読みました。 まじめで堅くて文章の多い小説ですが… 主人公の純粋さ誠実さに心を打たれました。 最後はほんと、感動して泣いてしまいました。

  • tera2002
  • ベストアンサー率17% (98/561)
回答No.1

この本にかかわらず、この作者の本を読むと自分の魂が汚れちまったなあと思います。 人間はこうも高い精神世界、魂を持つこともできるのですね。 人間の心ほど、神と悪魔の間に漂うものはないと思います。 みんなが読むとよい本ですね

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