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いじめの基準
いじめの基準ってそもそも何処からでしょうか? 検索をかけてみると 「いじめられた側がいじめられたと思っているなら、それはいじめである」 という回答が載ってますが、 それは本当に究極的な回答だと思います。 何処に行ってもいじめを受ける人は それなりに理由があるんだと思うんです。 けれど友達と話題にすると、奇妙なほどみんな 「自分はいじめにあったことがある」 という経験を持っています。 じゃあ重度のいじめも軽度のいじめも みんなそっくり「いじめ」なのか、というのがわかりません。 どなたかご回答お願いします。
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僕の定義としては、 「同一人物(複数も)から継続的、断続的に耐え難い苦痛を与えられること」 といったところです。 肉体的苦痛は客観的に判断できることが多いですが、 精神的な苦痛についてはあくまでも主観的問題であるため、 その判断が曖昧になるということは避けられないと思います。 手軽に脳波でも計測できればいいんですがw 「いじめ」という言葉も使われすぎて 意味が広くなりすぎてるように思いますね。 友達同士でふざけて叩いただけなのに「いじめだー」といってみたり。 そのせいで、「いじめ」という言葉に対応する事象が 多くなりすぎてるのではないのでしょうか。 ではどうすればいいかといえば、「いじめ」をさらに分類する言葉を 作るのがよい解説策ではないかと思います。 思いついたままの乱文ごめんなさい 参考URLにひとつ「いじめの基準」が載っています。
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- corundum
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私は残念ながら「いじめ」を無くす方法は判らないままです。 さて、子供はどうして集団を作り行動を共にしたがると思います? 個体の子供は大人に比べ大変弱い存在です。 ですから、小魚が魚群となる如く集団を形成するのです。 ここまでなら良いのですが・・・ いくつかの集団が出来ると、その集団に属さない子が必ず居ます。 集団の雰囲気に馴染めないのでしょうか理由は様々です。 また、集団の中からあぶれる子が出てきます。 大抵はその集団の共通項の少ない子です。 つまり、他の人に比べて太っている・痩せている・背が低い、高い・ホクロが多い・肌が白い、黒い・話し方が違う・理解の仕方が異なる・etc.etc. お分かりですね、これらが「いじめられっ子」です。 では何故攻撃が始まるのでしょうか? 先程も述べた通り、子供は弱い存在です。 だから弱者を攻撃することで、相対的に自分が強いという精神の安定を図るのです。 最初は冗談から始まるのでしょう。 その子が冗談で返す事が出来なかった場合、妙な雰囲気が支配し始めます。 後は集団心理のエスカレートが始まって、「いじめ」の構図の出来上がり。 その状況の程度が軽いか重いかでしょう。 重度の場合、いじめる側の人は集団から自分が脱落しない為に攻撃を継続するようになります。 攻撃または異物の排斥は快感でもありますし。 精神的攻撃が一番たち悪いですね。 現在の法律は内面を規定していないし、出来ないからです。 証拠が残らない物は最初から無かったと言えますしね。 結局、いじめられる人はそういう個性を持っているので、どこに行ってもいじめられるでしょう。 いじめられない為には、「最初の冗談」を上手く切り返す知恵(社交性)を身に付けるか、集団の尻馬に乗って誰かをいじめるかです。 三人寄れば文殊の知恵どころか、派閥の始まり。
お礼
集団の共通項、のお話を読んで、いじめはもしかして日本のような集団欲の強い民族ほど強く起こりうるものなのかな、と思いました。もしいじめをよく受けた経験をもつ人が、個人性を尊重する環境に生まれていたらどうなっていたのでしょうか。やはり子供の防衛本能にのっとって、あまり万国差異の無い結果が出てしまうんでしょうか・・・難しいです。以前話題になったのですが、単独間におけるいじめは「いじめ」になるのでしょうか?いじめといえば集団が基本です。けれど姑からのいびり(=いじめ)というものも確かに存在します。 いじめ、という問題は本当に深くて難しいですね。
- E-1077
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>>重度のいじめも軽度のいじめもみんなそっくり「いじめ」なのか、 「いじめ」だと思いますよ。 あまりにも大雑把すぎると言いたいのでしょうか? >>けれど現実には存在してしまい、どうすれば「いじめ」を失くすことが出来るか?という議論をよく見かけてしまうのは残念なことです。 ここが解らない。 イジメをなくすためという目的で議論するのは無意味だと言うこと? いじめを受けた人はいかに自分が受けたいじめは酷かったかと語り、今でもつらい事を話し、同情はされたくないし、して貰ってもその時間は戻ってこないと言い、いじめた人を恨んでも恨みきれないほど、憎んでいる。 でも、結構いじめた人側も「いじめられていた」と言ったりもする。だからいじめられていない人は少ないと思うのだろうか?まれに100%いじめられていて100%いじめた人もいるだろう。そんな人は何を考えているのか? いじめの定義・基準なんかないですよ。そんなのを決める方がおかしい。法律的に何処まで行けばいじめと認定されるか何て決めることなんか出来ませんよね。 それこそ恐ろしいことになりますよ。 片親であるがためにいじめを受けていて、ある日いじめた方が離婚して片親になった・・・・。彼女は謝ってきたけれど、その時「自業自得」と言い返したら彼女に対する「いじめ」が行われたと、逆に言われてしまう。 正当防衛は出来ませんよ。悲しいことだけどね。 やり返せないんだ。だからつらい。 精神的攻撃も物理的肉体的攻撃も重さは同じですよ。計れない分精神的な方が大きいと思いたいけれどね。 自分がいじめを受けていたと言い出せない人もいるんですよ。恥ずかしいとね。自分はかわいそうじゃないと思いたい。大丈夫だと思いたい。親や兄弟にいじめを受けていると知られたくない。教師にも誰にもだ。簡単に話せる事じゃないんですよ。
お礼
「>>けれど現実には存在してしまい、どうすれば「いじめ」を失くすことが出来るか?という議論をよく見かけてしまうのは残念なことです。 ここが解らない。イジメをなくすためという目的で議論するのは無意味だと言うこと?」 これは、いじめがあってはならないことであるにも関わらず実際起こってしまっていて、それが問題になってしまってることに悲しさを感じているのです。いじめが無ければこんな議題すら浮上しないはずです。無いものに対しては論議など存在しないはずですから。いじめに対する議題が無い=いじめ自体がない、そんな理想を抱いてる始末であります。 いじめには定義も基準もないかもしれません。しかし、「いじめ」という言葉ひとくくりで背景にどんなことがあったか、その人の性格はどうなのか、その全てをひとくくりの言葉で収められているのは何故なのか、と思うのです
- feelmysoul
- ベストアンサー率28% (51/176)
「いじめられた側がいじめられたと思っているなら、それはいじめである」 ↑その通りだと思います。 人の心って、見えません。 例えば、友人から「馬鹿だねー」と言われても、気にする人と気にしない人がいます。 気にする人は、言われる続けると心の傷になるでしょう。 それでイジメと思うなら、それはイジメだと思います。 私は小学校2年生の時に、友達と遊んでいて 「死になよ」と走っている車の前に出されました。 友人は勿論冗談で、服を握っていて引っ張り返しましたけれど。子供って残酷ですね。 私は今でも覚えているんです。相手は覚えていないでしょうね。 犯罪に軽い重いが無い様に、イジメにも軽いも重いもないと思います。 その人がどれだけ傷ついたか。だと思いますよ。 私は小中と男子にイジメられました。 理由は「メガネ・癖毛・不細工」どれも自分で解決できないことです(メガネはその時の技術ではコンタクトに出来なかったんです。弱視なので) 癖毛は、ストレートパーマをかけても1週間で落ちました。それも、イジメの原因になりました。 不細工は・・・・・・今なら「外見しか見れない貴方方の心が汚いんじゃなくて?/ニッコリ」と言い返すでしょうけれど。あの時はそんな強さなんて無かったんです。 小中と、私はとても明るい子でしたよ。けれど、明かるい反面、いつも死ぬことばかり考えていました。 学校の窓から飛び降りれば、イジメをする人間は後悔するかしら?とか。 とにかく、イジメに軽いも重いもない。 イジメを受けた人が、どれだけ傷ついたかだ。 というのが私の意見です。
お礼
有難う御座います。 どれだけ傷ついたか、という精神的なものは 外からは全く見えなくて、 その度合いを知らせるには自殺や殺害という 悲劇的結果しかないのでしょうか・・・ 将来精神の傷の深さを測る道具、というものが 生まれたら、と考える今日この頃であります。 実際そんな道具があったら今度はどんな世の中になってしまうんでしょうかね。
>「いじめられた側がいじめられたと思っているなら、それはいじめである」 大筋では正しいと思いますが、客観的判断にもとづいていないと被害妄想となってしまう事もあると思います。 >それなりに理由があるんだと思うんです。 いじめられる理由はあると思いますが、だからと言って、いじめを正当化できるものではありません。 正当化できるとしたら、いじめに対していじめ返すくらいでしょう。 >みんなそっくり「いじめ」なのか、というのがわかりません。 犯罪行為も「いじめ」と呼んでしまっている事が間違いでしょうね。暴行や窃盗なども「いじめ」と呼ばれているように思います。 本来、犯罪と断定できない種類のものだけを「いじめ」と呼ぶべきです。
お礼
ありがとうございます。 「客観的判断にもとづいていないと被害妄想となってしまう事もある」というのはとても為になる意見でした。 同じくいじめを正当化してもいい、というのは無いと思います。 けれど現実には存在してしまい、どうすれば「いじめ」を失くすことが出来るか? という議論をよく見かけてしまうのは残念なことです。
- luune21
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>「いじめられた側がいじめられたと思っているなら、それはいじめである」 その通りでしょう。他にはありません。 この前提をなくすと、セクハラ・パワハラ・レイプ・DVなどの問題すべてを曖昧にしてしまいます。 ※夫になぐられた女性が警察に届ける。夫の「だって、この女が・・・」という理由次第で民事不介入や情状酌量(無罪)となってきたのはもう過去のことにしなくてはいけないのではないでしょうか? もちろん学校や家庭では「理由」も"別枠"で考慮し対処する必要はあります。 >じゃあ重度のいじめも軽度のいじめもみんなそっくり「いじめ」なのか 「いじめ」です。ただ軽重があるのみです。
お礼
「いじめ」が軽重あれど、全て同じ「いじめ」という言葉で一くくりにされてしまうのは寂しいものですね。 一時のみ行った「いじめ」(その後いつの間にか仲直りをしていた)という話と、 年中集団的に無視され続け、登校拒否に陥ってしまう話と、 そのどちらもが同じ土俵で現されてしまうのは いかなものだろうか、と考えて質問した始末なのです。
- tatsu01
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>何処に行ってもいじめを受ける人は それなりに理由があるんだと思うんです。 いじめても良い理由って何ですか?
お礼
ありませんね。 無いけれど実際に発生してる事象です。 それを複数回記録してる人は 一体何故でしょうか?
- omen_riderman
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複数人で一人をいじめるのは立派な「いじめ」でしょう。 いじめられる側に問題があるというのは 加害者の逃げの論理でしかありません。 そこに正当性はほとんどありません。 所詮加害者というのはこういう発想しかできないので いじめられている側はきっちり反撃するべきでしょうね。 場合によっては武器を使ってでも抵抗して 主犯格を病院送りにするか半殺しにでもすべきでしょう。 まぁ大体タイマン勝負できないような弱虫だから 徒党を組んで一人をいじめるんでしょう。 そういうお馬鹿を一人二人病院送りにしたところで それは正当防衛なので、全く問題になりませんね。
お礼
残念ながら、もしもいじめの方法が「精神攻撃」のみであれば こちらが物理反撃を行った時点で こちら側が加害者になってしまうと思います。 万が一殺してしまえば、書類送検されるのはこちらなのです。 私は中学生の時部活動でいじめを受けていて、 けれど机に落書きがあったり、無視をされたりといった精神攻撃が主でした。 物理攻撃があったとしても「あら、ごめんなさい」といった「うっかり攻撃」が主なので こちらには物理反撃をしてもいいような明確な理由が存在しないのです。 (「そんなことしてません」と加害者に言われたらおしまいです) 反撃が出来ない状況であったら、一体いかにして正当防衛を行うべきでしょうか。
お礼
「いじめ」をさらに分類する言葉を作る、 という意見は確かにそうだなぁ、と思いました。 参考URLのご提供有難う御座います、 後程伺ってみます。