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護送船団方式の意味

教育のカテにするべきだったでしょうか。日本史の現代及び政経の勉強です。 戦後の驚異的な経済復興に向け、政府が取った方針だとは知っていますが中身については良く分かっていません。   よろしくお願いします。

みんなの回答

  • ZeroFight
  • ベストアンサー率15% (30/189)
回答No.7

6の方のおっしゃるとおりだと思います。こういう誤解が出てきたのは、傾斜生産方式と、護送船団方式を意図的に混同させようとしている人たちがいるからではないかと思います。 傾斜生産方式は、戦争直後に、重工業を優先的に育てようとした政策で、昭和20年代までは効果はあったと思います。 護送船団方式は、業界保護と、高級官僚の天下り先を見付けるためのものに過ぎず、完全なマイナスだったと言っていいと思います。

noname#61040
質問者

お礼

皆様ご回答ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

護送船団方式が戦後の驚異的な経済復興をもたらしたというのは役人の手前味噌ですね。実際は、護送船団方式はインフラの整備などには役立ちましたが、経済の活性化には後ろ向きでしたね。事実、護送船団で守られた企業は今や存在を危うくしている企業ですね。 戦後大きくなった企業、ソニーや本田などの現在の優良企業は、当時ごみのような扱いを受けたのですね。だから、米国やヨーロッパに進出し成功を収め、現在の技術貿易立国の核となれたのですね。今も昔も社会主義的な政策が経済の活性化にそれほど成功するものではありません。

  • fortranxp
  • ベストアンサー率26% (181/684)
回答No.5

太平洋戦争中の戦艦(3万トン以上)、巡洋艦(5千トン以上),駆逐艦(2千トン以上)に譬えているのでしょう。 大プロジェクトは大企業が担当し中規模では中企業に というように規模の大きさによって役割分担を決めて いる。このように大中小の規模ごとに分けて産業の 育成指導してきた通産省の役割には大きかったのです そして資金効率のよい収益が得られました。 逆にいえば全て右にならえ方式で深く検討を重ねる事 もなく何も知らない状態で来てしまったのでシステム そのものが既に制度的に老朽化していることに気がつ かなったのでした。 そしてシステムが破綻状態になったとき中小規模であれば新しく作り直せばよいが大企業となるとそうも行かず結局システムの再構築に膨大な資金と時間と人的 損失を伴ってしまったのでした。決して社員のせいではありません。

  • pastorius
  • ベストアンサー率48% (538/1110)
回答No.4

参考URLの本がなかなか面白かったので読んでみて下さい。中古290円です。 ちょっと古い本なのでうろ覚えですが、護送船団とは何ぞや、といったことまでは書いてなかったと思います。具体的なイメージは沸くんじゃないかと思います。 まず、日本は戦争に負けて金融も産業もボロボロになりました。 国としてそこから復興するときに、民主主義なんですけど、民間の競争原則によって復興したんじゃない。国会(政)と行政(官)と財界と産業界とが、一丸になって、産業にお金が向くように仕向けた。このような全体構造のことを、護送船団と言ってます。 個人投資家が株に投資することを直接金融と言います。一般の人が銀行に預金して、銀行がお金を必要としている人にお金を貸すのが間接金融です。間接金融を国を挙げて推奨して、官が金融を事実上掌握して、どこにどういう風にお金を回すのかという枠組みをコントロールしていたんです。必要なところにお金が回るようにした。それに産業も応えて、世界市場で競争できる素晴らしい商品を作っていった。 戦後の復興期から経済大国と言われるほどになるまでの間はこういった方法は全体としては非常に有効に機能した。しかしご存知のように、方法論としては破綻してます。今同じことをやっても機能しないと思います。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406208418X/qid=1121916469/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-3088888-3901840
  • okozyo
  • ベストアンサー率29% (37/125)
回答No.3

文字通り、経済発展(←護送)のために一致団結(←船団)して行きましょうという方法で日本経済は発展しました。 元々、鎖国政策、財閥など昔から日本は「日本守って攻める」「個より集団」という感じでした。戦後の経済発展する際に最も効果的な(なじみやすい?)方法として取り入れたのではないかと。 護送船団方式の主な中身はメーンバンクと持合株でしょう。企業の株をみんなで持合、外部の意見を聞く必要がない。金が必要なら、メーンバンクに土地を担保に借りるという見事なまでの鉄壁をここで引いたわけです。 つい先日のライブドアの日本放送買収報道を見てもわかるとおり、外部の意見にフジテレビも日本放送側も一部政治家もライブドアという外部に対して徹底的に敵視し、フジテレビが圧力で他の日本放送株主にライブドアに株が流れないようにしたあの事件。あれが護送船団方式の内情と見てよろしいかと・・・。 この護送船団方式と日本独自の社会性資本主義(社会主義のなかの資本主義)が日本経済を異常なまでに発展させたと自分は思います。 ただ、余りに鉄壁過ぎて攻めることをしなかったため内部から腐敗していった。そのためアメリカなどの世界から一線を引いていた日本の商法などの諸々の法律が世界基準(アメリカ基準?)の攻撃に耐えられず、あえなく撃沈?となったわけです。 現在の日本のデフレはバブル崩壊という護送船団の鉄壁に穴が開いて、護送船団のデメリットが一気に噴出。と同時に世界にあわせた法律の改正の嵐により今日に至るわけです。 しかし、経済発展にという課題において護送船団方式は、これだけちょこちょこと短期にわたって法律改正でなお、失業率が10%未満なら護送船団方式自体は優秀は方式だったと思います。普通、こんなにしょっちゅう改革されたらロシアのように経済崩壊してもおかしくないですから・・・。 一部主観が入ってしまい申し訳ありません。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.2

護送船団というのはもともと戦時中にUボート(潜水艦)などから商船を守るために行われてきた戦術で、商船が個々に移動すると潜水艦の攻撃に対して脆弱なので何隻かの商船が一団となって(護衛の軍艦もつきますが)航海する方式でした。 ということで個々の商船は速度などの能力は違いますが、船団として航海する場合は速度もいちばん遅い商船にあわせて航海しました。 というわけで、おちこぼれの会社が出ないように個々の企業がいくら能力はあっても勝手に行動せずに、みんな足並みを合わせて企業活動をしていた(政府がさせていた)のが護送船団方式です。

回答No.1

わかりやすく言うと「お手手つないで仲良くいきましょう」ってことです。 同業他社でお互いを助ける為に 競争しないで利益を配分しましょうってことでしょう。 細かく言うと若干違うでしょうが、 そんなイメージで良いのでは?

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