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この先生に出会えてよかった!と思ったこと
世の中には、小中高校、また大学、専門学校、塾、などさまざまな先生がいます。 そんな中で、「この先生のせいで・・・(涙)」とか、「この先生がいたお陰で自分は・・・(感謝)」などや、またはっきり言っちゃえばいなくてもいい先生などいろんな先生がいたことと思います。 今回は、是非、こんな先生がいました、というポジティブな体験談を教えていただきたいと思います。 程度は問いませんので、どんな些細なことでも良いので、よろしくお願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
質問に関心を持って、興味深く皆さんの回答を読ませて頂きましたが、一生の付き合いになったというような回答がなくてちょっとびっくりしました。 他のジャンルの質問には、先生と結婚したなどという回答も結構見受けられますから、珍しいことではないと思いますが、7件の回答に見る限り、いまどきはやはりかなりクールな関係になっているのかなと、改めて思いました。 私は高校生の時に出会ったある科目の先生に、なにかと相談に乗っていただき、少しずつ親しくなって、その先生が寿命をまっとうされるまで、在る期間は年一度の年賀状だけというときもありつつ、年齢の離れた親友のようにいつかお互いに、他の人には言えないようなことまで相談しあうかけがえのない存在になったと思える先生がいました。 私は「私のような生徒は、どの先生にも各学年に一人ぐらいいるのだろう」と思っていたのですが、どうもそうでもないらしく、その先生にとっても、そういう友人関係になった生徒は私一人のようでした。 思いつけば何でもかんでも、幾つになっても、愚問・珍問おかまいなく質問したり、悩みや愚痴やうれしいこと・悲しいことなどを手紙に書いていました。必ず、速攻でお返事を下さるのがその先生のポリシーだったことも、有効に友好を続けることができた所以でしょう。 思い出させてくださった質問に感謝します。
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- rain-drops11
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私には恩師と勝手に呼んでる先生が2人います。私は今大学の数学科に在籍しているのですが、正直数学はそんなに得意では無かったです。しかし高校に入ってから目覚めました。(笑) 1人目は中学・高校とお世話になった塾の数学の先生です。 私は結構わがままな生徒かつ頑固な性格でしたので自分の志望校は曲げないけど何事にも一生懸命突っ走っていました。小中と結構優等生だったので(笑)中学のとき因数分解でこけたときにすっごく落ち込んでしまったのです。そのとき多量の宿題と厳しい言葉で応援してくれた先生が恩師の1人目です。 高校入試失敗して私立高校に行くことになったとき、いつも厳しいことばっかり言う先生が「お前のがんばりは俺が見てきた」って言われて涙が止まらなくなりました。高校でも系列の塾の高校部門にお世話になりその先生にはものすごくいろんな相談に乗ってもらいました。進路の相談から友達とケンカしたこととか。。。センター試験でも大失敗して第一志望の大学に願書を出すが出さないかで迷ったとき背中を押してくれたのはその先生でした。見事第一志望の大学に合格しました。 2人目は高校の数学の先生です。担任もその先生でした。私立高校に進学しました。しかし私は理系志望なのに学校は文系の学校。。。 一生懸命がんばりましたが根がわがままなので不満もいっぱいでまた授業の進め方にも文句を言っていました。そんな私の意見をちゃんと聞いてけんかしてくれる先生でした。私の進路は高校では3.4年に1度の異例だったので先生も私のわがままをいっぱい聞いてくれました。(その分結果を出すためにめちゃがんばりました。)大学受験のときセンターで失敗したとき、第一志望を諦める覚悟を決めてこいとまで言われたのに強情にもE判定の第一志望に出したときも「お前が決めたことやからここからは精一杯応援する!」って言ってくれたし合格がわかった瞬間一番に泣きながら電話したら「俺も泣きそうやわ。。。」って言ってくれる先生でした。いっぱい反発して迷惑かけてしまったけど。。。。 この2人の方がいらっしゃらなかったら私の人生どうなってたかわかりません。今でも大好きな先生です。
お礼
ずっと、疑問だったことの一つでもあったのですが、やはり、文字通り仲のよい関係なら近所のお兄さんでも出来るけど、厳しく、そして節目節目に感動を与えるようなことは、先生しかできないんですよね。 人間として立派、というのも言わずもがなですが、やはりその前に「先生として」立派な人というのが非常に大切だと思いました。 ご回答ありがとうございます(^-^)
補足
皆さんいろんな体験をありがとうございます! いろんな話が聞けて、とてもしあわせです。これからも、世の中にこういった美談が生まれることを祈りつつ、このスレッドを閉めさせていただきたいと思います。 ポイントは、全員に差し上げたいのですが、今回は私の胸にぐぐっと来たものを選ばせてもらいました。 本当にありがとうございました!
- candyheart
- ベストアンサー率15% (7/45)
僕は基本的に教師や学校という システムが嫌いなかなりアナーキー な人間ですが、高3の時の担任は 印象に残っています。 始業式の日いきなり『おまえら死ね!』 とかましたのです。 そのときは何だ?この教師は・・! と面食らって不快もいいとこでしたが、 大学行かなかったやつ&大学行っても 何もしないで過ごしやつは最低10年は 苦労するぞ、それは覚悟しておけ! という言葉が今実際その通りだな・・ と痛感しております。 やはり人生を舐めてると一生 棒に振ることになる。 人生の苦渋・辛酸を舐めたくなければ 努力しろ。それができなければ死ね! そういう意味だったのだと思います。 まさに 『少年老い易く学なりがたし 一寸の光陰も軽んずべからず』 という気持ちで克己していかなくては ならないのだと思います。 卒業式にも出なかった僕にその担任から 僕の留守中家に電話があったそうです。 僕はかけなおしませんでした。 今でも深く後悔しています。
お礼
なるほど。人生についての、先生の考え方・・・とても厳しいですね。 やること(社会から見てやるべきこと)をやらなかった人は、どれぐらい苦労するか、そういう話をできるのも先生なんですね。 苦労した人の言葉には重みがあります。年の功を重ねた人ならなおさらですね。参考になりました。 ご回答ありがとうございました(^-^)
- Hossi-
- ベストアンサー率24% (145/584)
#9です。連続失礼します。他の方の回答を読む前に投稿したので質問の意図には答えていませんね。ごめんなさい 教えて欲しいという生徒にはそれなりのものを与えること、教えて欲しいという希望にこたえてあげること。が大事なのだと思います。 博士号を持っているような先生から見て短大生の論文なんて欠陥だらけでしょう。それでも、つきあってくれた。わたしの教えて欲しいという気持ちにこたえてくれたのだと思います。それがとても嬉しい。 世の中努力に答えてくれない上司、仕事たくさんあります。というか、社会に出れば努力なんて奇麗事です。 せめて、学校にいる間でも学びたいという気持ちに応えてあげることが大切なのではないでしょうか? いちばん簡単だけど、一番大切なことだとおもいます。 教師なのだから教えるのはあたりまえです。 でも、その教えるということすら満足にできない教師にもたくさん出会ってきました。 あたりまえのことがきちんとできる、そんな先生がいいな。
お礼
論文となると、人生の節目ですね。そういったときに、自分の時間を割いて対応してくれる先生。そこには、学校という場に身をおく先生と生徒ではなく、それ以上のものがあるように思えました。 話は変わりますが、努力することって、努力しない人がたくさん周りにいると、しづらいものですよね。 そういった理由から、努力しない生徒も、勉強したくない生徒も多く、残念なことに、自分のルーチンワークとしての仕事と捉えている先生も世の中にはいるのですね。 先生が悪い、生徒が悪い、ということではなく、教える側としては、そういうものに、現実を理解したうえで、悪いところには目をつぶる、その上でわかってほしいことを教える、というのも大事なのかと、勝手に考えてしまいました。よくわからないことですみません(笑) 当たり前+α、そのαってなんだろうとよく考えます。いい先生には、どちらも備わっているのですね。その当たり前の大切さ、感じました。 ありがとうございます(^-^)
- Hossi-
- ベストアンサー率24% (145/584)
短大時代の卒論の指導教諭です。 初めて授業をうけたときからインスピレーションのようなものを感じて、「この先生に近づきたい」とおもい、その先生が顧問の研究会に入ったりと、一生懸命顔を売り込み、2年になる前に、覚えてもらいました。 日本史学科という学科だったのですがその先生の担当の時代が私の一番興味を持っていた時代だったので、迷うことなくその先生の下に行きました。 私自身、調べ事をしたり、レポートを書いたりということは好きなので、その先生の出校日は毎日論文の指導を受けにいきました。そのようなことを嫌う先生もいたのですが、とことん付き合ってくれました。 研究室の前で、授業が終わって帰ってくるのをまってたり、なんてことはほとんど毎日でした。 だからとても目をかけてもらえました。 日本史学科から法律学科に編入しようなんていわば裏切りみたいなことをしているのに背中を押してくれたのもその先生でした。後押しがあって指定校推薦がもらえました。 私も歴史が好きだから、「史学科に編入しないから適当にやってる」と思われるのがいやで卒論を頑張ったのもありました。 そう、思わせてくれる先生です。 その姿と体験から研究者になりたいとおもっています。 卒業して何年も経つのに短大を訪ねると喜んでくれます。 よく見ると特別なエピソードは何もないんですよね。 でも、言葉でうまく表現できないけれど、何かがあるんですよね。 この先生と出会って、自分の一番好きなことも分かりました。進みたい道もきまりました。 先のことは分からないけれど、一生に一度あるかないかの出会いではないかと思っています。
お礼
この先生は何か違う!というのは私も何回も経験しました。Hossi-さんのインスピレーションと私のインスピレーションは恐らく違うものかもしれませんが、能力的に、私の経験のインスピレーションとHossi-さんのそれを重ねることしかできないのが悔しいです(笑) 生徒が能動的に動いたとき、そしてまた先生がそれに応えてくれたとき。何か運命的なものもあったのかもしれませんね。そういうチャンスを大切にできるか、できないか。考えてみると学生時代は一度しかないんですね。 ご回答ありがとうございました(^-^)
- hiro715
- ベストアンサー率31% (120/379)
#5です。 > 生死に関するテーマは、有る意味(おじいさんなどが病院でなくなったりと)リアルな死が遠くなってしまった現代、そしてある意味(ゲームのような)バーチャルな死が身近になった現代には、そういった話は何よりも重要かもしれません。 「生死」という言葉を使っているのに、例に引いた言葉は「死」に関する事だけですね。 「生死」という言葉、「命」という言葉について深く考えてみて下さい。 keydaimonさんは教育者志望のようですね。 灰谷健次郎さんをご存知でしょうか? もし、ご存知でなければ是非、灰谷さんの作品を手当たり次第に読んでみて下さい。 灰谷さんの作品は一教師ではなく、教育者としての実践記録です。 全てが灰谷さんの経験というわけではないでしょうが、描かれているエピソードの1つ1つが実際にあった事だろうと感じます。
お礼
大事なテーマですね。斉藤孝さんは読んでいます。灰谷健次郎さんは始めて知りました。機会があれば是非読んでみたいと思っています。 度々ご回答ありがとうございます(^-^)
- mayu------
- ベストアンサー率26% (89/335)
ちょっと変わった質問ですね(笑) 私がこの先生に会えてよかった、と思ったのは何度かあります。 1人目は小学校の頃に通っていた塾の社会の先生。 算数が苦手で、でも算数の先生が怖くて質問にもいけなかった私に 勤務時間は終わっているのに職員室で算数を教えてくれた先生でした。 成績が上がらずにモヤモヤした気持ちの時に、まずはやってみよう!って明るく言ってくれた先生でした。その先生は途中で塾をやめられてしまったのですが、たまに電話をかけてきてくれて最近、勉強はどう?心配事とかない??って気にかけてくれた先生でした。先生に会えたことがきっかけで私は教員を目指すようになりました。 あとは高校の頃の予備校の先生です。 1番印象に残っているのは、日本史の先生。すごく熱心な先生で私たちに内容をわからせるため、自分で1人芝居をやったりするような先生でした。 自分でやらなきゃ変わらない!今、出来ていることをやっていても自分は変わらないっていつも言っていた先生で、志望校のこととかで迷っている時も私でいいの?といいながらも私の話を熱心に聞いてくれているような先生でした。大嫌いだった日本史を頑張ろう!って思えたのは先生のおかげだし、日本史が好きになり成績も上がっていって、自分でもやれば出来ることを実感させてくれました。今でもそのことは自分の自信になっています。
お礼
変な質問で大変申し訳ないです(^^; 私も、高校のときに熱心な(悪く言うとオーバーなアクションな)先生が印象に残っています。でも、悲しいことに、そういうのが、他の生徒から、どこか冷めた目で見られていたことも感じていました。 でもそれを恐れていたら、誰の生徒の心にも残らない先生になってしまうんでしょうね。今になっても、その先生はいい先生として、みんなに記憶されています。 そこを達観した先生だから、いいのかもしれないですね。先生として、そういう先生だけがいいということではないですが、そういう先生はいいですね! ご回答ありがとうございます(^-^)
補足
もう少し、いろんなお答えをお待ちしていきたいと思います。教育者としてどういう指導が心にしみるか、そして生涯にわたって記憶されるような指導とはなんなのか。 大事なテーマだと思っています。
- hiro715
- ベストアンサー率31% (120/379)
小学校の担任だった先生です。 ご自身が生死の境を彷徨った話をして下さったり、安易な冗談で「死ね」という言葉を使う事を厳しく諫めて下さったり、命について考えるきっかけを沢山与えていただきました。 この先生に出会えていなかったら、簡単に自殺してしまったかもしれません。
お礼
当たり前のことを当たり前に「話せる」のも先生の役割ですよね。 本当に困っているときに助けてくれた先生は私も心にすごく残っています。生死に関するテーマは、有る意味(おじいさんなどが病院でなくなったりと)リアルな死が遠くなってしまった現代、そしてある意味(ゲームのような)バーチャルな死が身近になった現代には、そういった話は何よりも重要かもしれません。 ご回答ありがとうございます(^-^)
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
「この先生」というのとは違いますが、「あの時の先生の言動が私を支えてくれた」というのはあります。 私をわざわざ呼び出して、淡々と感想文を褒めてくださった中学の先生。そのときは実を言うとネガティヴに捉えていたのですが、あとから考えると支えになっていたような気がします。 私が大学受験を希望した時に、渋った担任をよそに「やってみれば」と、勉強を見てくださった先生。おかげで合格し、担任も感激してくれました。 逆に、私はとても尊敬して熱心に授業に参加していたつもりだったのに、私のことを嫌っていた中学の古文の先生もいらっしゃいました。 また、高校の担任で、進路面で、私の行きたくない方向に行かせようとする先生がいらして、当時は、なぜそういう態度をおとりになるのか分からなかったのですが、同窓会でたまたま今の自分について語ったら手を握って喜んでくださり、「ああ、そういうことを望んでいらしたのか」と気がついた例もあります。 それから、中学生の子の親となった今、子供をとてもよく支えてくださる何人かの先生方に出会えて本当によかったと思っています。 やはり勇気ある行動をとってくださる先生は印象に残りますね。
お礼
先生が勇気有る行動をとる、というのは大切なんですよね。子供に教えるというのは、一面性のものではなくて、多面性のものなんだと、再認識しました。 誤解を恐れず、でも慎重に、って大切ですね。 ご回答ありがとうございます(^-^)
- toranutanukiga
- ベストアンサー率15% (6/39)
じゃぁ、思い出の先生を一人紹介しますね。 剣道部の顧問の先生で、世界史を担当していました。 いっつもシモネタばっかりで、「今日も朝風呂行って 来た~」なんて冗談交じりに言ってました。 自分が通っていた学校は部活動が盛んだったので 、それぞれ合う分野の高校をまずは紹介してくれたりしてました。 ま、なによりも、はなしかけやすいトコロが いい先生だったのかも知れませんね。
お礼
早速のご回答ありがとうございます(^-^) 話しかけやすい、つまり生徒の気持ちをわかってくれている先生ですね。とにかく話しかける、というのも大事なんですね。それは最近身にしみて思えてきます。
- doriankitagawa
- ベストアンサー率22% (28/122)
こんばんは 私は中学1年の時の先生に感謝してます。 理科の先生で松岡 修造さんに顔が似ていて、けっこう熱血先生でした。 学校があまり好きではなかった自分でしたが、その先生に出会えてからは毎日学校に行くのが本当に楽しくて、あだ名で呼び合ったりもしてました。 授業はいつも笑いが絶えなくて、クラスの皆から好かれていました。 他の先生ともすごく仲が良くて、いい先生や友達に恵まれて良かったと思います。
お礼
早速のご回答ありがとうございます(^-^) やっぱり、教えるのがうまい、下手ということではなく、先生の人間性って大事なんですね。 先生って、生徒にとっては学校の60%ぐらいを占める重要な役職だとおもいます。
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お礼
大変貴重な体験談を聞かせていただきまして、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです! 私も小学校以来年賀状を送る先生はいるのですが、それ以上の付き合いとなると、あまりいないですね。自分自身それがいいと思っているわけではなく、やはりsasaiさんのような関係があれば・・・と思うこともあります。 先生という職業は、いかんせん、教えるほうも教わるほうも特別な気持ちになれる関係が結べる、と言う点で非常に貴重な仕事だと思っています。それが、このように長くつきあうということ、お互いに、違う世代の、違う観点から刺激し合えるような関係は、一生のうちに得られるかどうかすら、わからないものです。誤解を恐れずに言えば、そういった関係を持てずに一生を終える人のほうが多いとおもいます。 改めて「問う」とはどういうことかを考えさせられました(^-^)ありがとうございます。