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水子供養に行くのですが。。。
小学生の子供が2人いるのですが 3人目の子供を事情により2週間前に中絶しました。 あさって日曜日に夫婦で供養に行くのですが、 お寺に予約の電話を入れて料金的なものを聞いた時 「卒塔婆」を立てるのでそれが1本3千円くらいと言っていました。 卒塔婆といったらお墓の後ろに立っている 木のアレですよね。 それはずっとそのお寺に立てられるものなのでしょうか? そうすると毎年手を合わせに行かなければ行けない ということになってしまうんでしょうか。 もちろん、忘れることなどできませんし、 生んであげられなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。 私としてはお経をあげていただいて、 あとは2人の子供を3人目の子の分まで 精一杯大事に育てていこうという決意にしようと 思っていたので。 普通水子供養ってどんな感じで行われるのでしょうか?
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通常は、読経・回向という形で供養を行い、その後にお寺の敷地内にある水子供養のために設置された御地蔵様(地蔵菩薩・死産や幼くして亡くなった子供の霊を導くとされる)に供える形で卒塔婆が使われるようです。 なお水子供養の儀式に際しては、場合によってはお母さんの心痛を和らげるために、お坊さんと世間話をする所もあるようです(寺によって色々な様式があるようで)。 先祖代々の大きなお墓がある家では、独自にお墓の敷地内に水子供養の御地蔵様を立てる場合もありますが、一般の家庭ではお寺に元からある御地蔵様に他の方が弔った水子と一緒にお願いします。 宗派によっても多少は違うようですが、水子供養ではこの御地蔵様に供え物をする事を通して、供養するようですが、これは水子の霊が一人でお供え物を口にすることが出来ない・服を供えられても自分では着る事が出来ないため、御地蔵様に世話をお願いするという意味があるようです。(伝聞ですが) ただ、小生の知る寺の坊主曰く、供養というのは生きている人のために成す物で、生きている人が故人(大人の死者も含めて)のために何かをしてあげたいという満足のためであって、その生活に負担を強いる物ではない…との事です。 自分の出来る範囲で気が済む形でお参りすると言うのが正しい供養だそうで。 中には「水子の霊瘴が!」とか云って、法外な仏具の購入を勧めたり、日常生活に支障が出る程の読経を求めるような拝み屋も在るようですが、そのような供養の仕方では亡くなった人が供養される事に申し訳なく思ってしまい、むしろ成仏が遅れる事に繋がると見る向きもあるようです。 一度、読経・回向(水子の場合は戒名を付けない場合が多いそうです)をしてもらった後は、先祖供養のついで…と言っては語弊が在りますが、お盆などで先祖供養の際に一緒に線香を手向けたりする程度のようで。 あくまでも「一度正式に供養してあげる」のが重要なのであって、その後いつまでも引きずるのは、水子のためにも良くないとされているようです。 先に挙げた「生きている人の満足」のためにも、いつまでも心痛を掻き立てるような弔いかたは本末転倒かと。 なお小生の知る家庭では、命日にその子のために仏壇に少々の子供向けお菓子を供えるようにしているようですが、そのような「ささやかな忘れない気持ち」を表す程度なら、あくまでも気分の問題だけに、構わないと思われます。 小生は専門家ではないので、口幅ったくはありますが、参考までに。 なお詳細に関しては以下の参考URLなどが宜しいかと。
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- dareka
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その寺、3千円って、ずいぶん、安いですね。 考えようによっちゃあ、良心的? わたしは、1年に2回流産して、水子供養専門の寺へ行ったら、 1体1万円って言われ、2万円取られましたよ…。 そこで、毎日供養してあげるからって…。 そのうえ、坊さんに毎日「産んで上げられなくてごめんなさいね。」 って金箔カードみたいのを渡され、毎日手を合わせろって説教されてさ。 わたしは、専業主婦だから、しんどいときは、いつも寝ていて、 無理して流産したとかじゃないのに、責められて、 今でも腹が立ってしょうがないです。 初期の流産は受精卵側に原因があるっていうのが、現代の定説なのに。 わたしに落ち度がないのに、なんで説教されなきゃいけないんだっつーの。 次の年のお盆に供養祭りがあるから、来てねって手紙がきたけど、 行きませんでした。お金また取られんのイヤだから。 不幸なことは早く忘れたいのに。思い出させんなっつーの。 お寺もビジネスなんで、金を取らないとやっていけないんだろうけど、 こっちはちょっとでも心が楽になればと思って行っているのに、 逆にストレス与えられてさ。 妹も死産したから、供養しようと寺に問い合わせしたら、 20万とか言われて、やめたらしい。 妹は優しい子なんで、自分で部屋の一箇所に場所を作り、 毎日お供えして、祈っていたらしいが。 わたしは、供養寺に2万取られただけで、特に何もしていません。 イヤなことを速攻忘れて、楽しいことだけに集中する主義ですので。 中絶でも流産でも死産でも子供が無事に産まれなかったことには、 変わりないので、あなたの心が良いと思うことをすれば、いいのでは? 寺に行ったら、人の弱みに付け込んで、カモられますよ…。 埋めなかった事情がどういうものか、わかりませんが、 >もちろん、忘れることなどできませんし、 >生んであげられなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。 その気持ちで供養は十分だとわたしは思いますけど…。
お礼
ご回答ありがとうございました。 本日供養に行ってきました。 とてもよいお寺で、特に要求されるものも無かったので 卒塔婆の料金とお布施(5千円)を お供えしてきました。 もし、高額ものを要求されたらdarekaさんをご参考に きっぱり断ろうと思っていたので いいお寺さんでよかったです。 特に説教されることもなく、 立派なお経をあげていただいて 救われた気持ちです。 あとは忘れない気持ちを胸に、 日々すごして行きたいと思っています。 ありがとうございました。
- corundum
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水子の供養は、近世(あるいは戦後?)に始まった、お寺のニュービジネスだと聞きます。 子供は七五参が無事に終わるまで、いつまた神の元へ帰るか判らない存在と言うのが、古来よりの風習です。 たまに思い出してくれれは、それで良いのでは?
お礼
ご回答ありがとうございました。 上の子2人と同じように生んであげられなかった 申し訳ない気持ちがいっぱいだったので 本日供養に行ってきました。 気持ち的にとてもすっきりし、 あとは忘れない気持ちを大切に、 日々すごして生きたいと思っています。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 とても参考になりました。 本日お寺に行って、お経をあげていただき そのあとお地蔵様に卒塔婆を供えてきました。 実際行ってみて納得です。 今後いけるときにはお寺におまいりに行こうと思いますが あとは「忘れない」気持ちを大切に 日々すごしていこうと思います。 きちんとお経をあげていただいたら 気持ち的にもすっきりしました。 ありがとうござました。