江戸時代の日本は世界的に見て例が無いくらい識字率が高く、
庶民が帳簿や証文を自分で書いていましたし、娯楽のための
読み物の出版が事業として成り立っていましたが、
そのほとんどはひらがな漢字交じり文で書かれ、カタカナは
あまり使われていませんでした。
カタカナが使われたのは告訴人・被疑者を事情聴取した問注記、
申詞記、証言日記、事発日記、犯人・証人の白状を記録した過状などの
公文書で、発言をそのまま書き留めるという意味があったようです。
ちなみに春本では会話はひらがなでしたが、よがり声の部分だけは
カタカナで表記される例が多いようです。
外国の固有名詞がカタカナ書きされるようになったのは
カタカナに音声を忠実に移すという意味合いがあったからでしょう。
戦前の小説の会話を見ますと、文末の部分だけがカタカナに
なっていたりしますが、あれも音声を写そうとしたものでしょう。
3の方が地の文がカタカナで、外国の固有名詞がひらがなという例があると
書いておられましたが、そういう表記はあまり目にしたことは無く、
傍線を引いたり、傍点を打ったりして、外国の固有名詞であることを
示す方が一般的だったと思います。
(地の文がカタカナで、外国の固有名詞がひらがなという表記法は
原文のイタリック体の部分をカタカナにして区別した戦後の
翻訳小説でよく見かけました。)