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イスラム・キリスト 一神教における信仰
イスラム教とキリスト教はどちらも一神教ですが、前者は厳格な一神教であり、唯一神以外の信仰を認めていないのに対し後者は三位一体説をとなえ神そのもの以外も信仰の対象としています。この違いはどこからくるのでしょうか。また、なぜイスラム教はそのような厳格な一神教になったのでしょうか。
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三位一体説では、神・イエス・聖霊を文字通り一体とみなします。イエスも聖霊も神そのものですから、イエスに対する信仰も神に対する信仰です(やや無理がある気はしますが)。 ただしカトリックにはマリア信仰もあり、天使や聖人も信仰の対象になります。これらは明らかに、「神以外」に対する信仰と言えるでしょう。カトリックの教義では、「尊崇と信仰は違う」などと説明されていますが、いかにも苦しい言い訳です。 キリスト教もイスラム教も本来一神教として生まれたのですから、 「イスラム教はなぜ厳格な一神教なのか」 と考えるより、 「キリスト教(カトリック)はなぜ厳格な一神教ではなくなったのか」 と考える方がよいと思います。 これはおそらくキリスト教がヨーロッパに広まったためでしょう。 ユダヤ教をはじめとして、一神教は本来砂漠で生まれた宗教です。砂漠には人間に恵みを与えてくれるものが極端に少なく、身近な自然の中に信仰対象を見出すことは困難です。どこか遠いところにいるただ一人の神を信仰せよという教えは砂漠でこそ、説得力をもつものです。 しかしヨーロッパは砂漠地帯ではなく、森も湖も河もそこかしこにあります。こうした環境では、身近なところに多くの神がいると信じられるのが自然です。 そんな信仰をもつ人々に、今日からいきなりただ一人の神を崇めろと言ってもうまくいかないでしょう。マリア信仰や聖人信仰は聖書に由来するものではなく、布教を円滑に進めるための政治的妥協の産物です。 一方イスラム教が広まったのは砂漠地帯なので、一神教を維持しやすかったのではないでしょうか。 なお、「ムハンマドはどのようにしてアラー信仰を広めたのか」という問題は、それだけで何冊も本が書けるほどの問題です。井筒俊彦氏の『マホメット』(講談社)という名著がありますので、参照されてみてはいかがでしょう。
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- katyan1234
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旧約聖書しか見ないのと 新約聖書を中心にしてみるのとの違い
- harepanda
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イスラム教とキリスト教でどちらが厳格な一神教かと言われると、大差はないような気がします。 両者の共通項は、ユダヤ教の影響を受けながら、ユダヤ教とは違い選民思想がなく、あらゆる民族を対象とした世界宗教に成長しているということです。 イスラムのほうが厳格に見えるのは、一神教だからではなく、イスラム法の刑罰理論が、昔ながらの「目には目を、歯には歯を」の復讐理論で出来ているからだと思います。西欧法学では、近代法の樹立にあたり、「復讐の連鎖と私刑(リンチ)は止めなければならず、罰を与える権限は被害者にはなく、国家のみが持つ権利である」という原理を打ち立てています。そのほかに思いつくのは、イスラムでは割礼の儀式(ペニスの包皮を切り取ること)が残っていること、男性の割礼はまだしも女性の割礼は極めて人体構造上、有害であること、生活倫理上、女性差別が激しいこと、などがあります。 キリスト教もイスラムに劣らず過激な一神教です。例えば、アメリカにはキリスト教原理主義とも言われる極端な思想の信者が千万人単位でおり、「終末の日には、キリスト教徒だけが空中携挙(Rapture)によって天に引き上げられ、異教徒たちが滅亡するのを上から眺めることとなると本気で信じています。三位一体うんぬんは一神教の枠を超えるものではないし、三位一体を認めない流派もあります。なお、キリスト教の歴史には、魔女狩りという非常に残酷なものがありますが、イスラムに魔女狩りの歴史はありません。
- tyr134
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一つ、注意して貰いたい点があります。 「厳格な一神教」というと、他の宗教の信仰は認めないという「信仰の自由」が無いようなイメージを受けます。 しかし、「信仰の自由」を認めないのはキリスト教の方が厳しかったです。 イスラム教国家では、人頭税などある程度の不利を受容すれば信仰の自由が認められるのが常でした。 一方、キリスト教(特にカトリック・プロテスタント)は他の宗教を異教徒として忌み嫌います。 また、それ以上に異端を弾圧します。 ので、「厳格な」という意味から「信仰の自由を認めない」という風にイスラム教を誤解しない方が良いです。 日本で手に入るイスラム教観は、相当にキリスト教国の色眼鏡がかかってます。 と、前置きはおいといて、、、。 イスラム教が生まれた背景には、多神教国家群だったアラブ諸国の事情がありました。 遊牧民族であったアラブ諸部族は、それぞれに神様を持ってました。 このメッカにアラブ人の神々が集められて祭られた、所謂アラブ人の聖地がありました。(カーバ神殿) しかし、シルクロードの重要な位置にあったメッカは商人の町として栄えていきます。 その繁栄の裏では、貧富の差が広がったりと色々と社会問題が出てきた。 そんな時に、ムハンマドが神様の声を聞いた。 彼の周りには色んな宗教の人が居て、もちろんユダヤ教やキリスト教の信者もいました。 特に、妻の従兄弟がキリスト教徒で、ムハンマドが啓示を受けた後に「君のような人は何人もいた」という所謂「預言者」について語ります。 これにより、自分はイエスの後に神の言葉を聞いた「預言者」であり、イエスの言葉を曲解している人々に神の言葉を伝えなければという使命感に燃え上がります。 で、最初は身内から初めて徐々に布教していき、一次はメッカからメディナに移住しますが、その商人的な教えや生活に密着した信仰から徐々に信者を増やしていきました。 この信者を増やす段階で、重要なのが「偶像崇拝の否定」です。 「偶像」、言い換えればアラブの部族が個々に持っていた部族神を超えた所に、アラブ人の統一があると考えた。(先にも述べたとおり、アラブ諸部族はお互いに相争っていました) つまり、唯一絶対の神のもとに一つに纏まるのです。 このアラブ諸部族神の打破の為には、具像崇拝は否定されなければならない。 さらに、その事は旧約聖書にも書いてある。 よって、偶像崇拝を徹底的に否定していきました。 とまぁ、一面ではありますが恐らくこんな所ではないかと思います。
補足
もともとアラブの諸部族はそれぞれに崇めていた神があった中でムハンマドはどのようにしてアッラーのみの信仰へと移行させたのでしょうか。 また、そのあたりではおそらくシルクロードを通してキリスト教との交流もあったはずですがどうしてキリスト教でなくイスラム教を受け入れることになったのでしょうか。
- nacam
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誤解があるようですので、まずその点から。 キリスト教においても信仰の対象は神だけであり、神以外を信仰の対象とはしません。 キリストにしても、キリスト自身を信仰の対象ではなく、神と人間をつなぐ者としての扱いです。 もっとも単性派においては、キリストは神の一部であるとして信仰の対象にはしますが、あくまで神の一部だからであり、信仰の対象は神だけです。 しかし、神を崇拝する時に、キリストやマリア、聖人などを通して崇拝する行為は、他から見た場合、キリストやマリアを崇拝しているように見えてしまうのは当然の事です。 また、カトリックの場合、意図して中間物を置く事により、勢力を拡大してきました。 現地の神をキリスト教の聖人などと意図的に混合させて、現地人が従来の神を信仰しているつもりでいたらいつのまにかカトリックになってしまったりする事も多くありました。 その典型が、「黒い聖母マリア」です。 黒い聖母マリアは、ローマ時代に広く信仰されていたエジプトのイシス神で、イシス神をキリスト教に取り込む過程で、聖母マリアと混合して生まれました。 さらにその黒いマリア(グアダルーペ)は、メキシコに渡り、アスティカの豊穣神トナンチン(シュワコアルト)と意図的に混合され、メキシコでのカトリックの拡大に大いに貢献しました。 イスラム教ですが、イスラムが誕生した段階でムハンマドはユダヤ教に心服しており、ユダヤ教を元にイスラムの諸体勢を整えます。 当初イスラム教徒の礼拝の方向が、エルサレムであった事・コーランに旧約聖書の内容が多数書かれているのもそのためです。 イスラムの一神教的規制のきびしさも、ユダヤ教の影響であると考えられます。 (その後イスラムはユダヤ教と決別し礼拝もメッカへ向かってするようになります) またイスラムでは、占領地の住民のイスラムへの改宗を行いませんでした。 (イスラム教徒以外に人頭税を課した為、イスラムへの改宗は税収の減少となるため) そのため、占領地でイスラムを広めるために、あえて他の宗教の神を迎え入れる必要性が無かったのです。 (正統カリフの時代の末期には、人頭税の重さからイスラムへ改宗する者が多くなり、深刻な税収不足となり、さらに占領地を拡大する必要にせまられてゆく事になります。
補足
イスラームでは神はすべてを超越した存在であり第一原因にして創造者、至高の力である以上神以外の者が神と同じ、もしくはそれに近い力を持つことはありえないと考えられていて、ムハンマドもただの預言者としての位置づけですが、キリスト教ではイエスを神の子として神と同質のものとみなしていますし、偶像崇拝も普通に行われています。それでも神だけを信仰していると言えるのでしょうか。
- tanuki4u
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推測です 1:ムハンマドはキリスト教を学習できる立場だった キリスト教世界でも、三位一体ってなんか、こじつけだよね?という説があるわけで、外から見れば、三位一体よりも、神のみのほうが、シンプルでわかりやすい。 2:一神教が浸透した地域での布教だった キリスト教は多神教の地域に拡がったので、なんやかんやと多神教的要素を残しています。いったん、キリスト教という一神教が拡がっていた地域にイスラム教は拡がったわけで、一神教としての純度を比較されたとき、三位一体のような、論理的アクロバティックな事をする必要がなかった。「イスラムの方が、純粋だよ」と言えばいいわけです。
お礼
ありがとうございます。さんざん調べまわった結果、だいたい同じような結論にたどりつきました。今度は気候や風土との関係を詳しく調べてみようと思います。