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虐待について
最近、急激に増えている虐待ですが、いまいち虐待の定義というものがわかりません。今度、大学の授業で虐待について話し合いをしないといけないのでしかっり定義というものを理解してから臨みたいと思います。虐待の定義、最近あった虐待の事件なども一緒に教えてください。よろしくお願いします。
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こんにちは。 虐待について、どのへんまでの知識を持っていられるか分からないので、かなり基本的なことから書きますね。 まず、虐待とは、虐待は保護者が監護する児童に対して行うものと、「児童虐待防止等に関する法律」では定義されています。 この虐待には主に4つの種類があり、 身体的虐待 文字通り、殴る蹴るなどの暴力による虐待です。 性的虐待 児童を性的対象とするもので、実際に性交渉するだけでなく、触ったり、自分の性器を見せたり、一緒にお風呂に入ったりするのも含まれます(もちろん、相手が嫌がっているのを無理やりに、ですよ)。 ネグレクト 育児放棄とも言われ、保護者が児童の世話を放棄することです。夏場によくある車に置き去りにされて熱中症で亡くなってしまう幼児、というのもネグレクトの一種ですね。他にも、食事を与えない、小さければオムツをかえないなど、必要な世話を行わないというものです。 心理的暴力 言葉による虐待です。お前なんか生まなきゃよかった、死んじまいな、などの言葉によって、子どもを虐待するというものです。 すべてのことに共通して言えることは、子どもは自分だけではそれから逃げられないということです。子どもの生きる力は弱く、だからこそ養育者に頼らなければならない。たとえそれが自分を虐待する親であっても。だからこそ、周りの大人が助けてあげなくてはいけないといえますね。 ちなみに、虐待というと悪者にされがちな加害者である親ですが、彼らの多くは昔、虐待されていたことが多いみたいです。虐待されたものが虐待するものへ、これを世代間連鎖とも言います(確か)。 もちろんすべての虐待された子どもが虐待する親になるわけではなく、虐待する親が昔虐待されていたわけではありませんが。 それと、急激に増えているとありますが、私は、今までしつけとして見られてきたものが、虐待という言葉を得て問題化してきたために、報告例が増えている、と思っています。しつけと虐待の区別は今でも難しく、虐待する親はたいていそれをしつけといいますしね。ただまあ、病院に行かなければならないほどの怪我を負わせることをしつけとは言えないと思うのですが。 あと、性的虐待なんかは、ずっと、なかったことにされてきました。 それと、最近の虐待事件は浮かんできませんが、ニュースサイトなどで「虐待」をキーワードに検索したら、けっこう出てくると思います。 と、こんな感じですが、参考になるでしょうか。 それでは、授業がんばってくださいね。
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- PIRANIE
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こんにちは。 暴力、暴言を一方的に過度に加えることだと思います。また、ニグレクトなども、虐待だと言われています。注意しなければいけないのは、両者の立場です。 ・親子関係における虐待 実際に社会的地位があり、金銭を得ているものが、扶養者に必要最低限の生活環境を与えない。暴行、暴言を繰り返し、弱らせる。 ・家族間の虐待 気に入らない者を、特別異端視して、酷い生活環境に移す。必要最低限の衣食住を保障せず、金銭を巻き上げる。暴力行為、暴言を繰り返し、弱らせる。 ・入院者やサービス利用者など施設内の虐待 合う気のない面会者と面会させる。職員による集団暴行、弱ったときに世話をしない(ニグレクト) 集団をいいことに、利用者に不利なサービスを強制したり、暴言を吐いたり、サービスする側の都合を押し付けたり、更にはサービスを受ける側の個人情報を受け手に不利に使ったり。 職場に犬を連れてくる臆病者も、ある意味犬が嫌いな者を虐待していますね。 ・・・行ってみてむごいことって、立場を知らないと犯罪みたいですね。 考えるのも大変なのですが、基本的人権が守られていないし、そういった場所からの逃げ場も用意されていない、という感じでしょうか。
- savagemaniac
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ちょっと意地悪なアドバイスになっちゃいますが、課題を与える側の立場から見れば、「虐待」と「躾や愛の鞭」が明確に線引きできるか考えてみてください。 外形的には同じ行為であっても、当事者(親子)の信頼関係如何では、虐待になる場合とならない場合があると思いますが如何でしょうか? 当事者の状況を抜きにして、線引き判断は難しいですよね? 事件の例を洗う場合でも、ニュース解説に書いてある日頃の生活状況というのが参考材料となるとは思いますが、刑事事件ともなっていれば、判決文を読んでみると、犯行(虐待)に至った背景が述べられており、それが司法判断上の根拠となっています。 「何が虐待なのか?」これがまさに大学での討論の目的じゃないですか?
インターネットの検索で調べたら出てくるのですが、アドバイスしたいので書き込みます。(自分勝手かな?) 定義が解りずらいのは、「しつけ」と「虐待」の境界線だと思います。 ですが、これをちゃんと考えてくると境界線はあります。 「しつけ」は将来、もしくは今の段階で必要なことを覚えさせるもの。 「虐待」は親のストレス解消、快感を得る行為、自分のことを優先して子供のことを考えない行為でだと思います。 しかし、虐待する親はみんな「しつけ」でしたと言う人もいると思います。 この「しつけ」でしたという時、虐待した親の考えの「しつけ」であって、子供のためになる「しつけ」とは限りません。 世間一般に言われる虐待に限らず、親自身が人間的に価値観的に豊でない場合、このようなことが起きます。 虐待は、子供ためにならないことなのです。行動は外から見たら一緒かもしれませんが、「結果」が違うのです。 親が子供に虐待するのは、いろいろな理由があるでしょうね。 1.として、そういう風に育てられたから、そういう風に育てるべきと思っている。 2.虐待して育てられるということは、相手の身になって考えることができない親に育てられるということである。つまり、相手のことを考えて行動しなければならないのに、それを自分の都合だけで行動している親の姿を見てそれから学ぶ。結果、相手のことを考えれる人になれないので、同じく、親になっても子供の立場になって考えることができない。もしくは、相手のことを考えても「言葉で教えたり」、「自分の気持ちをセーブ」して接することができない。 と、いうのが僕自身、虐待による影響だと思っています。しかし、このことを「自覚」することにより、「どう変っていけばいいのか見えてきます。」だから、虐待されたことを思い出すのです。 虐待を語る上で、いや人の行動心理を考える上で欠かせないのが「無意識」、えっとフロイトだったけ?が気付いたことです。 「無意識」というのには、自覚していない物の考え方、物の捉え方、価値観、性格、深層心理です。 これに対し、「意識」というものがありますが、「自覚」と捉えた方が解りやすいです。自覚している考え方、価値観、性格ですね。 人は、生まれてからのさまざまな経験によってこの無意識、価値観が形成されてきます。物心ついた時には、自覚できないほどの価値観があります。 価値観を自覚できていない場合、同じ事をずっと繰り返し、します。言い訳として生理的に受け付けないという便利な言葉があります。それも、自覚できていないことの1つです。 人は、価値観を通し、感覚・感情に結び付け、嫌悪したり、苦痛と感じたり、幸せと感じたりします。 親から虐待された子供は、虐待行為から、ストレスが溜まっていたり、気に入らなかったりすると「力」でねじふせることを覚えます。 「力」でねじふせられるのは、自分より「力」が弱い人です。「力」が強い人には逆にねじふせられる可能性があることも知っています。 これが当たり前になっていると気付かないでしていたり、自分より「力」がある人には、機嫌をとったり、緊張したりして、自分より「力」がない人にはいばろうとします。 そういう付き合いをしていくと心から信頼できる友達なんぞできるわけありません。自分の生き方を認めてくれる、賛成してくれる同じような人としかつるむことができません。 15歳も過ぎれば自分の性格なんぞ直すのは容易ではないし、直すということはそういって生きてきたことを否定することです。それ自体が苦痛の他になりません。自分を否定し、それを変えようとしてもなかなか変えれないので、悩み苦しみます。みじめさも感じます。そして、イライラします。そして、弱いものを見つけていばろうとします。 と自分の体験を詳しくするとこうなります。子供は居ませんが、もし子供ができていたら、同じく虐待していたでしょうね。僕も。 「無意識」というのは知っておいた方が虐待を話し合う上で大きなものになると思います。 人の行為を語るには、人とは何かを知らないといけませんから。 大学生活がんばってください。
- overtone
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gooなどの 検索エンジンで 「虐待の定義」 で 検索したら いっぱい出てきましたよ! 「虐待の事件」や 「虐待事件」 でも たくさん出てきたよ! 動物虐待も出てきちゃうけどね!!