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心の強さとは
私は些細なことでも傷つきやすく、あまりにも心が弱いです。苦しみを正面から受け止めることが強さですか?それとも、苦しみをうまく処理するのが強さなのでしょうか?私は前者だと信じてがんばってきましたが、ほとんどの方を見ていると後者のような気がしてきました。しかし、「ストレス発散、ガス抜き、癒し」などこれらの言葉は苦しみから逃げてるように感じるのであまり好きではありません。心の強さってなんですか?どうすれば心は強くなれるのですか?皆様の人生経験より得られた言葉をいただきたいです。よろしくお願いします。
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- katyan
- ベストアンサー率9% (201/2029)
人の生きて生き方。あなたは柳と大木どちらがいいですか?台風のとき風に逆らわない方法と、それに耐えるのと 人間それぞれ器というものがあります。 小さなねずみが象になれないようにいろいろな生きて生き方があると思います。
- frau
- ベストアンサー率28% (56/199)
「正面」と「処理」、どちらか?と聞かれたのならば私は「正面から受け止めること」だと思います。 たとえば地球の誕生って無数の隕石がぶつかりあったその塊だという説がありますよね。たとえるならそういうものだと思います。 苦しみから逃げていることに罪悪感があるのですよね。 私は少々心理学をかじっていますので、こちらの方から説明させていただきますと、この場合心の世界では「超自我が強い」という見方をします。超自我、つまり自分の良心や理性のことで、これは両親からの厳しい躾を甘んじて受け止めてきたけれど、真実の自分とのズレがあると感じるとき、意識的、無意識的な領域での葛藤が強すぎると心身共に身動きができなくなったり、強迫観念などの神経症にかかります。 この強すぎる自我をやわらげるために例えば認知療法などの心理療法があるのですが、もし興味があるのでしたら、セラピストやカウンセラーを訪れることもよい経験のひとつだと思います。 実は私も「~せねばならない」という自分への課題が多すぎて苦しんでいます。これも強迫観念の一つですよね。人は多かれ少なかれこのような観念や義務感をもっていますが、世界の中でも特に日本人って生真面目ですよね。だからこれだけの経済と産業が発達してきた。でも精神疾患を患う人々が増えています。サラリーマンの90%以上は何らかの精神疾患を抱えているそうです。これも強迫観念のツケかもしれません。 前世紀にこれからは「心の時代がくる」と予言されていましたが実際このように実現されました。「癒し」のツール、たとえば瞑想、ヨガ、ホメオパシー、そして身近なところではマッサージやエステなど、癒すための産業が取って代わっているかのように大盛況ですよね。すでに時代が「休む」ということを認めています。そんな時代背景からみても、罪の意識を感じることはありません。むしろ大歓迎なのですよ。 個人の人生に視点を戻すと、そうはいってられない。苦しいことに対する耐久力がなければ身体は力がなければ支えられないように、人生の道に立てることすらできません。でも休まないとその「力」も「力」をつけられない。心も身体も活動と休息を繰り返す過程において、強く、そしてしなやかになっていくのだと思います。 ANo.5さんが「筋肉」と喩えられていますね。次に私は「骨」を連想しました。骨折すると骨はますます丈夫になるといいます。また身体は無菌状態でいると逆に免疫力がつかなくなり病気に対する抵抗力がなくなります。身体と心は反映しあうので、喩えられることは全て、相互で成されうることなのでしょう。 その「苦しみを処理しているであろうほとんどの人」も実は皆不器用で、それぞれの悩みがあるかもしれません。これは一見要領のよさと同義語であるかと思います。苦しみを真っ向から受け止めてひとつづつ乗り越えて、そのつどカタルシスを得て、また大きくなることができるかもしれない。でも「苦しみから逃げた分の貯金」は不測の事態にどれだけ払えるか、だと思います。そのための持久力。でも休息も与えなければなりません。 「>私は些細なことでも傷つきやすく、あまりにも心が弱いです」 傷つきやすいのは心が弱いのではなく、繊細だからです。繊細って言葉とはウラハラに、繊細な人というのは芯から強い人が多いような気がします。実際そのような人は存在します。そういう人たちをみると…繊細じゃなくて素晴らしく太い神経の持ち主だなと思います(笑)。 「>心の強さってなんですか」 私は心の強さは優しさに直結・・・いや最近までそう思っていましたが、自分の痛みを知るのが他人の痛みも知るとは必ずしも思えないと考え方が変ったので、直接ではなく「間接的」に優しさも強くなると思います。 本当の優しさは強さに裏打ちされているのであって、それは苦しみを処理し続けたことによるのではなく、不器用でも正面から受け止め続けてきた強さに育てられたものだと思います。本当に逃げるときは、その優しさを捨てるとき…であると個人的には思っています。 だから頑張って・・・じゃなかった! お互いほどほどに。( ^-^)_旦"" 私こそ「ストレス発散、ガス抜き、癒し」が必要ですもの。 PS.下に参考になるスレッドを挙げておきます。ANo.4さんのご意見が参考になるかと思います。
- shs405
- ベストアンサー率58% (53/90)
人が強くなる時。。。それは ★愛するもの(守るもの)が出来た時 ★夢(希望・目的)が具体的に自覚できた時 ★自分自身を好きになった(許せた)時 と聞いたことがあります。 『心が弱い』のではないと思いますよ。 『感受性が強い』とか『感性が豊か』と言うのではないでしょうか。 そして、自分自身と見つめ合うことの出来る強い人なのではないでしょうか? 本当に心の弱い人は、自分自身と向き合うこともせず ひたすら逃げる人のことだと、私は考えていますが。。。 いい意味で、他人は他人です。 「自分らしく」生きることではないでしょうか?
- hanako_0115
- ベストアンサー率40% (69/171)
#4です^^ 「ずぶとさ」に誤解があったらと思ってすいません。もう少し補足させてください^^; 例えば筋肉のように、筋肉に傷がつけばつくほど筋肉ができてくるように、心も傷つき苦しむことでそれに対しての乗り越え方ができてくる=ずぶとさ、という感じで書かせてもらいました。 人生、初めはやはり経験することが初めてのことが多く戸惑うことが多いかもしれませんが、生きてくると何度か同じようなことも出てきます。 そんな時、あの時はこう乗り切ったな~とかで乗り越えられることもあるし、初めてのことでも自分のために出す答えをゆっくり出していけば、今後に生きてくるのだと思います^^ どうすれば心は強くなる?は、強くしようと思ってしなくても、経験をして自分なりに納得できる答えを見つけていけば、いつしか強くなっていると思います^^ 何度もお邪魔しましたm(__)m
- hanako_0115
- ベストアンサー率40% (69/171)
心の強さ=ずぶとさ と思っているhanako_0115です(笑) ちょっと言葉が悪いかもしれませんが^^; 私は、ものすごく考えすぎるタイプです。さらに「いい子」でありたいと強く思い、なんでも完璧にしないとすべてがだめなように思えてきます。 親にも完璧、人間関係も完璧、恋愛も完璧、仕事も完璧、どれか一つでも失敗は許されないそんな感じです^^; また、自分が完璧人間でないと人に好きになってもらえないんじゃないか?という不安があったのかもしれません。「やっぱりhanakoがいなくちゃね~^^」というのが一番のうれしい言葉。 でも、こういうのって、自分をどんどん追い込んでいってしまって、本当に辛いし、自分自身でかけるプレッシャーにはなるし、失敗したら本当に落ち込みます。 それこそ「苦しみを正面から受け止めること」につとめてきました。が、それをすると自分にも厳しい上に人にも厳しくなってしまいました。 ちょっとでも失敗すると「もうだめな人」になってしまいます^^; 以上は20歳の時くらいなガチガチな私^^; 今は本当に何でもが適当になっちゃいました(笑)失敗いっぱいして、落ち込んで、途中でこんな真面目すぎる自分がいい意味で馬鹿らしくなりました(笑)だって一生懸命やっているのにできないことのほうが多いなんて、割りにあいません^^;開き直ったときに「図太く」なったのではと思います(笑) 私の場合、心の強さはまずは「○○するべき」という気持ちをなくすことから入り、マイペースに答えをゆっくり見つけることでした。 あと、物事なんでも頑張りすぎるとどんどんハードルが高くなって、それこそ自信を身につけるはずが逆に「できなかった」が多くなって自信なくすことになります。 それよりか、低いハードルを少しずつあげていって、少しずつ「できた!」っていう自信をつけていくことの方が絶対いいと気づきました。 なので、今回の質問の件の >「ストレス発散、ガス抜き、癒し」などこれらの言葉は苦しみから逃げてるように感じる はありだと思ったりします^^小さい「できた!」をつくるきっかけになると思うからです^^小さい「できた!」は大きな「できる!」につながるのではと…。 逃げても、自分ができないのならできないで、できるようになったらしたらいいと思うし、真正面から受け止めれるようになったらとき、ゆっくりと整理すればいいんじゃないかなって思います^^ 真正面から受け止めれる人って、逆境が好きなタイプ、もしくは障害がないと燃えないタイプがむいてるんじゃないかな^^ 質問者様はとても物事を大切に考えるし、誠実な人なので、自分の理想はあくまで理想にしておいて、等身大の自分を許してあげるくらいで、ちょうどいいんじゃないでしょうか^^
- mugi-choco1
- ベストアンサー率31% (188/603)
おはようございます! 私は苦しみを正面から受け止めることも、それをうまく処理することもどっちも大事なことだと思いますし、どちらも苦しみから逃げているとは思いません。というか、まず正面から受け止めないとうまく処理することはできないと思います。 「ストレス発散」「ガス抜き」「癒し」が逃げだと感じてらっしゃるようですが、それがあって心の強さが得られるのではないでしょうか。元から強い人なんてそういないと思いますよ。みんな見えないところで適度に休憩しているからこそ、何かあった時に立ち向かえるのではないでしょうか。 心の強さは苦しみをいくつ味わったか、そしてそれをどのように乗り越えたかに比例すると思います。単純に考えればたくさん苦しみを味わって乗り越えていくことが心の強さに繋がるとは思いますが、乗り越え方によっても強さは変わってくると思います。今まで逃げだと思っていたやり方だって、実は強さに繋がっているのではないかと思います。要は、たまには弱い自分を許していくのも大事なのではないかと思います。
- mei-jiang51
- ベストアンサー率44% (196/439)
こんにちは。早速お答えしますね。 これは悪魔でも私個人の考えなのですが、私は”苦しみを正面から受け止める事”が出来るからこそ”苦しみを上手く処理出来る”と思っております。 私もかなり神経質な方で、周りの言葉に一喜一憂してしまう方です。 >「ストレス発散、ガス抜き、癒し」などこれらの言葉は苦しみから逃げてるように感じるのであまり好きではありません ともおっしゃってますが、私はこれらの事は”逃げ”とは取らず、苦しみに正面から向かって疲れた自分へのご褒美、と考える様にもしてます。 人は生きて行く上で、沢山の人と関わらないといけません。その中には勿論自分の事が嫌いでとことん卑下して来る人もいますし、自分の事が好きでもちょっとした勘違いから傷つけられる(そしてこちらが相手を傷つける事も勿論あります)事もあります。その様な道を通った後、問題そのものが解決したとしても、その時自分が傷付いた事に変わりは有りません。その傷を忘れろとは言いませんが(それも良い経験の一つだと思うので)、だからと言って、いつまでも自分を責めていてはいつまでも前へ進めないと思うんです。だから、その傷を”経験の一つ”に変えるために”ストレス発散”や”癒し”が必要になって来るのでは無いか、と思います。
- 00mitue00
- ベストアンサー率13% (6/44)
Latif さん、おはようございます。 あなたの心の弱さは、改行のない文章に良く出ていると思います。 適当な隙間を作って、近くにいる人がそこに入っていきやすい、そんな環境があるときは必要であろうと思います。 心を強くするためには、苦しみを多く体験することでしょうか。望みたくはないですが・・・ ただ、私は「逃げる」という行為が嫌いです。 そこから、それから、逃げるものか! ってのがモットーでしょうか。