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「ココロの豊かさ」とは?
「勝ち組・負け組」「格差社会」などは少し前から目にすることが多くなった言葉ですが これってほとんどの場合、「モノ(ほとんどカネ)の豊かさ」を表している言葉のような気がします。 その「モノの豊かさ」と相反する言葉として「ココロの豊かさ」がつかわれていることがあると思うんですが この「ココロの豊かさ」って具体的にどのようなことを言うのだと思いますか? 僕も少し考えてみたんですが、どうしても抽象的な言葉しか思い浮かばなくて 具体的にどんなことを表している言葉なのかがよく分かりませんが、皆さんはどうですか?
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こんにちは。 「心の豊かさ」が無い人と、有る人で考えると まず、何事にも感謝できるのかどうかということが思い浮かびます。 どんな小さな事にも何かの意味を見出すことができる事 かな、と思います。 例えば花が咲いている事に関して、 あ~花だね、咲いてるね と思う人と 食物連鎖や自然の力を感じ取れるのかどうか、それに対して「自分の考え」(感謝や思い)を持てるのかどうか。 もう一つ言うと、 晩御飯だ、食べよう と思う人と、 晩御飯が食べられる事に感謝、作ってくれた人に感謝できる人の違い。 当たり前の事を当たり前として何も考えないのか(受動的)、当たり前の事を多角的に受け止められる(能動的)のか、どうか。 一つの事柄に対して、表面の物質的現象を知識だけで認識をするだけなのか、 その背景にある様々な事を受け止めることができるのか、 の違いかなぁと思います。 前置が長くなりましたが、 「ココロの豊かさ」とは ”一つの事柄に対して、能動的又は自然に感謝が出来たり、 多角的に意見を持てること” だと思います。
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- IXTYS
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四苦八苦さん こんにちは。 ユーモア溢れるユニークなハンドルネーム。 人柄が忍ばれます。 #1さんが、実に的確な表現をされました。 『どれだけ他人を慮ってあげられるか』 これって名言ですね。 『大喜利』だったら『山田くーん、座布団 さんまーい』ですね。 私はこれを、現役大リーガーの松井秀喜選手を引き合いにして説明してみます。 彼は2003年,米大リーグ屈指の人気球団であるヤンキースに入団しました。 その時、彼の前途を危ぶむ声は、決して小さくはありませんでした。 彼はどちらかというとおとなしい性格です。 嘘か本当か知りませんが、女性の前に出ると、照れてしゃべれなくなるとか。 日本にいた時は、その並外れた巨体とパワーで球界一のホームランバッターでした。 ところが、米国の大リーグには、彼くらいの体格の選手は何百人もいるのです。 珍しくはないのです。 『彼はアメリカでやっていけるだろうか ?』 確かにイチロー選手は大活躍をしていました。 しかし、イチロー選手と松井選手とでは期待される範囲が違っています。 折角日本から送り出した松井選手が試合で代打で使われているようだったら、どう思いますか? きっと、日本中の野球ファンは悲しんだ事でしょう。 それでも少しずつ環境にも慣れ、実力を発揮し始めました。 打順も当初は六番、七番だったのが、次第に上位に上げられ,ある日、四番を任される事になりました。 ところが、この試合、ノーヒットでチームも負けてしまいました。 トーリ監督は、おとなしくて真面目な松井選手の性格を知っていましたから、慰めてやろうと近づいて行きました。 ところが松井選手は開口一番こういったのです、 『監督、折角私を四番に抜擢して下さったのに、期待に応えられなくて済みませんでした。 今日の敗戦は私の責任です。』 トーリ監督はこれを聞いてびっくり。 これまで、何百何千人という選手を率いて来ましたが、こんな選手は始めてだったのです。 『この男は何と心の広い男なんだ』 『一体どうやったらこんな男に育てられるんだろう』 松井選手を励ましてやろうと近寄っていったのに、逆に感激させられてしまったのです。 松井選手は2年目の2004年にはチームの『副主将』に任命されました。 まだ言葉も不自由な環境の中で,敢えてト-リ監督が彼を抜擢したのはそんな心の広さを買っていたからです。 『松井秀喜がそこにいるだけで、みんなが励まされる。』 それが松井選手なのです。 、
お礼
松井選手についてのエピソードで回答いただいたので、とても分かりやすかったです。 >『この男は何と心の広い男なんだ』『一体どうやったらこんな男に育てられるんだろう』 「ココロの豊かさ」は誤解を恐れないで言うと、「ココロの広さ」とほぼ同じような意味だと考えてもいいのかもしれませんね。 自分のことだけを考えていると、1つのことしか見えなくなってきて、他人を思いやったり気遣ったりすることができなくなりがちですが 松井選手は入団当初から監督やチームメイトとコミュニケーションをとって、信頼関係を築いていたのでしょうね。 松井選手は今、手首を骨折して長期離脱を余儀なくされていますが、その時にチームメイトが「彼はチームにとって無くてはならない線種なんだ」 とインタビューに答えていたのが印象的でした。 皆さんのお陰で「ココロの豊かさ」という言葉の意味が分かるようになってきました。 ありがとうございました。
補足
「彼はチームにとって無くてはならない線種なんだ」ですが、もちろん 「彼はチームにとって無くてはならない選手なんだ」の間違いです。 お詫びして訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。
私は何の宗教にも入っていませんが、「生きてる」のではなく 「生かされている」と感じることでしょうか。そう思えば、普通に平和に過ごせることが奇跡だと思えるのではないかなと思います☆ 先日、歌手の松山千春さんが「単位のつかない物こそが大切な物」と言っていました。例えばお金には円という単位がある。 でも愛情には単位はつけれないと。それは恋愛だけでなく人に対しての全ての愛情です。 あとはなんと言っても「心の健康」です。健康な心さえあればたいていのことは乗り越えていけると思うので。 私は一時期なくしかて、初めて気がつきました! と、言うことで私の答えは 「日々生かされていることに感謝する心」 「健康な心」です。 あとは(毎日食べるのに困らない位の最低限のお金)は必要かな^^;
お礼
>「単位のつかない物こそが大切な物」 「お金で買えない価値がある」とあるカード会社のCMで言っていますが、たしかにそうかもしれませんね。 逆に「人のココロなんてカネで買える」ということもたまに聞きますが、それはココロが豊かでない証拠なのかもしれません。 >「日々生かされていることに感謝する心」「健康な心」です 皆さんの回答から「共生」という1つのキーワードが出てきましたが もう1つのキーワードは、この「感謝」なのかもしれませんね。 物事や他人にしてもらったことに対して素直に「感謝」することができて その上で自分だけでも他人だけでもなく、お互いが「共生」できることで 「ココロの豊かさ」を感じることができるようになるのかもしれませんね。 ありがとうございました。
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こんにちは。 心の豊かさは、自分は想像力があるか、ないか だと思います。 自分で、ひとつの物事を鵜呑みにするんじゃなくて 本当にそうだろうか、推察して、 実際に自分で調べたり、人と話したりして、 頭を使って考えて、その考察をもとに、 自分なりの認識をもつこと、 たしかに、あらゆる事実をいちいち、 分別したり、考察していたら、疲れるけれど たまに、自分にとってある程度 重要なことについては、真剣に考えるという 時間が、あるかどうか、ゆとりがあるかどうか、 それが、豊かさのような気がします。
お礼
>想像力があるか、ないかだと思います 何度も引き合いに出して申し訳ないですが、○○ファンドの事件などを見ていると、どうしてもこの想像力の部分が欠如しているように思ってしまいますよね。 かなり頭の回転は速く、とても優秀な人だとは思うのですが 「こんな事をすると将来大変なことになる」という部分がごっそりと抜け落ちていて 「ばれないからだいじょうぶ」という思い上がりがあったように思ってしまいます。 ファンドの設立当初は「日本を変えたい」と高い理想を掲げていたようですが モノ(金)の豊かさを追求しすぎたことで、ココロは豊かでなくなってきたのかもしれません。 ありがとうございました。
勝ち負けなんて人によりますよ。 勝ち組はそれなりに苦労やリスクを背負って生きて いるように思えます。 財産が増えれば、それを狙う悪いのもよってくるし。 会社だって倒産したらその社長は無職。 勝ち組と言われたホリエモンは逮捕されました。 ある程度のものと生活して行くのに困らないお金が あれば幸せなんじゃないですか? ある方が言いました。 「僕は働き続けた。毎日残業。休日出勤もした。 給料も高かった。でもプライベートはなくなった。 家にいても社長にしょっちゅう電話をかけられて 監視されてるようだった。」と。 給料が高いかわりに失うものも多かったと。 私は給料は安いですが・・・ プライベートの時間が多い生活をしてます。
お礼
>勝ち組はそれなりに苦労やリスクを背負って生きているように思えます 勝ち組の代表格は、いわゆる「ヒルズ族」という人たちだと思うんですが たしかにあの人たちって、連日深夜まで残業したりして頑張っている人も多いし また実際に巨万の富を築くことができるような人って、ほんの一握りの人なんですよね。 勝ち組の代表格であるホリエモンは逮捕されましたが、それでも一般の社会人と比べるとまだまだ裕福であるようにも見えてしまいます。 (これから賠償やら何やらで一文無しになってしまう可能性もありますが) >給料が高いかわりに失うものも多かったと 実際に経験されたかたの言葉ですので重みがありますね。 給料が安くても残業続きで激務だと感じる人もいらっしゃるとは思いますが 責任を持たされて仕事をしている高給取りの人の苦労も、想像できないくらい大変なものなのかもしれません。 そのような状況で「ココロの豊かさ」について考えることは中々容易ではないのかもしれませんね。 いわゆる「勝ち組」の人たちは、「モノ」については恵まれているのかもしれませんが 「ココロ」については決して恵まれているとは言えない人たちが多いのかもしれません。 ありがとうございました。
- Ashless
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こんにちは。 『他人と自分を混同せずに、自分を確り持つ』でしょうか。 他人と自分を確り区別して、自分自身を大切にしていれば、無駄に他人を羨んで、その人を蹴落として成り代わろうとしませんし、それによって自己を貶めるような事もしないと思います。 その人の様になりたいと、自分を高めるのは良いことですが、行き過ぎるととんでもない事になりますし。 自分の身の丈を判って、他人も自分も大切にする心を持ち合わせている人だと私は思います。
お礼
>『他人と自分を混同せずに、自分を確り持つ』でしょうか 他人を大切にすることは素晴らしいことですが、その為に自分を犠牲にするのでは意味が薄れてくるのかもしれませんね。 他人を尊重しながらも、しっかりと「自分」という存在を確立することが大事なのかもしれませんね。 この質問をしようと考えたのは、皆さんご存知の○○ファンドなどに代表されるような経済事件などを見て 「モノの豊かさを追求し過ぎる人は、なぜこのような末路を辿るのだろうか」と考えたからなんですが その「モノの豊かさ」と相反する意味でつかわれることが多い「ココロの豊かさ」について どうしても僕自身イメージが沸きにくかったんです。でも皆さんのお陰で何となくイメージが沸いてきました。 ありがとうございました。
- rinousagi2
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「勝ち組・負け組」「格差社会」などに一々左右されず 自分という芯を持ちながら、他者とのよりよい共生関係を築けるだけ の余裕を指すのではないか。と考えます。 要するに、地域社会を大事にする世代(高齢者)
お礼
>自分という芯を持ちながら、他者とのよりよい共生関係を築けるだけの余裕を指すのではないか 「共生」という言葉は「ココロの豊かさ」を表す言葉として適しているのかもしれませんね。 相手のことを全く考えないのもダメだけれども、自分を完全に犠牲にして相手に尽くすだけでもいけないのかもしれません。 ありがとうございました。
- 21happy
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共生する喜びだと思います。 他人のために自己犠牲するという発想ではなく、互いが喜び合えるという意味で。 「モノ(カネ)の豊かさ」が非難されがちのは、モノを独占しようと(自分だけの閉じた世界を作ろうと)するからだと思います。モノを多くもっている人でも、過剰な分を周囲に分配したり、共有したりする人は好かれます。 「モノの豊かさ」は共生する喜びを味わう道具になるので、これ自体が悪いとは思えません。
お礼
>共生する喜びだと思います 「自分だけがよければそれでいい」という考えでも「他人のためなら自分はどうなってもいい」という考えでもなく お互いが喜び合えるということはとっても大事ですよね。 たしかにココロが豊かでない人は、相手の立場に立って考えたりすることができにくいことが多いように思いますし それだけに自分だけの世界(ルール)みたいなものをつくってしまうのかもしれませんね。 >「モノの豊かさ」は共生する喜びを味わう道具になるので、これ自体が悪いとは思えません おっしゃるように「モノの豊かさ=悪」ではないのでしょうが、モノの豊かさを追求しすぎると良くないのかもしれませんね。 ありがとうございました。
- kaduno
- ベストアンサー率21% (130/592)
相手を受け入れられるかどうかでしょうか。 自分の価値観を相手に押し付けるのではなくて、相手の立場・悩みを理解してあげられればいいですよね。 『人間的に成長する(している)』という表現で置き換えられるかもしれませんが。 あと、金(モノ)の豊かさと違って、人から妬まれないというのもココロの豊かさの特権でしょうか。
お礼
>相手を受け入れられるかどうかでしょうか 自分に自信がない人(僕もそうです)は、違った価値観を他人から示されると中々素直に受け入れられないと感じることがあると思います。 何だか自分の中で大事にしている何か(プライド?)が傷つけられるような気がするんですよね。 でもそれは決してココロが豊かな人ではないですね。 >あと、金(モノ)の豊かさと違って、人から妬まれないというのもココロの豊かさの特権でしょうか 同感です。最近の経済事件などを見ていてもそう感じます。 「お金を儲けて何が悪いんですか?」と言っている人もいましたが、モノ(金)の豊かさを追求する人からすればそう言いたくもなるかもしれませんね。 ありがとうございました。
- kurupin
- ベストアンサー率24% (125/511)
幸せを感じるのにいちいち金をかけないことだと思います。
お礼
たくさんのモノを手に入れることによって幸せ(ココロの豊かさ)を感じるのかもしれないと考える時もあるのですが、そうではないというお考えですね。 僕はあまり物欲がないほうだと思うのですが、ストレス発散などの為に、たまに衝動買いなどをしてしまうことがあります。 それはココロが豊かではないということなのかもしれません。 ありがとうございました。
『どれだけ他人を慮ってあげられるか』 と言う事だと思うのですがもっと具体的にですか? 自分ではこれ以上はチョット・・・ 文才無いですから
お礼
>『どれだけ他人を慮ってあげられるか』 他人を気遣うことができるというのは確かに心が豊かな人でないと難しいことかもしれませんね。 心が豊かでない人は自分のことだけで精一杯で他人にまで気がまわらないかもしれません。 >もっと具体的にですか? 質問の書き方がヘタで、何だか「具体例を示せ」と受け取れるような文面になってしまってますが 決してそんな意図はありませんので、皆さんが「ココロの豊かさ」と聞いて思い浮かべることをそのまま回答いただいて構いません。 ありがとうございました。
お礼
>一つの事柄に対して、能動的又は自然に感謝が出来たり、多角的に意見を持てること 分かりやすく具体例を出していただき、とても理解しやすかったです。 まず前提として「何事にも感謝できる気持ちを持っている」ことがあって その上で「物事の1面だけを見て答えを出さず、様々な角度から見ることができる」ことは大事なことですね。 全てではないでしょうが、どうしても「モノ(金)の豊かさ」を追求しすぎると損得で物事を判断してしまうことがあるような印象があります。 (「勝ち組・負け組」「格差社会」なんかも、ある一面だけを見ている言葉とも考えられますよね) 皆さんの回答を読んでいて、何となく「ココロの豊かさ」のイメージがつかめてきたように思います。 ありがとうございました。