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病気への向かい方、立ち直り方
最近、体調を壊したとか、手術したなど病気の話が届く。「あれほど元気だった人が・・・」「健康には気を配り、無茶をしない人だったのに」と本人の努力や節制とは関係なしに病魔はやってくることもあるようですが、急に重い病気になられた方は、どのように考え方を持ち直して頑張っておられるのか、ご体験をお聞かせ下さい。
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健康だけがとりえだったのに、10万人に1人という、治らない病気 にかかりました。 病気を受け入れられないまま治療をはじめ、3ヶ月間泣いて暮らしました。 私はもう普通には生きていけないと思っていました。 そう思いつつも、生きたいと思う自分の気持ちの強さを思い知ったりもし ました。 それから1年がたちました。 病気は治らないけれど、病気の自分の体がなじんでしまうものなんですね。 故障した体でも、なんとか、生きています。 病気になる前よりも、充実した生活です。 1日1日が、貴重だからです。 あんなに苦痛だった治療も、そうしなくては生きていけないからと 開き直ったら苦痛はありません。 そして、いつからか「こういう自分があたりまえ」と自分中心で考え ているようです。 こんなふうに思えたのは、同じ病気の人とたくさん面会したことがきっ かけだったと思います。情報交換も大切だけれど、同じ病気と闘う者同士 が、自分を愛してくれる家族や友達よりも、気持ちを理解してくれます。 健常者では、どんなに「解ってあげたい」と思っても残念ながら、限界が ありますから。 インターネットが普及し、同じ病気の人と出会う機会は簡単につくれ ます。10万人に1人の私の病気でさえたくさんみつかりましたから… ひとつの参考になれば幸いです。
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- funiko1031
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私は交通事故に遭って、1年半たちます。 ・・・・が、未だに後遺症で走ったりできません。 事故前はスポーツが大好きで、休日には体を動かすことがストレス発散法でした。 なのに、事故という一瞬の出来事で、それもできなくなりました。 そうですね・・1年位はものすごい苦しみました。 泣いて、荒れて、ヤケになって・・・という毎日でした。 事故後半年して仕事に復帰しましたが、仕事中にツライツライと言っているわけにもいかず 作り笑顔するのですが、それがまたストレスなんです。 今思うと、精神的にもヤバかったなぁと思います。 でも今はけっこう元気にやってますよ。 職場でも自然に笑えることが多くなりました。 だけど「障害を受容できた!」と断言できるほど強くはないので、今でも悩むこともあります。 弱気になることもあります。 なにがきっかけで立ち直れたか・・・やっぱり周りの人に支えられたことかなぁ。 ある先輩に「何もかもできないと思うな!今の体でもできることはある。 いつまでもそんな気持ちでいると、あなた自身が損をするよ!」と言われたことがありました。 それまでは「大変だよね、辛いよね。」と同情してくれたのに、ある日このように言われて一瞬わけが分かりませんでした。 でも、先輩の言うとおりなんですよね。 障害のことにしか目がいかないもんだから、「ああ、あれもできない、これもできない。障害のせいで何もできない!」 っていう状態になりやすいんです。 でも先輩の言葉を聞いてから、今の自分にできることを探すようになりました。 今では山登りや水泳を楽しんでいます。 昔のようにすんなりとはいきませんが、ゆっくりなら「できる」んです。 NO3さんの回答を拝見して、ものすごく同感しました。 不便な体なりに、人間はその体に適応することができるんです。 「交通事故に遭って良かったとは思わないが、無駄な経験ではなかった。」と今では思います。 人の痛みを少しは理解できる人間になれたのかな?と思うからです。 以上、私の経験談でした。
お礼
まず、お礼が遅くなったことをお詫び致します。 病苦以外に、交通事故障害もありましたね。これは突然のことであり原因がはっきりしていることが多いので悔しい思いがいつまでも続いたことでしょう。 だからと言って「事故にあったときの心構え」を養っておく訳にもいかず、結局は悩み、苦しんだあと他人のアドバイスが耳に入り、気づきを得て立ち直り、以前よりも精神的には強くなられて生きて行かれるのですね。それは無駄な体験ではなく、人の痛みを理解できる人間になられた、という他では得られない贈り物を頂いたと言うことですね。辛いことを想い出させまして申し訳ございませんでした。ありがとうございました。
- yamanekotama
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誕生して今日迄大病6回、内手術4回経験しました。1回目は3歳だったので記憶は少し!私が死んだら親父は坊主になる!とお袋に言ってたそうです。そのご数十年!周りからよく不死身だね!といわれてます。でも病気からの立ち直りは時が解決してくれます。体力は落ちますが止むを得ません。生きてる事!後悔しないよう全力で楽しむ。これ大事です。家族のありがたさも良く分かります。罹った病気のこと良く勉強しました!ドクター、病院選びも独自で探す!いまは気の合う内科のドクターがおりますが~ 共存しなければならない病気は仕方ないですが、病気に負けない精神、不可欠と思って生きてきましたし、生きていきます。(敢えて病名は伏せました、お許しください。)
お礼
大変な体験談ありがとうございました。 病気に罹ったときは、共存は仕方がないこと割り切られて、罹った病気のこと良く勉強し、ドクター、病院選びも独自で探され、病気に負けないようにする。 病後は「生きてる事!後悔しないよう全力で楽しむ」などのご努力をされて、それでもが「時が解決してくれる」とのこと。長い間、我慢の時間が必要だったのですね。 なぜ、このような模範生のように生きることが出来たのでしょうか。ご自分の哲学や信条もあるでしょうが、ご家族の支えも大きかったことでしょう。ありがとうございました。
こんばんは。 数年前に大病をしました。手術を受けました。ある臓器を摘出しました。ショックです。何年か経った今も、考えただけでなんで自分がこんな病気になったのかと、悔しくて悔しくて夜になると涙がでます。そのせいか、最近よく眠れません。 でも、このサイトに来るようになって、そんな自分の殻に閉じこもっていた心が少し晴れてきました。 このサイトにいらっしゃるみなさんも、色々な悩みをかかえて、苦しみをかかえて、また、中には深刻な病気と闘って生きていらっしゃる方もいる... それだけで、私はすごく勇気をもらいました。なくしてしまった臓器は戻ってきませんが、私にはまだまだ丈夫な他のパーツが沢山残っている...落ち込むことなんかないのだ!そういうふうに、最近思えるようになりました。すこーしずつですけど(^_^;) このサイトが好きです。なので、他の同類サイトみたいに、無闇に荒れたりして欲しくないと、心底願ってやみません。 以上、体験談です。ご参考になれば嬉しいです。
お礼
「なぜ、自分が・・・」と言う思いは、病気に気付いた頃に誰しもが考えると聞いていましたが、数年経っても悔しさに涙されるとは・・・、私には到底思いが及びません。 しかし、少しずつ思いが変わられたとのこと。 身体の回復より心の回復が大変だと言うことがよく分かりました。 キット他人には辛い顔をせず笑顔で接せられ、愚痴も言わずに暮らしておられるのでしょう。そのご努力だけでも素晴らしいことです。 私は病気以外で悔しい思いをしたことがありますが、時間と共に忘れていくようで、恨みも減りつつあります。それを教訓にしていこうと考えるようにしています。 貴重なご体験話を吐露頂き、ありがとうございました。
お礼
私がここにご質問させて頂いたのは、重い病気に罹った人へのお見舞いの言葉がなかったからです。その病気になっていないと伴侶であっても、心を込めた言葉でも空虚な感じがして、自分でも疑問を感じるのです。仰るように「健常者では、どんなに「解ってあげたい」と思っても残念ながら、限界があり」通じないでしょう。同じ病気の人との交流を勧めたいと思います。 3ヶ月も受け入れることが出来なかった病気なのに、病気が自分の体になじんでしまう、とのこと。辛い治療も開き直りで、苦痛から解き放たれておられる。素晴らしいですね。 また、「病気になる前よりも、充実した生活です。1日1日が、貴重だからです。」という言葉には感激しました。 貴重な体験と克服されたご努力を皆さんにお教えさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。