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無信教っていけないこと??

僕は一応過去にキリスト教の洗礼を受けているのですが、自分の意思で洗礼を受けたわけでないので実際はどの宗教も信じていません。むしろ哲学の方に興味があるくらいです;^^ それで、この間某ニュース番組のコメンテーターの方が「安易に無信教というべきでない」と言っていたのですが、無信教って悪いことなのでしょうか?悪いとすれば何が悪いのでしょう?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.6

 無信教が悪いということはないでしょう。なぜ,無信教か,神仏を信じないのかという明確な哲学をお持ちの方は,「無信教・無宗教」とおっしゃっても良いと思います。  無信教であるとか,無宗教であるとか“安易”に言うことは悪いことかも知れません。  諸外国では,生活のバックボーンに宗教がありますから,「無信教・無宗教」と口にすれば,信用するに足らぬ奴と思われてしまいます。    よくこのサイトで,「私は無宗教ですが,先祖を供養したい。」と質問されると,「アンタそれって儒教じゃん。」って思ってしまいますし,「私は無宗教ですが,水子供養をしたいのでどこかいいお寺はないでしょうか。」と質問されると,「アンタ仏教に救いを求めてるじゃん。」って思ってしまいます。  特定の宗教宗派を信仰しているわけではないということだけで「無信教・無宗教」というのは,いかがなものかと思います。  日本はあらゆる宗教宗派に寛容ですので,特定の宗教宗派を信仰していないから「安易に無信教・無宗派」と称している癖がありますから,コメンテーターの方はそのように言われたのでしょう。    このゴールデンウィーク中に京都の社寺を回りましたが,若いカップルを多く見ました。彼らは「無信教・無宗教」ではなく「無宗派」なんでしょうね。  私は「無宗派」という言葉を定着させたいと考えています。「不特定寺院神社派」でも「無社寺派」でもいいのですが,神様でも仏様でも,誰か願いを叶えてください,救ってくださいと利益を求めるときだけ信仰する方が「無信教・無宗教」と自称されるのに違和感を感じます。  やっぱり.「無神論者」とか「無信教」「無宗教」と自称される方は,それなりの哲学を持っておられるべきだと考えるからです。

sum41chuck
質問者

お礼

>やっぱり.「無神論者」とか「無信教」「無宗教」と自称される方は,それなりの哲学を持っておられるべきだと考えるからです。 なるほど。やはり安易に無信教というのはいかがなものかということですね。ご回答ありがとうございました。

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その他の回答 (6)

回答No.7

私は、宗教が社会で大きな意味を持つ中東に長らく住み、一神教(イスラム、キリスト教、ユダヤ教)を生活の中で身近に接してきました。その経験からお答えします。 1.まず、諸外国で「無宗教」というと、多くの国では実際面で損をします。 変人、ないし過激思想(共産主義者とか)を持つ人間と疑われるのです。これは、要するに多くの国では、「人間は生まれながらにどれかの既存宗教に属すもの」という常識が浸透しているからです。(世界の大半の国では、宗教は個人が選択するものでなく、生まれた家の宗教に自動的に所属することになっています。) 今の世界の実態をいえばそういうことです。 しかし、「無宗教を自称すると損をするから(トラブルになりやすいから)、無宗教を言わない方がいい」というのは、ようするに外国に行ったときの処世術であって、無宗教が悪いなんてことはありません。 欧米人だろうが中東人だろうが、外国人の価値観を無批判に受け入れて同調する必要はありません。 2.宗教が強い社会で暮らしてみれば、宗教のくだらなさはよくわかります。もっとくわしく言えば、宗教が社会や人間を支配する度合いが強い社会の、精神的な底の浅さがわかってきます。 宗教は、自分の頭で物を考えようとする人間には邪魔なもので、ある時点でかならず思考停止を要求してきます。そして、宗教の戒律は、なんと人間の本来の自由を奪うのでしょう。宗教の強い社会では、宗教は必ず人間に戒律を強制してきます。 日本人は、自国が非宗教的社会なので、宗教を逆に美化しがちですが、宗教なんて信じなくても生きていける強い人間であれば、その方がいいです。(そのほうが精神的に高級な生き方ですよ!) 現代日本は、宗教が威張っていない世界でも屈指の社会です。これは日本人が文明国として本来なら大いに誇るべきことです。

sum41chuck
質問者

お礼

>現代日本は、宗教が威張っていない世界でも屈指の社会です。これは日本人が文明国として本来なら大いに誇るべきことです。 そういう考え方もあるのですね。分かりやすいご回答ありがとうございました。

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  • jameskun
  • ベストアンサー率17% (123/685)
回答No.5

自分も皆さんの仰るのに賛成です。 特に、No.3さんの、 >生まれた時は神社に行き、結婚する時は教会で、死んだらお寺 は、そのとおりです。宗教心が強く、生活が宗教中心の外国人から見れば、JAPは、何と節操の無い野蛮な民族なんだろうと思われます。同じ日本人から見ても、クリスマスやバレンタインは、滑稽を通り越して、不気味です。イースターが一部マクド等の商戦になりかけたけど、今一歩目玉となる商品がないので、出遅れてますが。(ケーキとチョコレートに対抗してカボチャじゃなあ) 国内では、無神でも通じますが、やはり、対外国的には、宗派を言えるくらいでないと、まずいんではないでしょうか?

sum41chuck
質問者

お礼

JAP→JPN 回答ありがとうございました。

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  • Musaffah
  • ベストアンサー率36% (37/101)
回答No.4

私も基本的な考えは#3さんと同じです。 何故日本に無信教が多いのか、私なりの解釈ですが簡単にまとめてみました。 1)かつて日本は国家レベルで宗教を利用していた。   (~第二次大戦まで。)   その結果悲惨な結果を生み、宗教を切り離した。 2)日本では宗教は儀式化している。   海外と日本では宗教本来の目的が異なっている。   (詳しくは後述) 3)「宗教=すがるもの」というイメージが定着して   いる。それにより、宗教について語ることは自分   の弱いところを露呈するイメージを持っている。 海外では、宗教は自分を形成する根本思想であるという認識です(多分)。アジアの国々では「ご先祖様」を宗教ととらえているのかな?(違っていたらごめんなさい。) それに対し、単に「儀式」としてしか捉えていない日本人とはかなりかけ離れた価値観となっているのでしょうね。 ちなみに、海外では就職試験の時に宗教を聞くところもあるらしいです。「無信教です」といっただけで不採用となるらしいですよ。(聞いた話ですが・・・。) それだけ海外では宗教はその人の価値観を知る上でも大事な要素なのでしょう。 まぁ、少なくとも日本にいる限りは「無信教」といっても問題は無いでしょう。

sum41chuck
質問者

お礼

>ちなみに、海外では就職試験の時に宗教を聞くところもあるらしいです。「無信教です」といっただけで不採用となるらしいですよ。(聞いた話ですが・・・。) それだけ海外では宗教はその人の価値観を知る上でも大事な要素なのでしょう。 っそ、そんなことがあるんですか?宗教が尺度になっているんですね。アドバイスありがとうございました。

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  • zato
  • ベストアンサー率60% (2090/3478)
回答No.3

信じている宗教が無いことが悪いというわけでは有りません。 日本人は多くの人が特別の宗教心は無く生きていると思います。(私もそうです) しかし、宗教心の強い外国の人に「安易に無信であることを言うべきではない」のです。 なぜなら、宗教を信じている人にとって生活の全てが宗教にのっとったものであり、「無信」ということ自体が信じられないのです。 例えをあげます。 質問者様が某大企業に就職して海外事業部なるものに配属されたとします。 そこでアラブの一国から石油を輸入する大契約を結ぶことになったとします。(←これ適当) 最後、お互いが契約書にサインする時、アラブの王様が言いました。 「私はイスラム教のアラーに誓ってこの契約を誠意を持って結びます。 あなたはあなたの信じている神様に誓って契約して下さい。 仏様でも日本の神様でも結構です。 何を信じていますか?」 ここで質問者が「私は無信教ですので、特に信じている神様はいません。 自分自身に誓います。」なんて正直に答えちゃったりすると、その契約はパーになります。 信じている神様がいない=きちんと誓えない→信用できないということになっちゃうんです。 日本人のように宗教心も無く、生まれた時は神社に行き、結婚する時は教会で、死んだらお寺、なんていういい加減さは外国人には理解できないことでしょう。 この日本の風習をきちんと説明できないようでしたら、宗教の話を外国人とする時はある程度話をうまく合わせておいた方が良いのだと思います。 勉強にもなりますしね。

sum41chuck
質問者

お礼

>信じている神様がいない=きちんと誓えない→信用できないということになっちゃうんです。 なるほど・・・そういう風にとられてしまうのですか・・・。信じるものをもっている人たちからすれば無理もないですね。分かりやすいアドバイスありがとうございました。

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  • toka
  • ベストアンサー率51% (1215/2360)
回答No.2

 「どうして人を殺しちゃいけないの?」とか「人の物を取るのは何が悪いの?」とか「麻薬は何が悪いの?」といった、根本的な疑問がたまに子供から出ることがあります。  我々日本人は、まじめに、というか正面から「人の身になってごらん」とか「人間の体とは、、、」とか理屈で説明しますが、世界のほとんどの国では、その答えを神様の教えとして子供に教え聞かせるのです。つまり、宗教とは学校に入るその前の、本当の常識を学ぶ教科書の役割を果たしています。  日本人は宗教というと新興宗教をイメージして洗脳恐いとか考えがちですが、外国の方の前でそういうと「こいつは、世の中の基本的な常識をどこかで学んできてるのだろうか」と思われることもあるようです。コメンテーターの方が言ったのは、そういうことでしょう。

sum41chuck
質問者

お礼

欧米諸国は宗教が下地になっているのですね・・・。なるほど、分かりやすいご回答ありがとうございました。

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  • Jinjim
  • ベストアンサー率24% (81/332)
回答No.1

おそらくそのコメンテーターの方は、「ちゃんと神を否定する論理があってこそ無信教と言える」(無信教ってこなれてない言葉ですねえ、無宗教ではだめなんでしょうか?)と考えてらっしゃるんでしょうね。 欧米文化には、宗教の基盤が文化を支えているという世界観があり、どの宗教にも帰依していない人は「野蛮人」と思われても仕方がないのです。でも、それが世界の共通認識とは思えません。また、その考えを基準にする必要もありませんよね。 だから、あなたの疑問には、「悪くない」と答えたいと思います。

sum41chuck
質問者

お礼

なるほど・・・。宗教が認識の基盤となっている諸外国のことも考えた場合、安易に無宗教ということには危険性があるんですね・・・。アドバイスありがとうございました。

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