• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:キリスト教徒に求められる意識について)

キリスト教徒に求められる意識とは?洗礼を受けるべきか悩む高校生の疑問

このQ&Aのポイント
  • キリスト教の洗礼を受けるべきか悩んでいる高校生の疑問とは、洗礼を思い立った経緯や信仰の得られていない状況、自身に対する激しい拒否などが挙げられます。しかし、自身を「生かす存在」と認識し、善い信仰に対して誠実になりたいと願っているこの高校生は、キリスト教徒に求められる意識を考える上で重要な視点を持っています。
  • キリスト教徒に求められる意識は、イエスに対する敬虔さだけではなく、キリスト教そのものへの思いや教義に従うこと、自身の精神を神の求める形に変えていくことなどが含まれます。この高校生は自身の思考や覚悟、神への愛に対する真摯な疑問を抱えているため、洗礼を受けるべきかどうか迷っています。
  • このような状況で、洗礼を受けるべきかどうかの答えは明確ではありません。キリスト教徒に求められる意識や信仰の深さは、日々の献身と聖書の学びを通じて築かれるものであり、自己の心情との対話や神との関係を深めることが重要です。キリスト教徒としての意識を持つためには、自身の信仰に対する真摯な探求が必要です。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#207138
noname#207138
回答No.2

こんにちは。 キリスト教徒にも実に様々なタイプがあります。 キリスト教徒である私個人の意見として、教会や教えとは無関係に言わせて頂きますが「洗礼を受けているかいないかはあまり関係ない」と思います。 洗礼を受けている人でも受けていない人より神から遠そう^^;な人は沢山いるでしょうし、逆もです。 ですから、洗礼を受けるか否かよりもそのまま探求を続けて行けば良いと思います。 神様のお計らいは質問文から推察するあなたの神様への理解を遥かに超えてきめ細かく力強く、確かで寛容です。 洗礼を受ける資格を考える必要はありません。 あなたが受けたければ受ければよろしいし、まだ受けるべきでないと判断したなら受けなくてよろしいと思います。 そんな事と言ったら他の信徒さんに怒られそうですが、それを気にするよりも神様を実感し、神様を体験してください。 ほぼ確実に今お悩みの事柄は消え去り、right choiceに至るでしょう。それが洗礼う受ける事か受けない事かは私には解りません。 でもいずれであってもright choiceである可能性があると私は思います。 神様は体験したり感じたりするには、安全でオーソドックスな道は「生(活)きる」事です。 環境問題でも良いし、社会問題でも良い、何か現在の信仰をもっているとハッキリ宣言できない現状の自分でもこれは大切な事だと思える事で活動してみては如何でしょうか。 活動するところに問題は生じ、その問題は誠実に対処する事によって正しい方向に導いてくれるパイロット(水先案内人)となります。 そういった生活自体があなたにハッキリと認識させてくれると思います。 現代は良くも悪くも自分自身を大切にできない人は他人を大切にする機会を得難い時代です。「自分を大切にする定義は色々ありそう」ですが、それもレベルや段階によって違うだけでほとんどのものは正しいと言えるもので、擬い物は少ないと思います。ただ「自分のレベル、段階はどこか」を見極める必要はあるかもしれませんが。 洗礼を受けるか否かより、自分の人生に自分のその時その時のレベル、段階に合った誠実や愛をもってできる限りの力を使って自分を含む周囲の人々の支えになり、力になりする事を考える方が大切だと思います。

takionn
質問者

お礼

遅くなってしまい申し訳ありません。 素晴らしいご回答ありがとう御座います。 確かに、キリスト教について「こうでなければいけない」と私に制限を与えるもののように捉えていたかもしれません。 Apsotleさんの仰られたことが私には非常に新鮮で、 行動し周囲に向き合うことが水先案内人の存在を感じさせてくれるという言葉を胸に刻んでいきたいと思います。 このご回答を今後の行動の参考にしていただきたいと思います。 ありがとう御座いました。

その他の回答 (2)

  • hhituji
  • ベストアンサー率30% (15/49)
回答No.3

私個人の意見を述べさせてもらうと、 躊躇があるなら洗礼は今は受けなくてもいいのではないでしょうか? というのは、キリスト教には大切な「信条」というものがあって、簡単に言うと、これを信じていなければクリスチャンとは言えないというスタンダードのようなものがあります。 内容的には、簡単に言うと ・イエスキリストは受肉した神である。 ・私たちの罪を背負ってそのために十字架につけられ死に、贖罪を行い。 ・三日後に復活した。 これらを比喩や神話ではなく「事実」として信じている人がクリスチャンなのです。 最近の信条は口語体になり、これらがあまり意識されず、わかりにくいですが、 要するにこういうことです。 あなたは、神の存在や、自分を生かしている大きな力などは信じていらっしゃるように 感じられますが、さすがに上に挙げたような信条は信じていないでしょうね。 でしたら急ぐ必要はないと思います。イエスを道徳的に優れた人間と考えていたとしたら それはキリスト教ではないし、正直、ほかの宗教を信じるのと差がないと思います。 ただ、誤解してほしくないのですが、あなたが今回、このような相談を書かれた というのは間違いなく神の導きだと思うのです。 私があなたに言いたいのはたった一つ、聖書の言葉、 「心をつくし、知性をつくし、精神をつくして私(神)を探すものは見出すだろう」 という言葉を確かめてみてほしいのです。 つまり、spirit soul mindを使って神とは何かを探してほしいと思うのです。 ここで大事なのは、mind(知性)です。 あなたは、神を証明のできないものと考えていると思いますが、本当にそうなのか? 探し求めてみてほしいのです。 あなた自身の問題とリンクしない答えなのでもやもやしていると思いますが、 私は、この探求の旅の答えが、あなたの人生のあらゆる悩みを解決する力を 持っていると信じています。 よい旅に立たれることをお祈りしています。

takionn
質問者

お礼

ご回答ありがとう御座います。 ご指摘の通り、キリスト教を道徳的なものとして認識していた事は確かです。 「狭き門」などを読んだ時は意識の隔たりを感じさせられました。 それをふまえ、唯今はキリスト教に興味を持てたという事を感謝し、 仰られたように神の存在について考えていきたいと思います。 明解なご回答がとても嬉しいです。 ありがとう御座いました。

  • E-FB-14
  • ベストアンサー率14% (401/2862)
回答No.1

小生10年ほど前に洗礼を受けました。 年金生活者です。 献金するお金もないので教会には行っていません。 今では病気のデパートです。 もう墓場まで持って行く病気が5つ程あります。 所詮宗教なんて頼りにはなりません。 ゴツコ遊びなのです。

takionn
質問者

お礼

迅速なご回答ありがとう御座います。 若い者が何を言える訳でもないので言及は避けさせて頂きます。 一つ言うとすれば、救いを求めてこの件を考えているわけではありません。 唯、明らかに一つの点について疑問を思われていらっしゃるようですので そこは改めさせていただきます。 ご指摘ありがとう御座いました。

関連するQ&A