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分骨の是非を巡る争い
分骨を巡って、父の兄弟に争いが起きそうな状況になっており、懸念しています。 先日、北陸地方にある実家で祖父と祖母の法要を行ったのですが、その席上、関東南部に住む父の弟(私の叔父)から「遠方にいるのでなかなか墓参りに行けない。近くに墓を作るので分骨させてもらえるか?」という申し出がありました。しかしこれを聞いた父は、申し出を即座に拒否しました。理由は・・・ ・叔父の他の親族は、数年に一度しか墓参に訪れていないこと(叔父からすれば「だからこそ」との思いもあるかと思いますが) ・墓を建立して以来30年近く、墓の周辺の掃除や草むしりなど一貫して墓を守ってきたのが血縁のない私の母(嫁)であり、その母が「心情的に理解できない」と話していること。 などが主な理由です。 分骨は今のところ叔父のみの考えらしいのですが、祖母の死後わずかな遺産を巡り諍いが起きた経緯もあり、今後新たな兄弟間の火種になりかねません。 自分としては、心情的には分骨には反対です。しかし、私自身も関東に出ており、両親にもしものことがあった時、田舎の墓を守っていけるのかどうか心配な面もあります。(妹が一人おり、すでに結婚していますが実家からクルマで30分弱のところに住んでいます) 私を含め、今後どのように対応して行けばいいのでしょうか?アドバイスを頂ければ幸いです。ちなみに、 ・墓の建立の際は兄弟がお金を出し合った。 ・場所は父名義の土地の中にある。 ・菩提寺は浄土真宗であり、実家から歩いて10分ほどのところにある。 という背景があります。宜しくお願いします。
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質問者自身が、本願寺さんの教義を主とされるか、日本国憲法の信教の自由と個人の安心(あんじん)方策を主とされるかの、違いなので、教義論になれば、#5、#6さんのとおりでしょう。また、#6さんは曹洞宗のお檀家とのこと。 曹洞宗とて、本尊、釈迦如来だから、仏壇には、釈尊をおまつりすべき、なる教義論が、出てきますが、曹洞宗自身、後発仏教なので、菩提寺の、ご本尊が、みな釈迦如来かというと、そんなことは、ありません。 また、現在、本願寺さんであっても、その過去帖をみれば、過去、本願寺ではない戒名は、いくらでも出てきます。 ですから、本願寺=位牌は駄目とは、教義上のことで、それとて、質問者自身できめれば、いいことなんですね。 大体、どこの宗派も中堅から上くらいの人は、教義論を話されますが、故人、大西良慶老師、朝比奈宗源老師、現在、存命の宮崎えきほ老師、など、ちょっと本願寺さんの老師の名前を失念して申し訳ございませんが、直接、合って、お話すると、位牌だの、お骨だの、そんなことは、苦にせんでええの。仏様(死者と仏陀と両方をさしているらしい)の方向をみて、合掌すれば、それでええの。って、どなたからも、私は直接お聞きしました。つまり、枝葉末節にこだわるな!、坊主は、その家を見て、風を吹かせるのだ。その風が、教義に沿うときもあらば、たまには、沿わないときもある。と、おっしゃってみえたことを、お伝えします。重箱のすみをつつく教義より、幸せの方が大事です。生きているものの幸せが大事です。ともおっしゃいました。 以上、。教義は、ご自分で、いかようにも勉強されたし。。。
- teinen
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本題から少し離れますが,西本願寺も東本願寺も「位牌を作っちゃ駄目」とハッキリと言っています。 祖先の法名(浄土真宗には戒律がないので,戒名とは言いません)を過去帖に書き込みます。又,位牌ではなく,法名軸に仕立てます。法名軸は礼拝の対象ではないので,仏壇の内側側面に掛けます。 さて,本題に戻りますが,No.2の回答で書きましたとおり,浄土真宗は遺骨に執着しない宗派ですから,叔父様は分骨に拘る必要もありませんし,どうしても叔父様が分骨に拘るのであれば,御父様も拒む必要はないのです。 分骨するしないで揉めているこの時こそ,浄土真宗・親鸞聖人のみおしえに触れる良い機会だと思います。 散々浄土真宗のことに言及している私は門徒ではなく,浄土真宗の教義が一番しっくりと理解できる曹洞宗の檀家です。
補足
ありがとうございます。結局は、遺骨に執着するかしないか、という問題のようですね。
- nozomi500
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浄土真宗では、位牌は用いません。 そもそも、亡くなった方は「極楽」にいらっしゃるのであって、お墓や位牌にいらっしゃるわけではありません。 一般庶民にとって、「○○家」というもの自体が明治時代の産物であって、戦後の民主主義の中で「家制度」もなくなってるわけですから、戦前の数十年の歴史にこだわって、いちいちお墓に固執するのは意味がないように思います。 私自身は、遺骨なんて単なる「不燃ゴミ」で捨ててもらえたら結構、の立場です。(体重のほとんどは二酸化炭素と水蒸気になって空気中に拡散され、灰の中から骨拾いされた数十グラムの遺骨だけを特別扱いするのも意味ないでしょう)
お礼
わかりやすいですね。ありがとうございます。
浄土真宗、いわゆる、東、西本願寺が、位牌を作っちゃ駄目なんて、言ってはいないと思いますよ。 つまり、親鸞いわく、南無阿弥陀仏 とお唱えして、阿弥陀佛に礼拝しなさい。というのが、教義ですよ。と言っているだけで、先祖崇拝は、教義には、無いので、施主自身が、個人として行ってくださいということ。 これを突き詰めると、葬式なんて、本願寺では、やらなくても良いわけに、なっちゃうし、阿弥陀様、一途で良い訳ですから。。 ただ、古来より日本人の基本宗教概念として、宗派にかかわらず、先祖崇拝という概念があるので、それは、真宗としてではなく、庶民としておやりくださいということですから、本願寺さんの葬儀は、本当は、遺体など、不要で、阿弥陀様の掛け軸さえあれば、OKなんですよ。 で、何回もいいますが、分骨で争う、相続で争うって、終わったあと、無駄なことしたなってことが多いと後から思うことが、大変多いので無駄でしょう。 相続なんて、最初は、余程の財産かと思えば、それほどでもなく、弁護士料の方が高かったとか、よく聞きますのでね。 よって、位牌を作っても、結局OKなんですよ。自由なんですから。参考URLは、ちょっと、現代人向けでは、無いとうか、本願寺の本質なんですが、説明が固いですね。
- goosara
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位牌を作られててまつられてはいかがでしょうか
お礼
ありがとうございます。ただ、下の方のサイトを読みますと、浄土真宗では位牌を用いないようなので、仏壇とご本尊、過去帳を用いて、ということになりそうですね。
- teinen
- ベストアンサー率38% (824/2140)
宗旨が浄土真宗であるならば,質問者の方も叔父様も,もう少し浄土真宗の教義をお知りになった方が良いと思います。 浄土真宗では,遺骨に執着しません。遺骨を拝む対象とはしていないのです。
お礼
サイト拝見しました、ありがとうございます。 確かに教義を厳格に解釈すれば、遺骨にこだわりを持ちすぎることはあまり意味のないことのようですね。両親に話してみます。
お参りするのに、分骨は、絶対条件では、無いですよ。 自分で、位牌を作って、おまいりすれば、いいと思いますが。 分骨で争うなんて、全く意味がありません。故人の祭祀継承者つまり喪主が、全部のお骨を1箇所の墓に入れ、土に返す。それでいいじゃないですか。 なお、菩提寺に、お布施と花代を現金書留で送れば、菩提寺の坊さんが、代りに、お墓参りと読経はしてくれるはずですし、坊さんが、東京からいつも、手紙を貰って、おまいりしていますよって、法事の席でも言ってくれるし。 結局、あなたが、将来、祭祀継承するようですから、菩提寺に、手紙を書いて、お布施や墓の維持管理費用を払って、妹さんに代理で、寺の行事に参加してもらう、そのとき、自分の名前で、お布施にせよ、卒塔婆にせよ、書いてもらう、妹さんには、草取り代代りに、東京名物でも、季節ごと、(盆と正月)に送ってお願いしておくで、OK。でしょう。 分骨の意味が、わかりませんね。関東に墓を作るなら、今度は、菩提寺との縁も切れるわけですし。。。
お礼
ありがとうございます。確かにおっしゃる通りだと思います。 祭祀の継承については、恐らく私になることとなるようです。この点はアドバイスの通り、妹と話し合って対応していくことにしたいと思います(幸い、妹の嫁ぎ先はそのあたりに関しては理解がありますので)。 肝心の分骨については、貴見を読み思いを強くしました。浄土真宗の教義などを勉強して理論武装し、両親を支えていきたいと思います。
お礼
生きているものの幸せが大事、というのは非常に重い言葉ですね・・・。