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税金・消費税

消費税は本当に公平でしょうか? 所得の高低に因らず、一律同じ額面だけ支払わされる消費税ですが、これは公平なのでしょうか?確かに全ての国民が誤魔化しようが無く支払う事が出来るという意味では公平です。が、年収が一千万円の夫婦が楽しみの為にテニスボールを買ったときに払う100円と、年収が二百万円の四人家族が食事の為に大根を買ったときに払う50円は同じでしょうか?自由経済の世の元、こうした不公平感は当然あって然るべきとは思いますが、今の世の中素直に受け入れる事が出来ません。最も私個人としては日々の糧に困るような生活をしている訳ではなく、むしろ享楽的に生きていますので(貯金はありませんが…)こんな事を言う資格は無いかも知れませんが。また、全てを所得税の様に金持ちはたくさん払え! と言うのでは活気ある経済活動が望めなくなる事も感じてはいるのですが。皆様はこんな事を考えますでしょうか?また、どうすれば良いのだと言う御意見がありましたらばお教え戴ければと思い投稿しました(全ての人類が誠実で欲望を抑える術を心得、優しい環境の下に共産主義を唱えれば最高だ、と言うのは今現在現実的では有りませんのでそれ以外の物を…出来ましたら…勝手な言い分で申し訳ありません)

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  • hiro-2005
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回答No.1

公平ではないと思います。 現在のシステムはわかりませんが、昔フランスに住んでいたときは、消費税は細かい段階別に設定されていました。 食料品や日用雑貨など、生活に最低限必要なものは非課税で、なくても生活していけるものや贅沢品と思われるものには高額な%が設定されていました。 なので、普通のサラリーマンや商店主も夏にはそこそこのバカンスを楽しむ生活が可能で、人々はそれを楽しみに労働に励むことができました。 日本に帰国して、一律の消費税課税にものすごくとまどいましたし、現在も不公平感を抱いています。 政治家や役人が手を抜いているように感じられてなりません。 細かい段階設定には、各業界の反発などがあるでしょうから、既得権益を守るのに懸命な政治家には手をつけにくいでしょうし、面倒なのでしょうね。 また、税込み価格のみの表示もこういう手抜きをごまかしているように感じます。 フランスでは本体価格と税込価格が二段表示されていたので、商品にどれだけ税金が課せられているかが一目瞭然で、自然にその税金の使い道に関心を持つようになり、政治や行政の市民レベルでのチェックというものがしやすくなっていたように思います。 政治や行政のレベルの低さを感じてしまいます。

alidon
質問者

お礼

他国(フランス)での消費税のあり方を教えて頂き驚きました。いえ、私自身確か似たような知識を以前持っていたような気がします。では、嘗てあれだけ国民的に問題視して騒いだ物の筈なのに私自身も含めてそんな当たり前の事(hiro-2005様の回答内容)に誰も斟酌しないのでしょう。頂いた回答を拝見する限り、「じゃあ日本の消費税って間違ってるじゃん?」と明確に思えるのですが。…私を含む刹那的な日本人気質と、下らない自分の利益追求型の政治形態・まあ何処の国も似たような物でしょうが・に情けなくなりました。的確な情報と丁寧な回答を有難う御座いました。

その他の回答 (1)

回答No.2

 共産主義の確立への情熱には、賛同いたしますが、貴殿の望む共産主義とは、どんなシステムでしょうか?  我輩が空想する共産主義は、今現在のシステムと、殆ど変わらないものであります。資本主義経済が、成熟し、人民の心が、他者を思いやるようになることができれば、もっと良い世の中になります。  勿論若干の制度変更は必要でしょうが、「心の共働」というものができあがれば、資本主義経済イコール共産主義経済であると思われる。  勿論、其処にいたるには、流血革命も不要であり、私有財産制も維持し、生産手段の共有すら不要であります。システム的に共産主義だと言い張っていた、経済社会がかつてありましたし、今もありますよ。しかし、それは、歪んだ官僚支配による社会主義以外の何者でもありません。カールマルクスがかつて資本論を著し、社会主義革命が一世を風靡したようですが、マルクスは、本質的に革命家であり、自分の目的を実現するために、革命を実現するための、理論武装として、経済学を研究した人物である。いまでは、彼のこじつけの経済理論は、一部を除いて、殆ど実体経済を顕わし得ないことが、理解できると思われる。 革命に駆り立てるための、目的は達成しましたが、共産主義の確立には至らなかったのである。マルクス自身、社会主義は、共産主義へいたるための過渡的システムであると位置づけておりましたが、実権を握ってしまった官僚諸君が、社会主義に安住し、史的唯物論に背を向けたのである。  史的唯物論の生きつづけている現代社会は、いずれ嫌でも、共産主義にたどり着かなければならなくなりますし、もしそれに逆らうのであれば、歴史的に、人間社会は、滅びるものと思われる。マルクスは、史的唯物論を、創りだしたわけではなく、発見したのである。  前置きが長くなりましたが、消費税の不公平感に関してのアンケートでしたね?  私は、消費税は不公平と言うよりも、基礎消費である生活物資に課税するという根源的税金であると言う見方をしております。消費税を払うのは、国民が、国家に対して、様々な要望を申すことができる権利を獲得する切符であるとおもう。  確かに、累進課税に対して、逆累進的ではありますが、政府は、これまで土建事業その他をを遂行するために、赤字国債を多量に発行してしまい、インフラ整備をしてきたのです。電話、鉄道、道路、空港、などなどであります。  国民がそれを利用するのですから、使用料を負担するのは当たり前でしょ。確かに、借金してまで、インフラ整備をする必要があったかどうかという、問題はありますが、選挙で選ばれた国会議員の中から選ばれた政府が実行してしまったのであるから、もう後戻りはできませんね。後は、いかにして、そのインフラを利用して、国の借金を返していくかを考えるしかないのである。  ではありますが、なぜ消費税なのかという問題でありますが、経済活動に直結する、商品売買の際に税金を徴収するのが、その時々にあった、適正額の税金を徴収できるからなのではないでしょうか? 経済活動が活発なとき、消費税もたくさん徴収できますよね?その逆も然りです。  もう、消費税を増税して、税収を増やすしか、ならないところまで、財政が悪化していると言う現実があります。なぜそうなったのかと言えば、先に述べたような、政治的判断によるものですよね。  最近見ていたテレビで、消費税を10%くらいまで増税するような話が出ていましたが、それも止むを得ないと思われる。諸費税を5ポイントあげれば、恐らく7兆円以上の増税になると思われる。それでも、国家予算の十分の一にしか過ぎないのである。  では、金持ちから、もっと税金を取るような所得に対する累進課税を強化して、税収を増やせば良いではないかと思うでしょうが、一部の金持ちから強制的に税金を取り立てるよりも、みんなで出し合った方が、公平であろうとおもわれる。  確かに、金持ちは、そんなに有り余るほどの金が、生活していくうえで必要なわけでもないであろうが、使わずに、投資したり、預金しておけば銀行を経由して、自然に経済活動にまわるような仕組みになっているのであるから、経済全体としてみれば、うまくできているのではないであろうか?  お金を持っている金持ちは、たくさん買い物をして、せいぜい消費税を払ってもらえば良いのではないであろうか。  現代社会においては、生きていくことは即ち、買い物をすることだともいえるが、その生きていくという行為である買い物において、消費税を負担してもらうのは、いかにも、公平であろうと思われる。  我輩も、もっと買い物をして、生きていると言う実感を味わいたいのであるが、先立つものがないのが、現状である。  問題は、消費税を払うとよりも、払う前に、所得が増えないと言うことであろう。  消費税を増税すれば、もっと所得が減ってしまうかと言えば、そうでもないのではないかと思われる。 これまでの経験では、消費税が導入された際には、経済活動が、沈滞したようであるが・・・・。  増税は経済活動を停滞させると言うのが前提になっているようであるが、もう増税するしかないところまできているのに、累進課税を強化するか、消費税を増税するか、為政者の選択しだいである。  私は、消費税の増税には、賛成である。 では、金持ちには、どうしてもらえば良いかといえば、証券市場に積極的に投資するなり、或いは、公的機関(ユニセフ)などに多額の寄付をしてもらえば良いのではないでしょうか?

alidon
質問者

お礼

成る程確かに消費税であれば消費活動が活発化した時に多くの税収があり、システムとして有効だと言う事はその通りだと思います。消費税増額もやむを得ない部分があるのでしょう。しかし公平な税徴収システムなのかどうかという問題に関しては未だ疑問が残ります。生きてゆく事即ち買い物する事という論旨は有る意味的を射ていると思います。が、反面買い物が出来なければそれは生きて居ないと言う事にはなら無いと思います。また、消費税が増額される、所得が減少すると言う問題以前に、一個人が生活する上での最低限の『買い物』のレベルは各階層によって様々でしょうから、各階層同額の、生活に最低限必要な物にかかる税金と言うのは間違っては居ないでしょうか?これは、最低限度の収入も覚束ない人は生きて行けない事を意味します。健全な社会で収入を得られない人はなんらかの問題を抱えている事が多いでしょうが、国家自体がそうである様に経済が破綻し、日々の暮らしの糧を賄うのにも苦労する人が多数存在する今の世の中では何らかの救済が必要と思います。国中がそういう状態ならば致し方無しとも言えますが、現状ではいまだ裕福な人も多数存在します。つまり、生活に不必要な余力を持った人が居るにも拘らず、生きてゆく事もままならない人から一律同額の税金を徴収するというやり方は「貧乏人は死ね」と言っているのと同じでしょう。勿論無制限な社会福祉や理想だけが先行した感のある社会・共産主義がこれを救えるとは思っても居ませんし、事実不可能であった事が歴史的に証明されました。しかし、理想の民主主義というものが今もって現出していない事もまた事実でしょう。と、こんな事を書くから共産主義の確立に情熱を燃やしているように思われるのでしょうね(笑)。私自身、共産主義の元では正当な活動が許されないジャンルの職業についておりますので、民主主義撲滅運動を起こすつもりは毛頭ありませんが。ただ、整備されたインフラをどう使うかと言った前向きな考え方がこれからも更に発展してゆく事を祈ります。御意見有難う御座いました。

alidon
質問者

補足

理想の共産主義のシステム?ですが… 全ての人が自分に与えられた仕事、作業を全うし、得られたものは全ての人民で公平に分けます。能力のある人はそれだけ余計に働かされ、結果的に無い人は楽をします。しかしそんなことは関係なく、皆自分に与えられた使命を喜んで果たし、また、報酬の過不足には全く斟酌しません。この社会を統べる人もまた人民の一人であり、他の人よりも偉い、裕福と言った事が有りません。にも関わらず誰も不満を覚えない社会。それが理想の共産主義。ま、無理でしょうね。あと2000年は。

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