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離婚から復縁へは・・?経験者いますか?長くてすみません。

去年の11月に7年付き合って結婚した妻と別れました。実質結婚期間は1年も満たなかったのですが、原因はおそらく妻の鬱病からくる適応障害です。おそらくと言うのは正直最後は半強制的に別れさせられたと言うべきでしょうか。二人での会話は一切拒否され、あげくには妻の両親から別れてくれと言われる始末。元々は生理痛に苦しむ妻の付き添いで婦人科に行った所、内膜症と診断されましたが、幸い大事には至らず、簡単な手術だけでした。今まで大きな病気をした事が無い妻は大変落ち込みましたが、無事に終わりあとは回復を待つだけでした。退院後、負担を軽くする為にも妻の実家で静養をさせてましたが、帰ってくる気配が無く、帰ってきても休みの週末だけ。仕事柄帰りが遅いので仕方無いと思ってましたが、数ヶ月経っても帰る事無く実家と家の往復でした。その頃から口論が続き、それでも待っていましたが妻の口から出てきたのは「自信が無い」の一言。妻の両親へも帰るよう説得を試みましたが、本人の気持ちなのでと擁護するばかり。妻なりに回復しようとしてるのは理解してましたが、結婚し自立しているわけだから甘えるのは辞めて欲しい気持ちを伝えた所、それが酷くストレスに感じて軽鬱になり、回復しない原因は夫の私のせいだと騒ぐ始末。カウンセリングにも一緒に通う事も進めましたが、両親にも妻にも近づかないでくれと言われ、2ヶ月も音信不通の挙句、来たのは一方的な離婚通知。確かに口論の際に感情的になりキツイ事も言いました。でもそれは妻を思っての事だと妻の両親でさえも認めていて、最後の挨拶では親が頭を下げたくらいでした。もうどうしようもない位、落ち込みましたが、今でもあの時の妻の気持ちは病気によるせいだと信じています。回復すれば元通りになると信じる事は駄目でしょうか?別れてからまだ連絡をとっていません。そろそろ手紙でも書こうかなと思っていますが、どう思いますか?

みんなの回答

回答No.2

さぞ、お辛かったことと思います。 私は母が鬱病です。 私自身は離婚も経験しています。 鬱は本人にとってももちろん辛いことでしょうが 周囲の人間にとっても大変な負荷であり、 日々ストレスとの闘いです。 私も母の状態については「これは病気なんだ」と常々自分に言い聞かせています。 質問者様もその時々の奥様の状態を見合わせ その時すべき対処をされてきたのだと思います。 自分の存在がストレスになると言われれば 誰よりも回復を願っているわけですし「離婚するしかない」と言われ止む無くそうされたのでしょう。 とてもよくわかりますよ。 さぞ辛い決断だったことと思います。 そうなる前には一緒にカウンセリングに行こうとか 前向きに一緒に乗り越えようとされたんですよね。 私の母もそうです。 周囲がいくら「こうしよう」と提案しても 一切を受け付けない時期がありました。 誰とも会いたくない、一人にしてくれ、もう死にたいの連発です。 深夜に電話してきて「もう死にたい」と一言残し、 行方しれずになったことが何回あるかわかりません。 母を大事に思えばこそ、周りの人間は傷つき 本人以上に辛いときだってあるんです。 私も「いい加減にして!」と泣きながら怒鳴ったこともあります。 本当に経験した人間にしかわからないと思います。 ご両親もきっとそんな状態なのではないでしょうか。 あなたに頭を下げたという事はきっとそういう事なのでしょう。 「まずは回復させること」それを願って 娘がストレスになるというあなたには 一旦身を引いてもらうしかないと考えられたのだと思います。 私は貴方さま自身も追い詰められきついことを言ったことも、止む無く離婚を承諾したことも 本当に仕方ないことで、間違ってはいないと思います。 ただ、ご両親にとっては貴方さまの存在は有難いことだと思うんです。 親は先立ちます。 いつ回復するともわからない娘がこの先どうやって生きていくのか悩んでいるはずです。 結論として手紙を書くことは良いことと思うんです。 ただ貴方様が「待っている」と言ったのでは それがまた気持ちの負担になってしまうかも知れません。悲しいことですが。 だから「支えがほしい時はいつでも言って」くらいで止めておくのがベストかと…。 ご両親様にも別にしたためてはどうでしょう。 こちらには待っていると、必要なときにはいつでも声をかけてくれと書いてもいいのでは? 精神的に追い詰められているのは当人だけではないと思いますから、嬉しくは感じても迷惑とは思わないはずです。 私は離婚も経験しています。 今度脊椎の手術をすることになり、元のダンナが援助を申し出てくれました。 とことん嫌いになって自分から別れたダンナですが 本当に有難いと感じました。 子供がいるので自分に何かあったらといつも思いながら生活しています。 そういう不安なときに「何かあればいつでも言ってほしい」と言ってくれる人間がいる事は本当に有難いことです。 長くなってすみません。他人事と思えなかったので。。。 母は色んな負荷を取り除いた事で少し回復に向かっています。 浮き沈みがありますから油断は出来ませんが…。 他に言葉が見つかりませんが 頑張ってくださいね。

diobrand
質問者

お礼

ありがとうございます。 妻の両親も頂いたメールの通り、娘である彼女の回復を優先してでの事だと理解しています。 今更ながらあの時こうしておけば・・・など後悔する事も多々ありますが、私は本気で妻の回復を大前提に接していたつもりでした。かえってその態度が妻にとっては何とか回復しなければいけない責任感と、現実の病気のギャップに苦しみストレスになったと思います。 私は今でも彼女を愛しています。元に戻れるか分かりませんが、私で彼女の助けになるのであれば、手紙で伝えようと思います。本当にありがとうございます。

回答No.1

経験者ではありません。 どうして離婚したのでしょうか?その時は離婚した方が良かったと思われたのでしょうか?結婚してはそう簡単には離婚はできません。2人の同意が必要だからです。 あなたは >来たのは一方的な離婚通知。 とありますが、離婚に同意しなければ良かったのです。妻の両親が・・・ともありますが、別居してあなたが元・妻の実家に通うくらいの気持ちで回復を待てばよかったのです。 あなたは復縁をと思っていますが、元・妻はどうでしょう? >妻なりに回復しようとしてるのは理解してましたが、結婚し自立しているわけだから甘えるのは辞めて欲しい気持ちを伝えた所、それが酷くストレスに感じて軽鬱になり、回復しない原因は夫の私のせいだと騒ぐ始末。 →あなたは元・妻の病気を軽く考えているのではありませんか?結婚しているのだから甘えるなって、鬱の人からすれば相当キツく感じたはずです。相手は病人なんです。あなた(心が健康な人)の尺度でものを測っても、元・妻はかわいそうですよ。 それで >回復すれば元通りになる って言われてもね。ちょっと思いやりがなさすぎます。 別れる前にもっと思いやりをしめして、献身的に元・妻を支えていれば良かったのですが、今さらな気がします。この文章からだけの判断ですが、あなたの元・妻の病気に対する理解度や気持ちに対する思いやり度は全く変わってないように思います。 きついようですが、難しいかもしれません。

diobrand
質問者

補足

離婚は妻の適応障害を良くする最良の手段だったと思います。しかし今でも最善だったどうか悩んでもいます。その時は妻の状態、周りの状態を考えたらそれしか選択肢はありませんでした。私自身も妻の症状、離婚の問題に相当追い詰められていました。私自身の生活が壊れてしまう前に無理に決断をしました。妻の実家にも何度も通いました。連絡しても取り次いでもらえず、実家に行っても門前払い。状況が変われば連絡すると言われても2ヶ月連絡来ず。当時は手紙も毎週書きましたが一度も読んでももらえませんでした。これは妻の離婚を言い渡された最後の手紙で分かった事です。鬱は本人だけの病気ではないと考えています。だからこそ一緒に治療をしたかった。キツイ言い方だって決して私の尺度で言ったのではなく、できるだけ気持ちをリフレッシュできる環境や状況を作る事を妻にも両親にも何度も説明しました。それが原因ならばそうかもしれません。しかし妻と話す事も会う事もままならない状況では他に方法が思いつかなかったのです。やり方は不器用だったかもしれませんが、気持ちは伝えていました。しかし頂いたメールの通りこれでも全く最愛の妻に伝わっていなかったのならば残念で悔やみきれません。

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