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祖母が亡くなりました。自分を責める、後悔の涙が止まりません。
母方の祖母が4日に亡くなりました。 痴呆と身体的なことで2年ほど前から介護施設に入っていました。 先日、急に呼吸困難になり入院。その時はお見舞いにいきました。笑顔で話もできました。 その数日後に危篤状態になり、下宿先の柴又から川崎に駆けつけました。 亡くなった時もタクシーをとばして駆けつけました。 でも…介護施設にいた2年もの間、私は一度もお見舞いに行かなかったんです。 2年という月日もの間、何故一度も会いに行ってあげなかったのかと、自分に愕然としています。 実家に遊びに来る時や親戚で集まる時は必ず参加するようにはしていましたが…。でも…。 最初の1年ちょっとは遠方だったのですが、その後自宅から電車で30分もかからないところに移りました。 私はその頃、殆ど、柴又の下宿先で生活していましたが、 実家に帰ることは何度もあったのです。 行こう行こうと地図をもらったり最寄り駅を調べたりしていたのに、どうして一度も行かなかったのか。 行こうとすると急に腰が重くなったり、うつ状態になったりして(元々私は躁鬱病です)、家から出ることも出来なくなったりしていました。 昨日、何て薄情な孫なんだ、と母と叔母に責められました。当然です。 自分が許せません。 ボケた祖母に「どなた?」と云われるのが辛かった。 話かけても敬語で話されるのが悲しかった。 でもそれでも、会えば無邪気な笑顔を見せてくれました。 そんな祖母に、私は一度も、会いに行ってあげなかったんです…。 昨日はお通夜でした。 今まで何もしてこなかったのに涙を流している自分が最低の嫌な女だと思いました。 母からの冷たい視線も感じました。 今日はあと数時間でお葬式です。 でも涙が止まりません。 精神安定剤を飲んでも眠れません。 どう気持ちを持っていったら良いのでしょうか。 本当に自分が許せなくて、仕方がありません…。
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まずは、おばあ様の冥福をお祈りいたします。 個人的な話で恐縮ですが、私も似たような経験があります。 祖母が病院で寝たきりになり母がつきっきりで看病していましたが、nanako_pochyさんとは違い、その時祖母が大っ嫌いで、(祖母はわかままでした)母の体力が落ちてきたため仕方なく、交代するため顔を出したというひどい有様。 今は祖母のわがままに振舞うしかなかった状況を理解できるくらい大人になったのですが、 「祖母に優しくできなかった」という体験はものすごく重い意味を持っていて、表面わがままな淋しがり屋に出会うたびに祖母を思い、奮い立つことが出来ます。 誰に責められようと、過ぎてしまった事は覆すことは不可能です。 これから出会う人により有意義に生かす為に、しょっぱい思いをさせてもらえた、と思うことはできないでしょうか。 亡くなっても生きている人がその人を思い続ける限り、その人の存在は生き続けると誰か言ってたな。 nanako_pochyさんはおばあさまのことが大好きだったのかと、文面から勝手にお見受けしました。 あなたの心をきっと亡くなったおばあさまはわかっているはずです。 どうか亡くなったおばあさまにしてあげるはずだったことを、これから出会う人達に悔いのないようにしてあげてほしいです。 そうすることでおばあさまも天国からにこにこ笑ってくださるのではないのでしょうか。 「うちの孫は表現するのは不器用だけど、ホントはこんなにあったかい子なんだよ」って。 あなたのコメントをたまに拝見しておりますが、なんてあったかいコメントを書く人なんだろう、この人が生き易い世の中になったら気持ちいいだろうなあと思っていました。 できなかったこと、自分が周りから責められることから離れ、これからできること(お墓参りとか生きている人に出来るときに優しくするとかおばあさまへの感謝とか。感謝の気持ちは故人に確実に届くそうな)に思いをシフトしてみませんか。 おばあさまはnanako_pochさんに間接的ですが身をもって命の尊さ、目の前にいる人に逃げずに集中することの大切さを教えてくれた気がします。
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- cosmoswind
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すごく後悔されてるんですね。お気持ちがよく伝わってきます。 でも遅くはありませんよ。これから「お墓参り」をたくさんしてあげればいいんです。お墓を洗ってあげ、花をあげて、お線香を焚いてあげる。その気持ちはお墓の中のおばあさんに必ず伝わると思います。 お母様やおば様も身をもってそうされているあなたを見ていつかは考えを変えるでしょう。 今のあなたの気持ちは誠実さで一杯です。その気持ちを大切にお墓参りをしてあげてください。 法事、お彼岸などは必ず、またそれ以外にもふらっと一人で行ってあげるのも亡くなった方と二人っきりになれていいものですよ。
お礼
ありがとうございます。 お墓参り、ちょくちょく行こうと思います。 2年前に亡くなった祖父のお墓に、一緒に祖母も入るのですから、寂しくはないですよね…。 怒鳴り合ったりケンカが耐えなかった祖父母ですが、やっぱり愛し合っていたんだなぁと思える出来事がよみがえってきたり、若い頃の2人が楽しそうに談笑してる写真が出てきて、うれし涙が出ました。 一人でふらっと行って、お墓に語りかけるのは大好きです。 はたから見るとただの変な人ですが(笑) 生前と変わらず、会いたい時は気軽に会いにいきます。 そして今日あった嬉しいことや、出来事などを報告します。 後悔はあります。反省もしています。 でも自分を責めることはもうやめようと思います。 回答ありがとうございました。
- tokyoondo
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自分の祖母が亡くなった時のことを思い出しました。 自分は、親戚一同誰もが認める「おばあちゃん子」でした。しかし、通夜にも葬儀にも出席しませんでした。というよりできませんでした。パニック状態に陥り、一時的に足腰が動かなくなってしまったのです。あらかじめ予期できていたこととは言え、祖母の死を現実のものとして受け止められなかったこともありますが、何よりも、祖母の次男である自分の父と長男である伯父が様々な事情から険悪な状態であったこと(まもなく七回忌を迎える現在もほぼ絶縁状態です)が大きな原因でした。伯父は良きにつけ悪しきにつけ独善的で、何もかも自分の思う通りにならないと気が済まないタイプ。それに色々耐えていた父の怒りが、祖母の入院を巡るやりとりを機に爆発。葬儀の席でもお互いを完璧に無視し合っていたそうです。 自分も薄々感じてはいたのですが、いざそれが自分の目の前で起こるとなると、本当に耐えがたく、大好きだった祖母の目の前で骨肉の争いが繰り広げられる姿を想像しただけで発狂しそうになりました。今でも祖母には本当に申し訳ないことをしたと思っていますが、あの時の自分にはああするしかなかった。あの時葬儀に行ってたら、さらなるパニックに襲われてそのまま自分も後を追ってしまっていたかも知れない。 答えになっていなくて申し訳ないです。が、今はなかなか理解してくれなくても、周囲の心ある人は、いつか必ず理解してくれると思います。そして何より、天国に召されたお祖母さんが、今のあなたの辛い気持ちを、きっと理解してくれているはずです。
お礼
tokyoondoさんも大変な経験をされたのですね。 おばあさまのことを一番に考え、みんなで協力して行動しなければいけない時に、ご家族のイザコザは本当に苦しかったでしょう。 私も、祖母が火葬場に運ばれ、燃やされる直前から、パニック状態というか、自分が何をしているのかよくわからなくなってしまいました。 それからしばらくは茫然としていました。 でも、tokyoondoさんの云う通り、父親、親友はじめ色んな人が私に温かい力をくれました。 今は3/11ですが、こんなに早く立ち直れるとは、自分でもびっくりしています。 もしかしたらリアルに祖母のことを考えることから、目をそらしているのかもしれませんが…。 でも、悲観するようなことを思い出すより、おばあちゃんとの楽しかった思い出や笑顔が可愛かったことを思うようにしています。それでいいのだと思っています。 反省はしていますが、今はもういたずらに自分を責めてはいません。 また泣くかもしれないし、凹むかもしれません。 でも、ここの人達はじめ、色んな人の言葉や笑顔で、私はまた笑顔で穏やかな心のnanako_pochyを取り戻すでしょう。^^ 回答ありがとうございました。
- ririnnnohitori
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まずは、故人の冥福をお祈りいたします。 私はあなたがおばあさまより先に死ななかったことで最大の孝行をしていると思いますよ。だから、そう御気になされないで下さい。 それに、これは行かなかったではなくて行けなかったではないですか? これは多分体が行っちゃダメだよと教えてくれていたのでしょう。体と心って同じ時もあれば違う時もあるので難しいですね。 それに、薄情だとは思いません。見舞いに行く事だけが全てではありませんし・・・こうして悲しむ事ができるのでしたらその時点で薄情じゃないです。 今は気落ちしていると思いますし、気が済むまで落ち込んでいてもいいです。 ただ、あなたにはあなたの側に付いていてくれる人がいること、おばあさんがちゃんと見守ってくれているという事を忘れていなかったらいいです。 それに、今は好きなだけ泣いていいと思います。そして、泣き疲れたら眠れると思いますよ・・・ でも、いつまでも気落ちしたままだと、あなたのおばあさんが悲しむと思います。ですので、できるだけ早いうちに気をしっかりと持ち直して下さいね。そのためにいろいろと周りの人が協力してくれると思いますよ。
お礼
ririnnnohitoriさん、いつもありがとう。 >私はあなたがおばあさまより先に死ななかったことで最大の孝行をしていると思いますよ。 こんなこと思いもしませんでした。 救われました・・・。 身体と心が行くなと告げていた、確かにそういう時もありました。 でも、それ以上に「祖母はまだ健康だ。いつでも会いにいける」という甘えがあったのだと思います。 行けるチャンスは何回もあったと思います。 そんな自分を思うと、やはり後悔せずにはいませんが、 ここ数日、ずっと実家で過ごし、家族の優しさや地元の人の温かさに触れ、「自分を責める」という気持ちから、 しっかりと現実を受け入れ、「悔い改め、反省する」という状態に変わってきました。 今、3/10ですが、この質問をした当初より、だいぶ穏やかな気持ちです。 思えば下宿先では、周りに甘やかされすぎ、引きこもり状態でした。 それが実家、地元に帰ってきたことで、視野がものすごく狭くなっていたことに気付きました。 昨日カウンセリングで先生に全て話したことも、かなり影響していると思います。 色んな人達が私を見てくれて、パワーをくれました。 もちろん、ここの方々も。 本当にありがとうございました。
補足
いつもいつもほんとに助けてもらってるのに、ポイントを付けられないのが申し訳ないです; ririnnnohitoriさんのコメントには、本当にとても救われました。 辛い人間のことを最大限配慮して頂いた、とても元気をもらえた回答でした。 私もririnnnohitoriさんのような回答が書けるようになりたいです。 (全く私は、いつも無駄が多くて長文で…(汗)) 本当にありがとうございました!!
- ebisu50
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nanako_pochyさんがお母さんや叔母さんに責められるほどの行いはしていないように私は思います。 むしろそういう席でせっかく来ているnanako_pochyさんに冷たい視線を浴びせたり、責めるような言葉を言うほうが故人にたいし、不謹慎な行為ではないかと思います。一人の人間が一生を終わり、これから家族そろって 故人の霊をお送りするというときにそれどころではないと思うのですが。 小さいときにはきっとかわいがられて過ごしたのでしょう。そういう気持ちがご自分を責めるということにつながっていらっしゃるのだと思いますが、これ以上ご自分を責めることはないと思います。そのお気持ちをこれからの長い人生のなかで忘れず、たとえば月命日などにお水を一杯だけでもご自分のお部屋でおばあさんにお上げし、ご供養してあげてください。
お礼
他の方のお礼にも書きましたが、私が「いいなーおばあちゃんとのツーショット写真」と云ったのがきっかけでした。 どうしても私が書いている文章なので、自分のいいように解釈される文章を書いてしまっていることは否めないと思うのです。 母と叔母の意見、怒りはしごく当然です。 ただ、この質問をした当初は自分を責める気持ち、遺体が焼かれてしまってからは ただ、ただ茫然…と 自分を見失ってしまっていましたが、 ここの皆さん含め友人や父親や、周囲の温かい言葉や存在のおかげで、今は穏やかな気持ちになってきています。 >たとえば月命日などにお水を一杯だけでもご自分のお部屋でおばあさんにお上げし、ご供養してあげてください。 これはいいですね!つい先日は2年前他界した祖父の命日だったのですが、実家に戻れなかったため、下宿先でお花とお茶と甘いものを用意し、祖父の似顔絵を飾って、祈りました。 仏壇がなくても、祖父には気持ちが伝わると信じています。 祖母にも、そういうことをしていきたいと思います。 今後のためになるご意見、あたたかいご回答ありがとうございました。
- hanako_0115
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私の実家が昔、酪農をしていたので、動物がたくさんいました。 動物は悲しいかな、人よりもどうしても早く逝ってしまうのですよね…だから、わりとこのテーマのことを考える機会が多かったです。 「ああしてやればよかった…こうしてやればよかった…」自分を責めることもありました。。。 そして、祖母、祖父、叔父が亡くなった時も、少し考えました。 思うことは、どんなにいろんなことをしてあげたとしても、尽きないのです。やってあげたいことはどんどんおもいついてしまって、でもできないことを思い知らされる。 だから、そのつど、これからは今この瞬間に後悔のないように接しよう!とこころに決めるのです。それでも、やっぱりもっとしてあげれたのではないか…と思ってしまうので、ほんとに堂々巡りです^^; でも、かなり昔よりも悲しみを受け入れるようになってきたように思います^^ 私も大好きな祖母が亡くなった時、本当に悲しかった。涙がとまりませんでした。そんなとき、ふと祖母が「そんなふうにはおもわないで」といってくれたような気がしました。不思議ですが…、本当にそう思ったんです。 私はこう思うことにしました。 この気持ちは(祖母が亡くなって悲しい、後悔)、祖母が私に教えてくれた最後の人生勉強なんだと^^ 今、お墓参りに時間が許す時は必ずいきます。それが私にできる唯一のことだからです。 おばあさまも、泣いている悲しんでいる質問者様の姿は望んではいないと思います。 ゆっくりと受け止めていけばいいと思います。 私もおばあさまのために手をあわさせてください。 ご冥福をお祈りいたします。
お礼
回答ありがとうございます。 動物が無くなる悲しみも、相当なものだと思います。 特に酪農だと、長く一緒に苦楽を共にした、家族も同然ですよね。 私も昔「チロちゃん」という飼い犬が死んでしまった時は、幼いながら大泣きしました。 私が今回こんなに落ち込んでしまったのは、2年前、最愛の祖父が亡くなった時も後悔の嵐で、「もっと遊びに行けばよかった」「もっともっと…」と涙が止まりませんでした。 その時は私なりに出来る限りのことをしたつもりでしたが、やはり叔母に責められました。 そのことがあったのに、何故今回、祖母に対して何もしてあげられなかったのか、祖父の時とは違う「悔し涙、自分を許せない気持ち」が止まらなかったのです。 でも、hanako_0115さんの一文を読んでハッとしました。 これは、祖母が教えてくれた最後の人生勉強なんだと…。 涙が出ました。 本当にその通りです。 祖母は最後に、私に大切なものを沢山教えてくれました。 幸いお墓は近いので、祖父の時同様、ちょくちょく会いに行こうと思います。 ここの方達や家族や親友、地元の方々の温かさで、私の気持ちは少しずつ穏やかになっていっています。 私の祖母のために、手をあわせて下さってありがとう。 あたたかいご回答、ほんとにありがとうございました。
- skipgarden
- ベストアンサー率30% (41/135)
おはようございます。 読ませていただいて事情はわかりましたが 貴女が責められるようなことではないと 本当にそう感じましたよ。 お母様や叔母様方にしてみれば親なのだから面倒を見るのも当然。そう全て当然のこと。 貴女も孫として充分おばあ様の事を考え行動して来られたと思います。 想う気持ちが大事なんです。 貴女は充分想ってきたじゃないですか。 おばあさまだって、自分の見舞いなどより 貴女が自身の病気と向き合い前進していかれることを望んだはずです。 愛するってそういうことでしょう? 自分を責めないでください。 お母様も叔母様も昨日は色んな感情にのまれて そんな事を言ってしまったのでしょう。 ちょっと過ぎた言葉ですよね。 最後になりましたが 個人のご冥福をお祈りいたします。
お礼
回答ありがとうございます。 温かい言葉をいただきましたが、私はやはり責められて当然だと思います。 私は長女で、祖母にとっては初孫でした。 2年前に無くなった祖父と共に、私を一番可愛がってくれました。 祖母達の済む家に、一人でよく遊びに行っていたのも、殆ど私でした。 小さい頃はお手玉を作ってくれたり、千代紙で遊んでくれました。 ここにはとても書ききれない、色んな思い出をくれました。 その私が、やはり施設にお見舞いに行かなかったことは、自分でも許せないことです。 祖母はやっぱり寂しかったんです。 強い「愛」はskipgardenさんのおっしゃる通りですが、 老いて寂しい時、やはり人は肉親の温もりを必要とするものです。 だから、後悔はたくさんあります。 ただ、今「責める」気持ちは少しずつ、無くなってきています。 祈りをありがとうございます。 遅くなりましたが、お礼を書かせていただきました。
- mako45
- ベストアンサー率38% (5/13)
はじめに故人のご冥福をお祈りいたします。 質問者さま、あまりご自分を責めないで下さいね。 ご家庭内の状況は憶測のなかですが… 亡くなったと言う事実を受け入れる間もなく 葬儀の準備等であわただしくされている中 少なからず心が穏やかで無くなります。 そして、出来れば会いに行ってくてればと言ってしまうかも… お母様も叔母様も心の底からあなたの事を 責めている訳では無いと思います。 質問者様なりに出来る事は、なされて来たと文面から感じます。 お心落としの無いように…
お礼
ありがとうございます。 でも、母はともかく祖母とずっと一緒に暮らしていた叔母には、この先もずっと許してもらえない気がします。 「何度も行ってあげてね、って言ったのに!おばあちゃん寂しかったのよ!?」 …この言葉が頭の中をずっと回っています。 寂しかった…。 知人が誰一人いない介護施設で、たまに正気に戻った時、「ここはどこなの?どうして私こんなところに一人なの?」と泣いていたこともあるといいます。 母と叔母の携帯に入っている画像を見せてくれた時、 「あっ、おばあちゃんとのツーショット写真だ!いいなぁ…(私もこの間病院行った時撮れば良かった)」 と云った時に 「何いってんの!?一回も施設に来なかったクセに!!」 と怒りと反感をかってしまったのです。 そりゃ頭にくるでしょう…。 自分で自分の言動に嫌な気持ちになりました。 やっぱり私は全然「できること、してあげられること」をしてなかった…ヒドすぎたと思います。。。 温かい回答いただいたのに、暗いお礼でごめんなさい。 深夜にありがとうございました。
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お礼
★★お礼が前後いたしますが、必ず後ほどお答えいただいた全員の方に返信させていただきます。 ご了承下さい。★★ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ irodorusakuraさんの言葉、とても心に沁みてきました。 おっしゃる通り、私は祖母のことが大好きでした。 今は少しですが、自分を責める気持ちが薄らいできました。 でも、ただただ茫然としている…という感じです。 自分が自分でないような…今ここにリアルに自分がいることを感じられないのです。 ずっと映画のスクリーンを見ているようで、現実感がありません。 でも、 >あなたのコメントをたまに拝見しておりますが、なんてあったかいコメントを書く人なんだろう、 >この人が生き易い世の中になったら気持ちいいだろうなあと思っていました。 こんな風に見ていて下さったことがいる、ということがとても嬉しかったです。感激してしまいました。 私は自分が許せない、でも、私のことをそういう風に見て下さる方がいる。 それだけで本当、心が救われます。 irodorusakuraさんのおっしゃるように、これからできることは沢山ありますよね。 でも、それはお墓参りとか、家事を手伝うこと、とばかり思っていました。 他の方に親切にする、困っている方を助ける…そういうことだって、祖母はとても喜ぶだろうと思います。 私が祖母のために最後にしたことは、ツーショットで微笑んでいる祖父(2年前に他界)と祖母の絵を描いて、棺に入れたことです。 裏には手紙も書きました。 今、祖母は向こうに行って祖父と見てくれているでしょうか。 これからirodorusakuraさんの云うように、他の人に対してできる色々なことを、今まで以上にもっともっとしていきたいと思います。 ボランティアににもっと真剣に取り組もう。 些細なことでも、笑顔一つ、言葉づかい一つでも、人を幸せな温かい気持ちにできる女性であろう。 そう思いました。 ほんとうに、ひとつひとつの言葉で、心が穏やかに温かくなっていき、希望や勇気をもらえました。 ありがとうございました!