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砂漠に井戸を掘ることの是非

専門家で自信のある方からのお答えをおねがいします。 砂漠に井戸を掘ると、その地域は潤い、餓死する人が減る。しかしそれぞれの地域には養える人の数が決まっていて、人口が増えると食べ物がなくなり、また飢餓が増えるという悪循環を繰り返す、とどこかの本で読みました。 井戸がなくて、そこで食べる物がなくなると、次の場所に移動し、動植物を食べる。そして次の場所に移る。これが自然のサイクルなら、井戸掘り、過剰医療、すべてマイナスに見えますが、どう解釈したらいいのでしょうか。

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  • perryono
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回答No.2

 面白い御質問だと思います。というのは、実はグローバルな環境問題が含まれているからです。ちょっとからめ手から答えます。  「地域の養える人口は決まっている」という問題には、歴史を調べるとたくさんの実例があります。  モアイ像を作ったイースター島は、16世紀には7000人の人々が住んでいました。しかし、燃料や暖房、それに多分祭祀用に木を切りまくった結果、17世紀には一本の木もない島になってしまったのです。その結果島の環境は人口を支えきれなくなり、人口は急減、文化も衰退しました(クライブ・ポンティング「緑の世界史」(朝日選書))。  そういう意味では、地域(環境)の養える人口は決まっていると言えます。  ところが、それを超えた人口が住んでいる土地もたくさんあります。ヨーロッパの国々がそうです。イングランドというと草原になったなだらかな丘が代表的な景色ですが、もともとはたくさんの森があったそうです。それを切りつくし、足りなくなったので外に資源を求めざるを得なくなった。それが植民地です。植民地の資源を本国に運ぶことでイングランドは成り立っていたのです。  では日本は?日本も同じです。農作物や工業製品を輸入するということは、それを作るのに必要な水を輸入していると考えることもできるわけですが、それを「仮想水」と呼び、日本は年間に1千億トンの仮想水を輸入しているという計算になります。それが絶たれたら、今の日本の人口は養えなくなるでしょう。  さらに視点を大きくとったものに「エコロジカルフットプリント」という考え方があります。人間一人当たりを支えるのにどのくらいの土地の広さが必要か、という計算です。これは資源浪費に関係があり、世界で一番浪費する北米の人々は10ヘクタール弱、日本で6ヘクタール弱、世界平均で2ヘクタールぐらいになりますが、それで計算すると、現在の地球人口は環境が支えられる人口をすでに20%ほど超えています(だから省資源が必要、という話になるのですが、ここではそこは止めておきます)。  そこで御質問への結論です。環境の養える人口には限界があるが、人類はそれを超えるために交易や科学技術という文明を作り上げてきた、ということです。砂漠でもあなたや私が今住んでいる土地でも、事情はまったく同じです。

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質問者

お礼

説得力のある説明をありがとうございました。 仮想水、エコロジカルフットプリントという言葉は始めて聞きました。すこし勉強してみたいと思います。

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