- ベストアンサー
心の中の氷
- 中流家庭で育ち、まわりは礼儀正しい人ばかりで、人間関係でいやな思いをしたことはなかった。ただ容貌にはめぐまれず、思春期にからかいの対象になった経験が心に大きな傷を残している。その結果、人を恐れているが、人気者になるわけではなく、ただふつうに好かれたいと思っている。
- 周りの人を見ると、がさつな人ほど人気があるように思える。人間関係のコツは、美点を見せることではなく、がさつさを見せることだと感じたが、相談してもうまくいかず、かえって悪評を招いてしまった。
- ある出来事をきっかけに、大好きな上司が自分のことをそんなふうにしか思っていなかったことに気づいてしまった。それ以来、心の中に氷のかたまりがあり、人間嫌いになりそうな感じがする。質問者は建設的な人間関係を築く方法を知りたいと思っている。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
たびたびすみません、2です。 本当の自分を出すのが怖い、 それは、質問者様の中でかたまってしまった「考え」であって、自分でそう信じてしまったものを覆す、というのは、恐怖であり、絶対的に「やってはいけないこと」であって、なかなかできないことと思います。でも、「はすっぱ」な自分を演じてみたことがあるのですから、考え方をかえれば、つまり、「正しい方法」と自分が判断すれば、それはできると言うことだと思うのです。難しい、それは頭でわかっているけどできない、ということは、どこかで、やっぱり納得していないからだと思うのです。 自分が絶対やってはいけないと思っていることでも、”そうしたほうが”相手が喜ぶことってあるのです。なぜなら、相手は、あなたをどうこうしよう、とは思ってはおらず、あなたの好きなように感じて生きて欲しいと思っているであろうからです。 相手を否定しない、というのは大切ですけれど、自分が相手に否定されること怖さで、「迎合」してしまう人がいます。相手は、個人とコミットしようと思っているのに、肯定の意見しかなく、個人の考えが聞こえない、自分にとっては、相手を否定しないとともに、それは自分を守る術でした。自分ではいいことをしていると思っているのに、相手には、個人とコミットしたという実感を持たれない、何が本当のその人なのだろうと、逆に不信感を持たれてしまうこともあるのだと、私はあるとき気づきました。 自分の意見と違っても、それが、個人の経験に基づく、そして、個人が苦労して超えた問題なら、誰がなんと言おうと、それは「真実」だし、「真実」であるなら、それは価値観を超えて他者にも伝わるのです。欲しいのは肯定ではなく、個人の生きた声、意見、経験から得た知識、だったりすることがあるのです。自我を持っている人は、相手にもその自我を求めるのだと思います。自我を持っていない人は、相手に依存し、いろんなものを求めます(それは服従だったり、自慢話を聴いてもらうことだったり、100%の肯定だったり…様々な形で、自分に足りないものを補おうとします。時に、それは自我を持つ人にとって、迷惑です)。 本当の自分を出すことで、失敗した経験を、あなたは、まだ持っていないと思います。持っているのは、「受け入れられるであろう自分像」を演じて受け入れられなかった(失敗した)こと。それは偽りでしかなく、それを続けていれば、いったいどれが本当のこの人なのだろう、という不信感がふくらむばかりと思うのです。 本当の自分を出すのが怖い、 あなたは、今ここで、そう言って、本当の自分を出せていると思います。そして、それが「真実」であるからこそ、それに反応して、「回答者」がつく、この状況を、心の通じているもの同士は、日常的にできているのだと思います。パターン化された会話に、「中身が何にもない」とか、「個人が見えなくてつまらない」と思う人もいるのだと考えると、そっちの方が怖いと思いませんか? …加藤諦三という人の書いた本を読んだことがありますか? PHP文庫からたくさん本がでているのですが、彼自身が厳しい(と言う名の触れ合いのない家庭)で育ち、お父さんとの関係(お父さんの機嫌をとるのがとても難しく、お父さんが求めるタイミングで喜び、怒り、悲しみ、楽しむ…まるで自分の自然な感情をだせなくて、社会に出て苦労し、そして見つけた生き方が)書かれています。私は大変共感して読んだのですが、大変わかりやすく、本当に触れ合うということが、どういうことか書いてあります。 自分の心がやわらかいほど、堅い鎧が必要ですね。 私も、鎧を磨くことばかりに気をとられ(自分では、自分を磨いていたと思っていたのですが)、中身を育てていなかったので、そのギャップに愕然としたことがありました。本当は、自分はとてつもなく脆く、虚勢ばっかりはっている、と。自分の弱さを認めるより、鎧を磨いているほうが心理的には楽でした。自分が強い(正しい)と思えるから…。 でも、それは違いました。何をやっても嘘っぽくて、虚しいという気持ちはいつもどこかに存在して、無視しきれなかったでした。 素の自分を見せなくても、人間関係はそれで進行してゆくと思いますが、それでは、ご自身が辛いと思います。 回りも、遠慮しないで、もっと自分を出せばいいのに、と思っていると思います。その方が自分も周りも楽だからです。ムリして周りに合わせていると、本当の自分がどこかへ行ってしまって、生きる意味さえそこに見出せなくなってしまいます。 よく考えてみてください。 なぜ、質問者様は、そんなに素の自分を出すのが怖いのですか? 出すと嫌われると思っているからですか? それほど、あなたのうちにためているものは、人にとって害のありそうなものなのでしょうか? これは私の憶測でしかないのですが、私は、人を嫌いな時期があったといいましたね。そのときは、憎しみが心の底に鬱積していて、そんな気持ちで人と関われば、人に不快感を与えてしまうのではないかという懼れがあったので、人と距離を置いていたことがありました。 そのときは、何を喋っても、何を思っても、汚れた言葉しか出てこない気がして、自分の顔もとても醜く思えて、皆に否定されている気がしました。どんな好意も、私には届かなかったでした。余裕がありませんでした。 一握りの心ない人間のために、いい人たちまでをも見失い、私は独りぼっちになっていました。 いい人、悪い人、を、もう一度分けなおしてみてはいかがでしょう? この際、自分の中にたまった、不信感や、嫌悪感は、そのきっかけとなった上司にぜーんぶ押し付けて(その上司の優しさはうわべで、私の見る目がなかった、と思って)、他に、本当に、優しい人を探すのです。 それか、その上司のことは忘れてしまって、周りのことも(人がどうしているのかも)見るのをやめてしまって、今はひたすらご自身のことを考えてみては? 読みたい本を読んで、観たい映画をみて、何もしたくなければ、何もしないで。新しい洋服を買ってみたり、メイク法を変えてみたり。趣味(手芸とか料理とか…なんでもつくってみて、それを誰かにあげたり、会社で使ってみたりしては? それがきっかけで会話が始まるかも)自分の気持ちが軽くなれば、また、軽い、リラックスした雰囲気で、人と関われるようになるのではないでしょうか? 自分が緊張すると、相手も緊張するんですよね。 自分がリラックスしていると、相手も話し掛けやすいんですよね。 ご自身では、何が一番の氷の原因だと思いますか? 上司とのことは、たんなるきっかけでしかないと思います。それまでにも、周りと自分との違和感を何となく感じておられたのでは? それとも容姿のことが気になりますか?どうせ何をやってもだめだと思いますか? 素の自分─氷を持つ自分も素の自分─が、その氷が、相手にも見えていたら、やはり、距離は縮まらない気がします。どんなに素の自分を隠しているつもりでも、案外周りの人はわかっているものですよね。ここでの、他の質問と回答をみているだけでも、そう感じることがあります。実際のことは何も見えない、ネット上でだけの、しかも本当か嘘かもわからない言葉だけのつながりで、一瞬にして真理をついている言葉がありますものね。みえるものなんだなぁ、と、つくづく思います。 気に入られたいと思うから、どうしても自分を偽ってしまう。自分を嫌いな人にまで、嫌われたくないと思ってしまう。嫌いな人なんか、嫌いでいーじゃないですか。 好き嫌いがはっきりしていったって、生きていけます。 …ちょっと違いますね… あなたは、やっぱり、その上司に「そんなふうにしか」思われていなかったことに、一番傷ついているのですね…? その上司を嫌いじゃなかったから。 むしろ、好きだったから。 その対象が、尊敬していた上司だったから、よけいに悲しいのですよね…。よけいに独りぼっちなのですね… 元気出してください。 今はそのようにしか思われていなくても、挽回できるときがくると信じて(そのようにしか、が、どのようにしか、なのかわかれば、もう少し違う書き方もできたのかもしれないです)…それでも、やっぱり、その上司を尊敬できるのなら、自分が周りを好き、それでいいと思います。心の中で好意をもっているのって、伝わりますよ。自分が思っている以上に。自分を出せなくても、話題を見つけて、笑顔で話せれば、嫌われることなんて絶対にないですから。 あなたがひたむきであれば、それでいいと思います。 今も、充分伝わっています。 自分を出せなくてもいいから、せめて、氷(不信感)を溶かして、笑って話してみてください。 そのときに、笑っているのが虚しいという思いとか、心の氷をできるだけ無視して、ひとつ、小さなことでもいいから、最近自分が本当に嬉しいと思ったことを、みつけて、嬉しいと思った気持ちを思い出して、その気分になって、誰かにそのことを話してみてください。一番難しい、上司にそれをしてみる、というのも方法かもしれません。 氷は、今はまだ、あってもいいんです。 いずれ、溶けますから…。 あなたの少しの努力と、周りの優しさで、溶けるときが、必ずきますから。
その他の回答 (4)
- borkumriff
- ベストアンサー率13% (6/46)
No.1です。 出張だったので返事が遅くなってしまいました、すみません^^; もしかして長女ですか? 私は長男です。 親、あるいは学校の先生に対して「いい子でいる」、そうすることが自分にとって楽な道だったんだ、大人になってから、そう思うようになりました。いい子でいれば叱られない、いい子でいれば褒められて悪い気はしない、、無意識のうちに楽になれる道を選んできてしまったんだと思っています。 自分をさらけ出して強い風を受けてみよう、なんていう冒険や勇気なんて、考えることすらしませんでしたね、小さい頃は。 心が通い合える会話、いいですよ~。 月並みな表現しかできないけど、ホントに喜びは倍になるから! でもね、残念なことに誰とでもそうなれるわけじゃないんですよね・・こちらで心を開いても相手も同じように開いてくれるわけじゃない。相手も同じように心配しているから。「こわい」と思うのはこれのことなんでしょうね。 お互いけん制しあっても多分、道は開かれないんだろうな、、そう思うタイプです。だからとりあえず半分ダメ元で戸を半分あけてみる、、そんな感じですよ。 戸を開けたくない人には締めたままでいい、信頼関係を気づきたい人には戸を開けてみる・・ 「生きた会話」・・人生観変わりますよ!
お礼
ありがとうございました。
僕とカウンセラーの先日のやりとり 僕「先生?今からでも僕は人を信じられるように なれますか?」 先生「きっとなれます。人の心の成長期に限りは ないですから。僕はそう思うのです」 僕も去年、人を憎み、信じられない気持ちが強すぎる 事を悟り、教諭になる事をあきらめました(免許は あるけれど)そんな僕でも少し信じられる人たち。 本音を語ってくれる人(直接的でも間接的でも) ありのままの姿で自分に接してくれる人 そんな人でウマが合うと、僕はとても信用しています 時々裏切られるけれど・・・(笑) 悩み相談とか、無理やりこさえても伝わらないかも。 本音を見せない人と親友になりたいですか? 本音を見せずに親友になってくれた人はいますか? 小出しに少しずつ、「自己開示」してみてはいかが でしょうか? 国分康孝という心理学者の本は、自己開示について わかりやすく書いてある本が多いですよ。僕も長年 実践してみて、確かにそのとおりでしたから。
お礼
ありがとうございます。 あなたさまを始め、みなさまの励ましとともにご意見が なんとなくわかるのですが、 実行するには、急激な変化があるようでこわいです。 すみません。
こんにちは。 拝見いたしました。 最初に、ん、と思ったのは、このくだりです。 >みんな「がさつな神経」の人ほど人気があるように思えてならないのです。 これは、おそらく、あなたが礼儀正しく躾られたから周りがこう見える(あなたの中で「がさつ」と評価される)のではないかと思いました。 >なるほど、人間関係のこつは、美点をみせることでなくてがさつなはすっぱな面を見せることなのか という解釈のしかたも、やはり、厳しく躾られた質問者様の捉え方と思います。 確かに、欠点や弱みをみせることで、相手が安心する、という面はあるかもしれません。 けれど、なぜ人気があるのか、というと、私はこう思います。 本当に無神経であれば、嫌われるのではないでしょうか。 人に好かれる、というのは、一見、無神経そうに見えても、さりげなく相手の心の動きに敏感で、ぴたっとくるものがあったり、共感してくれたり、辛いこと悲しいことを同じように感じてくれる、つまり、理解してくれるということではないかと思うのです。 話が面白かったり、いろんなことを知っていたり、などでどうしても目立ってしまう人、いますね、それも、ひとつの人気かもしれません。 けれど、あなたにはあなたの、良い部分があると思うのです。 >そうした悩みをむりやりこさえて では、あなたの本来の姿が失われてしまうと思います。 >思春期にはそのせいで異性や一部の同性のからかいの対象になったことが、すごく大きな傷になっています。 以来、人間が好きな反面、人が恐いのです。 同じ人間のくせに、近づき方がわからないのです。 これは、すごくよくわかります。 私にも、同じような経験があり、同じようなことで悩んでいますから。距離感がつかめなくて、自分では親近感を持っているつもりなのに、周りには妙にべたべたしている印象を与えてしまったり、節度を持って礼儀正しく、と思うと、相手によそよそしさを感じさせてしまったり。 すごく、悩みました。 育った家庭環境のまま、社会にも出るので、身についた態度で接してしまうと、うまくいかない。だったら、どうすればいいのかと、いろいろなことを試したことがありましたが、どれも本当の自分ではなかったので、うまくいきませんでした。 私の場合、自分に自信がない、というのが、一番の原因だったと思っています。そのために、思考がネガティブになってしまうのです。 自分に自信のある人は、どんな容姿であっても、あまり関係なく、輝いています。その思考から発せられる言葉は、人にも優しいものだったりします。そして、心無い言葉にも、あまり傷つかない。 私は傷つきやすく、周りのことに神経質で、マイナス思考でした。そんな心から出てくる言葉が、人に心地いいわけないのだと気づいてから、急にはできないけれど、自分を矯正しようと、思ったのです。別の自分を演出する、のではなく、なりたい自分になる努力を始めました。 どんなちいさなことでもいいので、ひとつ成功事例をつくります。簡単な試験に受かって、喜ぶ。そこから。 少しずつ、目標を高めていって、達成していく。 日常生活でも、会社のどんな仕事でも、私に頼めば綺麗にはやくやってくれる、といわれるよう、努める。 ファイリングひとつでも、印鑑押すのひとつでも。綺麗に揃えてつくる。そんなところから。 仕事でほめられると、どんな小さなことでも、やはり嬉しくて、周りに認められているという安心感が、自分を落ち着かせます。自分の輪郭がはっきりしてくるのです。 顔色を見てつきあわなくても、媚びたりしなくても、仕事で認められる、という方法でも、周りに受け入れられることができるのです。 >ふつうに男の人にも女の人にも好かれるようでありたい。 一見、不特定多数と華やかに交友しているように見えても、中身がただ軽いだけでは、それだけの関係で終わってしまうと思います。深刻な相談はできない、とか。そんな人は、明るく見えても、「俺にはそういう話、してくれないんだよな」なんて、密かに思っているかもしれません。 逆に、普段は物静かでおとなしくても、いざというとき、思い出されて、相談される、という人もいるでしょう。そんな人も、質問者様のように、もっとフレンドリーな付き合いがしてみたい、と思っているかもしれません。 要するに、今の自分に自分がOKと言えれば、それでいいのだと思います。どんな状況か、ではなく。 のほほんと暮らしてきた、とおっしゃられていますね。 これは私の想像ですが、ご自身がつらかったり、悲しかったり、という経験をもたないと、人の悲しみにも、どう反応していいのかわからないものです。経験をしていれば、言葉はなくても、すっとわかって、どう反応すればいいか…考える前に、体(心)が反応してしまって、何かをしてあげたくてたまらなくなるんです。 そういう、ひたひたとくる想い、ありますか? 厳しく育てられた、ということで、相手もそのようにしないと、「えっ」と思ったり、心の中で批判したりしませんか? 「がさつな神経」と質問者様が評価される部分で、推測しております。たとえば、周りの人には、それは「がさつな神経」とは映っていないかもしれません。 がさつでも、アバウトでも、肝心のところで、心が通じていれば、人間関係成り立つのだと思っています。 人気のある人を、ただ「がさつ」と思わないで、もっと別な見方をしてみてください。必ず、優しいところ、とか、さりげなくかばったりとか、肯定的なことを言う、とか、人の悪口を言わない、とかあるはずです。 人間を嫌い、という、心の底での思いが、人間関係を築く上で、障害になっていると思うのです。 私も、人間を嫌いで嫌いで仕方ない時期ありました。 殺意を抱く経緯って、こうなのかもしれない、って、思うことあるくらい、誰かを嫌いだったとき、ありました。でも、それでは、たった一部の人間のために、人間全部を嫌いになってしまった世界で、私は独りぼっちになってしまいます。わたしは、嫌な人間だけではない、ということを、信じようとしました。でも、観念だけでは、それはなかなかできません。小公女ではないけれど、人のいいところ探しをしたのです。嫌いな人にさえ。そう思って見ると、いいところはどんどん見えてきます。ただ照れくさくて、きつい言い方になってしまっている損な性格、優しくて温和だけど、絶対的に人とは距離を置いている人。ぶっきらぼうだけど、いざという時は絶対逃げない人。それぞれの育ち方があり、考え方があり、生き方があり、今現在のその人を構成している。 いろんな人が見えてきます。私は、自分が自分の傷を超えるために、他の人は、どのようにして超えたのだろうということに、とても興味があり、機会を見つけては、そのことについて質問したり、話を聞かせてもらったりしていました。単刀直入にきいたんです。話のきっかけを逃さずに。 実際に、いい人によくしてもらえると、人を信じられるようになります。その繰り返しで、人を少しずつ信じられるようになっていきます。そして、よくしてもらったことを学習し、同じ心で、周りのひとに返していきます。優しくされた分、優しくする。 あなたは、厳しく育って、一時心ない人たちのからかいにあったということで、知らず知らず人にも厳しくそして、心を閉ざした状態でいらっしゃるのですよね? それでは、自分が好意をよせていても、周りに伝わらないと思うのです。 心の氷を溶かすには、自分が、周りの人間を恐れるのをやめないといけません。どんなに隠しても、その雰囲気は表に出てきます。…といっても、それ自体が、臆病な私には難しいことでした。でも、やっぱり、自分が、周りを信じて、好きでいるしか、方法はないと思います。 私は、苦手な人ほど、笑顔で、やわらかく、何を言われても、カチン!とこないように、とやってみました。 効果はありました。自分が拒否反応を出してしまうと、それは鏡のように返ってくるんです。だから、人は自分を映す鏡、と思って、相手の反応が笑顔であれば、よしとしたのです(仕事で失敗して、注意されたときは別ですが。謝ります、そして、たんたんと軌道に戻します)。でも、私が苦手とする人は、やはり他の人も苦手なようで、時々「あの人は~」なんて、批判的なことを聞きます。あ、私だけじゃなかったんだ、と思います。 自己変革の、チャンスがきたのですね。 私だったら、そう思います。自分を変えるって、本当に難しいけれど、私は、なりたい自分になるために、身近で、お手本になる人を見つけて、その人の真似をしました。あとは、他の人のいいところを真似して、本を読んだり、映画を観たりして、どんどん自分が理想とするものを拾っていって、そうやって、あとは日常の中での応用です。でも、「みかけ」だけではダメなんです。本質を捉えていないと。そこが難しいのです; 自分の心がいちばん、反応する部分でつきあわないと。一度視点が変わると、今度は自分で見つけることができるようになります。そして、それを、人に対してできる人間になってきます。ただ、理想の自分を貫く、こともエネルギーが要りますから、そこで流されないようにする努力も必要です。でも、最初はよちよちでも、いずれ歩けるようになりますから、めげないで頑張ってください。何度も何度も自分に言い聞かせながら…。 質問者様が欲している回答になっていなかったらすみません。まだまだ書き足りないのですが、あまり長くなってもいけないので、この辺りで。 初めは怖くて、勇気が要るけれど、肩の力を抜いて、その氷を溶かすように意識してみてください。 そんなことしか思っていなかった上司もいれば、そんなふうに思っていてくれたのか、という社員もいたりします。 あなたが、控えめでも、人に優しく、理解のある人であれば、必ず、そういうところを、人は見ているものです。言葉で言わなくても。誰がなんと言おうと、誤解はつきものです。気にしないで、自分が正しいと胸を張っていえることをするよう、努力していれば、必ず報われます。 極端に言えば、人が集まれば、やってもやらなくても、必ず、批判の声はあがるんです。 相手に共感し、理解すること、理解できなくても、批判(相手のための助言は別です。どうとられるかは、それこそ相手次第だと思いますが、だからこそ、自分がどう解釈するか、は、自分の人格によると思うのです)しないこと、たとえいけない状況でも、相手の本心を理解しようと努力しようとすること、そして、ともに問題解決しようとすること、に尽きると思います。 お互い、幸せになりましょう(*^^*) 応援しています。 P.S. ちょっと古い映画ですが、『ダンス・ウィズ・ウルブス』、『パッチ・アダムス』お薦めします。 何に感動したか、嬉しかったか、泣いたか、そういう話をする、といえば、「自分の心の一番やわらかい部分でつきあう」ということが、少しはご理解いただけるでしょうか。 また、ある事柄をどう評価するか、どう捉えているかということでも、そのひととなりがわかるものです。逆に言えば、そういう部分で、個人の人柄って、決まってくるものだと思います。
お礼
たくさんアドバイスを書いていただき、 感謝しています。 周りの人間を恐れないということは私にはやっぱり むずかしいです。
補足
氷のままです。 自分の質問文を読みながら、気持ちを整理してみましたが もともとの悩み(成長期に容姿のことで苦しかったこと) もさることながら、 質問文にも書きましたが、 尊敬していた上司に裏切られた思いなのが 大きな転機になったように思います。 昔は、人間は信じてはいけないのかも・・でも信じたい、 ああでもやっぱり信頼してはいけないのかも・・・と、 いきつもどりつ悩んでいましたが、 今は、人間を信じたらいけない、というのでなくてm 自分の心のいちばんやわらないところでつきあうなんて、 傷ついても責任をとらないといけないのは自分だし、 がさつな人たちの中で、 わたしには、心を開くなんかできません、 みんなよく会社と言う組織のなかで人間をやっていってるなあと いう気ももちがします。 とりとめのない補足ですみません。
- borkumriff
- ベストアンサー率13% (6/46)
こんばんは。 同世代の男です。 少しいくつかのことを思い起こしてみてほしいのですが、誰かと話をしている自分の言葉、行動、考えの中に、「正解を探している」自分がいることはありませんか? 正解というのは、テストで言えば丸がもらえる内容です。探している正解とは、相手が「ああ、もっともだ」と思ってもらえる内容です。そういう答えをすれば相手は自分のことを不快に思わずにすむ、嫌われずにすむ、もめずにすむ、、そういう「正解」。 正解の言葉で会話しているときは、一見、相手も違和感がないと思っているように見えるかもしれません、なにせ会話自身は不自然ではないですから。 でも、正解を求めている相手は少ないですね。 だって、相手には本当のあなたが見えてきませんから。ひどく言えば自分を隠しているようにも思えますから。本当に話したいのは相手の心と、ですからね。 がさつな人・・素の自分が出せているということですよ。ストレートに自分をぶつけてくる=本気で話そうとしている、じゃぁ、オレ(私)も真剣に話そう、、いちいち頭でこんなことを判断しながら話しているわけではありませんが、実際の会話ではこれが直感的に肌で感じられることなんだと思います。 イメージと違う回答だったらゴメンなさいね^^; 素の自分を出せるようになるには多少時間がかかるかもしれませんが、でも、できるようになりますよ、必ず!! 意識すれば変わるよ!私もかつてそうでしたから。
お礼
ありがとうございます。 質問をした翌朝に、とりあえずお礼を書きたかったのですが、時間がなくて、でも謝意をあらわしたくて、とりあえず補足欄を使ってしまいました。 あらためて、御礼申し上げます。 質問者さんのいわれる「『正解』をもとめている」こと、 よくわかります。 というより、幼い頃からの環境では、 「正解」と言われるような会話のパターンがあって それに従っていれば大丈夫だったのです。 その会話は全然心の通ってないものだったとか、 そんなことは決してありえませんでした。 「正解」は、当時の私にとって自然なものでした。 でも、おとなになって、社会にたたきこまれると、 「正解」は自分の記憶のなかだけのものになりました。 みんなに、素の自分を出すことなんて、 こわくてできません。 素の自分を出すことのこわさがあるから みんな、パターン化されてるかもしれないけど、「正解」に近い会話をくりかえして、自分の世界にも踏み込ませないし、他人の世界にも干渉しないようにしてるのではないですか? 素の自分を出さないと、 だめなんでしょうか?
補足
矛盾していますが、 しょうじきなところ 巣の自分は、自分を隠したいのです という気も
お礼
今はまだ、氷はあってもいいといわれたことが 気持ちの救いになりました。 氷はもったままでいることにします。 元気は出すことにします。 ネットなのに、 自分のことのように相談にのってくださってありがとうございました。
補足
回答を下さったみなさま、 ありがとうございました。 結論はこの方へのお礼に書いたとおりに決めました。 親しみのある暖かい人間関係に憧れていましたが、 自分には無理だとわかりました。 せっかく回答をいただいたのに、ごめんなさい。 憧れと現実は違うのだということがわかるのに 40年もかかってしまったけど これから冷たい自分を大事にして生きていきたいです。