まず、大きな誤解が、あるようです。
明確に、求められたとは、葬儀の前に、支払い合意があったか、無かったかで、明確かどうかは、分かれます。
合意があったのなら、やむを得ないかもしれませんし、
やはり、
質問者は、支払いたくない立場なら、最初から、戒名料なぞは、考えていない。質素で、結構というべきでしょう。特に、先代祖父祖母の時代が、りっぱな葬儀、戒名なら、余計に、私は、先代のように、出来ませんので。
と、伝えましょう。それでも、と、言うことなら、供養していただいた評価のみ、支払うだけで良いはずですが。
葬儀を依頼して、葬儀を挙行していただいたお礼としてのお布施は、支払うべきでしょうね。
もともと、何も期待していないのなら、お坊さんを呼んで、葬儀をしなくても、戒名も付けなくても良い訳で、どこどこの団体の言った事、や、TVやマスコミの言ったこと、を鵜呑みにしていること自体、おかしなことです。
このネットでさえ、個人の主観的意見の塊みたいなものですから、TVがただしいとか、ネットが正しいとか、言わないでくださいね。判断は、自分で、自己責任です。
ちなみに、全国放送のテレビとか団体で、習俗や慣習など、戒名という一部だけを取り上げて論ずるのは、ナンセンスです。意見、情報として、捕らえるのは良いのですが。松本サリン事件に象徴するように、マスコミは、正しいとは、限りません。北朝鮮の報道も大本営発表も似たようなものです。
喪主が、祭祀継承して、葬儀と告別式を挙行したわけですね。結婚式と披露宴みたいなものです。
結婚式を例に挙げれば、何億円かの有名人の結婚式と披露宴の合計金額は、99%披露宴の費用ですね。葬儀も同じです。告別式の費用なり、分相応以上の戒名を求めるから、費用の問題が、起きるのです。
挙行した葬儀や戒名が、いわゆる派手なものでない限り、
普通にお布施を払うだけで、別に戒名料とわざわざ袋を別にして、渡す必要は、無いでしょう。お食事代だの、何か別な袋に分ける理由は、本来は、同席で、食事を振舞うべきですが、それに替えて、これを収めてくださいという施主の無言の意思表示ですね。どんな戒名でも、これは、ありがたいと評価されるなら、そういう意味で、包まれるのならよろしいですけどね。
取ると言う表現をされてみえますが、お賽銭を投げるとき、神社や寺が、足りないからもっと投げなさいといちいちチェックしているなんて話は、聞いたことがありません。
もともと宗教とは、定価が無いので、宗教なんです。
結納だって、給与の3ヶ月分とか、分相応に払いますよね。自分の懐と相談して、金高は、自分が決めるもので、
その金額に対して、自分が、自分を評価すれば良いだけですよ。
ただし、何人の坊さんを、要求して、戒名も、こうしてほしいと要求して、さて、何も、表さないと言うのは、おかしいですよね。
逆に、坊さんの方も、勝手にどんどん戒名を付けて、請求するのも、どうかと思いますね。
いらない戒名なら、ありがたく返上してください。
なお、宗旨は、不明なので、解りませんが、仏弟子の信士、信女に、特別な戒名料の請求は、ないと思います。
ただ、うれしみで、上乗せされるのは、チップみたいなものですから、自由です。
宗教とは、それほどに、自由なものです。定価をつけることほど、ナンセンスなことは、ないのですよ。定価が、ほしいと思われるのは、如何に、へいぜい、寺との付き合いが無かったかの証明でもありますね。
もう一度言います。だれかに言われるべきものでなく、自分で、しっかりと損得勘定でなく、正当な評価をすること、そのトレーニングこそが、宗教心の始まりなんです。
あらゆる方向から、物事をみると言うことを学んでくださいませ。